第372話 「幕間②」

 報告書作成がそれぞれ一段落し、俺たちは軍本陣へ向かった。時刻はもう夕方だ。

 陣地内に入って武官の方に尋ねてみたところ、陣の内外で目立った動きはないらしい。俺たちが必要な状況でもないようで、まずは安心だ。

 しかし、陣地に戻っても、まだやることはある。書かなければならないのは、報告書ばかりでもない。帰る者と残る者が決まった今、残る者は王都で待つ方々向けに手紙をしたため、帰る仲間に託すことになった。

 こうやって戦場から手紙を送ること自体は、軍本隊も関わっている。さすがに兵全員の手紙をというわけにはいかないから、部隊単位で寄せ書きする感じになるようだけど。

 一方で、俺たち近衛部隊は、常識の範囲内で思う存分手紙を書いてよいということになっている。まぁ、戦いを無事終わらせた殊勲者への報償ってところだろう。みんなで、ありがたく、その恩恵に浴することになった。


 俺たちはそれぞれのテントに別れた。各テントは、6人ほどが一緒に寝泊まりできる、少し背が高めのものだ。中で立つこともできる。

 テントの中には、すごく簡易的な、組み立て式の大机がある。それに紙を広げ、ペンを握る。

 しかし、いざ書こうにも、中々言葉が出てこない。報告書並みに困るとは思わなかった。

 紙から目を外すと、他の連中は割とスラスラ手紙を書いている。そのうちの一人が、筆の進まない俺に笑顔で話しかけてくる。


「難しく考えすぎだって!」

「いや、結構難しいって」


 とりあえず、正月に会った方々に対しては、何か手紙を出したい。しかし、帰らずこちらへ残るわけで、そのへんの事情とか心情をうまく表現するのは難しい。あの一日だけで大勢泣かせた事実を踏まえると、なおさらだった。

 中々最初の一枚目を書き出せずに難渋していると、テントの外から俺を呼ぶ声がした。仲間に断り、そちらへ向かう。

 すると、伝令らしき方がいた。若干緊張した面持ちの彼は、ビシッと立礼してから用件を切り出してきた。


「王太子殿下より、リッツ・アンダーソン殿にご用命が。お手透きでしたら、是非にと」

「承知いたしました」


 さすがに殿下からのお呼び出しでは、応えざるを得ない。一度仲間たちにその旨を伝えてから、俺は案内に従って殿下がおられるところへ向かった。


 その殿下がおられるところというのは、軍本陣の中でも中央から町寄りにある、他より少し大きな天幕だ。その周囲には柵が巡らせてあって、直立不動の見張りの方々が等間隔で並んでいる。並々ならぬ警戒ぶりだ。

 戦いが終わったからと言って、気を抜けるような状況じゃない。破れかぶれになった誰かが、殿下を道連れにしようと突っ込んでくる可能性だってあるわけだ。

 あらためて気を引き締め、俺は護衛の方に頭を下げてから、殿下がおられる天幕に入った。


 そちらにいらっしゃったのは、殿下と将軍閣下と、おそらく精兵らしき方々が数名。

 そして、彼らに囲まれるようにして中央にいるのが……忘れようもない、あの時戦った、貴族の彼だ。服装は町人の冬服みたいだけど、それが気品のある面立ちと妙にミスマッチで、変な感じがする。

 彼と視線が合うと、若干弱弱しく微笑んできた。その顔に険はないけど、陰はある。その様が、妙に胸にしみた。

 しかし、どういう状況か、いまいち理解が及ばない。少し戸惑ってしまう俺に、殿下が困ったような笑顔で仰った。


「すまないね。ケガの方は?」

「一人で歩く程度であれば、どうにか」

「そうか、わかった」


 一瞬物憂げな表情になられてから、殿下は中央にいる彼に視線を向け、言われた。


「彼が、一度君と話してみたいと」

「私と、ですか?」

「無理強いはしない。話さないというのも、一つのメッセージだからね」


 殿下はそう仰ったものの……彼が俺に何を話そうというのか、それはかなり気になった。

 それに、心臓が高鳴る感じがある。相手のことを、もっと知っておかなければならない――いや、そういう義務感じゃなくて、単に「知りたい」と、素直にそう思えた。


 俺は殿下にうなずき、彼と向かい合うように、椅子に腰かけた。

 しかし、彼から話しかけてくる感じはない。わずかに悲しみがにじむような渋面で、言葉を探しているようにも見える。

 向かい合って数秒間、場は静まり返った。そこで俺は、意を決して口を開く。


「えーっと、その……はじめまして」


 彼は呆気にとられた顔になった。背後では若干大きな吹き出し笑いの声と、続いて咳払いが。それにつられるように、四方からかすかな笑いが漏れ聞こえる。

 すると、彼も少し表情を崩した。そんな彼に、俺は右手を差し出す。一瞬、空気が凍てつくように緊張が走ったけど、構いやしなかった。

 彼は戸惑った後、おずおずと手を伸ばして握手に応じてくれた。


「リッツ・アンダーソンです」

「カーソン伯爵家長男、フィリップです」


 互いに今更名乗って握手して、それで妙にしんみりしてしまった。握手が終わってから、また場が静まり返る。何を言えばいいのか、何を聞けばいいのか。俺はそれがわかっていなくて、彼はわかっていながら戸惑っているように感じられた。

 だったら、話しやすいようにしよう。そう思って俺は、テキトーに話しかけることにした。


「はじめまして、なんて言ってしまいましたけど、半分本気なんですよ。どうも、初対面というか……あのときとはお互い別人みたいですし」

「……わかります」

「その節は……かなり頭に血が上って、大変に無礼なことを言った気が」

「いえ、それはこちらも同じ事ですから……気に病まれないように」


 柔らかな態度で、俺と会話してくれている。ただ、妙に腰が低いのが気にかかる。そのへんについて、俺は突っ込んでみた。


「あの、私は単なる平民ですので、そのように扱っていただければ」

「それを言うなら、私は敗残の将です」

「……では、お互いこのままで」

「はい」


 腰が低い理由は、とりあえず納得できた。自責の念と……俺への敬意も、あるのかなと思う。それに、言葉遣いや佇まいから、人柄もなんとなく伝わってくる。きっと、誠実な方なのだと思う。

 そんな彼と俺は、殺し合った。

 一瞬、あのときのことが脳裏をよぎった。わけもわからず体が震えてしまう。すると、彼は言った。


「私が憎くはないのですか?」

「……いえ。逆にお聞きしますが、私のことを恨んでいませんか? 私の方が大勢……本当に、数え切れない人々を傷つけた自覚があります」


 俺は彼の目を真っ直ぐ見据えて尋ねた。彼はすぐに言葉を返さず、場が静まり返って空気が少し重くなる。

 応えるのも聞くのも難しい問いだろう。それでも、逃げるわけにはいかないと思った。この場にいる皆様方にも、聞いていただくべきだと思った。

 それから、どれぐらい待っただろう。おそらく、十数秒ってところだろうけど、彼は口を開いた。


「はい」


 その言葉に、緊張が走った。乾いた空気が凍りつき、彼を囲む兵の方々の目が険しくなる。

 しかし、俺は彼から、敵意を感じられなかった。言葉とは裏腹に、負の感情が伝わってこない。それを隠し通しているようにも思われない。

 やがて彼は、落ち着いた口調で、しかし少しうつむき加減になって言葉を続けた。


「貴男への恨みは、あります。しかし……貴男がいなければ、より多くが強い憎しみと悲しみに呑まれていたはずです。その渦が広まる前に、貴男はそれを抑えて一人背負った……そう思うと、私が抱いたこの憎しみなど、本当に些末で卑しいと……」

「そ、そんなことは!」


 両手を見ながら声を震わせる彼に、俺は言い知れない感情を覚えた。それが何なのかわからないまま、ただ言葉が口をついて出る。


「俺が背負ってる憎しみなんて、結局は空っぽなんですよ。名前も顔も知らない相手から、勝手に憎まれてるだけ、だから耐えられる。何も知らない相手だからって、そのまま知ろうともせずに、俺は大勢傷つけたんです」

「……私だって、何も知らなかったんだ。私たちを笑顔で送り出した民が、何を思っているのか、付き従う民がどう感じているのか、何も知らなかった。お互い、何も言えなかった、聞けなかった。人と戦いたくないなんて、たったそれだけのことも……私たちは言えなかった、逃げていたんだ」


 震える声を絞り出すようにして、彼は話した。やがて彼は顔を手で覆い、嗚咽を漏らした。傷つけられた胸が熱くなる。

 それからややあって、彼を両手を下ろした。目は少し赤い。


「……申し訳ありません、お見苦しいところを」

「いえ、逆に親近感が湧きました」

「そうですか……よろしければ、またお話していただければ、嬉しく思います」

「よろこんで」


 もう話は――今日のところは――終わりだろう。そう思って俺は右手を差し出した。

 すると、今度の握手に彼は戸惑った。涙で濡れた手を拭おうにも、服でやることにためらっているようだ。それを気にせず手を伸ばし、俺は彼の手を握った。少し濡れていたけど、温かな手だった。


 握手が済んで、俺は彼から視線を外した。つい、色々と感情的になってまくし立ててしまったけど……幸い、変に思われてはいなかった。

 すると、彼は「殿下」と穏やかな声音で言った。彼の口からその言葉が出たことが妙に嬉しくて、胸に温かなものを感じる。

 彼の呼びかけに、殿下は「何かな」と仰った。


「ご提案、受けさせていただきます。この命、存分にお使いください」

「……ありがとう」


 殿下は俺と彼を交互に見回してから答えられた。なんとなーく状況を察して、俺は殿下に尋ねる。


「もしかして、説得要員だったのですか?」

「そういう面もある。でも、先に言っていたら、お互い素直に話せないだろう」

「……仰るとおりです」

「では、これでいいんじゃないかな」


 うまいように使われたとは思うけど、すんなりと受け入れられた。なにしろ、俺も彼も、殿下に命を救われたようなものだから。

 用件が終わり、退出しようとしたところ、俺の背に彼が話しかけてきた。


「あの時、命を賭けるに足る相手などと言った記憶がありますが……」

「よーく覚えてます」

「お互い、生き残ってよかったと、今はそう思えます」

「同感です」

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