第364話 「エルウィン劇場⑤」
人間相手に使ってはならないとされる
「その程度で、私の守りを突破できるとでも?」
事実、彼女は未だ
当然、それがわからないウィンではない。彼はクリスティーナに向かい、堂々と言い返す。
「やってみないとわからんだろ。恥ずかしい目に合う前に、降伏する自由を与えてやる」
「大きく出たな、笑わせてくれる!」
そして、口先での応酬の後、彼は火砲を放った。その狙いは少し下に向いており……クリスティーナがいた場所よりも少し手前で、大きな水柱が立ち昇る。
最初の着弾から間をおかず、彼はさらに何発も火砲を放った。辺りには青いマナと水煙が漂う。
すると、最初の一発から数秒もしない間に、水柱の影からニ本の
火砲の狙いが下を向いていたことに気づき、それに乗じて今のを狙ったのだろう。その洞察とコントロールの精密さに、彼は素直に感服した。
やがて、水柱がすべて水面へ戻り、互いの姿を直視できるようになると、クリスティーナは言った。それまでの無礼に対する、一種の意趣返しのように。
「かくれんぼは終わりか?」
「ああ、そうだな……まさか、逆用されるとは」
ウィンの殊勝な態度に対し、クリスティーナは
しかし、彼は雑念を頭から追い出し、勝ち筋に意識を集中させた。両手で剣を構え直し、声を上げる。
「女を叩く趣味はなかったが、そうも言ってられないか」
「口ばかりは達者だな」
呆れたように言い、同じく剣を構えなおすクリスティーナに、ウィンは駆け寄った。
しかし、剣の間合いに入ろうかという直前で、ウィンは片足を前に出してブレーキをかけた。突き出した足の側面から蹴り出された水の塊が、クリスティーナに襲い掛かる。
が、これに対して彼女は敏捷に動いて回避した。
「いやあ、お見事。濡らしてやった方が、そっちの男衆も盛り上がると思ったんだが」
その減らず口に対し、クリスティーナは無言で斬りかかった。無論、斬撃に合わせた
すっかり彼女の間合いに入ったウィンは、今日何度目になるかわからない防戦を始め、矢を
そして……ウィンに迫ろうとするクリスティーナの足元から、突如として大きな水柱が立ち昇った。
身を切るような冷水の直撃に、彼女はこらえきれずに剣を取り落とした。それでも、すでに展開済みの魔法は残り続け、彼女は気丈にも右手をウィンに向ける。
しかし、指が震えて魔法は出せなかった。もはや戦闘を続けられる状態ではないと悟り、彼女は愕然とした表情で力なく右腕を下ろした。
一方の岸からは絶望に満ちた嘆きが、もう一方からは歓喜の声が響く。そんな中、ウィンは片手で木剣を下げ、クリスティーナに歩み寄る。すると、彼女はうなだれたまま言った。
「何をした? どうやった?」
「こちらの軍門に下ったら教えてやる。続きがないとも限らんしな」
彼は川岸を一瞥してから、そう答えた。
彼の手口は、まず水面に火砲を打ち込むことから始まっている。派手に水柱を立て、水煙が舞うのを隠れ蓑にして、彼は火砲の衝撃で空いた水面の穴に、別の火砲の魔法陣を書きかけの状態で仕込んでいた。
書きかけの魔法陣を罠代わりにするというのは、彼の戦友のテクニックだ。もっとも、あまり実戦的ではないと、発案者が認めていた手法ではある。
しかし、この川での戦闘の準備を始めた頃に、ウィンはその使い道を閃いた。書きかけの最後の部分を、水越しに記述するのは難しかったが、そこは現地での練習量でカバーできた。
この手口の効果は、クリスティーナが身をもって知った通りだ。危険な爆風や衝撃は水が受け止める一方、吐き出された冷水が罠の上の人物を飲み込む。結果として、外傷こそ負うことはないものの、身を切るような冷水で一時的に戦闘力を喪失する。
全身濡れネズミになったクリスティーナは、まとわりつく激痛に耐えつつ、なんとか水面に立ち続けている。そんな彼女に、ウィンは話しかけた。
「もう終わりだ、諦めろ。それとも、相手にわざわざ殺させるつもりか?」
すると、クリスティーナは顔を上げ、哀しそうな表情で静かに言った。
「それには及ばない……」
そして彼女は……両腕を広げて後ろ向きにゆっくりと水面へ倒れこんだ。
手を差し伸べるも間に合わず、ウィンの目の前で少しずつ少女が川の中へ沈んでいく。彼女に近寄るウィンの脳裏で、自身とラックスの声が「やっぱり」と囁いた。
彼は沈みゆくクリスティーナの傍でしゃがみ込み、両手に青い魔法陣を光らせ果敢にも川へ突っ込んだ。
対応が早かったおかげか、彼はどうにかすくいあげることに成功した。彼女の腰を、左腕で抱えるように持つ。
さすがに水を含んでいて重みがあり、しかも凍てつくような冷たさもある。しかし、そこは意地でこらえ切り、彼は抱えた少女を見せつけるようにして敵陣の岸へ向き直る。
すると、小脇に抱えた少女が、自軍へ向けて怒声を放った。ついさっきまで、冬の川に沈んでいたとは思えないほど力強く、血のにじむような叫びを。
「早く撃って! これなら防げないから! せめて彼だけでも倒さないと、じゃないと、私たちはっ!」
悲哀に満ちた絶叫に、兵たちは様々な対応を返した。多くは迷い、戸惑っている。
そんな中、
それから、岸辺に並ぶ兵が、それぞれの手をかざした。距離が距離だけにはっきり見えるものではない。しかし、ウィンは泣いている兵も少なくないように感じ取った。
そして、自分たち二人へ様々な色の矢が放たれる。
集中砲火に対し、彼は川に突っ込んだはずの右手をかざし、
反魔法は
さらに、光盾と違い、反魔法は相殺されずに吸い続ける。殺到する矢の嵐を、二重の反魔法は勢力を増しながら飲み込み続ける。
そして……あつらえられたかのような好条件の重なりに、2つの反魔法はしっかりと答えた。反魔法の大渦が消え去り、川の上に二人の姿が再び現れる。
攻撃が掻き消えてから数拍おいて、ウィンの背後は歓声に沸いた。一方の対岸では、形容しがたい静けさが広がる。しかし、その空気は、決して負の感情に満ち満ちているわけではないように、ウィンは感じた。
一難去った後、思い出したように寒気が遅い、彼はわずかに体を震わせた。すると、小脇に抱えた少女が、消え入りそうな声で問いかける。
「どうして……どうやって、魔法を?」
「
反魔法については明かせない。代わりにウィンは、水に突っ込んだはずの手で魔法を行使できた、その種明かしを始めた。
Dランク青色の魔法である堅気球は、本来は頭の周りに展開する魔法である。それは水を寄せ付けない効果があり、水中での呼吸を可能にする。
しかし……ウィンが内心では割と尊敬している戦友の教えに、「別に正規の用法にこだわらなくてもいい」という、魔法庁泣かせの物があった。
そして今、ウィンはこの教えに従った。両手をそれぞれ包むように展開された堅気球は、切り刻むような冷気から両手を守り、今しがた魔法の記述を可能にしたというわけだ。
彼の機転と度胸により、生き残ってしまった少女に対し、ウィンは話しかける。
「もう一度やらせるか? 俺が命令してやってもいいぞ」
その言葉を受け、少女は岸辺を見つめた。しかし……続いてかけられた「まあ、無理だろうがな」という言葉通り、もはや彼女を敬愛してきた兵たちに、その気力は残されていないようだった。打ちひしがれたように地面に伏す者も多い。
やがて、クリスティーナは静かに嗚咽を漏らし始めた。そんな彼女にウィンは、少し優しく声をかける。
「とりあえず、こちらの捕虜にするから。上官と配下共々、身の処し方は俺たちの殿下と決めるんだな」
返答はなかった。代わりに小さくうなづく彼女に、ウィンは少し痛ましい目を向け……クシャミをした。
それから、彼は振り返り、仲間たちが待つ川岸へ歩を進める。
岸から届く歓喜の声の中で、彼はふと考えた。
――”朗報”が入った時、俺はあえて細かく考えることはしなかった。部隊の士気のためだ。それに、“降伏勧告”が受け入れられたんだろうとも思った。しかし……別働隊でもここまで戦おうとするのに、本隊が早々と降参するものだろうか?
報告が偽報という感じはない。加えて、リーダーが負傷したという情報がある。戦闘はあったのだろう。では……一体どうやって、敵本隊を降伏させたんだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます