第393話 「クリーガ市街戦④」

 クリーガ市街戦において、魔法庁職員たちは堂々と制服を着たまま、窮地に立ち向かっていった。

 当然、その姿は魔人たちの目に留まることとなる。このような状況にあって、組織だった守備力を発揮する魔法庁に対し、魔人たちは強い警戒と敵意を抱いた。

 それゆえに、魔法庁庁舎の所在が魔人の中で知れ渡ると、そこが戦火にさらされるのも無理からぬことであった。

 しかし……。


 庁舎正門前のちょっとした広場には、今や異形の怪物が押し寄せている。そして、それらを操る魔人も4体ほど。瘴気という場の特性も手伝い、事情を知らぬものが一見しただけでは、魔人側にとって優勢であるように映る。

 が、彼らは攻めあぐねていた。彼らが苦々しくにらみつける先、正門の上空には、宙に浮く一人の女性の姿があった。その装いは魔法庁職員のそれである。

 彼女の後ろでは、同じ服を来た職員たちが、門の先の敷地内に展開している。しかし、魔人側は彼ら職員一同など眼中にないようだ。ただ一人、門の前を守る女性に、魔人たちの警戒が注がれている。


 そして、「かかれ!」という鋭い号令で、魔人たちが彼女に魔力の火砲マナカノンを放った。

 すると、どうしたことか、狙われているはずの女性は逆に前に進み出た。そして、彼女に赤紫の砲弾が殺到し、彼女は平然と防御魔法を展開する。

 その背後から様子を見守る、クリーガ魔法庁職員には、彼女が使った魔法が当然わかる。光盾シールド泡膜バブルコートだ。しかし、単に二つ使っただけでは、集中して襲い掛かる砲弾の群れをさばききれるはずもない。

 だが、それでも職員たちは目を開け続け、前方に右腕を構えた。「何があろうと、戦意を保って柔軟に動くように」というのが、彼らの前に立つ女性の言葉だったからだ。


 そしてついに、火砲の群れが着弾した。連鎖的に赤紫の爆風が巻き起こる。一人矢面に立つ女性が前進したため、魔獣たちも爆発に巻き込まれたのだろう。金属を力ずくでこすり合わせたような、耳障りな悲鳴が響き渡る。

 そんな惨状の中、赤紫の爆風に囲まれてなお、職員たちはその中に青色のマナのきらめきを見た。例の女性は健在、ということだ。

 すると、職員の一人が魔力の矢マナボルトを放った。爆風がちょうどよい煙幕になっており、魔人側には見えていない。状況を活かした射撃で、門前に集まる魔獣たちを柵越しに射貫く。すると、一人撃ったのを皮切りに、次々と職員が後に続いた。


 そして、今だ爆風が晴れ止まない中、職員たちは爆心に橙色のマナの輝きを見た。

 次の瞬間、赤紫の噴煙の右に、橙色の魔法陣をつなぎ合わせた鎖が飛び出す。それは目にも止まらない勢いで地面を舐めるように動き、進路上の魔獣を切断していく。

 やがて、強い電流が生じたような、激しい衝撃音が響き渡った。同時に、つながれた橙の鎖が千切れ飛ぶ。鎖を構成していた魔法陣は、一枚一枚が鋭利な円盤となって、周辺の魔獣たちをさらに両断していく。

 すると、絶命する魔獣たちの断末魔に混ざり、人語の悲鳴も響いた。魔人も、この攻撃で絶命したのだろう。


 これは、連刃チェーンブレードというAランク魔法の第2種禁呪だ。複製術の応用により、鋭利な円盤を同時にいくつも生成し、橙のマナの力で互いを引き合わせる。それを振り回せば、刃で構成された鎖が敵を襲うという寸法だ。

 マナでできた刃だけに、光盾で防ぐことは容易ではある。一方、魔法を使えない魔獣相手であれば、極めて有用な魔法だ。注ぎ込んだマナの密度次第では、小型の魔獣を両断することすら可能だ。

 しかし、複製術という禁呪の応用であること、扱いが難しく友軍を斬り殺しかねないことから、第2種禁呪指定をかけられている。

 特に、鎖を解き放って周囲に丸鋸をばら撒く使い方は、たとえ使用許可があろうと「よほどの使い手」でなければ強く非推奨とされている。


 爆風が晴れ渡ると、職員たちの目にも状況が把握できるようになった。何重にも重なった火砲の中、女性は無事だった。ケガ一つ負った様子はない。彼女の足元には死にかけの魔獣や、金色の硬貨が、無秩序に転がっている。

 そして、その前方では……4体いたはずの魔人が、今や1体だけとなっている。倒れた3体はいずれも地に伏しているが、うち2体は背にナイフを何本も突き刺されている。


 最後の一体となった魔人は、展開済みの瘴気を盾にするように立ちまわる。しかし、彼を付け狙う褐色の肌の女性は、瘴気を意に介さず動く。

 魔人を追い回いながら、女性は隙の少ない機敏な動作で、ナイフを5本放った。1本は直進、4本は急に現れた橙の魔法陣に沿うように空を旋回する。

 魔人は、直進する一本を避けたものの、曲がるナイフを避けきることはかなわなかった。さらには別方向からも青い光線が迫って背を撃たれ、大きくバランスを崩す。

 仕舞いには後頸部にナイフを突きさされ、彼はほどなくして白い砂の塊へと変じていった。


 魔人が片付いた頃には、城門周りの魔獣もほとんど片付いていた。火砲の着弾から1分もかからない間の出来事だ。

 この掃滅には、もちろん魔法庁職員一同が尽力している。が、より大きな働きをした二人の女性に、彼ら職員は熱い視線を注いだ。

 そんな職員たちに、褐色の肌の女性はニッコリ微笑みかけ、小さく手を振った。すると、向かい合う女性が声をかける。


「ラナレーナさんから見て、敵の攻勢はいかがですか?」

「別に、愛称で呼んでくれていいけどね……」


 そう言って、ラナは地面に転がった亡骸を眺め、口を開く。


「練度は低いわ。魔獣が増えるのはこれからだろうし、実力者は様子見ってところかしら? 大手柄って餌で下っ端をけしかけて、″探り"を入れているのかも。エリーはどう思う?」

「あまりにも瘴気頼りな戦い方をしているように感じます。魔人としては普通なのかもしれませんが……未熟さは、確実にあると思います」

「後ろへの警戒心が薄いしね」

「ああいう手合いが続くようであればいいのですが……あなた方はどう思いますか?」


 エリーから話を振られ、クリーガの職員たちは急に姿勢を正す。が、意見は中々出てこない。若干間が開いてから、硬い表情の職員が答えた。


「何分、こうした事態は初めてなものですから……無我夢中で戦うばかりで、特に考えなどは……申し訳ございません」

「いえ、戦力になっているだけでも十分ですよ。後は落ち着いて、身につけた知識と力を、その手で操るだけです」


 エリーが優しく答えると、固まっていた彼も少し柔らかな表情になっていく。その様子を暖かに見守ってから、ラナはエリーに問いかけた。


「ギルドから要請があれば出るけど、それまでは居た方がいい感じ?」

「ええ。できる限り、来た敵を帰したくはありませんので。それに、ここが落ちても困ります」

「そうね。またお客さんが来るまで、その辺の店にいるわ」


 ラナは手をひらひらさせ、魔法庁向かいの店の中に姿を消した。



 王都側でも屈指の精兵二人に、魔法のエリートたちが固めるクリーガ魔法庁。その庁舎から地下へ深く潜ったところに一つの部屋がある。

 その部屋は、一般職員には知られておらず、支部長官とその側近及び都市の統治者クラスにしか知られていない。名は密儀の間という。

 黒く滑らかな素材で囲まれたその部屋は、10メートル四方程度の大きさがある。その中に、今3人の人間がいる。クリーガの魔法庁長官、フラウゼ王国王太子、そして、ベーゼルフ侯爵だ。

 部屋の床には、部屋の大きさほぼいっぱいに円が刻まれ、その内側を直線や曲線が走っている。そうして刻み込まれた床の溝には、ぼんやりと光る液体のような白い粒子が床の中央から流れ、円の外縁部から壁へと上に登っている。


 その、白い模様の上で侯爵はひざまずき、白い円に重ねるように紫の魔法陣を展開している。透圏トランスフェアだ。

 しかし、その範囲は尋常ではない。床の円に合わせるよう展開されている透圏は、天井にまで達しようかという大きさの半球となっている。その内部では無数の光点が輝いている――中には、黒い亀裂のようなものも。

 魔法陣を展開する侯爵の額からは、とめどなく汗が床に流れ落ちている。それを意に介さないかのように、彼は外連環エクスブレスで指示を出していく。


「目の12で新手。規模は小隊程度、すべて小型だ。しかし、付近には戦闘が長引いている部隊がいる」

『はっ! 手透きの者を向かわせます!』


 短いやり取りの後、侯爵は袖で額を拭った。しかし、拭ったそばから汗が滴り落ちる。袖も、汗を吸うには用をなさなくなるほどに濡れ尽くしていた。


 密儀の間の機能は一つ。"統治権限者"の手による特定の魔法を、都市規模にまで拡大させることだ。その特定魔法の中に透圏と天令セレスエディクトがある。

 とはいえ、透圏が密儀の間に対応した魔法だというのは、今夜明らかになったことだ。その可能性に思い至った、侯爵の機転によるものである。


 侯爵は、このような状況を招いた当事者の一人だ。しかし、自身の全てを絞り出すかのような彼の様相には鬼気迫るものがある。それに感じ入ったのか、この場に立ち会う長官は、複雑な面持ちで侯爵を眺めている。

 長官の傍らに立つアルトも同様だ。敵勢力の最上層にあった人物ではあるものの、そんな侯爵に向ける視線には、悲哀のようなものが見え隠れする。


 すると、侯爵が突然身をかがめてせき込み始めた。魔法陣の維持がままならず、部屋を満たすように張られた紫のドームが、淡い粒子となって部屋中に飛散する。

 咳き込む彼の様子が落ち着くと、すかさずアルトが彼に声をかける。


「飛んでいる光点は見たか?」

「……はい。大型があと二つございました」

「そこまで減らした者に、実は心当たりがあるんだ。おそらく、私の友人だろう」

「……左様ですか」


 床を見ながら答える侯爵の顔は、それまでの気迫が抜け落ち、別人のように穏やかであった。その穏やかさに、寂しさや諦念のようなものがにじんでいる。

 そんな横顔に、アルトは切なそうな視線を向け、長官に顔を合わせず話しかける。


「長官、外に出てもこの部屋の力は有効か?」

「はい。しかし、相応に負担はかかります」


 侯爵が外に出て透圏を使えない理由が、これだ。外で使おうものならば、増大した負荷にたちまち膝を折る事となる。

 しかし、別の魔法であれば……アルトは続けて問いかける。


「天令は?」

「もとより拡散化に適した魔法でございますから……おそらく、さほどの違和感なく行使できるものと思われます」

「……兄もそうだったと?」


 アルトの問いに、長官は顔を曇らせた。そして何秒かしてから「はい」とのみ答えた。

 なおもアルトの質問は続く。


「長官。権限の書き換えは、どれぐらいで済む?」

「ほんの数秒、お時間をいただけますれば」

「は、早いんだね……予想外だよ」


 思いがけない返答に、表情を崩して微妙な笑みを浮かべ、アルトは長官に顔を向けた。

 すると、侯爵が声を出そうとして、せき込んだ。


「……申し訳ございません、ですが、殿下。今しばらく、私に使わせていただけませんか?」

「わかった。しかし、空が空いたら私が使う。それと、卿の体が耐えきれないと思ったら、私が止める」

「……心得ております」


 かすかに沈鬱な雰囲気を漂わせて侯爵が答えると、アルトはやや間を置いてから、侯爵に向かって言った。


「卿に生きていてもらわねばならないのは、決して聴取のためだけではないんだ。卿は素晴らしい妻子に恵まれているじゃないか。それを台無しにするなんて贅沢、私は認めないぞ」

「……お褒めにあずかり、光栄です」

「それで、卿の妻子は今どちらに?」

「妻は、市街で兵を率いて戦闘を。娘は、避難所にて民心の慰撫に」


 妻子の動きについて答えると、侯爵の顔に気力が少しずつ戻っていく。それを見て、アルトは満足そうに微笑んだ。



 クリーガ市街の北側にある多用途な講堂では、多くの民がひしめき合っていた。ただこの災厄が過ぎるのを、身を寄せ合って待ち続けている。

 外から差す赤紫の光は、住民の不安を助長するという配慮から、講堂の窓という窓にはカーテンが閉められ、それでも足りなければ目張りで光を塞いであった。

 ぼんやりと灯る、優しいクリーム色の明かりの中、人々はうずくまっている。声を上げたくなるのも我慢し、必死で堪えている。声を出せば、魔人に気づかれる――そんな恐怖が、講堂内を満たす。

 しかし、それでも堪えきれず、泣き出してしまう者もいる。そんな民に寄り添い励ますのが、貴族の家に生まれた、まだ年若い子女の務めであった。


 ベーゼルフ候爵家令嬢レティシアも、そういった民心慰撫のために駆り出された一人である。年のほどは13。若輩者には違いないが、この場での落ち着きぶりは、彼女を年齢以上の存在に見せている。

 彼女は、同世代と思われる少女の前でひざまずき、優しく抱きとめた。すると、恐怖に震えて涙を流していた少女が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 やがて、少女の保護者と思しき二人の大人が、レティシアに向かって深々と頭を下げた。すると、彼女は親子3人にこっそり耳打ちするように言った。


「私にはこれぐらいしかできませんから、お気になさらず!」


 そう言って朗らかな笑顔を向ける彼女に、親子は表情を歪めた。感謝と申し訳無さが入り混じる。


 それからも、小さなランタン片手に講堂をゆっくり歩き回るレティシアに、一人の男性が近づいていった。痩せぎすで30代そこそこに見える。そんな彼の装いは、おおよそ平民が着るようなものではなく、誰の目にも相応の地位にあるように感じさせるものだ。

 すると、レティシアは彼に声をかけた。


「フォルス様、いかがなされましたか?」


 彼フォルス子爵は、焦りもあらわな顔を左右に素早く振り、辺りを見回してからレティシアに話しかける。


「実は、御母堂よりご連絡が」

「お母様から?」

「ええ。部隊の中核戦力に負傷者が出たため、代わりに来てほしいと」


 その言葉に、レティシアは表情を曇らせ、顔をうつむかせた。しかし、周囲からの視線と注意が集まっていることに気づくや、彼女は表情を引き締める。

 そして、いくらか真顔で考え込んだ後、彼女は子爵に向かってまっすぐ答えた。


「お母様からは、ここも大切な持ち場だと。ですから、私を呼び寄せるだなんて、そんな……」

「……このような状況です。レティシア嬢お一人の加勢で、大きく救われるということでしょう」

「……それは」


 返す言葉に言い淀むと、彼女の背を押すように民の言葉が飛んだ。


「ここは、我々だけでも耐えてみせますから!」

「候爵夫人のためにも、レティシア様……どうか、お気の赴くままに」


 先ほどまで、ささやかな泣き声すら我慢していた民が、こうして背を押している。感極まったレティシアは、その場でクルクルと回っては、それぞれの方向の民に頭を下げた。

 そして、彼女は目元を袖で拭い、子爵に話しかける。


「ご案内、頼めますでしょうか」

「ええ……もちろんですとも」


 そう答えて、子爵は複雑な表情でレティシアに頭を下げた。

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