第363話 「エルウィン劇場④」

 ウィンは資材置き場から幅広な木剣を二振り取り出した。訓練用に多少重みがあり、それ以外には特徴のないものだ。

 彼は両手で一振りずつそれを持ち、今度は川へと歩いていく。さすがに仲間たちや協力者たちは、彼に心配そうな視線を投げかけるも、彼はただ微妙な笑みを浮かべて返した。

 そして、空歩エアロステップで川の上を歩きだした彼は目を細め、川の上に立つ少女と対岸の兵を交互に見渡した。

 この機に乗じて……という策略の空気は、今のところない。つまり、この一騎打ち自体は正々堂々としたもののように、彼は感じ取った。

 ただ、そのための剣まで予め用意していたことを、相手がどう捉えるかは知れたものではないが……。


 互いの表情が良くわかる間合いになると、案の定、果たし合う相手はいぶかし気な視線を向けた。それに対し、ウィンは先手を打って大声で告げる。


「一騎打ちには応じてやるが、条件がある! さすがに、貴人の血で川を染めるのは悪いんでな! この木剣で戦うのが条件だ!」


 すると、間髪入れずに少女は声を返した。


「私の身を気遣うように話すが、その実、殺されるのが怖いのだろう!? 貴殿の策謀には目を見張ったが、覚悟のほどは足りないようだな!」


 彼女の言葉に続き、対岸からは笑い声が生じる。しかし、ウィンにとってその笑いは、なけなしの気力を投じた空疎なものに感じられた。カラ元気も元気とは言うが、事あるごとに無理にでも気勢を盛り立てようという腹なのだろう。

 笑い声がひとしきり止んだ後、彼は冷水を浴びせるように弁舌を振るった。


「誰だって自分の命は惜しいものだろう! 俺たちにとっては他人の命もそうだ! おたくらにそういう文化があるかどうかは知らんがな! だが、俺のことを殺すには惜しい相手だと思っているのではないか!? 試しに、おたくらの上に立つものと見比べるがいい!」


 彼の言葉に、川岸の兵たちは完全に沈黙した。そんな彼らに、眼前の少女が振り向こうとしたその時、ウィンは有無を言わせぬ所作で木剣の柄を彼女に差し出す。


「これが最後の譲歩だ。受け入れるのがお互いのためだぞ」


 差し出された剣を、彼女は苦々しげな表情で受け取り、そして言った。


「愛用の剣は置いてくる、それで満足か?」

「ああ、いいだろう。俺も武器はこいつだけにしてやる」


 彼が言い返すと、二人は互いに向かい合ったまま十分な距離を取り、それから互いの陣地へ一時戻っていった。


 ウィンが川岸に足を踏み入れると、さっそく仲間たちが駆け寄る。空中で待機中の隊員の多くも、さすがに心配なのか、顔だけは彼の方へ向けた。

 しかし、そんな中でも、油断なく相手を見張る隊員もいる。自分を気遣う仲間と任務に忠実な仲間、それぞれに対して、ウィンはありがたく感じた。

 そして、多くの視線が集まる中、彼はいそいそと上着を脱ぎ始めた。下には長袖のシャツを着ているものの、冬に外出するような格好ではない。

 突然の奇行に、悪友の一人が顔を引きつらせながら問いかける。


「何考えてんだ、大将」

「武器を隠し持ってると思われても不愉快だしな。あと、川に叩き落されたら、着込んでいない方がむしろ好都合だ。それと……」

「まだあんのか……」

「相手もこれに倣ったら、目の保養になるんじゃないか?」


 これから果し合いの場に臨む者とは思えない、若干下世話なジョークを、彼は声を潜めて言った。それに悪友連中は苦笑いを返す。


「それにしたって寒いだろ」

「寒いぞ」


 ほんのわずかに体を震わせながら、ウィンは答え、仲間たちは笑った。そして、彼らは体を張る策謀家に信頼に満ちた視線を向け、それを背にウィンは再び川へ歩き出す。

 彼に合わせ、対岸からも例の少女が歩み寄り、ほどなくして川の中央で再び向かい合う形になった。

 先に口を開いたのは少女の方だ。若干のいらだちを込めて言い放つ。


「そのような格好で、ふざけているのか? 手加減をしてやるつもりではあるが、それが死に装束になるかもわからんぞ」

「ご立派な格好で溺死する方が、よほど格好がつかんと思うがな」

「減らず口を……」


 つぶやくように返した彼女は、次いで剣を両手で構え、両岸へ響かせるように高らかに声を上げた。


「ハーリッシュ子爵家が一子、クリスティーナ! いざ参る!」

「かかってくるがいい!」


 相手の名乗りに対し、名前を返さずに、あくまで上から放つような物言いである。

 しかし、そのような不作法に一瞬だけ顔をしかめたものの、クリスティーナはすぐに戦意みなぎる引き締まった表情になった。


 そして、ウィンの言を開戦の合図と受け取り、無礼への返礼とばかりに紫のボルトを放つ。

 彼女の第一手に対し、ウィンは身を翻して回避。その間にも、クリスティーナは矢継ぎ早に魔法を展開した。牽制のために逆さ傘インレインを撒きつつ、紫の泡膜バブルコート光盾シールドで防備を固める。

 空歩を継続しながら、攻防両面にも重厚さを見せつけるその様に、ウィンは「早まったかな」と、わずかながら後悔した。

 しかし、これで怖気づく彼ではない。王都で訓練に付き合った同世代の貴族たちは、今相対する貴族よりもさらに、攻めが苛烈であった。彼らと比較すると、今の対戦相手は守りに寄っている。それは、状況を把握しながら戦術を整えたいウィンにとっては、いくらか好都合であった。

 きらびやかに、それでいて威圧的に輝く紫のマナが川の上で踊り、迫りくる矢の嵐を、ウィンは足と光盾でしのいでいく。


 そして……彼は身に迫る紫の矢を、あえて木剣で受けた。

 耳をつんざくような衝撃音と激しい閃光が走るものの、体へのダメージはない。一瞬の光が去って曇天の下の暗がりが戻ると、クリスティーナは言った。


「そのための、この剣か?」

「まぁ、そう言えなくもない」


 貴族が放つ紫電の矢ライトニングボルトを剣で受けることは、本来は下策とされている。刃という金属で受けようと、結局はそこを足掛かりにして、稲妻が連鎖的に対象を襲うからだ。

 しかし、この場に用意した剣は、幅広な木剣である。刃の中央には十分な厚みもある。相応の力量と度胸を求められるとはいえ、矢を正中から受け止めることができれば、処理は木剣で十分だ。


 こうして攻撃を防いで見せたのは、一種の揺さぶりであり、挑発であった。つまり、全部手の内に過ぎないと。

 それに対し、クリスティーナは、ウィンの予想を超えて強い感情をあらわにした。数発の矢を撃ちこみながら、剣を構えて猛然と水上を駆ける。


「何もかも手の内で満足か!? 兵の心までもてあそんで!」

「ああ。人心をなぶるのは、あんたらのやり口を参考にしたよ。農民までよく動員できたもんだ」

「ッ! 私は、私たちは違う!」


 ウィンの鋭い皮肉に、クリスティーナはややひるんだ。

 しかし、それはあくまで舌戦においての話だ。渾身の力で振り下ろされた木剣は、ウィンの脳天を勝ち割らんばかりの勢いで空を切る。すんでのところで横に避けた彼は、「紙の剣にすればよかった」と思った。

 振り下ろしを避けても、攻撃は止まらない。渡されたばかりの剣だというのに、クリスティーナの攻撃の勢いは鋭い。振り下ろしから斜めへ切り上げるような斬撃と、紫の矢がウィンを襲う。

 彼は矢を光盾で相殺し、身を後ろにそらした。斬り上げるような攻撃には、下から剣を合わせてさらに跳ね上げる。

 すると、剣に勢いがつきすぎたクリスティーナは、水上でバランスを崩しかけた。そこに、剣を振り上げつつも、ウィンは魔力の矢マナボルトを放った。狙いは――相手の剣だ。

 クリスティーナには泡膜に加え、光盾の守りもある。たかが矢の一矢で崩せる防御ではないが、狙いが剣であれば話は別だ。マナの守りから刀身が遠く離れた剣を、彼の矢が襲う。

 すると、クリスティーナは一度剣から手を離した。それから右手で瞬時に蜜落としハニースネアを使って剣を絡め取り、残る左で逆さ傘をけん制に放つ。


 撃たれたウィンはすぐさま光盾を用いて逆さ傘々を相殺し、後ろに大きくステップした。

 彼との距離が開いてから、クリスティーナは宙で絡め取られ、少しずつ落ちてくる木剣を手に取った。その所作は落ち着いたものであったが、隠しきれない驚きに、目は少し見開かれている。

 そして彼女は、相手の方に向き直って言った。


「なぜ、平民が……剣と一緒に魔法を?」


 それに対し、ウィンは「さあな」とだけ返答した。


 普通、剣を振るのと同時に魔法陣を記述することはできない。

 それを可能とするには、記述するのではなく、判を押して瞬間的に空間を焼き付けるような、強いマナの出力が必要だ。そのため、普通は、修練を積んだ貴族にしか使えない秘術とされている。

 しかし、ウィンは……彼曰く「家庭の事情」により、そのような技術を身に着けるのを前提とした修練を受けてきた。その努力と彼自身の才覚もあって、平民ながらに貴族同等の技術を身に着けている。


 平民と貴族の壁を越えた技量の持ち主を前に、クリスティーナは驚いたが、それで戦意が揺らぐことはない。

 剣と魔法を同時に操る技術は双方にあり、手数の面ではほぼ互角だ。

 しかし、実戦力ではクリスティーナに分がある。紫色という高位のマナで、泡膜と光盾を同時に展開し続ける、その堅牢な守りは、余人のマナで打ち崩せるものではない。

 加えて、剣の技量にも確かなものがある。いきなり手渡された木剣にもかかわらず、太刀筋は鋭い。


 すぐも気を取り直したクリスティーナは、矢と突きの猛攻を繰り出した。それをどうにかかいくぐるも、ウィンは左の頬に一瞬だけ、チリっとした熱感を伴う鋭い痛みを覚えた。

 戦闘面で言えば、確かに押されている。しかし、ウィンには相手に勝る大きな武器があった――口先だ。

 仲間内でも”煽り”に定評のある彼は、剣と魔法の応酬がひと段落した隙間に、その舌鋒を滑り込ませる。


「さっき、私たちは違うとか言ってたけどな、上の連中とどこがどう違うんだ?」

「お前の知ったことか!」

「後ろの連中にも、言えないことはいくらでもあるんだろ? それこそ、あんたの年の数ぐらいな!」


 どのようにとっても罵詈雑言である。数を少なく見積もれば無知で幼稚な相手だと笑い、多く見積もれば下々への不義への責めとなる。

 そのどちらにとったのかは定かではないが、クリスティーナは両手から矢継ぎ早に魔法を放っては激昂した。


「黙れ! お前に、私の何がわかる!」

「知るか。鏡に同じことでも聞いたらどうだ?」


 すると、水煙舞うような猛攻の奥で、彼は一瞬だけ、悲哀に曇った少女の顔を見た。それを見て、彼は少し反省した。「言いすぎたかも」と。

 正面切っての戦闘では、おそらく勝ち目はないだろう。安物の木剣での決闘に乗ってくれたから、今の彼がある。彼女には確かな力量と、それを身に着けるための努力があったことは疑いない。

 それに、口先でのやり取りを通して、彼はうっすらとではあるが彼女の人となりのようなものも察した。貴族という血筋を抜きにしても、良い育ちをしている。わざわざ煽りを真正面から受け止め、それに素直な感情を返してくる。平時であれば、おそらく正直で清廉な好人物なのだろう。決闘を見守る兵の態度からも、それは明らかであった。

 この戦いにおいて、ウィンから積極的に攻勢をかけたことはない。それは、守り続ける限りにおいては対応できるからであり、有効な攻め手に欠けるからであり……そして、攻撃することにためらいを覚えたからだと、彼は自身の迷いを認めた。


 しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。今や戦場は、この一騎打ちを除けば静かなものだが、それはこの見世物を提供しているからに過ぎない。向こうが破れかぶれになって変な気を起こさないよう、ここで頭を押さえる必要がある。

 意を決したウィンは、大きく距離を取ってこれ見よがしに魔法陣を構えた――魔力の火砲マナカノンだ。

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