第370話 「ひとまずの終わり②」
戦いがまだ終わっていない――そう告げられても、不思議と驚きはなかった。むしろ、驚くほどにすんなり受け入れられる言葉だった。胸を騒がせる気がかりがあるからだ。
「……遠くで騒がしい感じがあるんだけど、それって?」
「たぶん、あなたが思っているのとは、少し違うけどね……向こうの兵同士が殴り合ってるの」
俺は耳を疑った。小規模な戦いが継続しているのでは……そう思っていたものの、現実は予想外だった。驚きを隠せない俺に、彼女は静かな口調で言葉を続ける。
「あなたの戦いの後、向こうは完全に戦意を喪失した。その場には殿下もいらっしゃったし、貴族率いる一団が一人の平民の手で食い止められ、壊滅したわけだから」
俺のことを褒めてくれているのだとは思うけど、素直に喜べなかった。しかし、彼女は力なく微笑みながら、俺の脇腹を指で軽くつつくように触れた。
「あなたが頑張って成果を出したのは事実だから、そのことは自分のために認めてあげて?」
「……うん」
「それでよろしい」
そう言って微笑んだ彼女の顔も、また少し深刻さで曇る。
「それで、政府軍が包囲を狭め、武装解除した投降兵を陣地から少しずつ吐き出させる形で終わったんだけど……」
「そこで、何か問題が?」
「……向こうの兵が、互いに殴り合いを始めたの。それで、将軍閣下は『こちらに危害を加え無い限りは、好きにさせよ』と」
俺は言葉に詰まり、口を閉ざした。少しだけ、向こうの人たちの気持ちがわかるような気がした。もう、互いを傷つけることでしか、感情の処理ができないのかもしれない。そうする自由を与えられているのが、最低限の慈悲なのかもしれない。
相手の兵の何割かがそうやって互いに傷つけ合う一方で、指揮官クラス――特に貴族の方は、神妙に降伏を受け入れたそうだ。現在は精兵を伴った殿下と、こちらの本軍付きの貴族の方が対応に当たられている。向こう側の情報収集のための聴取といったところだ。
話が一段落すると、互いに言葉を続けられなくなった。そうやって静かになると、遠くの喧騒が胸を強く打ってくる。
戦いは終わった。しかし、片付けるべきことはいくらでも残っている。少しずつ前進していくしかない。そうわかっていたはずなのに、見通しの悪い無限の霞が、見えない壁になって立ちはだかるようで……俺は、現実に打ちのめされそうになる。
でも、話は終わりじゃない。まだ聞くべきことがあった。
「俺が撃った人たちは」
「リッツ」
言葉を口にした俺を、ラックスはまっすぐ見つめてきた。
「言ってもいいけど、約束して。自分のこと、責めないって」
「……約束する」
すると、彼女は一度目を閉じ、何秒か沈黙した。それから、意を決したかのような強い視線を俺に向け、真実を語ってくれた。
「最初の一撃で逃散した人々は、かなりの割合を軍の遊撃部隊で確保し、保護できてる。スーフォンの方々にも、協力を呼びかけているから、ひどいことにはならないと思う。その一方で、まだパニックに陥っている人たちも、少なからずいる。じきに落ち着くだろうというのが軍医局の見解だけど、長期的にどうなるかはわからない」
「……直接戦闘になってから撃った人は?」
「その場で死んだ方はいない。ただ、倒れてから後続に踏まれた何人かは、内臓が痛んでいるかもしれない。骨が折れた人も少なくないし、死線に立つ状態の人もいるって聞いてる」
「……そっか」
「でも、相手があなたじゃなければ、もっと大勢死んでいたと思う。気遣いしきれずに
その彼女の言葉を、慰めとか気休めに感じてしまう、そんな自分が嫌だった。やり遂げた感覚はあるのに、影はどこまで尾を引いてまとわりつく。胸の傷が泣くように疼いて、俺は拳を握った。
すると、少し遠くから「リッツ・アンダーソン殿」と呼ぶ声が聞こえた。そちらに目をやると、総将軍閣下の側近の方がこちらに歩いてくるところだった。彼にラックスが、柔らかな笑顔で話しかける。
「家名は不要かと。彼、あまり好いていない節がありますので」
「そうでしたか」
ラックスにそんな話したっけ? と思いつつも、俺は彼にうなずき肯定した。アンダーソン姓は、もはや慣れてなんとも思わなくなったものの、本名に近いリッツで呼ばれる方が、ずっと嬉しい。
すると、彼は改めて「リッツ殿」と呼んでから言葉を続けた。
「少々、お時間宜しいでしょうか」
「今からですか」
「はい」
俺はラックスに視線を向けた。しかし、向けてすぐに、将軍閣下からの呼び出しだったらと思い、彼女には「行ってくるけど」と告げた。それに対し、彼女は何も言わず、ただ微笑んだ。
それから案内されるままに歩いていって、俺たちは本陣中央の天幕に向かった。木材で土台が作ってあって、周囲よりも少し高くなったところに、天幕を張る形になっている。俺たちは階段を上がり、その中央の天幕の裏側から中に入った。
しかし、入り口の布を開けて中に入っても、周囲には誰もいない。ただ、俺と側近の方しかいない。
すると、少し
「外で将軍がお待ちです。そのまま真っ直ぐ、お進みください」
「一人で、ですか?」
「! 失礼しました、私が介添えになりましょう」
「い、いえ、そういうわけじゃなくて」
状況がよくわからない。俺一人でお会いするのなら、天幕の外じゃなくて中の方が、何か都合がいいんじゃないかという気はする。
しかし、一つ確かなのは、考える間にも将軍閣下を待たせてしまうということだ。それは好ましくないと思い、俺は側近の方に「では」と言って、言われたとおりに進んだ。
すると、背に「ありがとうございました」という声を受けた。振り返ると、彼が腰を直角に曲げるぐらいの深い礼をしている。それを見て、「あ、頭上げてください」というと、彼はゆっくり身を起こし、俺をじっと見つめてきた。それがなんだか恥ずかしくなって、俺はケガ人ながらも足早に、天幕の外へ向かった。
天幕の外には、確かに将軍閣下がおられた。
しかし、閣下の存在以上に強烈だったのは、前方に居並ぶ兵の方々の列だった。数千人はいるだろうと思うけど、自分のスケール感がイカレたような気がして、飲み込めない状況に困惑してしまう。ただただ圧倒されるばかりだ。
そんな俺に閣下は歩み寄り、右腕に掛けるように持たれた衣服を、俺に差し出してこられた。
それは、”近衛部隊”という名目のためにあつらえられた服で、もっと言えば、あの戦いのときに来ていたものだ。あの時流した血が、服にそのまま残っている。
すると、閣下は俺の後ろに回りながら仰った。
「さすがに袖を通すのは難しいだろう。とりあえず羽織りなさい」
「……閣下、こちらの皆様方は?」
「ああ、こいつらは、今手が空いている連中だ。ま、待機中の人員だな」
俺の両肩に服をかけ終え、閣下は再び横に立たれた。それから、にこやかな表情を引き締めて仰った。
「彼らの中には、今日死んでいたかもしれない者もいる。それと、人間を斬っていたかもしれない者も」
その言葉に、心臓が強く脈打った。胸に受けた傷が熱くなる。でも、痛みは感じなかった。ついうつむいてしまう俺に、閣下は話を続けられる。
「誰が我々を救ったのか、さすがに隠し通せるものでもなくてね。君のことが明るみになるや、どうしてもという声が沸き起こってな。かくいう私も、そういう一人なんだが……負傷したばかりというのに、呼び立てしまって済まない」
無礼とは思いつつも、俺は閣下に対して言葉を返せずにいた。感情が昂ぶって、体が震え、頭の中がまとまらない。
すると、俺の肩に優しく手が置かれた。
「その手で傷つけた者がいる。それは事実だ。一方で、その手が救った人間も、これだけいるんだ。傷つけられた者も、君がいなければ幸福な未来があったとは限らない。だからその、なんだ……君は、世が怒りと憎しみで塗りつぶされる前に、それを震え上がらせたんだ」
霞む視界の中、俺は自分の右手をじっと見つめた。その手のひらに、熱いものが零れ落ちる。そして、強く目をつむった俺に、閣下は仰った。
「……だから、自身を責めるよりも前に、まずは誇ってくれ」
「……はい」
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