第373話 「敗戦を受けて」
交戦予定日であった2月6日。戦場より届いた報告に、クリーガ上層部で動揺が走った。
峡谷を進行した軍は、他軍よりも早く敗走の旨を伝えた。しかし、それはある程度予想のできていたものだ。ホウキという機動戦力が旧政府軍にある以上、落石で道をふさぐ程度のことは当然できるだろうという想定があったからだ。
問題は、他軍から届いた報告である。峡谷に次いで報があった中央本軍からは、混迷極まる雑音の中、要領を得ない言葉だけが届いた。それ以降の報告はない。おそらく、本拠地からでは想像も及ばない何かがあったのだろうというのが、クリーガ上層部の見解である。
残る橋ルートの軍も芳しい連絡を寄こしはしなかった。
この軍が、情報においては一番精度が高かった。正式に中央本軍の壊滅を伝えたのも、この軍である。とはいえ、詳細は彼らも掴みかねていたようで、ただ壊滅したとの報告を送っただけであったが。
自軍の戦闘に関しては、情報を子細に伝えた。そのような彼らが、昼を過ぎた時点でぷつりと音信不通になった――そのことは、上層部に敗戦したと思わせるには十分であった。
もはや、前線から情報が届く事はない。史に残る規模の解放軍を送り出したものの、結果は惨憺たるものだ。ただ一つ、峡谷側に向かった軍だけが健在であり、残る軍については考えを巡らせるだけ不毛であった。
しかしながら、本拠地周辺に控える兵数は、まだまだ多い。挙国一致して籠城すれば、まだ十分に抵抗は可能である。籠城戦における戦果と外交次第では、まだチャンスは残っている。
――そう考えるのは、上層部でも少数のようであった。
☆
2月7日9時。クリーガ城内にある大会議室は、今や混迷の極みにあった。各々が口々にがなり立て、不安や動揺を隠そうともしない。この場に集まっているのが、相応の地位と権力を有する者であるにも関わらず、である。
そのような混乱の一因に、君主の不在があるのは疑いない。すり鉢状になっている議場の中、中央にいるのは側近であるべーゼルフ侯爵のみ。
旗揚げしてから最大の危機に、精神的な主柱たる君主が存在しない。その事実は、その威光の傘に寄り集まった者たちの胸に、言い知れない不安と虚妄を掻き立てた。
しかし、このような状況にあって、侯爵は微動だにせず、ただ立ち続けている。まるで、その場にいない主君に寄り侍るように。
そして彼は、視線を″群衆″に向けた。その射貫くような冷たい目に気圧され、少しずつ議場が静かになっていく。
やがて、その佇まいと視線だけで場を掌握した侯爵は、淡々とした口調で言った。
「お集りの各々方、すでに各自で情報を得ていようが、まずは情報の共有をしたい」
その後、彼に促されるようにして、新政府軍の参謀長が立ち上がった。彼は体と声の震えを無理に押さえつけるようにして、状況報告を始める。
彼から語られた現況は、この場のそれぞれがすでに我先にと掴んだ情報と、そう遠くないものだ。ただ、それに確かな裏付けがなされたに過ぎない。
悲観的な状況を改めて示され、場の雰囲気は重く沈む。そして、参謀を詰問するような声が飛んだ。
「ただ一人の魔法で、一つの砦が消失したなどと、そのようなバカな報告があるか! 加えて、恐れのあまり動けなくなったなどと……軍は何をしているのだ!」
「それに、向こうは王太子が出陣したというではないか。ならば、こちらからも陛下にご出陣願うべきだったのではないか?」
勝手な発言を皮切りに、再び議場がざわつきはじめる。しかし、侯爵は言葉でそれを制した。
「発言がある者は、まず手を挙げ、一人ずつ口にするように」
有無を言わせぬ圧力を感じさせる口調に、すぐさま議場は静まり返った。
一時は場が乱れかけたものの、現状報告については済んだ。問題は、これからについてである。参謀長が、またも口を開く。
「新政府軍の総意として、峡谷より帰還中の軍を遊撃とし、残る全軍でもって籠城する考えです」
すると、籠城策に対して挙手が相次ぎ、反対意見が議場を交差した。
「もはや、この都市しか頼れぬとなれば、食料が尽きた時が最後ではないか」
「仮に敵が撤退したとして、付近一帯の住民はどうなる!?」
「今からでも、恭順の意を表すべきではないのか……」
すると侯爵は、発言者たちに冷ややかな視線を浴びせ、声を上げた。
「食料については、昨秋の備蓄が潤沢にある。また、前線へ向かわせた
「しかし、それでは近隣の住民は納得すまい。まるで、我々のために犠牲にしたようなものではないか」
「ような、ではない。犠牲にしたのだ。戦の何たるかを知らぬ領民を駆り立てたのは、まさに我々ではないか。民草を煽り、戦場へ走らせたのと同じその口で、今度は人倫を語ろうというのか?」
侯爵が冷たく言い放ち、議場は凍り付いた。続けて、彼の言葉が乾いた空気に響く。
「正義を語るのは勝ってからだ。掲げた旗を正当とするまで、我々は賊軍に過ぎない」
☆
議場で論を戦わせ、それが終わって侯爵が帰宅すると、すでに日は沈んでいた。
邸宅の玄関を抜けると、まずは使用人が彼を出迎えた。続き、妻子が駆け寄る。そして、まだ幼い長女は、彼の体に手を回した。
「おかえりなさい、お父様!」
「ただいま」
「おかえりなさい」
妻の言葉に視線を向けた侯爵だが、彼女の表情がわずかに曇ったのを、彼は見逃さなかった。愛娘の頭を軽く撫でてやりながら、「客人か」と尋ねると、傍らに侍る使用人が答えた。
「応接室でお待ちです」
「わかった……ほら、手を放して。お客様を待たせてしまうからね」
「はい、お父様」
従順に、しかし名残惜しそうに手を放す愛娘に、彼は膝をついて頭を撫でた。それから立ち上がり、妻に軽く腕を回して抱きしめる。
彼が一人で応接室へ向かうと、そこには側近の青年がソファーに浅く腰かけていた。
主君の入室に合わせ、彼は起立し、頭を下げた。そんな彼の肩に手を置き、侯爵は若干疲れ気味の笑みを向ける。
その後、二人はテーブルをはさんで座った。先に口を開いたのは侯爵だ。
「何か進展が?」
「はっ。
「わかった。後日、話を詰める」
「公式発表については、両機関の長より、まだ早いとのご意見を賜り……」
「向こうが領内に入ってからの方がいいな。早くに混乱されても困る」
「はっ。
「ああ、わかっている」
側近と言葉を交わしながら、彼は不意にアンニュイな笑みを浮かべた。それを
「いかがなされましたか?」
「いや、君が相手だと話が早いと」
「お褒めに
「私に合うよう、染めているようでもあるが……」
どこか寂し気に言葉を返すと、側近は言葉に困って口をつぐんだ。それを認めて、侯爵は話題を変える。
「住民の避難については?」
「都市議会と各機関共同で話を進めておりますが、公共施設を最大限に利用しても、完全に保護するのは難しいとのことです」
「……旧政府軍に保護させるか」
冗談とも本気とも取れない発言に、側近は少したじろいだ。しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、言葉を返す。
「都市の地下構造を使うことができれば……という話もありましたが」
「それはダメだ。魔法庁も拒否するだろう……城内を利用しようという案は出たか?」
驚きもあらわに見つめ返す側近に、侯爵は「次の会議で提案してみてくれ」と続けた。
「かしこまりました! ……ところで、閣下。陛下は、今日の会議でどうなされましたか?」
「来られなかった。何かお考えがあるのだろう」
「……左様でしたか」
「……案外、血は争えないのかもな。あるいは……」
そう言ったきり考え込んだ侯爵に、側近は口を閉ざして続きを待った。そんな彼に苦笑いを向け、侯爵は「なんでもない」とだけ言った。
「……閣下、降伏するという目は」
「今の所難しい。会議でもそういった意見は出たが、終戦後の粛清に話が及ぶと、すぐに引っ込んでしまったよ。可能な限り対等な状況に近づけ、講和へ運ばねばと……」
「左様ですか」
「後ろ暗いところが多い者たちの発想だな。わからないでもない」
その後、話が途切れ少し重苦しい沈黙が続いた。
すると、ドアを叩く音が室内に響く。つい立ち上がろうとしてしまう側近を、苦笑いして手で制し、侯爵は言った。
「おそらく、娘だろう。そのまま座っていなさい」
「はっ」
それから侯爵がドアを開けると、彼の予言通り愛娘がちょこんと立っていた。その後ろには夫人も。
「ごめんなさい。お話の邪魔かとは思ったのだけれど、お夕飯はどうしようかと」
夫人の言葉に、侯爵は後ろを振り返った。すると、かなり恐縮した様子で側近が声を上げる。
「ご家族水入らずのところ、私がお邪魔するのも……」
「娘は違う考えのようだが?」
わずかに意地の悪い笑みを浮かべ、侯爵が声をかけると、自慢の娘が後に続く。
「ご一緒に、いかがですか?」
「ほらな」
すると、側近はいくらか視線を伏せてはにかみ、そして言った。
「では、お言葉に甘えまして、ご相伴に与らせていただきます」
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