第369話 「ひとまずの終わり①」

 胸元を走る痛みで、俺は目が覚めた。ぼやけた視界がはっきりしてくると、俺の顔を覗き込む仲間たちの顔と、その奥にクリームがかった白色の布の天井が見えた。

 どうやら、死ななかったみたいだ。何回か瞬きしていると、仲間たちの目が少しずつ潤んでいく。まぁ、そういう感じじゃない奴もいて、逆に安心感も覚えたけど。そんな落ち着いた様子のウィンが、俺に話しかけてくる、


「大丈夫か? 痛みは?」

「……結構ある」


 声を出してから、自分の喉が少しかれていることに気づいた。それから、軽く咳き込んでしまう。すると、胸元の傷に激しい痛みが走った。あまりの痛みに顔がひきつる。

 そんな俺に、みんな痛ましそうな視線を向けてきた。ウィンも申し訳無さそうな顔になって「すまん」と頭を下げてくる。俺は声を絞り出すように「大丈夫」と返してから、深く息を吸って整える。


 咳き込むような衝撃を与えると激しく痛むものの、安静にしていれば、痛みは耐え難いというほどのものじゃない――つまり、それなりには痛い。胸の広い範囲にわたって、じわじわと奥へ染み込んでくるような痛みがある。それは波打つような感じもあって、時折鋭い痛みが俺を襲う。どうにも、手懐けられるような痛みじゃない。当分は、これと付き合う形になりそうだ。

 痛みの他には、全身にじっとりとまとわりつくような不快感もあった。かなり汗ばんでいる。気温の配慮から厚手の毛布をかけてもらえていたけど、ちょっと体を冷やしたかった。

 そこで、少しかすれた声で毛布を取ってもらうように頼むと、仲間たちがそっと優しい手付きで毛布をどけてくれた。毛布が剥がれるにつれ、冬の寒気が体に染み込む。それが想像以上に心地よかった。

 小さく首を動かし、自分の体を見てみる。さすがに、斬られたときの服じゃない。白い清潔なシャツに着せ替えてもらえたようだ。サイズは少し大きめで、ゆったりした感じがある。


 少しずつ体と頭が冷えてくると、状況が気になった。そこで俺は、目元を軽く拭ったばかりのラックスに、現状について尋ねる。すると彼女は、「うん」と小さく言って軽くうなずいた。


「反政府第三軍との戦いは、もう終結したよ。今は夕方で、将官クラスが敗残兵を集めて、事後処理に着手しているところ」

「その……負傷者は?」

「へーい、こっち」


 俺を囲む仲間の壁の奥から声がした。そちらに顔を向け、仲間が視線を避けるように体をどけると、そこには寝ながら手を挙げるラウルがいた。続いて、ラックスが詳しく話してくれる。


「私たち近衛部隊の負傷者は、あなたとラウル以外は軽傷だよ」

「ラウルは?」

「矢傷が多くて、少し血を流しすぎたみたい。飛び回っていたってのもあるしね。深刻な負傷じゃないから、安心して」

「……俺は?」

「そこまで深い傷じゃないけど、当分は痛みが続くだろうって、軍医の方が。膏薬で痛みを抑えているそうだけど、それでも痛い?」

「……だいぶ」


 正直に答えると、彼女は顔を曇らせた。他の仲間たちも同様だ。

 状況は詳しくはわからない。しかし、目指した成果に近いものを得られたのではないかとは思う。だから、この湿気った空気を変えたくて、俺は軽口を飛ばした。


「女の子に看病してもらえたら、早く治るかも」

「……言われなくてもそうする感じだったけど」

「もしかして、言わない方が良かった?」

「たぶんね」


 ラックスが苦笑いしながら答えると、"そのつもり"だった子たちがクスクス含み笑いを漏らした。そのうち何人かの頬が、微妙に赤いのが気にかかる。

 しかし、その後急に静かになった。何を話せばいいのか、お互いに戸惑うような空気が漂う。


 いや、俺は聞かなければいけないことがいくらでもある。戦いが終わったっていうのに、この大きなテントの外からは、遠くの潮騒みたいに喧騒が聞こえてくる。あまり、終わったという感じはない。

 それに、戦いがどのように終わったのかも、聞いておかなければならない。それが……現場を預かり、人に手を下した者としての責務だと思った。


 ただ……俺が目を覚ましただけで安堵してくれた、そんなみんなの気持ちに水を差したくはない。だから、あまり重い話はみんなの前でしたくない。

 そこで俺は、ラックスに尋ねた。


「軍医の方は、今日は安静にしてろって言ってた?」

「うん。でも、痛みに耐えられるのなら、その限りじゃないって。薬で出血も収まってるし、杖使って歩くくらいなら、大丈夫みたい」

「わかった」


 俺は表情を変えないように力を込め、歯を食いしばりながら上半身をゆっくり起こした。咳き込んだときほどの苦痛はない。これならどうにか、ってところだ。

 すると、ハリーが何も言わずに俺に肩を貸してくれた。そして、息を合わせてゆっくり立ち上がる。次いで、差し出された杖を手にとって、俺はなんとか自分の足で立つことができた。

 それからラックスに視線を向けると、彼女は目を閉じて神妙な表情になった。俺が何を言い出そうとしているのか、もう察しているのかもしれない。そんな彼女に、俺は言った。


「ラックス。ちょっと見て回りたいから、付き添いしてほしいんだけど」

「今日は寝てていいよ。何かあれば、私たちが処理するから」

「寝てるだけの方が落ち着かないんだ」


 すると、彼女は諦め顔で長いため息をつき、そして言った。


「無理しないでね。辛くなったら、立てなくなる前に、すぐに言って」

「ちょっと見て回るだけって」

「どうだか……」


 彼女はそう言うと、少しだけ表情を崩し、隊の女の子たちに「悪いけど、今から少し独り占めするね」と告げた。俺には冗談だとわかったけど、他のみんなは意外とそうでもないようだ。黄色い声で驚きを表明したり、悪ノリで指笛を吹いたり、苦笑いで軽くあしらうように生返事したり……。

 ラックスの冗談が合図になり、その場は一時解散となった。寝ているラウルには「またな」と声を掛け、俺はラックスと一緒にテントの外に出た。


 外に出ると、周囲にも似たようなテントが並んでいた。政府軍本隊の陣地だ。

 しかし、辺りに兵の姿はあまりない。その一方、遠くの喧騒は少しだけはっきり聞こえるようになった。まだ交戦中なんじゃないかという気がしてくる。

 すると、少し気がそぞろになる俺に、ラックスは微笑んで言った。


「今さっき、独り占めって言ったでしょ」

「ああ、あれか。冗談だろ?」

「半分ね」

「は?」


 一瞬ドキッとして、その後に胸元が痛くなった。軽く歯をかみ合わせ、口を引き結ぶ俺に、彼女は「ごめん」と言ってから言葉を続ける。


「私に”その気”はないんだけど、みんなは割とそうでもなくて」

「へぇ……」

「結構、あこがれの対象になってるよ、リッツ。まぁ、だからって、あなたから手を出すとは思わないけど」

「まぁね」


 アイリスさんのことが好きだとラックスに明言してはいないものの、もはやバレバレなので隠そうって気はしない。含みがある言葉を素直に認めた俺に、彼女は少し切ない感じの微笑を浮かべた。


「……みんながどこまで本気かはわからないけど、今回の死なない程度の負傷でも、本当に本気で心配してたから。だから、自分の体も気遣ってあげて。あなたが倒れたら、みんな泣いちゃうから」

「……わかった。心配かけてごめん」

「いいよ、私には言わなくても。そうせざるを得なかったってこと、受け入れられるから」


 本当に、この子には頭が上がらない。さっき口で謝ったばかりだというのに、それ以上の深い感謝が頭をもたげ、俺の胸を満たした。


 でも、話はこれだけじゃない。俺の意を汲んで二人きりにしてくれた今、あまり気兼ねせずに重い話題を切り出せる。それをありがたく感じながら、俺は尋ねた。


「終結したって話だけど、具体的には?」

「その件だけど、それぞれについて簡潔に話すね」


 そう言って彼女は、それぞれの戦いの顛末を教えてくれた。


 まず、ハリーとラウルが軸になって対処した峡谷側だ。こちらは、概ね想定通りに進行したものの、相手指揮官の果断な策により、ゴーレムがほぼ無力化された。その際の落石で、敵兵も多くが生き埋めになり……ほとんどが帰らぬ人となった。

 落石により、戦術的には一時向こうに流れが傾いた。しかし、その決断に配下の覚悟が不足していたのだろう。指揮官の後に続くだけの士気がなく、最終的に退却した。

 こちらとしては、寡兵でもって大軍を押し返した形になる。道を岩で塞がれての退却でも、その引き金を引いたのは向こう側だ。こちらがどうしようもなくなって、最終手段に……というわけじゃない。その違いが互いの士気の差に与える影響は大きい。

 そして、向こうが退却してから、みんなで救助を始め……亡くなった方はその場で弔い、生き残った方はこちらへ連れ帰って治療したとのことだ。その話を聞いて、あの場で尋ねなくて良かったと思った。必要もないのに、苦しみを掘り返したくはない。


 一方の橋側については、終始ウィンの作戦の上で事が展開した。まずは、わかりやすい道である橋を封鎖し、その攻防でこちらの仕込みを印象づける。次に川へ意識を向けさせ、そこでも少しずつ敵兵力を削る。

 この戦いがうまくいったのは、ウィンとラックスの読みもそうだけど、相手指揮官が慎重派だったことも大きい。一挙に大勢で向かわれたら、対処法はかなり限定される。それに、じわじわと兵数を削って捕虜を取り、心理的に攻め立てるには、どうしても時間が必要だ。

 とはいえ、相手指揮官が数で攻められなかった事情も理解できる。橋でこちらが待ち伏せしたのなら、大勢で渡る間に橋を破壊されることを警戒するだろう。実際、そういう用意がないこともなかった。

 この戦いの流れが大きく変わったのは、中央本軍での戦いが決着し、その報が川に届いてからだ。ウィンの若干悪辣な手口で心理的に揺さぶられつつあった敵軍に、本軍降伏の報は完全なる追い打ちになった。

 そこで、最後の起死回生にと指揮官クラスの貴族が一騎打ちを申し出て……ウィンがこれに辛勝し、敵軍が降伏。その後、こちらの本軍から一部が川に駆けつけ、向こうを捕虜として捕らえて今に至る。


 最後の話は中央本軍の顛末について――俺が戦場で倒れてからの話だ。それについて触れかけたラックスは、悲哀の色が交じる神妙な顔で言った。


「厳密に言うと、まだ終わってないのかもしれない」

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