第377話 「クリーガへの道④」

 できる限り兵を帰そうということで話が決まると、さっそく行動に移すことになった。

 殿下が兵たちにどのように話されるか、事前に文章は用意しない。つまりはアドリブだ。そういう生のお言葉の方が、良い結果がでるかもしれない。

 また、今回の通達は空から行う。殿下にはほうきの後部座席に座っていただき、天令セレスエディクトで下々にお言葉を下されるという形だ。

 近衛部隊の中でも、ホウキの扱いがうまい隊員を選出し、今回の運転係に任命する。さすがに大任だけあり、誇らしげにしようとする運転係の顔には、若干のひきつりも見えた。

 しかし、実際に二人で乗ったホウキは、一切のふらつきなく空へ上っていく。まぁ、大丈夫だろう。


 そうして殿下が空に上がられると、事情を知らない兵の集まりから、どよめきが聞こえた。

 すると、殿下の赤いマナが宙に刻まれ、それを転写するように白い雪原にも赤い線が走る。

 その光景に、どよめきは強くなり、それからすぐ騒ぎが反転して波が引くように静かになった。これから殿下が話されるとわかったからだろう。

 誰もが直立不動で空を仰ぎ、ただ殿下のお言葉を待つだけになる。すると、空と地面から殿下の声が満ち、それが体の中へ心地よく響いた。


「いきなりですまない。今は昼休憩中だ、どうか楽にしてほしい。きちんと休息をとるのも、大事な任務だからね」


 さすがに殿下直々のお言葉ともなると、従わないわけにはいかない。直立不動だった人の群れは、ほぼ同じタイミングで腰かけた。

 それを認められてから、殿下は仰った。


「協議の結果、この地で生まれた兵に関しては、希望があれば故郷へ帰すこととなった」


 殿下からの通達に、地上は大いにどよめく。それは中々止む気配を見せず、ようやく静かになってから、殿下は言葉を続けられた。


「無理に帰れとは言わない。そして、帰るなとも言わない。今度は自分で決めるんだ。一人で決められないのなら、周囲の仲間と話し合うのもいいだろう」


 そこで殿下が言葉を切られた。今度はざわめきが起きない。神妙な表情で空の殿下を見つめ続ける方もいれば、思いつめた様子で地面に視線を落とすばかりの方もいる。

 そうして数秒ほど静まり返ってから、再度殿下の言葉が辺りに響き渡る。


「王都からここまでついてきてくれた兵に礼を言いたい。ありがとう。もう少し付き合ってほしい。そして、この地に生まれてなお、私たちに付き従おうという兵にも、感謝を。ありがとう。しかし……この軍に残るあなた方が私のことを敬ってくれるのなら、どうか去る者を慈しむ気持ちも、ともに抱いてほしい。それは難しいことかもしれないけど……私からの話は以上だ。今日は少し長めに休憩をとろう、どうか素直な気持ちで歓談してほしい」


 殿下のお話が終わると、誰ともなく頭を下げ始めた。地に頭をつけんばかりの勢いで平伏する姿も。そして、そこかしこから、嗚咽や鼻をすする音が聞こえる。

 最後に、「本当に、楽にしてほしいのだけどね」とつぶやくような殿下のお声が天地に響き、天令の魔法陣はかすかな赤い光となって霧散した。



 殿下からのお慈悲を賜ったその日に、統一軍から離脱する兵は、ほとんどいなかった。

 行軍を進め、徐々にクリーガへ近づくと、それぞれの故郷へ帰る兵が増えていく。しかし、減りすぎるのではないかという懸念とは裏腹に、軍からの離脱の度合いは大変軽微なものだ。

 ある日、故郷への分かれ道で逡巡し、それでも残ることを選んだ方が、行軍中すぐそばにいた。「心は揺さぶられたけど、この殿下にこそお仕えしたい」というのが、彼の言葉だ。軍に残る兵の多くは、同様の思いを抱いているのだろうと思う。


 平野部へ入ってから数日もすると、少しずつ季節の変わり目というものを感じられるようになってきた。

 分厚く暗い色の雲が空を覆うことは少なくなり、雪はもう降らなくなった。地を覆っていた雪は少しずつ清水に変わり、土と草を潤す。

 この世界に三寒四温という言い回しがあるかは定かじゃないけど、少しずつ暖かくなっていっている。春は近い。

 しかし、その一方で、決戦の地へと近づいていっている、その緊張感も日増しに高まっている。


 行軍中、街道沿いの小さな町村を通ることが何回かあった。しかし、いずれも住民が引き払った後だった。それは保護ともとれるし、あるいはこちらに何も渡すまいとする焦土作戦のようでもある。

 そんな故郷に踏み入り、それでもと統一軍に付き従う人もいれば、それでもと故郷に残る人もいた。同郷の兵同士が涙ながらに言葉を交わし合っていた。そのことが忘れられない。



 統一軍がクリーガ領に入って5日後。軍が三叉路に差し掛かると、一人の若い兵が留別の辞を述べ、軍から離脱した。

 彼、チャールズを親しげに引き留める仲間の声はあっても、責め立てる声はない。

 彼はこみ上げる感情を抑えながら、何度も何度も感謝を述べ、それから故郷への道をひた走った。


 しかし、軍から十分距離が離れて息も上がってくると、足の進みは緩やかになった。そして、息が整っても、その歩みが速まることはない。

 敗戦から今に至るまで、彼は所属を問わず多くの兵と言葉を交わした。その中で彼は、いま生きていることが幸運と、敵だった者の慈悲によるものと理解した。本来であれば死んでいてもおかしくはない。いわば、拾われた命だ。

 今生きている事実の根底に、あの王太子殿下の慈悲がある。そう思うと、後ろ髪を引かれる思いがあるのは確かだった。


 一方、様々な幸運によって助かった命だからこそ、今一度家族に会いたい。

 だが、戦の現実も知らずに送り出した家族に、どうやって顔向けすればいい? 敗残兵であって、さらには離脱者にすぎない、この自分は、どう思われるだろう?

 それに、ここに至るまで街道沿いの町村は、もぬけの殻であった。では、我が故郷もそうなのではないか?


 せめぎ合う感情は、確実に彼の足取りを重くした。

 しかし、故郷である小さな村が視界に入ると、迷いやためらいは無力であった。名状しがたい力が、彼の体を突き動かす。歩を進めるほどに、頭の中が真っ白になっていく。会った時に言おうと用意した言葉すらも、すっかり消えて果てていく。


 そして、ささやかな柵で区切られた境界を越え、彼は故郷に足を踏み入れた。

 膝に手を当て息を整える。そして、ゆっくりと――恐る恐る――頭を上げて様子をうかがうが、人の姿はなかった。

 たまたま出払っているというわけでもない。近くの農場に人の姿はなかった。家にこもっているにしても、あまりに静かだ。

 不意に、彼の胸中にもの悲しさと情けなさがこみ上げた。「はは」と小さく乾いた笑いが口をついて出て、それが一層追い打ちをかける。

 こんなことなら……そんな言葉が脳裏をよぎり、彼は力なく崩れ落ちて地に手をついた。


 しかし、「今からでも間に合うんじゃないか」そんな前向きな囁きが頭に響き、彼は自分自身に驚いた。今から、また統一軍に合流すれば……いや、そうしたい。だったら。

 泣いている場合ではない。こんな気持ちになれたのも、きっと天のお導きだろう。


 そう思って目元を拭い、顔を上げた彼は、前方の建物の裏に人影を見た。

 とはいえ、尋常ではない町の様子は、その人影が町人ではなさそうだと告げている。野盗だろうか?

 彼は無意識に剣を抜き放ち、青い光盾シールドを構えた。一人でかなう相手でなければ……そういう懸念もあったが、ここで逃げれば、もう何もできない人間に成り下がる――そんな漠然とした予感もあった。

 今はただ、自分一人でもこの故郷を守りたい。そんな思いを胸に、彼は少しずつ距離を詰めていく。

 すると、建物の裏から声が飛んだ。


「はーい、ストップ、ちょっと待って! あんた、ここの人?」


 敵意がなさそうな声だが、油断はできない。手にした武具を構えながら、チャールズは答えた。


「そうだ」

「……そうかぁ、俺らはクリーガのギルドのもんだ。火事場ドロボーじゃないから、安心してくれ」

「どうだかな。身分証は?」

「わかった、ちょっと待ってな」


 建物の奥で影が少し動き、すぐに視導術キネサイトでそれらしきものが運ばれてくる。

 その術士と、チャールズは窓越しに目が合った。視導術を窓越しにコントロールしている。中々の手練だ。

 そうして送られたのは、ギルド会員証と一枚の書状であった。それを手に取り、視線を走らせ、チャールズは非礼を詫びた。


「すまない。まさか、都市政庁の依頼とは思わなかった」

「わかりゃいいんだけど、そっちの素性は?」


 若干挑発的な声音の言葉に対し、チャールズはお返しとばかりに、視導術で身分証を走らせた。

 それが建物の影の相手に届くと、先ほど話していたのとは別の声も混じり、感嘆が飛び出す。


「うっはぁ!」

「すっげ!」

「いや~、疑って悪かった。じゃ、隠れてないで出るぞ」


 そういって姿を現したのは、4人の冒険者だった。


 冒険者と一口に言っても、一人一人に個性があって、千差万別である。

 しかしながら、土地柄による特徴や傾向というものは、確かに存在する。

 クリーガ領で活動する冒険者は、多くが力仕事に慣れ親しんでいる。というのも、農作業の手伝いが日常的に依頼として舞い込んでくるからだ。

 加えて、付近一帯はマナが安定しており、魔人や魔獣の発生報告が少ない。

 そのため、クリーガ領の冒険者の仕事は、一に農作業、二に害鳥・害獣の退治、三に農作物の運搬と言われる。「家業から逃げて冒険者ギルドに入ったら、結局何も変わらんかった」などというのは、この地域でいつの時代でも通用する笑い話だ。

 そのような事情もあって、クリーガにおいて冒険者を志す者は、多少の拍付けだとか、小銭稼ぎ、あるいは思い出作り程度の感覚でギルドの扉を叩くものが多い。そうして、多くの若者が、いずれは親元へ帰って家業を継ぐ。


 しかし、この場にいる冒険者は、そういったクリーガによくあるタイプではなかった。

 彼らは鷹揚おうようで、少し緩い空気はあるものの、それは場馴れから来る余裕や自信であろう。会員証に刻まれたランクもC、いわゆる一流だ。どこへ出しても通用する――きっと、そこが農地でも。

 そんな冒険者たちではあるが、彼らは一人故郷へ帰ったチャールズを大いに称揚した。


「まさか、Cの魔導師とは思わなかったぜ」

「いや、兵士としてはまだまだ下士官だし……」

「昇進はこれからでしょ? Cランクってことは、空歩エアロステップとか得意?」


 その発言に、チャールスの脳裏で、つい最近の苦い記憶がよみがえった。身を切るような絶望的な寒さ。そして目の当たりにした、川の上での熱戦。あれの前には、自身の魔導師ランクが飾りのように思えてしまう。

 思わず暗い表情になった彼に、冒険者たちも少し神妙な顔つきになった。

 それからややあって、リーダー格の青年が言った。


「チャールズさんでいいか?」

「ああ」

「えーっと、話しづらい内容だろうけど……新政府軍は負けて旧政府軍に取り込まれ、それで、帰りたければ帰っていいってことになった……あってるか?」


 チャールズは驚きのあまり言葉を返せなかった。その反応を肯定と取り、リーダーは静かに「そうか」とだけ言った。


「どうして、それが?」

「いやなに、簡単な推理さ」

「うそつけ、マスターからの受け売りだろうが」

「そのマスターも、上から吹き込まれたっぽいけど」


 格好をつけようとしたリーダーを、仲間たちが茶化す。すると、リーダーは苦笑いしながらも状況を話した。

 ギルドを始めとして、クリーガの各機関は、新政府軍が敗北したものと認識している。

 その前提を踏まえ、故郷に戦傷が少ない兵が帰還したのなら、それは旧政府軍が一度とらえて解放した可能性が高いと判断したわけだ。

 その推察があっていることを認め、チャールズは問い返した。


「ここのみんなはどこへ? 君たちは、ここで何を?」

「ここだけじゃなく、付近の町村の住民は、クリーガへ避難を始めてな。例の夜の対応のためだ。なんせ、動ける兵をすべて防衛戦に回そうっていうんで、周辺の町まで守る余裕がない」

「でも、この隙に野党が盗みを働くかもしれないからね。私たち冒険者が避難誘導しつつ、パトロールもしてるってわけ。あと、例の夜の遊撃と、その準備もね」


 話を聞いているうちに、チャールズの胸中に不思議な情けなさが沸き上がった。冒険者たちが、こうして人間の世のためにまっとうに動いているというのに、正規兵たる自分は何をやっているのだろう?

 熱くなる目頭を袖で抑えると、リーダーが彼に話しかけてくる。


「兄さんも、俺らと一緒にどうだい?」

「僕が?」

「ここに一人で留守番ってのもアリだろうけど……まだまだやれることはあるぜ」

「そうそう。帰還兵を吸収して手伝ってもらうってのも、依頼のうちに入ってるし……人手が増えるのは大歓迎!」


 チャールズは、すぐには返答できなかった。あまりに立場をコロコロ変えることに、少なからず抵抗はある。

 しかし……なにも決断しないでいることが、漠然とした“何か“に対して無責任であるように、彼は感じた。

 だったら、今自分にできることをしよう。


「わかった、手伝わせてほしい」

「了解。じゃ、他の町も回ってみるか」


 そう言ってから差し出された手を、チャールズは握り返し、他の冒険者たちとも固い握手を交わした。

 そんな中、チャールズは一人思った。この二週間ほどで、数え切れないくらいの人と握手をした。きっと、自分の人生で一番握手をした期間だろう、と。

 彼が握ったそれぞれの手は、いずれも大きさや形、固さなどが違っていた。それぞれの人生を歩んできた手だった。

 ただ、いずれの手も温かだった。

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