第361話 「エルウィン劇場②」

 ウィンの降伏勧告に、反政府軍の第一陣はただ頭を垂れた。

それから、彼の合図で陸上部隊が橋に上がり、慣れた手付きで兵を拘束していく。抵抗の素振りはなかったが、それでも後ろで手を結ばれ、反攻できないようにする。

 そうして橋上のやり取りが一段落すると、リムは川から橋へゴーレムを揚げた――今までよりも、さらに厚い陣容で。


 ここまでは、攻めっ気を起こさせるために、ゴーレムの量を抑えていた。大軍でかかられても困るが、様子見に少数の兵を出される程度ならば好都合だ。先の展開のため、捕虜を取っておきたい。そういう考えが、ウィンにはあった。

 そして今、橋の上には壁と呼ぶのが控えめに感じられるほどの、水の塊が鎮座している。無理に突破しようものなら、立ち往生した兵それ自体が障害になるだろう。後続に押され、水に入り込み、踏み殺される。そんな犠牲を払っても、橋を渡りきれるかどうか。


 ウィンの見立てどおり、反政府軍の意識は橋から川に移った。岸を埋めるように並んだ兵が、列をなして少しずつ川に入り込む。空歩エアロステップで渡りきろうというわけだ。

 しかし、その展開も想定にあった。ウィンは笛を鳴らし、空戦部隊を動かした。彼らに合わせ、自身も川岸に走って迎撃に向かう。


 やがて、川を渡ろうという兵の戦列に対し、空中からの射撃と地上からの砲撃が始まった。

 ウィンは事前の指示で、正確に狙う必要はないと伝えている。ただ水が跳ね跳ぶだけでも、十分な恐怖になる。水と寒さに呑まれればどうなるか、橋の上でやってみせたばかりだからだ。

 上空からボルトの雨が降り注ぎ、川に着弾して冷水が跳ね跳ぶ。そんな中、兵たちはただ前進することしかできなった。反撃はおろか、身を守るための光盾シールドを展開できない兵も少なくない。


 これは、ある程度予想できたことだ。

 今回の戦いについて策を練っていた際、ウィンにラックスが軍における魔法のあり方について教えていた。その話の中には、軍にとっての空歩の立ち位置というものもあった。

 軍にとって、空歩は専ら行軍のために使われる。足場が悪い場所で肉体的な消耗を避けたり、あるいは難所でルートを確立するため、少数を先行させたりするためだ。戦闘中に使うことは想定されていない。軍属で戦闘中に空歩を使うのは、ごく少数――魔人との戦闘を想定されている、貴族ぐらいのものだ。


 兵は、ただただ川の上を歩くことしかできない。それは、反政府軍の指揮官も承知の上だろう。ウィンは、良心を試されているのだと感じた。

 だから、彼も前もって命令を出している。「狙うなよ」と。

 それでも、雨のように矢を放てば、いずれ誰かに当たるだろう。誰が放ったかもわからない矢が。しかし、それは事故として処理できる。あるいは、全体の責任として。たとえ必要なことだとしても、一人に背負わせずに分散する――それが、隊を預かるものとしての処方だった。


 やがて、その時がやってきた。飛び散る冷水にひるみ、体勢を崩した兵の一人が、上空からの矢を肩に受けた。その衝撃でさらにバランスを崩し、ついには川に落ちる。

 すると、動揺が一気に広がって、川の上の兵たちの列が乱れ始める。その不規則な動きが、すでに放たれた「狙わない」矢に捉えられる。

 一人、また一人、矢に撃たれ川に呑まれていく。兵の多くは逃げ惑い、上空からの矢の攻勢は少し手を緩めた。

 しかし、なおも前に進もうという兵がいる。もはや完全に乱れた隊列に従う必要はなくなり、一部の兵は陸に上がろうと猛進を始めた。

 そんな彼らの一人と、ウィンは目が合った。敵意もあらわな視線は「やれるならやってみろ」と言わんばかりに睨みつけている。

 そして、ウィンは「やれる側」の人間だった。良心の呵責を拒絶するように、彼は右手をまっすぐ構えて魔法を放った。彼の手を離れた火砲が大きな水しぶきを上げ、飛び散る冷水のつぶてが兵たちを激しく打つ。

 それでも体勢を立て直した兵に、今度は矢を放った。さすがに抵抗すること叶わず、戦意を見せた兵たちは残らず川に呑まれていく。


 こうして瞬く間に、渡河第一陣は壊滅した。しかし、作戦はまだ終わっていない。溺れかける兵たちの悲鳴と、川の中でもがく音が陰惨に響く中、ウィンは笛を吹き、ハンドサインで空戦部隊を動かした。



 渡河部隊が全滅するまでの間、対岸の反政府軍は、ただ静観することしかできなかった。空戦部隊に攻撃しようにも、高度が高すぎて狙えなかったからだ。

 しかし、今は違う。十分射撃で狙える位置にまで降りている。それは好機のように思われた。部隊全体の指揮官である貴族が声を上げた。


「奴らにばかり撃たせておくことはない! 連中にも水の味を思い出させてやれ!」


 号令とともに、マナの矢の大群が空へ飛んでいく。

 だが、それらが当たることはなかった。攻撃の第一波を読んだかのように、ホウキの戦列は大きく降下し、今や川のすぐ上にある。


「こ、これでは友軍に当たります!」

「構うものか! どうせ死兵だ!」


 補佐する副官の忠言にも構わず、指揮官は声を荒らげる。

 しかし、その命令が川岸の兵の耳に届くことはなかった。大きな動揺が兵の間に広がり、やがて伝令が指揮官のもとへ状況を伝えに来た。


「奴らは……溺れた兵を救助しております」

「バカな、奴ら自身が撃ったのではないか」


 指揮官は耳を疑い、川に目を凝らした。ホウキに乗った者どもが、何か紐のようなものを川に垂らしている。

 その様子を確かめんとして、指揮官は川岸へ進んだ。その間、兵たちが向けた恐れと疑いの入り混じったような視線を、指揮官は無視した。

 そして川岸に立った彼は、ホウキに乗った部隊が溺れた者を、ロープで対岸に引き上げていくところを目撃した。得体のしれない、怒りに似た感情が、彼の体を震わせる。

 すると、兵長の一人がおずおずと進言した。


「閣下、あの者共からロープを投げ込まれましたが、もしや……」

「バカな、罠に決まっている! 上を見るがいい、救助に向かった者を狙い撃とうという算段であろう!」


 指揮官は忌々しげな表情で上を睨みつけた。空戦部隊の一部は上空に陣取り、魔力の矢投射装置ボルトキャスターを構えている。その銃口が向かう先は、彼には明らかに思えた。

 しかし、同胞を助けたいという思いは、最後まで留められるものではなかった。川に並んだ戦列の端の方から、ロープが川に投げ込まれる。その動きは波のように伝わり、処断を恐れない果敢な兵が、次々と救助活動に加わり始めた。

 そして、上空で待機する部隊は……構えた銃を下げて自陣へ向かっていった。指揮官の言葉とは正反対の事態に、兵たちは複雑な思いを乗せた視線を投げかける。

 すると、後方の隊列から一人の少女が躍り出た。長身で凛々しく、人目を引かずにはおれない存在感の持ち主だ。そんな彼女は、場を落ち着けるように宣した。


「これも相手の術中だ! 自らの手で溺れさせた兵を用い、我が方の結束を分断しようというのだろう! 未だ健在である君たちが惑わされてどうするというのだ!」

「はっ! 申し訳ございません」

「救助が終わるまで、どちらもこれ以上の動きは取れないだろう。意気を保って次の命を待つがいい」


 年のほどは、20に届くかどうかといったところか。その場の中でも一段と若い存在でありながら、堂々とした彼女の態度に、兵たちは落ち着きを取り戻して救助に専心した。



 溺れた兵への対処は、近衛部隊の方が手際が良かった。最初からそのつもりで動いていたからだ。武装を解除し、焚き火へと連れて行き、濡れた服を脱がせて体を拭き、やたら豊富にある普通の服を着せる。

 そんな一連の流れで、少しずつ捕虜が増えていった。簡易とはいえ、後ろに回された手を拘束されている。抵抗は難しい。それに加え、曲がりなりにも助けられたという実感が、彼らの戦意を削いだ。生きる気力を飲み込むような極寒の後、与えられた火のぬくもりの前に、敵意は無力だった。


 救助がほぼ終わりかけ、ウィンは対岸を見つめた。向こうも火をおこし、暖を取らせているようだ。とはいえ、こちらほどの用意はないだろうが。

 次いで彼は、すっかり静かになった川を眺めた。「兵を数えるな」と仲間に厳命してあるものの、戦場を預かるものの責任感が、戦死者のことを思わせた。


 それから、散発的ではあるが、渡河を試みようという動きがあった。もはや、橋は眼中にないようだ。与えられたロープを命綱として、兵の列が川に踊り出る。そこを迎え撃とうという空戦部隊を、川岸に並んだ射撃部隊が狙い撃つ。

 しかし、その程度の動きで戦場が変わることはなかった。ウィンは、相手の狙いが空中戦力を減らすことにあるのだと感じ取ったが、もとより近衛部隊は持久戦のつもりで事に臨んでいる。空戦部隊による応射は、実質的には、やってるフリに過ぎない。攻撃よりも、身を守ることを優先に。それがこの戦いの大原則だった。


 それからも地味なやり取りが続き、時間の浪費が続いた。その間、他戦場での朗報が届き、少し場が湧いた。

「残すは僕らだけですね」というサニーに、ウィンは「そうだな」と返した。それから、彼は顎に手を当てて軽く考え込んだ。


「少し早いが、いいタイミングだし、飯にするか」

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