第365話 「主戦場①」

 2月6日、9時ごろ。軍本隊による敵陣地の包囲が完成したとの報が入った。それを受け、俺と殿下はホウキで敵陣上空へ向かう。

 報告では、敵は包囲に気づいていて、しかし動き出す感じはないとのことだった。

 実際、高度を上げて戦場を一望すると、陣地の低い石壁を越えて迎撃に向かおうという動きは見られなかった。前もって矢文による降伏勧告の予告を送っていたのが効いたのか、まずは様子見、といった風だ。

 一方、敵陣の様子を一瞥された殿下は、少し遠い目をして眼下の軍勢に対する評を下された。


「決して烏合の衆ではなく、統制が取れているところを見せつけたいのだろう。自他に対して、ね」


 その統制を、俺たちがこれから打ち崩す。


 敵陣地中央の、一番堅牢な建造物直上につくと、足元から大きなどよめきが聞こえてきた。安全のために相当な距離を取ってあるものの、それでも大軍の声の圧を感じられる。

 さすがに、物理的な矢は飛んでこない。一方で、マナの矢は散発的に飛んできた。血気にはやった攻撃ってところか。

 そんな対空砲火も、すぐに止んで静かになった。おそらく、兵を束ねる立場の人が、やめさせたのだと思う。


 下からの攻撃がなくなってから、俺は陣地の周辺に視線をやった。陣地を取り囲むように配された政府軍は、遠巻きに7部隊ほど展開されている。1つ1つがそれなりの規模の部隊だ。しかし、眼下の大軍の前には頼りなく映る。

 この地に集った人間の数、戦場の広さ等々、空から眺めると全容を把握できるようでいて、実感の枠には全く収まらない。何もかもが未体験の領域にある。冷たく乾いた冬の空気は、ひりつくような緊張感に満ち、ホウキを握る両手が汗に濡れた。


 俺たちが配置についてから少しして、殿下は俺にホウキを渡された。ご自身は揚術レビテックスで宙に浮いておられる。魔道具に頼らず、ご自身の力でこの場に君臨する、そういう構図にするためだそうだ。

 そして、殿下は深呼吸をされた後、足元に赤く大きな魔法陣を書き始められた。複雑極まる紋様は、俺が習ったことのない型を多数用いているようだ。かろうじて読めた文を、俺は心の中で読み上げる。


ともに重ねし 幾星霜 契り定めし 血のえにし 生まれ出でては 天を知り 下る言の葉  内に聞け』

“私たちは一緒にどれだけの月日を過ごしただろうか。交わされた契約は、すでに血に織り込まれているようだ。その血が、生まれながらに天というもの教えるのなら、天より下された言葉は、その胸の内に聞くがいい“……ぐらいの意味合いだろうけど、恐れ多すぎて真意は誰も掴めないのかもしれない。


 殿下が書かれた魔法陣は、殿下の右人差し指の先とマナで結ばれ、半透明な赤い円錐になった。

 そして、円錐から延長線を伸ばすように赤いマナが伸び、地面の白雪を赤い光線が刻んでいく。殿下の足元の魔法陣を、遠くの地面に投影するように。

 それから、殿下はゆっくりとした声で仰った。


「私はフラウゼ王国王太子、アルトリード・フラウゼだ。これより、クリーガ領賊軍に対し、降伏勧告を行う」


 決して声を荒らげるような怒声ではない。しかし、殿下の声は辺り一帯に響き渡った。地面に刻まれた魔法陣からも、ほのかな赤い粒子とともに、殿下の声が立ち上ったように感じられた。

 後で殿下が教えてくださったけど、この魔法は天令セレスエディクトというそうだ。天から下された術者――王族――の声に、地に刻まれた魔法陣が呼応し、その上に立つ者の内側にも声が響く。

 さすがに、これは王族限定の魔法で、平民が真似すると即座に捕縛されて処分されるらしい。


 そして、その使い道は明らかだった。

 殿下の声が聞こえなくなって、下からは強い動揺の声が聞こえてくる。それを収めようとするような、鋭い一喝のような叫びも。

 紛れもなく、王族がこの場におられる。そのことを、下の誰もが実感している。殿下の、疑いようもない力と格を、その身で知ることとなったわけだ。


 それから、殿下は俺に顔を向けて、うなずかれた。落ち着いたお顔だけど、目には若干の申し訳無さや苦悩、そして諦念のようなものを感じてしまう。

 お言葉とご存在だけで降伏させられればベストだけど、やはり無理そうだ。下はそれなりに混乱していても、平伏するような勢いはない。依然として戦意と統制は存在していて、それが眼下の軍を一つにまとめている。

 だから、やるしかない。


 俺はまず、直下の地面にボルトを放った。記送術と複製術、それに逃げ水フリーミラージュ――ほとんど使わないDランク魔法、魔法陣が水鏡になる――を組み合わせた物だ。

 誰もいない地面にそれが着弾すると、着弾点から逃げ水の魔法陣が広がっていく。雪が白く染めていた地面には、今では暗い空が映し出されている。

 これ単体で、何か効果があるわけじゃない。相手もそれは察しているようだ。少しだけ戸惑う様子があったものの、すぐ大勢がこちらへ顔を向けてきた。


 続いて俺は、下方の宙に青緑のマナを刻んだ。描いたのは魔法陣じゃない。円を二つ直交させるように描いた器で、型には収奪型を使っている。描き上げたその器は、周囲のマナをゆるゆると吸っていく。

 その器に、今度は複製術を合わせた。すると、平面状の複製とは異なり、立体的に複製ができあがっていく。最初の器の上下左右前後にそれぞれ一個が最初の複製、そこから立体的に一回りずつ、周囲のマナを吸いながら大きくなっていく。自己増殖するジャングルジムだ。

 そうやって少しずつ器の集合体を膨らませながら、俺は複製の核になる器に、回転型を描き足した。その追記に同期して、器の子々孫々へと回転型が転写されていく。周囲のマナを吸い込む動きは、回転の力で一つにまとまっていく。

 周囲のマナを吸ってクローンを作り、さらに周囲のマナを巻き上げるように回転し……1つの器から始まったそれは、いまや青緑の巨大な渦へと変貌を遂げた。

 可能な限り距離を空けて描いたつもりだったけど、巨大化する青緑の光がすぐ足元に迫ってくる。それに、飲み込まれないように、俺はホウキで上昇した。


 そして、直径数十メートルほどもある、青緑の構造体ができ上がった。塗り潰したような、暗い曇り空の下、その青緑の塊が煌々と光を放つ。

 眼下からは、戸惑いと恐怖が入り混じる、激しい混迷が聞こえてきた。そんな彼らに、殿下が言葉を放たれる。


「まずは直下にある建物を狙う! 中に入っている者がいれば、今すぐ外に出よ! 骨も残らないぞ!」


 しかし、その御忠告は、念のため程度のものだ。事前に封鎖しておいた例の建物から、人々はかなり距離を取って様子を見ている。

 今こうして構える前も、陣地内では、あの建物から距離を取って人が配置されていた。怪しいから近寄れないけど、さりとて無視もできない……ぐらいの認識だったのだろう。そこまでは、こちらの目論見通りだ。

 後は、これに撃てばいい。


 俺は、自分の手を離れて膨れ上がった青緑の塊に対し、その中心部を射貫くように魔力の矢マナボルトを構えた。

 しかし、ただの魔力の矢じゃない。こいつには収奪型と殻の追記型を合わせてある。つまり、マナさえ注ぎ込めれたら、青天井で強くなる奴だ。そして――注ぐべきマナは、足元にある。

 最後の一筆だけで発射できる状態に留めてから、俺は魔法陣にありったけのマナを注ぎ込んだ。

 そして、眼下にある青緑の塊を構成する、すべての器を解除した。すると、集積された青緑のマナは、慣性でいまだ回転を続け……今構えている矢の魔法陣が、塊の天頂付近のマナを吸い取り始める。


 最後に、俺は……意を決して、魔力の矢の、最後の一筆を記した。

 それが引き金になり、矢は放たれた。それは、周囲のマナを吸い上げ、光度を増しながら落ちていき――やがて、視界を奪われるほどの激しい閃光が、戦場を青緑に塗り潰した。

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