第360話 「エルウィン劇場①」

「大丈夫でしょうか」と、後ろに乗せたリムに問われ、サニーは言葉を返した。


「大丈夫ですよ。ちゃんと全部避けますから」

「いえ、それは疑ってませんが……」

「作戦も、きっとうまくいきます」


 橋の対岸に並ぶ兵の一団を見つめながら、彼は静かに答えた。

 空中から見れば、戦力差は明らかであった。峡谷と違い、こちらの橋ルートは地面に高低差がない分、どちらの陣容もはっきりとわかる。

 橋ルートで迎え撃つため、近衛部隊は峡谷側よりも多くの兵を割り当てている。峡谷と違い、こちらは橋にこだわらなければ、兵を広く展開できる。その分、対空砲火も激しくなるだろうと予想していたからだ。

 加えて、峡谷側は落石で封鎖するという最終手段がある。その一手のみで敵の戦意を喪失させるのは難しいであろうが、合流を遅らせることは確実だ。

 そのため、敵を押し止めるのは、こちらの橋ルートの方が難しいというのが近衛部隊と軍中核の判断であった。


 反政府軍は、橋のすぐ側を中心として、岸辺に広く部隊を展開している。空中戦力に即応するための布陣なのだろう。そこまでは予想通りだ。

 一方、彼らを迎え撃つ近衛部隊は、まず空中戦力が川の上空で広く展開。橋から少し離れたところには、数名の地上部隊が配され、さらに距離をとって百人ほどの兵の集団。橋のすぐそばには、現場を任されたウィンがいる。

 そして、橋の中央辺りには、水のゴーレムが数列に渡って整列している。リムの手で操作される彼らは、あらかじめ橋に掛けておいた、斜めの梯子を渡って橋に上がっていた。この梯子は、一度川に落ちた人間が使うことは想定しておらず、川から生じたゴーレムを戦場に揚げるための用意である。


 見慣れない兵が橋の中央を陣取っていることに、反政府軍の兵は戸惑っているようであった。今の所、動き出そうという様子はない。そこで、ウィンは笛を吹いて空戦部隊に命令を出した。

 よほどのことがない限り、初動は一つに定めてあった。ウィンからの合図を受け、空戦部隊が一斉に飛び立つ。

 そして、彼らが対岸の空に到達すると、当然のように対空砲火が飛び交った。しかし、高度は十分にとってあり、撃墜されるようなことはない。

 それに、用件はすぐに済むことだった。かれら空戦部隊は、手荷物を無造作に放り投げ、すぐに自陣へ帰還した。

 彼らが敵陣に放り込んだのは、ロープだった。それも、かなり長い。細めではあるが、強度もしっかりしている。それが何を意味するか、反政府軍の兵の多くは察しかねたものの、結局は無視して再び対岸に向き直った。


 そして、状況がまた動き始めた。反政府軍の兵が前進を始め、橋に立ち入る。それに合わせ、岸辺を埋める魔法使いたちが、魔力の火砲マナカノンを放った。衝撃が橋に伝わったときのことを考慮したのだろう。狙いはやや上に集中しており、上に逸れて飛んでいくだけの砲弾も少なくない。

 しかし、放たれた砲弾の数は尋常ではなく、一部は水のゴーレムを捉えて直撃した。他の対象物とは異なり衝撃音は小さく、意外なほど静かに水とマナが爆ぜて飛び散る。

 人間の原型を留めなくなったゴーレムは、そのままの姿で屹立している。素材となる水を、直接地面から吸い上げられるわけではない。そのため、一度水場に戻らなければ、再生することができない。

 それでもなお立ちふさがる水のゴーレムは、上半身を失ったままの者もいれば、首だけがないもの、上肢の右だけをえぐり取られた者など様々だ。その異形に近づくにつれ、兵たちの顔には嫌悪と恐怖の色が入り交じる。


 やがて、ゴーレムと兵が剣の間合いに入った。一列になった兵が剣を構え、振り下ろす。

 しかし、効果はなかった。核になる魔道具がないゴーレムは、構成する素材を完全に分断しなければ断ち切れない。水の場合、剣が通り抜けるその端から再生が始まる。そのため、末端を削ぐように切り飛ばしていくぐらいしか、有効な攻撃方法がない。

 さして効果が上がらない剣撃をやめ、前列の兵は一度退いた。そして、彼ら自身の手で火砲カノンが放たれる。

 ある程度距離を詰め、正面から撃っただけはあって、狙いは正確だった。橋に損傷を与えることなく、水のゴーレムだけが無残にも飛び散り――撃った彼らに、返り血のように、水が飛ぶ。凍てつく冷たさの水は、それだけで武器になるほど凶悪だ。露出した肌に水があたった兵が、苦痛で顔をしかめる。


 しかし、彼らの攻撃で道は開けた。第一陣のゴーレムが水へと還り、その向こうに第二陣が待ち構えている。「前進」という、前列の兵長の声で、彼らは前へと歩を進めた。

 そうして、かつての第一陣と第二陣の中程に彼らが差し掛かったところで、空中で状況をうかがっていたサニーは声を出した。


「リムさん、今です!」

「は、はい!」


 わずかばかりの逡巡を見せながらも、リムは声に応えた。川の中で生成したゴーレムたちが、水中から身を起こす。そして、橋に掛けた梯子伝いに登っていって、かつての第一陣の位置に立つ。

 橋の中程に立った兵は、完全に挟撃される形となった。そして、彼らの前後に立つゴーレムが、少しずつ距離を詰めていく。

 そこで、この挟撃の意図を察した兵長が、鋭く声を上げた。「火砲!」という掛け声で、橋の上の兵が斉射を行う。

 しかし、上空で待機していた空戦部隊からのボルトの雨で、砲弾は全てマナの爆風となって消えた。その霞の向こうから、水のゴーレムが徐々に攻め寄ってくる。

 接近戦になってからの火砲では、彼ら自身に冷水がかかる形となる。距離が縮まれば、鎧や服で防ぎきれないだろう。間から入り込み、浸透する冬の冷水が戦意を切り刻むことになる。

 そして、挟撃になれば、後ろからの援護も期待できない。この距離感で精密なコントロールは難しく、誤射の危険性は極めて高い。

 前方でにじりよるゴーレムから視線をそらすように、橋の上の兵は川を一瞥した。空歩エアロステップを使えば逃げられるのでは……。そんな一縷の望みを断つかのように、上空から川に矢の雨が降り注いだ。その先には、ゴーレムの頭が波間に見え隠れする。

 もはや進退窮まった。ただ剣を構え、戦意を維持することしかできなくなった彼らの前に、水のゴーレムが整列する。


 そして、近衛部隊で唯一橋に立つウィンは、自らその引き金を引いた。彼が放った火砲は、橋の上を一直線に飛んでいき、水の防壁を爆ぜて砕いた。

 次の瞬間、悲痛な叫びが戦場に響き渡る。多くの兵はその場で倒れ伏し、剣を取り落し、動けなくなった。

 それを見て、ウィンはハンドサインと笛で合図をした。すると、兵の眼前に残っていたゴーレムが完全に消失し、ウィンと兵の間を阻むものが居なくなる。


 次いで、彼は兵に向かって歩き出した。剣を構えることもなく、その様は、傍から見れば無防備でもあった。さすがに、それに応じない手はなく、対岸から矢が飛来する。が、距離があって対処は容易であった。各種防御魔法を用いて軽くいなす。

 さらに歩くと、攻撃の手は止んだ。誤射の危険があるからだろう。それは、ウィンにとっては重要な情報だった。少なくとも、彼らを犠牲にしてまで俺の首を取ろうって考えはない。状況が進めばそういう考えも変わるだろうが、今は穏やかで、理性的だ。それは、ウィンにとっては好都合なことだった。


 やがて、彼は兵たちの前で立ち止まった。一部は橋の柵に捕まりながらも立ち上がり、震えながらも剣を構えている。一部は、倒れ伏しながらも手を構え、魔法を撃とうとしている。戦意は、まだ消えていない。

 しかし……構えられた剣に対し、ウィンは横薙ぎに払った。すると、相手の手から剣が抜け、川へと飛び込んでいく。

 続いて、魔法を構える兵の眼前に、ウィンは魔力の矢マナボルトを放った。当てるつもりはない、単なる威嚇だ。その後、彼は「やってみろ」と言わんばかりの手振りで、反撃を促す。

 挑発された兵は、怒りで顔を歪ませながらも魔法を撃とうとした。しかし、指が言うことを聞かず、魔法陣を描くことができない。やがて、顔に浮かんだ怒りは、諦めに取って代わられた。

 彼らは、反撃もままならないと悟った。ただ、目の前の青年の処断を受け入れるしか無いと。すると、ウィンは腰の後ろに差していた物を、彼らに見えるように右手で持った。手桶だ。

 続いて彼は、その手桶を視導術キネサイトで川に下ろし、水を汲み上げた。川から手桶が引き上げられると、波々と汲まれた水が橋に落ちてわずかに飛沫が飛ぶ。その程度の水にも、今や兵たちの一部は恐怖を覚えた。

 そして、視導術で動かした手桶を今度は右手で取り直し、ウィンは言い放った。


「武器を捨てて降服しろ。俺たちが負けたら向こうに戻してやる。それが嫌なら、寒さで溺れ死ね」


 それは、間違っても戦士として誇らしい死に様ではなかった。やがて、兵長は彼の申し出を受諾した。


「着替えや火の用意はあるから、そこは安心しろ。温々ぬくぬくしながら、観戦でもするんだな」

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