第391話 「クリーガ市街戦②」

 建物越しに響く音から、向こう側で戦闘が始まったのがわかった。戦闘音と、人とは思えない何かの悲鳴が響き渡る。声の感じから、人がやられたという感じはまだない。

 おそらく、瘴気と魔獣を盾に、魔人側は様子見といったところなのだろう。やり取りは序盤に過ぎないのだと思う。

 早く加勢にと、急く気持ちの裏で、それを抑えようと冷静な思考も働いた。回り込んだ出口の向こうに、街路が見える。敵の影はない。はみ出すような瘴気もない。それでも、待ち伏せを考慮しなければならない状況だ。

 幸い、多少の会話は戦闘音がかき消してくれる。仲間には聞こえても、遠くにまでは届かない。そこで俺は、駆け続けたくなる気持ちを抑えて、みんなをひとまずその場にとどめた。

「先に伏兵がいるかもしれない。だから、空歩エアロステップで建物の上を行こう」と提案すると、 ラックスが有無を言わさない口調で「了解、みんなリーダーに従って」と続けた。

 一刻を争う切迫感に押されるように、俺たちは空歩で見えない階段を駆け上がっていき、建物の上へ向かう。先頭を行く俺は、異刻ゼノクロック双盾ダブルシールドを構える。


 その間、クリスさんのことが心配でならなかった。囮になろうと、あえて目立つ振る舞いをしているように見えたからだ。

 それに、彼女一人で門の説得は成らず、友軍の到着を待たねばならなかったという事実も、なんだか気にかかる。それが、彼女を急き立てているんじゃないか……そんなことを思ってしまう。

 せっかく手を取り合えたんだから、どうにか一緒に生き抜きたい。


 そんなことを思っているうちに、建物の屋上へたどり着いた。こちらにも伏兵はない。高所から辺りを見回したくなる衝動をぐっとこらえ、まずは街路側へ回り込むように動く。

 すると、眼下に広がる赤紫の霧の中に、魔人を3体確認できた。いずれも、地面の方の部隊に気を取られている。連中の前には異形の怪物がひしめき、兵と交戦中だ。

 しかし、後方に対する備えはないようだ。上方に対する警戒も。前は魔獣に任せ、連中はクリスさんへ集中砲火を仕掛けている。

 やるなら今だ。俺はウィンを呼び寄せ、小声で言った。


「降りて一体ずつ相手しよう。みんなは上から牽制を」

「いいだろう」


 対して怖じる様子もなくウィンが答え、みんなは少し硬い表情でうなずく。

 そして、俺たちは覚悟を決め、屋上から飛び降りた。空歩を応用し、割れる地面を踏み砕き続けるイメージでブレーキをかけ、いい塩梅のスピードで高度を落としていく。

 これは、飛行訓練で得た降下術の一つだ。足に断続的で少し不快な刺激が続くものの、そのまま落ちるよりはずっといい。こうして音もなく連中の背面に忍び寄り、俺は背負った剣に手をかけた。

 赤紫の霧の中で、連中は同色の泡膜バブルコートを展開している。これは予想通りだ。魔法を一発撃っても、弾かれて奇襲にはならない。殺るなら、剣だ。

 異刻で遅くさせた時の流れの中で、横にきらりと銀の輝きが見えた。言葉を交わさずとも、ウィンも同様の結論に行きついたようだ。

 後は、連中の無抵抗な背を斬ればいい。俺に近い側の魔人は、俺よりもだいぶ背が低い。顔は見えないけど、見るまでもない。どうせ、こどもだろう。

 しかし、迷ってられる状況じゃない。背に伸ばした手で剣を引き抜き、マナを通す。


 胸の傷は、完治したとは言い難い。腕に力をこめると、今でも痛みが走ることがある。そんな中で、このリーフエッジは、その軽さゆえに無理なく振るうことができる――マナの乱れがなければ、だけど。

 しかし、心の迷いもマナの乱れも一切なかった。緩やかな時の流れの中、白くしなやかな葉の刃は、青緑のマナを湛えてまっすぐに伸びた。

 これならいける。空歩を使ったまま駆け寄り、無音で敵に忍び寄る。気づかれてはいない。無抵抗な背中だ。更に近づいても、まだ気づかない。もう一歩、必殺の間合いへ――。


 一瞬、踏み込もうとする右足が甘えかけた。そんな気持ちを振り抜くように、空歩で力強く最後の一歩を踏みしめ、俺は剣を振った。

 俺の刃は、敵の右首筋辺りに入った。その瞬間、どこから来たのかもわからない負荷が、急に両腕にかかる。時の流れもみんなの動きも、蜂蜜に浸かったかのように遅く感じられる。

 いや……見当違いな良心が、俺を止めにかかっているだけだ。それを、目の前の敵もろとも斬り伏せるつもりで、俺は両腕に渾身の力を込めた。

 すると、少しずつ世界が動いていく。奴の体に剣が食い込み、少しずつ下へ斬り抜けていく。手にかかる負荷は、ほとんどない。刃は抵抗なくスッと通っていく。ただ、自分の骨の内側から、それに反発するような何かを覚えた。

 そして、いつ終わるかもわからない精神の戦いの中、俺の刃は左の腰下まで斬り抜けた。

 踏み込みは、十分だった。袈裟に斬られた傷口から、赤紫の何かが噴き出して霞に変わる。そして、上半身は斜めの切り口に従い、重力に引かれて少しずつずり落ちていく。


 やがて、時の流れがほとんど元に戻った。泣き別れた上肢と下肢が地に倒れる音、自分の息遣い、心臓の鼓動が耳に響いた。

 いや、まだ終わりじゃない。一瞬で自分を取り戻し、俺はウィンの方に視線をやる。

 彼も彼で、うまく攻撃を入れていたようだ。首への突きが深々と決まり、次いで彼は距離を取って魔法での射撃に移行しようとしている。

 俺たち二人の奇襲が成功したその直後、残る健在な魔人に対し、屋根の上からは集中砲火がかかる。光盾シールド・泡膜等の再展開が間に合わず、滝のように流れ落ちてくるボルトの前に、敵は堪えきれずその場で回った。

 もはや脅威ではない。でも、奴の向こう側、魔獣と兵の方々の戦が気がかりだ。早く、始末しないと。

 俺は魔人の足元に火砲カノンを放った。視覚外からの砲撃に堪えられるわけもなく、爆風に呑まれて左足が吹き飛ぶ。

 立って耐えることもままならなくなった敵は、その場で倒れ落ち、やがて矢の雨の前に動かなくなった。

 ウィンの方も、けりが付いたようだ。結局、彼の相手はまともに抵抗できないまま、背後からの連撃で絶命し、白い砂の塊へと化していく。

 後は、魔獣の方だ。反魔法アンチスペルで瘴気の霧を晴らし、向こうの様子を見る。

 すると、魔人からの攻勢が止んだことで、クリスさんが十全に動けるようになっていた。空歩で上を取り、剣と魔法のコンビネーションに兵との連携も合わせ、異形の化け物たちを次々と硬貨へ変えていく。


 それからほどなくして、戦闘は終結した。奇襲から1分も経ってないんじゃないかと思う。

 兵の方のうち、最前列に何人か軽傷者が出たものの、大事はなかった。危険な役回りにあったクリスさんも無事だ。

 そのことに安心しつつ、俺は地面を眺めた。奇襲をかけた魔人の、白い亡骸が転がっている。


 俺が斬ったのは、やはりこどもだった。あどけない顔は驚きのままで固まっている。何をされたかわからないまま果てたんだろう。その顔を見て、右手が少し震えた。「見た目だけだ」なんて、単なるごまかしだ。そう思っている自分が確かにいる。

 彼を殺すまで、迷いはあっても振り切れた。剣は、それに応えた――いや、剣が求めるがままに、俺は力と意志を示したのだと思う。

 自軍に負傷少なく終わったことは、確かな戦果だ。しかしその一方で、俺が何か染まってしまっているような、漠然とした恐怖が心の表面に薄く粘りついている。理由さえあれば、それを正当だと認めさえすれば、こうも残酷になれるんだろうか。そんな囁きが聞こえた。

 しかし……そんな声は、ただの責任逃れだ。これは、誰かがやらなければならない役目だ、そういう世の中なんだ。それを、あの子に背負わせたくないから、信ずべき仲間がいるから、俺は今ここにいる――こうして、ことあるごとに悩んでしまうのも承知の上で。

 殺ってから悩むのが、連中に対する最低限の慈悲だ。それ以上の慈悲を示すのは……単に、自分の良心がかわいいだけだ。そんなものを、仲間と天秤にかけること自体が間違っている。


 揺れ動く心を感じながら、浅い息遣いで胸元を握る。すると、不意に肩を叩かれた。ウィンが、いつになく優しい顔――つまるところ、他のみんなの微笑み相当――で立っている。


「大丈夫か?」

「あ、ああ……大丈夫。ちょっと、苦い感じがしただけだ」

「気分悪いよな。俺もそうだ」

「……表に出ない分、ウィンの方が立派に見えるな~」

「それで損することもあるぞ?」


 微妙に哀愁を込めて語る彼がなんだかおかしくて、苦笑いしつつも吹き出てしまう。すると、彼は疲労感のある笑みを浮かべ、俺の背を軽く叩いた。

 この世界に来てツラいことは多いけど、本当に出会いには恵まれたと思う。

 だから、戦えているんだ。

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