第362話 「エルウィン劇場③」

 ウィンの指示により、近衛部隊は橋からいくらか離れた場所で、昼食の用意を始めた。手際よく用意された即席のかまどと大鍋から、炊煙が列をなして立ち昇る。

 食事に合わせ、空戦部隊からは4分の1ほどが地面に降り立った。交代で回して昼食をとっていくという算段だ。


 いくつも並んだ大鍋からは、食欲を誘う香気が漂い、それが捕虜たちの腹を無慈悲に刺激した。その食欲にあらがうように、捕虜たちは目を閉じ、顔を背け、口を閉ざす。

 しかし、不意に拘束を解かれ始めると、彼らは狼狽した。縄を切った陸戦部隊の一人が、彼らに向かって声を上げる。


「飯は食わせてやるが、変な気を起こすなよ。暴れたら、また川に突っ込むからな!」


 拘束を解かれたといっても、捕虜の全員ではない。武器も没収されている。一致団結して、それでどうにか……といったところだが、そのための気力も、残っているかどうか。

 抵抗の意志を見せず、多くの捕虜がうつむく。すると、縄を解いた彼は言葉を続けた。


「そっちの人は、民間人だからな。危害を加えたら、その場で殺すぞ」


 その場の捕虜一同は耳を疑うように目を見開き、″そっちの人"に視線を向けた。具たくさんの赤いスープをかき混ぜる彼は、確かに軍属というには違和感がある。その男性は中年で、とても鍛えこんだ体には見えず、顔も少し丸い。

 忠告した青年が立ち去ると、捕虜の一人がくだんの民間人とやらに話しかけた。


「今のは……」

「ホントホント。ぼかぁ近所の町で料理人やっててね。んで、この作戦に乗ってここまで付き合ってんだ。他にも、服屋とか金物屋の連中が来てるね」


 言いながら、彼はスープをかき混ぜ、器によそって捕虜の一人に差し出した。


「ほれ」

「い、いえ、しかし……」

「いや、食ってもらわんと捨てる羽目になるし、遠慮すんなって」


 そういって押し付けるように渡された器を、捕虜は両手で受け取った。

 器は若干薄手の金物で、おそらくは携行性重視で選んだのだろう。中のスープの熱さが容易に伝わってくるものだったが、それが寒空の下ではありがたかった。温度とともに、香辛料をふんだんに使ったスープの香りも、体に沁み込んでくる。

 しはらくの間、じっとして、彼はスープを眺めていた。すると、料理人は言った。


「さすがに、食事は一人ずつにしろって言われてるからさ、後の子のためにも早めに食いな?」

「……はい」

「あと、おかわりは遠慮すんなよ。戦ってる兄ちゃんたちは、少なめでいいって話だからさ。お前さんらが、たんと食いな」


 笑顔の料理人に促されてから、彼は周囲の仲間に視線をやった。いずれも意気消沈している。気まずそうに力ない苦笑を返すものもいれば、完全にうつむいていて、決して顔を見せようとしない者もいる。

 そんな中、一人が言った。


「食えよ」

「……ああ」


 沈んだ声で答え、彼はスプーンを口に運んだ。それから動かなくなり、涙がスープの中に零れ落ちた。



 後方の昼食風景をざっと眺めてから、ウィンは干し肉をむしりつつ対岸に視線をやった。

 捕虜に関しては、心配なさそうだ。決して表に出すことはなかったが、彼は一人安心した。


 スーフォンの町の商人に協力を仰ぎ、兵のフリをして雑用をしてもらうというのは、彼のアイデアだ。その目的はいくつかある。

 まず、対岸から見た時の頭数を増やすため。ごく少数の陸上部隊しかいない場合、多少のリスクを覚悟して、物量で攻められる可能性が高まる。それを避けるための、兵数の水増しである。

 加えて、捕虜への対応にも人手や見張りは必要だった。そのため、正規の近衛部隊を主軸に、兵に成りすました商人たちに、それを補佐してもらうという形をとった。これも、見せかけの兵数を水増しすることで、脱走しようという気をくじく意味合いはある。

 そして一番重要なのは、捕虜の心をほだすためだ。昼食時に正体を明かしてやれば、気を許して糧食を受け入れるだろう。

 実際、それは目論見通りとなった。もはや、完全に反抗の気を失い、慈悲の前に屈している。


 商人の手を借りて捕虜を管理しようという案に対し、当の商人たちからは、予想に反して色良い返事を返していた。この作戦が自分たちの町を守ることにつながるのなら……そういった自助意識が、その決断の源泉にある。

 しかし、ウィンが目論む挑発的なやり口に対する共鳴もあった。こちらに攻め入ろうという連中に対し、機知に富む嫌がらせで一泡吹かせたい――そういったニーズが、ウィンの提供する作戦と合致したわけだ。


 今のところ、作戦は順調に推移している。ウィンはささやかな満足感を覚えつつ、対岸の様子を注視した。

 大きな動きはまだない。しかし、水面下で感情の動きはあるだろう。

 こちらの捕虜は、商人たちからの施しを受け入れている。正規兵であった彼らにしてみれば、商人は保護すべき文民だ。それに、溺れたところを助けられ、その後に手厚い看護を受けたという既成事実がある。それを反故にして意地を張るよりは、今のあり様の方が自然な成り行きなのだろう。

 しかし、対岸は兵になりすました民間人がいるとは、知る由もない。捕虜が敵兵からの手厚い保護を受け、あたかも軍門に下ったかのように映るだろう。

 加えて、反政府軍の視点では、溺れた自軍の兵よりも政府軍にいる捕虜の方が、扱いは良く見えるはずだ。

 無論、その差は近衛部隊が最初からこうするつもりで準備したからこその差である。いわば、戦術の一環だ。

 しかし、理屈で認識したとしても、肉体と感情は、冷静に判断できるだろうか?


 ウィンは、この戦いに臨むにあたり相当数のパターンを想定して策を練った。その戦術のすべては、突き詰めれば相手の心理的動揺を誘うことを志向している。

 反政府軍の兵も、同じ人間に対し攻撃のために手を上げることに、迷いや疑いは抱いていたはずだ。その苦痛は、ウィン自身も体験している。その苦悩を、反政府軍は大義名分の美名のもとに押し込め、ここまで行軍してきたのだろう。

 しかし、人間同士の戦いと現実の前に、表層上の取り繕いは、いつまで耐えられるだろうか?


 対岸を眺めるウィンの傍に、地上に降り立ったサニーとリムが近づいた。先にリムが、少し不安そうな面持ちで話しかける。


「あの、ウィンさんもお食事をとった方が……」

「いや、俺が出ざるを得ないパターンもありますから。終わってからしっかり食べますよ」


 リムはそれ以上勧めることなく、ただ柔らかな笑みを返した。それに微笑み返したウィンに、今度はサニーが話しかける。


「僕は、まだ食べない方がいいですね」

「終わってからだな。また何か動きはあるかもしれん」


 ホウキの名手筆頭であるサニーは、今日一度も本格的な戦闘機動を行っていない。それは後ろにリムを乗せ、戦場全体を見渡していたためだが、彼の実力を伏せておくためという意味もある。

 そして、仮に食事をした後、真の実力を発揮する必要が生じたら……高確率で食事をとったことを後悔することになるだろう。


 会話の後、ウィンとサニーは並んで対岸を見渡した。今までの小競り合いは終息し、川の上は静まり返っている。目を凝らしながら、ウィンはサニーに尋ねた。


「何か見えるか?」

「列に乱れはありませんが、ごく一部走っている兵が……たぶん、伝令ですね」

「よく見えるな……」

「鍛えてますから」


 すると、食事中の空戦隊員が数名、彼らに近づいた。その中の一人が、「一口ぐらいどうだ」とサニーにスプーンを向ける。サニーはそれに応じ、一口含んで顔をほころばせた。


「んで、状況は?」

「あっちにも情報が行ったかもな」

「中央のと峡谷の?」

「ああ、どっちもうまくやったらしい。ラウルとリッツが怪我したというのは心配だが、命に別状はない。今は寝てるそうだ」


 荒い速報ですら初耳の空戦隊員は、ホッと胸をなでおろした。

 そして「後は俺らだけか」と一人が言った矢先、にわかに対岸が騒がしくなる。その場の一同には、こちらの岸を無視して、内輪で何か口論をしているように映った。


「内輪もめか?」

「さあな。自壊してくれれば楽なんだが……指揮官を川に放り投げたりな」


 冗談半分にウィンが言うと、戦友たちは「まさか」と返して笑った。


 やがて、対岸の騒動が一段落したように見えた。兵が再び川岸に整然と並ぶ。

 そして、その中から一人が、おそらくは空歩エアロステップで川の上に歩み出た。遠目には無防備に見えるその者に対し、ウィンは静観するように指示を出す。

 それから、川の半分ほどまで渦中の人物が歩いたところで、その人物は高らかに告げた。


「旧政府軍の指揮官に告ぐ! 貴官の策謀は実に見事なものであった! しかしながら、我らもここで引き返すわけにはいかぬ! 願わくば、この場で一騎打ちに応じられたし! この申し出が聞き入れられなければ、我らは一丸となり、如何な犠牲を払おうともその橋を突破してみせよう!」


 その声の主は、女性であった。静まり返った戦場に響く凛とした声は、誰もが思わず聞き入ってしまうほどに、清らかであった。

 その宣告が終わって、やっと時が流れ出したかのように、近衛部隊の間で小さな動揺が走る。「どうするよ、指揮官殿?」と尋ねる悪友に、ウィンはこともなげに返した。


「サニーを出すか。とりあえず、負けはないだろ」

「いや、相手が認めんって」

「冗談だ」


 それから彼は、大きく息を吸って、どこかアンニュイな表情で息を長く吐いた。


「受諾するぞ」

「大丈夫か?」

「ああ、一応はこれも想定内だ」


 それから、彼はこのシナリオにおける自身の見解を述べた。


「相手が負ければ、もはや抵抗はできんだろう。見たところ、兵の支持が高い人物みたいだしな。気力を奮い立たせるための、最後の賭けってところだ」

「しかし、お前がやられたら?」

「まぁ、死なんようにするさ。それに、負けて川に突っ込んでも、俺が恥をかくだけだ。それで、相手がいきなり川や橋を渡れるようになるわけじゃない。中央の戦いが決した今、援軍を呼ぶ余裕もあるしな。つまり、この時点で俺たちの勝ちは、ほとんど決まっている」


 淀みなく語るウィンに、仲間は耳を傾け、少しずつ納得していく。

 それでも、完全にとはいかなかった。仲間の命が失われるかもしれない危惧は、どうしても拭いきれない。抑え込んだ心配を少しだけにじませながら、サニーはウィンをまっすぐ見つめて尋ねた。


「では、どうして応じるんですか?」

「もう勝ってるとは思うが、結局はどう勝ちたいかなんだ。つまり……まぁ、意地だな」

「……そういうの、わからないでもないですが」

「安心しろ。死なないように準備はあるし、あの様子なら交渉の余地もありそうだ」


 準備と聞いて、仲間たちは感心と感嘆を込めたため息をついた。「ほんと、どこまで考えてんだ?」との声に、ウィンは少し苦笑いして手を振り、部隊の資材置き場へ向かう。

 そして、平原をうっすら覆う雪を踏み歩きながら、彼は一人思った――読みの鋭さでは、やっぱりラックスに敵わないな。

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