第375話 「クリーガへの道②」
王都からクリーガへの道を阻むように連なる山脈は、実際に目の当たりにすると、地図上ほどの威圧感はなかった。
南の方は険しくなるようだけど、中央の街道に関して言えば標高が低い。それなりのアップダウンはあるものの、長きに渡って人が歩んできたのだろう。道はある程度整っていて、人の手が入っていることがわかる。
この、山々に挟まれる道は、かつては河床だったのかもしれない。歩を進めると、白雪の下で砂利が擦れ合う音がした。
道の横に連なる山々には、暗い色の木が生えている。すっかり葉が抜け落ち、今は幹に雪を乗せるばかりだけど、秋口にでも訪れたら、きっと散策にはいいところなんだろう。
そんな、割とピクニック向けにも感じられる山間の道だけど、負傷した身としては中々しんどかった。
雪に覆われた砂利道は、少しずつ下肢の体力を奪う。それを補おうと杖をつくと、今度は胸の傷が痛む。
日に日に少しずつ、痛みは和らいでいっている――と思おうとしたけと、まあ、無理だった。毎日似たような痛みが胸を走る。耐えられるけど、無視はできない。
傷の手当てを隊の女の子にしていただくという話は、初日で取りやめになった。年頃の子の前で、水泳でもないのに上半身をさらすのが、妙に気恥ずかしかったからだ。それでドキドキすると、傷がやたら痛んでしまう。
とはいえ、野郎に触らせるのも……ということで、結局は自分で手当てをすることに。胸元に巻いた包帯を取り、傷口辺りに張り付けた布をベリベリひっぺがし、酒精を含んだ布で患部を清浄にする。それから、膏薬を患部に塗りたくり、清潔な布をかぶせ、包帯を巻きつける……そんな作業を、一人で歯を食いしばりながらやった。
こういう処置について、覚えはそれなりにあった。冒険者になるとギルドの講習でこういうのがあるし、ラウルとシエラが主導する、空飛ぶレスキュー部隊用の訓練にも参加していたからだ。
まぁ、自分で自分に処置することになるとは、思いもよらなかった。これも、後になればいい経験かもしれない。
傷の程度について、軍医の方からは、「完治すれば、傷が残らない程度」と話していただけた。ただ、「重いものは持たないように」とも。つまり、剣での近接戦闘はもってのほかということだ。
ホウキに乗るのも、当分は厳しいかもしれない。サニーは下半身の力だけでコントロールできるけど、俺--――というか、サニー以外全員――には、そういうロデオみたいな技はない。操縦にはどうしても、腕の力を使わざるを得ない。
傷がきちんと癒えるまで、十全には動けない。そう思うと、不安を確かに感じた。できることなら、次の戦いまでに完治してほしいし……もっと言えば、戦いにならずに終結してほしい。
ただ、行軍中は不安ばっかりということもなかった。俺とやりあったフィリップ卿と、ウインと戦ったクリスティーナ嬢とは、行軍中のコミュニケーションを通じ、日に日に少しずつ、心を開かれていっているように感じられた。
彼らに対する印象については、実際に戦った俺たちだけが、良い方向へ変化しているわけじゃない。行軍中、俺たちと同行する方々は、お立場や経験もあってか、彼らへの理解や共感が深いようだ。
それに、手勢を直接戦わせなかったという事実もあるのだろう。彼らに対する負の感情は、特に感じられなかった。
とはいえ、負けた側の彼らは、さすがに暗い影が尾を引いているように感じられる。俺たちへの遺恨が、自責の念へと変じてしまっているような……そういう陰が、どこまでも付きまとう感じだ。
それでも、少しずつ言葉を交わしていって、苦悩を和らげることができればと思う。
☆
山間の道に入り込んで5日目、2月14日。山中の行程としては折り返し地点といったところだ。
時刻は11時ごろ。少し天候が崩れた始めたため、昼には少し早かったものの、一度停止して野営することになった。そうして昼食も兼ねて一時休憩し、天気の様子を見ようというわけだ。
手早く野営の準備を整え、ものの十分番鍍で道に白いテントの行列ができ上がる。
その行列の中でも、他より少し距離を開けてあるテントが一つある。他より一回りほど大きいものだ。そこに、殿下と、近臣が入られる。
すると、俺とラックスとウインが、そのテントに入るよう呼ばれた。人選から考えて、おそらくは今後の作戦行動についてお話があるのだろう。
近衛部隊の中でも、恋人や配偶者がいる隊員を王都へ返したわけだけど、俺たち3人が残っているのは、この軍の首脳陣からすれば好都合のようだった。近衛部隊の中でも、俺たち3人は作戦立案担当という感じだからだ。
呼び出しに招かれるままテントに入ると、やはり殿下を始めとして、将軍閣下や側近の方、他にも軍の武官の方が椅子に腰かけておられる。
そして、その中には、フィリップ卿とクリスティーナ嬢の姿も。会釈してから、俺たちはそれぞれのイスに座った。
これでメンバーが揃ったらしい。俺たちの着席からほとんど間をおかず、武官の一人がテントの外の護衛に声をかけた。人払いのためだろう。
場が整ったところで、殿下が静かに口を開かれた。
「悪い知らせがあってね。天文院から、次の黒い月の夜の予報が入って……来月13日だそうだ」
その知らせに、主に軍属の方々がどよめいた。将軍閣下が「ちょうど包囲にかかる頃ですな」と仰り、殿下はうなずかれた。
「クリーガは、もう天文院との連携が切れている。一応、こちらから
殿下のお言葉が切れると、場に重い空気が漂った。
政府としては、例の夜に向けて従来通りの戦力を各地に温存したうえで、この軍を結成している。一方の反政府軍はというと……。
「魔人側からの関与、あるいは何かしらの密約があるのではないかという話は、ありました。ですが、確証が……」
フィリップ卿が落ち着いた口調で告げると、それに武官の方が尋ねられた。
「これまでの聴取においても、あなた方指揮官層から、同様の証言を得ています。勘付くことはあっても、確たる情報は与えられなかったと?」
「はい」
「では、勘付くに至った要素というのは?」
「侵攻に向けられた軍の規模が、過大ではないかと。本拠地を固める兵はまだ多くいますが、周辺地域を守り切れるものかというと……疑問に思います」
つまり、周辺地域に割くべき守りを、今回の戦いに差し向けたというわけだ。これは、魔人から襲われないという確証がなければ、中々判断できるものではない。
そして、その本拠地だけを固めるという守備のありようは――クリーガの民が批判した王都の姿に、ピッタリ重なり合うようだ。
まぁ、批判し返したって始まらない。これからどうするかだ。
王都を中心とした政府側、及び最前線は、例の夜について心配はない。従来通りであれば、だけど。
問題は、これからの作戦行動において、魔人の連中がどのように動くかだ。
さすがに、連中の頭の中を覗けるわけでもなく、誰もが首をひねる。そんな中、殿下は仰った。
「ルクシオラ、君の考えは?」
唐突に本名で呼ばれ、ラックスは微妙に顔をひきつらせた。こういう場だからこその本名だろうけど、プレッシャーはあっていい気分はしないだろう。
それに、この場には軍関係の方や上流階級の方が多い。案の定、ルクシオラという名前に反応する方が現れた。
「ルクシオラというと、あの、イゼール家の?」
「
「あの名家にあって、家始まって以来の才媛と聞くぞ」
そんな囁きが四方八方からかすかに聞こえる中、彼女は口元に曲げた指を当てて考え込んだ。彼女に対するどのような声も、今はただの環境音にすぎないようだ。本当に、カッコイイ友人に恵まれたもんだと、しみじみ思った。
そうして数秒してから、彼女は「長くなりますが」と落ち着いた声音で切り出した。それに「望むところ」と殿下が答えられ、ラックスは自説を並べ立てる。
彼女の考えでは、重要なのが場合分けだ。
まず、この内乱において、実は魔人側からの干渉がなかった場合。その時は、攻囲戦において政府軍を攻めてくる可能性が高そうだという。
「これまで、向こうに協力していなかったのに、この場で向こうに着くと?」
「厳密に言えば、魔人が我々の敵になるだけです。反政府軍は、魔人と挟撃せずに防備に徹するでしょう。対してこちらは、挟撃に警戒しながら魔人と戦わざるを得ません」
「なるほど……これまでの経緯を踏まえれば、そういう嫌疑を抱かざるを得ないな」
将軍閣下のお言葉に、ラックスはうなずき言葉を続けた。
「このケースでは、魔人側からすれば人間同士が勝手に始めた戦ですが……放っておけば、政府軍がほぼ無傷で大勝する可能性があると判断するでしょう。そうするよりは、反政府軍に加勢して我々を疲弊させることを選ぶのではないかと。そうすれば内乱は継続しますし、他国からの白眼視と排斥が進みますから」
淡々と悪い話を続ける彼女に、居並ぶ方々は感嘆と畏怖が入り混じる視線を向けた。
次に、魔人と反政府軍につながりがある場合――つまり、俺たちにとってはより可能性が高いと思われる、本筋のケースだ。
すると、彼女は少しだけ言葉に詰まった。
「魔人からすれば、静観する、あるいはいずれかにつく、3通りの道があります。いずれも、そうするだけの理由はあるかと思います」
その3通りのうち、政府軍を攻めるパターンというのは、彼女が先に話した通りだ。息がかかった反政府軍に勝ってもらいたいというのは、納得できる話ではある。
問題はそれ以外。特に、魔人がこの状況に関与しておきながら、反政府軍を攻めるというケースだ。
しかし、彼女は「こちらが本筋だと思います」と言った。テントの中がにわかにざわつく。殿下がそれを手で制され、続きを促された。
「この内戦に魔人の関与したのなら、すでに都市内に魔人が潜り込んでいる可能性は十分にあります。その者たちが、王都襲撃の時同様に、内側から攻める準備を整えているのなら」
「……なるほど、壊滅しかねないね」
「はい。我々が囲めば、目は自然と外へ向くでしょう。その中で内に目を向けるかどうか……それに、内応の気配を漂わせて、自壊させることも可能かと」
これから俺たちが囲む都市は、便宜上は敵本拠地だ。しかし、それが魔人の手で引き裂かれるというのは、決して好ましいことではない。むしろ、そうなったときのことを思うと……。
場に恐れや怒りなどが、静かに渦巻く中、殿下は最後の可能性について尋ねられた。
「連中が静観するパターンは?」
「向こうからすれば無難な選択肢ではありますが、有用ではあります」
「と言いますと?」
「最終的に、人間同士で決着を付けなければならず、感情の逃げ場がなくなるからです。魔人のせいという言い訳が効きませんから」
武官の方からの問いに、ラックスはとても冷淡な口調で答えた。
場の空気が冷たく沈む中、殿下は彼女に問われる。
「それで、どの可能性が一番高いかな」
「……あくまで、私が魔人なら、という想定で話しますが」
彼女はそんな前置きをしてから、少し目を閉じ、やがて話し始めた。
「向こうの出方は、結局は統制がとれているかどうかに集約されます。ここまでの仕掛けを見る限りは、静観しようという動きが大勢のようですが……」
「最終局面では違うと?」
「王都襲撃と、それに続く攻勢を踏まえれば、完全に抑えの利くようなものではないと思われます。それに、今回の攻囲戦は、歴史の変わり目となりうる一戦です。そこに自分たちの力を刻もうという者はいるでしょう」
「では、その力の矛先は?」
「……我々を攻める場合、向こうの作戦行動は、どちらかといえばまっとうな軍事行動に近くなるでしょう。魔人側に相応の被害も予想されます。一方、攻囲に便乗して内側から都市攻めを行う場合、それは破壊と略奪に近いものになり……連中はそちらを好むかと」
そこで言葉を切った彼女は、視線を伏せた。それから何秒かして再び顔を上げ、殿下にまっすぐ言葉を放つ。
「殿下。私が今お話しさせていただくまで、どういった可能性を考えられていましたか?」
「……静観するか、こちらを攻めてくるかの2択だね」
「でしたら、その認識も、連中が都市攻めを選択しうる理由かと」
「なるほど」
彼女の見立ては以上だった。大きく分けて3通りのシナリオがある。ただ実際には、決戦日の状況に応じて、いずれのシナリオ――あるいは、それ以外も含め――を取り得るように魔人側が準備している可能性が高いという。
「ですから、いずれの事態に対しても、事前に心構えをしておくべきかと思います」
「わかった。結局は出方をうかがうしかないか」
一通りラックスの話が終わると、テント内は沈鬱な静寂に包まれた。武官の方々の多くは重苦しい感じの表情をしているし、殿下も将軍閣下も、そのお顔に冴えはない。
そんな中、ラックスは陰のない真剣な面持ちで将軍閣下に向き、言葉を放った。
「将軍閣下。一つお伺いしたいことが」
「私に? 何かな?」
「お言葉ではありますが、王都を発たれる前、今日の今頃どうなっているとお考えでしたか? 今こうしているように、ひとつ屋根の下でかつての敵と論を交わし、敵兵を糾合してともに行軍するなどとは?」
「そうすることを夢見ていたとは思うがね。もう少し現実的で悲観的な見通しをしていたよ」
苦笑いしてお答えになった閣下だけど、その表情がすぐに神妙なものへと変わっていく。そして、口を開かれた。
「あなた方には、本当に救われたと思うよ」
「! い、いえ、その……お褒めの言葉を賜わろうとしたわけではないのですが、その」
閣下からの感謝が予想外だったのか、彼女は珍しく紅潮して、しどろもどろになった。それから、暖かな視線を向けられる中、彼女は咳払いをして言葉を続けた。
「今、”私たち”がこうしていることそれ自体が、誰にとっても予想外なのではないかと考えます。反政府軍にとっても、魔人にとっても。攻囲において、向こうの次なる手に対応せざるを得ないのは事実です。ですが、そもそも連中は、この予想外に対する対応を迫られているのではないでしょうか」
そこで言葉を切った彼女は、この場に不釣り合いなほど、自然な笑みを浮かべた。
「少なくとも、気持ちの面で遅れを取るような状況ではありません。”最悪”を覆し、私たちはこの状況を世に提示しました。それこそが最大のイニシアチブだと、私は考えます」
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