第368話 「主戦場④」

 隊の中央に躍り出た貴族は、やがて俺を追う勢いを高め、猛然と迫ってきた。他の兵よりも装備の重量はあるだろうに、それを感じさせない動きだ。

 俺の方はと言うと、後ろ向きに走っていることもあって、どうしても速度を出せない。足にはそれなりに自信があるつもりだけど、徐々に差が詰まっていく。

 そして、紫電の矢ライトニングボルトを放ちながら、彼は背中から剣を抜いた。かなり刀身が長く、幅広で立派なつくりの剣だ。

 合わせて俺も剣を抜く。もしものために用意しておいた木剣だ。これなら稲妻をどうにか受けられる。

 彼以外にも、付き従う兵への警戒は、いまだ必要だった。上空におられる殿下からの支援で少しずつ脱落していっても、なお戦意を喪失しない兵が、俺の隙をうかがっている。そんな彼らを逆さ傘インレインで牽制し、注意は員族の彼に注ぐ。


 すると、彼は俺の足元辺りに紫電を放った。それは地面でわずかに跳ね、かすかに残った細い紫の棘が、俺の足に絡みつく。その瞬間、鋭い痛みが走り、後に鈍い痺れが続いた。

 そうして逃げ足が止まった隙を狙ったように、彼は長剣を両手で構え、俺の胸元へめがけて突きを放った。

 その突撃を、異刻ゼノクロックでどうにか視認した俺は、痺れが残る足で踏ん張った。上半身はひねってそらし、突きに沿わせるように木剣を構えて受け流す。

 俺の目の前を、さっきまで体があった場所を、白銀の刃が貫いていく。完全に、殺すつもりの攻撃だ。体がわずかに震えそうになるのを抑え込む。


 次いで、彼の指先に紫の輝きを見た。ボルトの追撃が来る。剣では受けられない。それに、彼の左後ろから、こちらを撃とうという兵の構えも見える。

 俺はマナを絞り上げ、宙に魔法陣を走らせた。稲妻は光盾シールドで、援護は泡膜バブルコートで受ける。そのギリギリの防御が間に合い、相殺された二つの攻撃が、マナになって飛散した。

 しかし、受けた距離が短すぎる。光盾で跳ね散った稲妻が、小さな棘になって俺の肌を刺す。少しずつ体力を削られていく、嫌な感じを覚えた。普通の紫電の矢じゃなく、そういう魔法なのかもしれない。


 どうにか最初の猛攻をしのぎ切ると、相手はわずかに大きく目を見開いた。対応できたことへの驚きが見受けられる。

 そこで俺は、追随する散弾ビットの角度を傾け、彼を狙うように左右の火力を集中させた。

 すると、彼は光盾と泡膜で相殺した。防御の隙間を突くことも難しい。


 次いで、魔力の火砲マナカノンが立て続けに2発放たれた。狙いは俺の左右に散っているように見える。このコースだと、俺の左右に着弾し、爆風で逃げ道を封じられる。

 そこで俺は、記送術を使った矢に光盾の魔法陣を乗せて飛ばした。そして、彼が放った二つの火砲が左右に分かれて距離が開く前に、矢を解除して内側から光盾を発現させる。

 すると、先に放たれた砲弾と光盾が相殺され、マナの爆風に2発目が飲まれて誘爆した。濃い紫の霞に青緑がかすかに混ざる。


 その紫のマナの爆風の奥に、俺は一瞬だけ銀色のきらめきを認めた。血の気が引くような感覚が全身に走り、体の直感に従って右後方へ身を引く。

 それから数瞬遅れて、飛びかかるように跳ねた彼の、大上段からの一刀が白い地面を深く刻んだ。

 あと一歩遅ければ……そう思うのと同時に、今が絶好の好機のようにも感じた。一瞬の間に矢の魔法陣を記述し、散弾と合わせて集中砲火を掛ける。

 すると、彼は一度剣から手を放し、身を起こして防御に回った。しかし一手遅く、俺の矢が彼の頭を撃ち――飾りがついた立派な兜が、衝撃で脱げ落ちた。

 兜というか、宝冠に近いかもしれない。それはかすかな音を立てて雪の上に落ち、少し転がってから倒れて止まった。


 兜なんて狙ってなかったはずだ。それが少しずれた。狙いが外れたのか、それとも外してしまったのか……この期に及んで、迷いなんてなかったはずだ。それなのに、心の中がざわつく。

 一瞬、戦いが不意に止んで静かになる。気づけば、他の兵は遠巻きにこちらをうかがうばかりだ。

 そんな中、彼は剣を手にして立ち上がった。そして、こちらに切っ先を向け、問いかけてくる。


「なぜだ? なぜ、火砲カノンを使わなかった? そうすれば、決着はついていただろう」


 その声は落ち着いていた。しかし、苛立ちと怒りを抑えきれていないようでもあり、強く詰問されているような気がした。

 それに答えられずにいると、彼は再び矢を牽制に使いながら、剣を構えて突進してきた。矢を光盾でいなし、剣は木剣で受け止める。

 すると、白銀の刃の向こうで、彼は激昂した。


「情けでもかけたつもりか!?」

「そんなんじゃない!」

「殺す覚悟がないのなら、戦場に立つな!」

「人の命を諦めるのが、そんなにご立派かよ!」

「そうやって、甘えて逃げてるだけだ!」

「俺は逃げてんじゃない! 流れに逆らってんだ!」


 俺たちは感情を言葉と剣に乗せて戦い合った。鋭い攻めにも、今まで積み重ねた努力が息づき、体が答えてくれている。

 心も体も熱くなる一方、感覚と意識は澄明になった。もはやこの戦場に、俺たち以外の戦士はいない。遠巻きに、もう戦えなくなった兵たちが俺たちを見守っているのがわかる。

 そんな彼らの姿が視界に入り、俺の心をかき乱す。

 ただ呆然と立ち尽くす人もいる。ためらい体を震わせながらも、腕をこちらに向ける人もいる。膝をついてうなだれるばかりの人も……倒れ伏して動けない人も。

 そして、そんな人たちの前に立つ彼の姿が、俺の心を打った。これは、彼一人の戦いじゃない。そのことを、深いところで理解できる。


 しかし、俺にだって背負うものはある。

 斬撃と魔法を合わせた容赦のない攻めに、どうにか俺は対応できている。それは異刻という禁呪のおかげだけど、俺の訓練に付き合ってくださった方がいるからでもある。

 それに、王都で待つ大切な人達がいる。負けられないんだ。


 でも、それは、彼だって同じことだろう。剣と剣、マナとマナがぶつかり合うその向こうで、彼の姿が伯爵閣下と重なり合う。太刀筋は似ても似つかないのに。

 そして、俺を襲う紫のマナのきらめきが、アイリスさんのことを想起させた。立場と境遇は違っても、その強さの下に積み重ねてきたものに、違いなんてないんだろう。

 憧れにしてきた人と、思いがけないほど近い領域で、今俺は火花を散らしている。でも、そこに喜びはまったくなかった。


 互いに一歩も引かずに切り結ぶ。斬られ削られた木剣の木っ端が辺りに飛び散る。稲妻と矢の報酬で、幾度も盾と泡が砕け散る。

 そんな中で、彼の目に一瞬だけ光るものを見た。それが、俺の胸を強く締め付ける。

 言葉は交わさなくても、通じ合えるような気がした。


 俺たちは、こんなことのために強くなったんじゃない。


 やがて、視界が熱と湿り気で霞み始める。すると、彼の悲痛な叫びが響き渡った。


「まだ動ける者! 私が抑え込んでいるうちに、まとめて殺せ!」


 その命令の意図するところを察し、俺は目元を拭ってから咆えた。


「ふざけんなよ! そんなことのために人を使うな!」

「これしか道はない! 我々が死んで、もう一度軍が動き出せば!」

「そんなの認められるかよ! あんたらもきちんと帰れるようにって、俺たちは」

「守るべき民が! 我々を笑顔で送り出したんだ!」


 俺は、何も言い返せなくなった。目に涙を溜めた彼の絶叫が、銀世界に哀しく響き渡る。

 やがて、彼の命を受け、後方の兵が腕を構えた。もう止められない。じきに火砲が放たれる。俺が死ぬかどうかはわからない。でも、彼は確実に……。

 刻々と最後が迫る。そんな中、彼はフッと表情を和らげて言った。


「君は、この生命を賭すに足る相手だ……本当に、そう思う」

「そういうのは明日にでも言ってくれよ!」


 俺の前方、彼の後方では、すでに魔法陣が列をなしている……4発だ。

 一瞬、記送術で反魔法アンチスペルを送り込むというのを考えた。しかし、肝心の彼が邪魔だ。このアングルじゃ、送り込めない。

 万事休すか……そう思った時、彼と兵の間に割って入るように、1人の人影が降り立った。


「殿下!」


 俺が叫ぶのと同時に、魔法陣は砲弾と化して放たれた。それらは、ゆったりした速度で空を進んでいって――。


 殿下の前に、赤色の渦が現れた。見慣れない色の、見飽きた渦が、迫る砲弾を飲んでいく。そうしてすべての攻撃をかき消したそれは、さながら日輪のようだった。

 目頭が熱くなった。殿下がいつ覚えられたのかは定かじゃない。でも、本当に救われた思いだ。


 視界は潤み、木剣を握る力が少し弱くなる。その隙をつかれ、彼の斬撃にバランスを崩してしまった。横薙ぎにこらえきれず、剣を取り落してしまう。

 そして彼は剣を上段に構えた。防御をかなぐり捨てた構えだ。距離は十分詰まっている。

 しかし、死んでやるわけにはいかない。俺は後ろに跳ね跳び、渾身の力で矢を何発も放った。それは彼の光盾も泡膜も、一切合財をマナに還し……彼の体を直接撃った。


 それでも、振り下ろされる彼の剣が止まることはなかった。冷たく、鋭い痛みが走り、続いて温かなものが溢れ出すような感覚がして……。

 背に強い衝撃を受けた。視界には滲んだ灰色が広がる。痛みは少しずつ和らぎ……全てが遠ざかっていく。



 私の背の方で誰かが倒れる音がして、心臓が縮み上がった。とめどなく汗が流れ、全身が凍てつく。

 火砲を放った者たちは、もう完全に戦意を喪失している。安全だとわかったところで、急いで振り向くと、二人が倒れていた。

 私は彼の名を大声で呼びながら駆け寄った。左の肩から、右脇腹に掛けて赤い筋が見える。

 震える手で、私は彼の手を取った。まだ脈はある。それに、朦朧としているようだが、意識もある。傷は浅い。最前線で何度となく見たような負傷だ。問題ない。何度も何度も、私は自分に言い聞かせた。


――本当に、愚かなことをした。もっと早くに私が止めに入っていれば、彼に加勢していれば、こうはならなかったんじゃないか?

 立場という言い訳はある。しかし、私は彼の才覚に甘えていた。今まで、様々な無理を踏み越えてきた、その魔法みたいな力に。

 その甘えで、取り返しのつかないことになるところだった。うなだれる私の前で、彼は霞んだ目をしながら口をかすかに動かしている。そうやって何か言おうとしているのを制し、私は言った。


「大丈夫。後は、私がどうにかするから」


 その言葉に安心したのか、彼は目と口を閉じた。

 まだ、脈はある。大丈夫だ。それだけ確認してから、私は自分の言葉を反芻した。なんの具体性もない言葉だった。まるで――私の無理難題に、彼が言い出しそうな言葉だ。


 すると、背後で音がした。振り返ると、あの戦士が立ち上がるところだった。彼を斬った後、前のめりに倒れていたようだ。手にした剣の下の雪は、血で朱に染まっている。

 そして、彼は両手を震わせながらも、私に向けて剣を構えた。顔は、溢れ出る感情を必死でこらえているようで、それが私の胸を強く打った。そんな彼に、私は言った。


「君の配下は命令を守った。正確に狙って火砲を放ったよ」

「……では、なぜ?」

「私が、君達を助けた……彼が考えた魔法で」


 後ろを軽く振り返りながら、私は彼の質問に答えた。続く返答はなかった。耳に届くのは、彼の荒い息遣いだけだ。

 私は彼に向き直った。今なお剣を構え続けるその様が、どうにも痛ましかった。


「もう、いいだろう。剣を捨てるんだ」

「……しかし、私たちは」

「わかった。私から先に捨てるよ」


 私は腰に吊るした剣を地に放り投げた。王家に代々伝わるという――血で濡れたことのない、ただのお飾りを。

 再び向き直ると、彼の構えは小さく震えていた。その震えは少しずつ大きくなって……。

 ついに彼は、地に膝をついた。抑えても漏れ出るようなかすかな嗚咽が、私の胸にいつまでも響いた。

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