第376話 「クリーガへの道③」

 黒い月の夜の予報が入り、簡易的な軍議を行ってから、行軍のやり方は少し変わった。

 これまでは、殿下の周りを護衛と側近で固めていた。それが、殿下が護衛とクリーガ領の貴族を伴って、一般兵――両軍混在――と一緒に歩いていくという形式になる。

 こうすることについて、王族としての威厳が損なわれるという意見もあった。ただ、先がどうなるかわからないこの内戦において、結束を固めなければという考えの方が強かった。

 それに、元の所属に関わらず、こんなところまでやってきた兵をねぎらいたいという殿下のご意向もある。


 そういうわけで、殿下と一緒に俺も同行して、色々な方に囲まれながら行軍することになった。

 しかし、政府軍の兵のみなさんには俺の名前とツラが割れていて、反政府軍だった人に俺の素性が知れるんじゃないかと、気が気じゃなかった。

 とはいえ、その辺りはご配慮いただけている。あの話題について触れられることはなく、俺があの魔法を使った人物だと露見することはなかった。

 それで、肝心の殿下と兵のみなさんのコミュニケーションはと言うと、見たところ上々だった。さすがに畏れ多いのか、いずれの兵も最初は緊張していたけど、そこは俺たち近衛部隊がつなぎになって、徐々に打ち解けていった。

 まぁ、俺たちのそういうサポートはあったものの、最終的には殿下の人徳が物を言ったのではないかと思う。


 次なる戦いに備え、あらためて互いに協調しようという方向性を打ち出し、そこで発生した問題もある。それは、軍の呼称だ。

 さすがに、併呑されてなお、反政府軍を名乗ろうという人はいなかった。心は故郷にあっても、所属はこの軍という感じだ。

 そうして二つの軍が融合し、互いに手を取り合った今、新しい呼称を非公式にでも考えてはどうだという声が湧き上がった。旧来の呼称を続けることは、敗残兵となった方々への精神衛生によろしくないだろうし。

 そこで色々と意見が湧いて出たものの、結局は統一軍で決定した。別に長く使い続けるわけでもないし、わかりやすさ重視ってことでいいだろう。



 なだらかな山脈に沿う山道を抜け、2月20日昼前、俺たちは山河を超えてついに平野部に到達した。

 つまり、王都からここまで歩き、クリーガ領に軍が到達したわけだ。元は敵兵だった人たちにしてみれば、帰還したわけでもある。


 山河の西側には一大穀倉地帯が広がり、それがクリーガ領のマンパワーの源泉になっている。

……という話だったけど、塗りこめたような暗い雲の下に広がるのは、延々と続く白い大地だ。実り多き土地の生命力は、今は感じられない。ただただ物寂しい空気が漂う。

 しかし、そんな空気は、周囲にいる帰還兵の心情から来るものかもしれない。


 山道を下って完全な平地に足を踏み入れ、ほんの軽く積もった雪を踏みしめる。そうして一路クリーガまで歩いていくと、雪を踏む音に時折すすり泣く音が混じった。

 俺たちの周囲に、どうしようもない感情にさいなまれている人が、確実にいる。すぐそばに殿下がおられるにも関わらず、だ。

 このまま進んだのでは、士気に影響がある――そのように判断成されたのだろう。殿下は外連環エクスブレスで将軍閣下と連絡を取られ、少し早いものの昼休憩をとる運びとなった。


 その場に立ち止まり、荷物を下ろして昼食の準備を始める。すると、殿下は俺たち近衛部隊に、ついてくるようにと仰った。

 これから話し合いをするとのことだけど、兵の方々をそのまま置いていくのには、後ろ髪を引かれる思いがある。ただ、政府軍所属の兵の方々は、お任せくださいと言わんばかりの力強い笑みをこちらに向けてくださった。そんな彼らに安心感や信頼感を覚え、俺たちは話し合いの場へ向かった。

 平野部に入り込んだだけあり、テントを設営するのにスペースは事欠かない。軍の行列から少し脇に出るようにして、話し合いの場であるテントが準備されていた。


 そちらへ殿下と俺たち近衛の一行で入ると、中には両軍の首脳陣が勢ぞろいしていた。2週間前には考えられない光景だ。誰かが血迷えばとんでもないことになるだろう。まあ、誰もそんな変な気を起こしそうにはなかったけど。

 クリーガの民を率いておられた方々は、いずれも物憂げで沈鬱な空気を漂わせている。それに対し、王都側の軍勢を率いていた方々は、気遣わしげな視線を向けていた。確実にシンパシーはあるのだろうと思う。

 こうして一同勢ぞろいすると、広いテントも少し狭っ苦しい。将軍閣下が「これなら寒くないですな」と笑いながら仰ると、すかさず側近の方が「人のぬくもりですね」と軽い調子で続け、場の笑いを誘われた。

 そんなやりとりで少し空気がほぐれてから、殿下が表情を引き締めて仰った。


「急に集めてすまないね。ここで話し合いたいのは、帰還兵の扱いについてなんだけど」

「クリーガまで……いえ、攻囲戦までつれていくか、希望者をこの場で返すか、ですな」


 武官の方が発言すると、殿下は静かにうなずかれた。


「私としては、帰りたい者を無理に引き連れる事はないと思う。強引に連れまわしたところで、いざというときに味方として動いてくれるとも限らないしね。ただ……やはり、問題はあるかな」

「帰還したいという兵の割合次第ですな。あまりに多ければ、それに触発される兵も出るでしょう」

「……王都へ帰ろうって兵は出るかな?」

「そこまで見上げた肝の奴は、中々」


 殿下の冗談に、将軍閣下はすぐに軽めの切り返しをされた。

 やはり、気が重くなる話題なのだろう。そこで、各自が意見を述べやすいよう、空気を変えようというご意思を感じられる。

 それが奏効したみたいで、かつての所属を超えて、意見が飛び交った。遠慮のようなものはあるものの、クリーガ領を守ってきた貴族や軍指揮官の方々が、兵に対する気遣いを見せる。

 とりあえず、希望する兵をいくらか帰そうということは、早い段階で合意が取れた。信頼関係を維持するための措置という面もあるだろう。

 問題は、何割帰りたがるか。あるいは、何割帰すかだ。あまり減らしすぎると、攻囲戦における威圧感が損なわれる。正確に言うと、かつての敵兵を傘下に加えた統一軍の、”説得力”とでもいうか。

 一時議論が行き詰まり、テント内が沈黙で満ちる。すると殿下が口を開かれた。


「ルクシオラ……」

「……そろそろ呼ばれるかと思っていました」

「ほんと、申し訳ないね」


 さすがに、ラックスの一存ですべての策が決まるわけじゃない。それでも、これまでの実績だとか目の付け所から、彼女はこの場の誰もから一目置かれている。

 そんな彼女は、やや時間を開けてから言った。


「帰りたい者すべてを、一時帰還させるべきかと」

「かなり温情的だね。その論拠は?」

「まず、戦意に欠ける兵を養う手間が省けます。スーフォンとの協力体制は盤石で、補給路も確保できていますが、それでも攻囲がいつまで続くかは未知数ですから」


 まぁ、タダ飯は食わせないぞってことだ。残る者にとっても去る者にとっても、わかりやすい道理ではある。


「他の理由は?」

「クリーガ所属兵の多くは、今回の出兵が意に沿わないものであったように見受けられます。ですから、今一度各自の意志で、進退を決めさせるべきかと。そうして”差”を演出し、最後に彼らが殿下とともに歩むことを選んだのであれば、本当にひとつの軍になったと言えるのではないでしょうか」

「なるほど……一種の選別とも言えるか」


 将軍閣下が口を挟まれると、ラックスは静かにうなずいた。それを受け、閣下は殿下に向き直って発言される。


「意思統一が成されていない軍は、内外両面からの衝撃に脆弱です。今後何が起こるかわからないからこそ、手元には腹の決まった兵のみを抱えるべきかと」


 閣下のご発言の後も、いくらか議論は続いた。

 流れとしては、帰りたいものは可能な限り帰らせようという感じになっている。主たる会戦がなくなり、政府軍所属の兵が無傷の今、追加の兵を帰還させても、当初の想定よりは大幅に有利であると。

 その一方で、やはり兵数を多く抱えておきたいという意見もある。攻囲に向けた進軍で兵が離散すれば、残る兵の心理にも悪影響を及ぼしかねないとも。


 意見が活発に飛び交ったものの、最終的には、返せるだけ返そうということで話がまとまった。将軍閣下の「増やせば勝てるという戦でもない」とのお言葉が鍵になったようだ。

 それに、殿下はもともとそういうお考えであったように感じられた。結論が出ると、殿下は柔らかな笑みを浮かべて仰った。


「我ながら甘い判断だろうとは思う。しかし、私たちの軍が信義によって結びついているのなら、私もそれに従い応えたいんだ。無論、そうあることで不利が生じるのは承知している。どうか、諸賢の力を貸してほしい」


 きっと、俺たちの軍を一つになさしめているのが、この徳なんだろう。椅子に座りながらも、腰から軽く曲げて頭を下げる殿下を見て、そう思った。

 そして、返せるだけ返そうという結論を得て、俺は内心ホッとした。帰りたくて、それが可能であるならば……彼らを家族の元へ帰したい。

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