第392話 「クリーガ市街戦③」
屋上の仲間が地面に降り、兵の方々と合流する。そうして最初に口を開いたのはクリスさんだ。
「長引けば確実に崩されるところだった。助けてくれて……本当に、ありがとう」
その感謝に、あまり堅苦しい気負いはない。表情も柔らかだ。きっと素の感情なんだろうと思って、自然に受け入れられた。
すると、隊員の子が少しためらいながらも口を開く。
「これからどうします? クリスさんは、そちらの方々に合流するとか?」
見たところ、こちらの兵の方々に、貴族やそれに準ずる戦力の指揮官はいらっしゃらないようだ。クリスさんが指揮を執るのが筋かもしれない。
持ち掛けられた話に対し、クリスさんは難しそうな表情になった。そこでラックスが声をかける。
「おおざっぱにでも道を教えていただければ……」
しかし、そこで兵の方が敢然として声を上げる。
「何か別の用があって動かれていたのなら、そちらをご優先ください! 我々は、見通しが利く街路を通って指揮官を探します!」
そんな申し出に、クリスさんは頭を下げ、俺たちに向き直った。
「では、行きましょう」
「はい」
そうして、俺たちは大きな交差点で二手に分かれ、互いの武運を祈ってそれぞれの道を行った。兵の方々は指揮官がいる部隊との合流を目指し、俺たちは、ただひたすら西へ向かう。
城の横手を走り、城の裏手へ入っていくと、次第に禍々しい雰囲気が強くなってくる。やはり、西側の方が戦闘が熾烈なようだ。
やがて、城から西門へつながる大通りが見えた。そして、俺たちが進む道とその大通りの交差点で、激しい戦闘が行われているのも。
その戦いの中には、俺たちには見覚えのある姿があった。「ハリーだ!」と、向こうの彼に届かない程度の声で、仲間が叫んだ
彼の気を乱してはマズい。それに、魔人に気取られるのも問題だ。前方数十メートルぐらいのところで、彼は2人の魔人を相手取り、守勢に回っている。大きく崩れていない辺りはさすがだけど、早く駆け付けないと。
すると、俺たちの前を行くクリスさんが、走りながら
しかし、横槍には気づいたのだろうけど、こちらへ注意を向けようとはしない。あくまで、彼を始末しようというのだろうか。
そう思っていると、そいつの体に紫のツタが巻き付いた。次いでハリーの斬撃がそいつを襲い、魔人が倒れ伏す。
片割れの魔人が逃げようとするも、そこへ追光線の2発目が襲い掛かる。後は同じように剣と魔法の追撃で、その魔人は地に伏した。
そうして魔人との戦いが片付くと、ハリーとその後ろの女性は、彼らから見て前方へ走っていった。
俺たちも後を追うように駆け寄ると、兵の一集団と魔獣の群れが戦っているところだった。しかし、勢いはこちら側にあり、加勢の必要はなさそうだ。
すると、こちらに気づいたハリーが顔を向けた。彼にラックスが、少し心配そうな口調で尋ねる。
「ハリー、殿下は?」
「殿下は、魔法庁の庁舎におられる。直々のご用命を受けて庁舎へ護送した後、街を守るようにと」
魔法庁は、この市街戦において、中核となって動いている組織の一つだ。ハリーによれば、庁舎付近の守りの方にエリーさんがいるらしく、まず安全と言っていいだろう。
そうして安心できる情報を得たものの、ラックスの表情は硬い。その視線が向かう先は、ハリーとともに戦っていらっしゃった女性だ。
30代半ばぐらいだろうか。少し華奢に見える一方、雰囲気にはゆったりとした感じもある。気品と包容力を感じさせる方だ。
そして、先の戦いでは紫の光が見えた。それも、ハリーの後ろから。ということは……俺はなんとなく察したものの、特に何も考えていないであろう悪友がハリーに駆け寄り、彼のわき腹を悪い笑顔で小突く。
「コノヤロー、ネリーというものがありながら、こんな美人の傍でなぁ、お前~?」
そうやっていじられるハリーだけど、表情はひきつっている。彼をイジっている愚か者も、ラックスの「その辺にしとけば?」という声で我に返る。
それから、クリスさんが片膝をついて言った。
「ベーゼルフ侯爵夫人、ご無事で何よりです」
「あなたの方こそ……息災でなによりだわ、クリスティーナ」
侯爵夫人は、少し影があるものの、柔らかな笑みをクリスさんに向けて仰った。
侯爵夫人ということは、この付近でも有数の権力者だ。気が付けば、周囲の兵の方々も、大変恭しい態度で侯爵夫人を見ている。
それから、侯爵夫人は俺たち近衛部隊に視線を向けられ、仰った。
「このようなことを頼める立場ではないことは、重々承知しております。ですが、どうかこの街の民のため、お力をお貸し願えませんか?」
「もとよりそのつもりです」
だいぶ緊張したけど、こればっかりは他には任せられない、隊長としての責務だ。真正面で向かい合ってお答えすると、侯爵夫人は複雑な表情になられた後、頭を下げられた。
「頭を上げてください」とは言えなかった。こうでもしないと、お気が済まないのだろうと感じる。それくらい、痛ましい雰囲気が漂っている。
ただ、喜ぶのも申し訳ないとは思うけど、侯爵夫人はすぐに頭を上げられた。そこですかさず、ラックスが声をかける。
「ご無礼かと思われますが、できれば現状について情報をお聞かせ願えればと存じます」
「ええ、もちろん」
快く応諾してくださった侯爵夫人によれば、現状は次のとおりだ。
まず、市街を守る貴族の手が足りていない。これは、侯爵夫人までが駆り出されていることからも明らかかもしれない。
市街にいない貴族は、各自の領地を守っているという。黒い月の夜という事情から、それは責められるものではないけど……実際はこの有様だ。
それで、市街の防御に当たる貴族の方は、衛兵隊員を引き連れて防御に当たられている。冒険者や魔法庁職員とは別行動だ。普段の命令系統が異なるからということだろう。ただ……。
「冒険者ギルドと魔法庁は、この内戦から距離をおいて中立の立場を取っていました。だからこそ、貴族への不信は……きっとあるのでしょうね。今もなお、魔人に通じている者がいるのではと」
侯爵夫人は、端正なお顔に悔しさをにじませ、苦々しげに仰った。こうなってしまった責を感じておられるようだ。
すると、ラックスが少し話題を変えた。
「……市街において、大きく崩れた箇所はございますか?」
「いえ、まだそのような話は、聞いていないわ」
「対応が遅れている場所については、いかがでしょうか」
「今の所は間に合っているわ。強いて言うならば、南が不安ね。北は魔法庁とギルドがある。東は”目”がほとんどない。西は、目が多いけれど、自然と実力者が集まってきてくれている」
そう仰って、侯爵夫人は優しげな視線を、俺たちに向けられた。西がヤバげというのは、他の方々もうっすら感じ取っていたということだ。
そして、ラックスの読みが当たったわけでもあるけど、彼女は自惚れることなく、至極冷静な口調で言った。
「私たちは、南へ向かいましょうか?」
「そうね、その方が心強いわ」
行く方向が決まったところで、今度はウィンが口を開く。
「そこの彼は、お役に立てましたでしょうか?」
「ええ、とても。私だけじゃなく、衛兵隊員のみなも頼りにしているわ」
「……だそうだが、どうだ?」
ウィンが、どことなく嬉しそうに俺に尋ねてくる。ライバルが褒められて、悪い気はしないんだろう。
俺としては、ハリーに向こうで戦ってもらうのは、いいことだと思う。一緒に戦ってもらいたいという気持ちももちろんあるけど……出身が違うものが混じって共に手を取り合うということに、きっと大きな意味があるだろうから。ちょうど、俺たちにクリスさんが付いているみたいに。
それに、出身者が違う部隊と出くわした際、良い調整役になることだってあるかもしれない。そう思って、俺は彼に打診した。
「ハリー、そちらを頼めるか?」
「ああ、了解した」
「じゃあ、俺たちの代表と思って頑張ってくれ」
「……そうだな」
これにはプレッシャーを感じたのか、少し硬い苦笑いで返してくる。でもまぁ、普段どおり実直に務めてくれるだろう。
そうして話がまとまりかけたところで、今度はクリスさんが、若干の逡巡を見せた後に侯爵夫人に尋ねた。
「侯爵閣下については……お聞かせ願えますでしょうか」
「夫は……この市街には居るわ。それ以上は答えられない。本当に、申し訳ないのだけれど」
「いえ、ご無事でしたら何よりです!」
言葉ばかりでなく、本当に面目なさそうな雰囲気の侯爵夫人に、クリスさんは少し明るい声で言葉を返した。
ベーゼルフ侯といえば、クリーガ近隣でも随一の能臣で、新政府首脳陣の筆頭とも聞いている。そんな侯爵が、戦場をご夫人に任せて逃げたということはないだろう。
では、どこで何をしているんだろうか? どうしても湧き上がる疑問に、後ろ髪を引かれる思いを感じながら、俺たちは南へ足を向けた。
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