第367話 「主戦場③」

 敵陣地を包囲する政府軍の一団へ向かい、喚声を上げながら兵の集まりが雪原を走る。彼らに先回りするために、俺はホウキを走らせた。

 心臓は早鐘を打ち、全身からは汗が噴き出る。身を切るような冬の向かい風も、全く気にならなかった。奥底から湧き出る得体のしれない熱さが、俺を突き動かし……同じく深奥から湧いた声が、俺自身へ問いかける。


 どうして、止めに入るんだ?


 それは、あの兵たちが、敵軍の士気にとっての最後のよすがだと直感したからだ。ギリギリのところで絞り出したような彼らの猛りが、今なお陣地に閉じこもる軍本隊を触発するのなら……それが皮切りになって、本当の殺し合いが始まってしまうかもしれない。

 そうならないように、あれを押し留めなければならない。一人で押し返して、膝をつかせて、思い留まらせなければ。


 でも、それが全てじゃない。

 放っておけば、あの兵は政府軍と衝突し、おそらくは壊滅するだろう。相対する政府軍にも、相応の被害は出るだろう。

――俺が引き金になって、誰かが死ぬ。何人も亡くなってしまう。

 頭の中では、それを放っておくための言い訳がいくつも湧いて出た。俺がそこまでやる必要はない。少なくとも、敵の頭数は大きく減らした。こちらの兵が文民を斬ることも避けられた。だったら、俺の働きは、それでもう十分だ。

 しかし、それは一方で、無責任にも感じられた。

 俺たちが考えた作戦の上で、向こうの兵が心情をあらわにして玉砕覚悟でひた走る。その様を、ただ上から眺めるだけの自分を、俺は認められなかった。この内戦を引き起こした連中と、自分が重なってしまうように感じてしまったから……。


 地面へ近づきながら、俺は自問自答を重ねた。

 少しずつ、心の奥底に秘めた、暗いよどみが顔を出し始める。俺はそれと、向き合わなければならない。認めなければならない。


 この戦いで、相手の兵を可能な限り無血で屈服させるため、俺は前世の歴史と知識に頼った。

 最初に思い浮かんだ言葉は、抑止力だった。そこから、あれよあれよと連鎖反応みたいに、様々な情景とアイデアが沸いて出た。

 俺は小学校の時の修学旅行を思い出していた。今日、あの建物を消し飛ばして広島を想起したんじゃない――広島に行った時の、あの建物をうっすら思い浮かべて、俺はあの魔法を思いついたんだ。

 この世界で、人間同士の戦いを食い止めるため、俺は生まれ育った世での知識と経験に頼った。そのことが、どういうわけか、どうしようもなく悲しくて、切なくて、悔しかった。


 俺が放ったあの魔法は、きっと多くの人々を傷つけただろう。外傷はなくても、心に傷を負った人は少なくないと思う。ニ度と剣を握れなくなった人だっているかもしれない。

 それでも、人間同士で殺し合うよりはマシだ。死なないだけずっといい。心に傷を負っても、家族の元へ帰られるのなら……。

 俺の内側で、あの魔法を正当化する声が重なり合って響き合う。でも、素直に認められなかった。

 殿下もラックスも、エリーさんも魔法庁の方々も、この行いを承認した。それでも、俺は強い責任というものを感じた。発案し、実際に手を下したものとして。


 そして俺は地面に降り立ち、前方の集団に向かい合った。近づいてくる彼らの姿を見て、胸中ではさらに様々な感情が渦巻く。

 同情や共感みたいなものはある。彼らがどういう思いでいるのか、今までどういう考えでいたのかはわからない。でも、逆の立場ならきっと似たようなことをするという確信はある。

 同時に、怒りもあった。負けを認めて命を安堵するのにちょうどいい口実を作ってやったのに……そんな思い上がりも、確かにある。

 迫りくる彼らが、俺の決断を否定するように感じられる。そんな彼らを許せないという気持ちも、彼らの姿に重ね、託してしまう自己嫌悪も、共にある。


 割り切れない感情が互いにせめぎ合う。でも、この場から逃げようという気は起きなかった。そうすることが利口だとしても。

 俺は、自分に向けられた感情からも、自分の中で渦巻く感情からも、逃げるわけにはいかない。

 それが、迷いながらも決断して手を下した、自分自身へのけじめだと信じた。


 兵の一団が迫ってくる一方、殿下は敵陣上空におられた。そのことは、幸いだった。こんなことに付き合わせるわけにはいかないし、殿下が上におられることで、後続への抑えにもなるだろう。

 後は、俺が彼らを食い止めればいい。


 徐々に近づく兵の集団は、もう少しでボルトの間合いに入ろうかという距離になった。

 集団の全容はわからない。兵数差を考えるのもバカらしいほどだとは思う。

 でも、死んでやるつもりは、さらさらない。もともと、俺たちは数の利に負けないようにと、準備や鍛錬を重ねてきたんだ。今、それを発揮してみせる。


 俺は自分の左右に、一つずつ魔法陣を展開した。外層に継続・可動・追随・回転の型と再生術を合わせ、内側の再生対象には逆さ傘インレインを合わせたものだ。

 この組み合わせだと、逆さ傘が放たれるたびに、勝手に再生術が次弾をリロードする。加えて、俺の動きに魔法陣が追随し、可動型で位置関係を調整することもできる。言ってしまえば、散弾をバラ撒き続けるビットのようなものだ。


 準備を整えてからほどなくして、交戦の間合いに入った。猛々しい叫びとともに、いくつものマナの矢がこちらへ向かって飛ぶ。

 その猛攻を、俺は異刻ゼノクロックで見極めながら足さばきで回避し、全自動の散弾と右手の矢で応戦する。

 多対一で最悪なのは、包囲されることだ。人の目は前方にしか付いていない。見えないところから攻撃を受ければ、たちまち殺されるだろう。

 そうならないように、まずは後退し続ける。それから、囲まれるまでの猶予があるうちに、敵勢力を削いでいかなければならない。

 幸い、俺の前の集団は、陣形が円に近いように見える。俺に攻撃を仕掛けられるのは最前列だけで、せいぜい数人ってところだ。これなら足と双盾ダブルシールドで対処できる。


 敵の攻勢をしのいでいる間にも、左右の魔法陣からは勝手に散弾が放たれる。間違いなく、こんなの初めてだろう。最前列の彼らの戦意に満ちた表情に、驚きが浮かび上がる。

 しかし、こんな脅しで驚きはしても、ひるみはしなかった。それに相手は光盾シールドをしっかり張ってきている。雑に散弾をバラ撒くだけじゃ、打ち崩せない。

 加えて、包囲のために集団から離れ、散開しようという動きもない。あくまで一丸となって、こちらへ向かってきている。集団から離れれば、単独でビットの集中砲火にさらされる。その可能性を感じ取っているのだろう。

 だから、この塊のまま、俺は打ち崩していかなければならない。


 いくつも魔法を展開し続ける凶悪な負荷感の中、俺は異刻で時の流れを少しずつ緩めていった。

 そして、散弾が光盾を破壊するその瞬間に合わせるように、タイミングを見計らって矢を滑り込ませる。

 すると、光盾の再展開が間に合わず、右足に矢を受けた兵がその場で前のめりに倒れた。彼は後続に踏まれ、すぐにその姿が見えなくなる。


 全身が急に熱くなって、ドッと汗が噴き出した。もう、言い訳はしない。殺すつもりはなくても、死ぬかもしれないとはわかっていて、それでも撃った。

 かなり前に、失敗に終わった依頼で、非行少年を撃った時のことを思い出した。ちょっと前に、クリーガへ潜入した時、見張りの兵を撃った時のことを思い出した。

 俺の行いが、たとえ責められるものではないとしても、罪悪感は決して拭えない。


 でも、負けるわけにはいかない。殺されるわけにはいかない。最初の一人に続けて、俺は光盾の隙間を狙うように敵を撃っていく。

 こんな状況に及んでは、感情よりも体の方がずっと冷静だった。構えた右手は少しも震えず、狙った相手を射貫いて白雪に沈めていく。

 人を倒せば倒すほど、心がマヒして何も感じなくなるものと思っていた。でも、こんなんじゃ全く足りないようだ。あるいは、俺がそういう人間じゃないのかもしれない。一人、また一人と倒すほどに、自責の念が重なり合ってのしかかる。あの、倒れ伏した人たちの重みが。

 それでもなお、俺は戦い続けた。少しずつ兵を削り取っても、攻勢は変わらず、俺へ殺到する。その矢の嵐を見切り、かわし、相殺する。その合間、逆さ傘で砕かれた防御の隙を縫って、人を撃つ。心臓を直接握られるような苦しみが、俺を襲う。


 しかし、ある時戦いに変化が訪れた。視界の端の方で何か赤い煌めきを感じたかと思うと、上空から赤い矢が降り注ぎ、白い大地を穿うがった。

 誰の手によるものか、問う必要はなかった。向こう側もそうだろう。見開いた彼らの目が、そう教えてくれた。

 それからも、赤い矢は地に降った。攻撃の密度はそれほどでもない。一度に2、3発ってところだ。それに、誰かを狙った攻撃じゃない。俺と彼らの間に割って入るように、矢は地面を撃ち続ける。殺す気のない威嚇だ。

 しかし、それでも目の前の兵には効果があったようだ。彼らの胸中は知る由もないけど、表情に浮かび上がった畏怖の色が、少しだけ彼らのことを教えてくれた。


 天から降り注ぐ、赤い矢の雨が、少しずつ兵を脱落させていく。この助勢が、とてもありがたかった。ずっと一人で戦ってきたような気がしていた。それが、救われたような気がした

 ここからでは、殿下の顔は見えない。その胸中の察しようもない。それでも、俺たちはひとりじゃないと、そう信じられた。孤独の冷たさに侵食されつつあった心身に、再び熱い灯がともるのがわかった。


 そうして戦意を新たにしたのも束の間、敵集団の中央辺りに、俺は紫のマナの輝きを一瞬認めた。反射的に体が動き、続いて放たれた紫電の矢ライトニングボルトを、双盾で受け止める。相殺されたはずの稲妻の残滓ざんしが宙に少しだけ漂い、俺の肌にかすかな痺れを与えた。

 攻撃に続いて、敵集団の内側から一人が前列を割って中央に躍り出た。軽鎧とでもいうんだろうか。体の急所あたりを重点的に守りつつ、身の動きは阻害しない、そんな防具に身を包んでいる。

 そして、その防具はきらびやかでもあった。白く光沢のある金属に、金の装飾がところどころにあしらってある。それを身にまとう人物もまた、遠目に見ても品格を感じさせる方だった。少し年上のその青年は、目鼻立ちが整った顔に、敵意を剥き出しにしている。


 ここから、貴族が相手になる。それは疑いようもないことだった。

 それでも俺は、負けるわけにはいかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る