第358話 「峡谷の戦い①」
2月6日明け方。クリーガとスーフォン間にある峡谷に、反政府軍の兵が進行を開始した。
この峡谷は、地面が荒れており、大小様々な岩と石が混ざり合っている。そのため、足元に気をつけなければ厄介な難所だ。その一方で距離はさほどでもなく、半日もあれば抜けられるだろう。
しかし、それは何もなければの話だ。
動き始めて一時間も経たないうちに、彼らは前方に立ちふさがる人影を見た。そして空にも。ホウキにまたがった政府軍の手先が、進行を阻もうと待ち構えている。
互いの位置関係から考えると、政府軍の方が先に動いて待ち構えていたのは疑いようもない。その理解に達して、反政府軍の指揮官は顔を苦々しく歪めた。偵察において、相手方に優位があるのは元から認めていることだ。しかし、実際にこうして相対すると、相手の方が上手を取っているような錯覚に陥りそうになる。
指揮官は、そんな疑念を振り払うように、わずかに首を振った。見たところ、待ち構えていた人数は100もいかない。戦力差は百倍ほどもあるだろう。それで、何を恐れようというのか。
兵に弱気が伝わらぬよう、指揮官は高らかに告げた。「射撃準備!」の一声で、配下の兵が弓矢を番えて空に構える。
そして、「放て!」という号令で、空を埋めるような矢の嵐が放たれた。
白兵戦の前に、こうして実体がある矢を放つのには、いくつか理由がある。兵数差がある場合、それを一番うまく活用できるのは、曲線軌道で射撃できる弓矢だ。しかし、白兵戦が始まってからでは誤射の恐れがつきまとう。そのため、接近前の一手として斉射を行ったわけだ。
とはいえ、このタイミングで撃たれることは、政府軍も当然把握している。空に向かって放たれた矢は、ホウキの高度にまでは届くこともなく、地上部隊に対しても有効な攻撃とはならなかった。
こうして凌がれた斉射は、儀礼的な側面もあった――むしろ、そちらの方が大きいかもしれない。大軍の利を活かす矢の圧力に押され撤退するようであれば、それが一番だ。今なお、人間相手に剣を向けることに、疑念を持つ兵は多い。
ある意味では、祈りを込めて放たれた矢は、しかし相手の心には届かなかった。攻撃にも威嚇にもならず、無為に終わった斉射の後、指揮官は落ち着いた口調で「前進」と命令を出した。
命令を受け、前列の兵がじりじりと接近していく。その間、申し訳程度に援護の矢が飛ぶが、それも有効打にはならなかった。
結局は、白兵戦で切り結ばなければならない――そう指揮官が考えたとき、部隊の最前列で異常が発生した。困惑に満ちた大声が、状況を知らせる。
「じ、地面から、何か出てきます!」
☆
近衛部隊が交戦地点に選んだ場所は、いくつかの好条件があった。
まず、
また、素材にならないような大きい岩も、それ自体が障害物になるため、相手の前進を阻むという目的には有益だった。
それに加え、気候条件も”伏兵作戦”には効果的に働いた。表面だけが雪に覆われた岩場は、ゴーレムの兵団の核を秘匿するのに適しているからだ。
そうした諸々の条件があって、突如として現れた小石のゴーレムに、反政府軍は一瞬大きく動揺を見せた。
しかし、それもほんのわずかな間だった。指揮官の鋭い声で前列の兵は我に返り、ゴーレムの戦列から距離を取ろうとする。足を取られかねない岩場にあって、その上には雪も重なっている。下手をすれば、惨事は避けられないだろう。そんな中、兵は慎重に距離を取っていった。
それに対し、ゴーレムは動かなかった。もともと、接近する相手に対してしか反応しないという特性がある。そのうえ、この足場では、満足に接近できるかも怪しい。
しかし、この現場を預かるハリーにとって、これらのゴーレムは再生する壁でしかなかった。前列にゴーレムの防壁を立て、彼含む地上部隊は防壁を抜けようという敵への対処と全体への指揮、ホウキの空戦部隊は威嚇射撃。それが近衛部隊側の基本戦術だ。
じわじわと反政府軍の兵が退いていき、10メートルほどの距離ができただろうか。すると、ハリーの耳に向こうの号令が届いた。
「前列は防御の構え! 中列より
その声で、反政府軍前列の兵は各々の色で
一方、ハリーも黙って見ているわけではない。彼は大声ではあるが、あくまで落ち着いた口調で命令を飛ばした。
「地上班は
命令に合わせ、地上部隊は各自空歩で地上からわずかに距離を取った。火砲の着弾による衝撃や、飛散する小石から身を守るためだ。
そして、放たれる火砲の斉射に対し、空からも
しかし、全ての火砲を相殺できたわけではない。マナと雪が入り交じる噴煙の中、無事だった砲弾が飛来し、小石のゴーレムに直撃。その後、激しい音とともに上半身が消し飛んだ。それまで身体を構成していた小石が砕かれ、辺り一面に飛散する。
これが人間相手の攻撃だったら……そんな考えがハリーの脳裏に去来した。
そしてそれは、向こう側も同様の思いを抱いているように感じられた。第一波に続く攻撃が来ない。着弾時の轟音の後には奇妙なほどの沈黙が続き、小石が峡谷の壁に当たる些細な音だけが木霊する。
ただ、相手指揮官は様子を見ていただけのようだ。上半身を失ったゴーレムが、たちまち再生していくのを見て、彼は叫んだ。
「第2射用意!」
その後、すぐに第2波の火砲が放たれ、それに号令が続く。
「全軍前進!」
火砲を撃ち続けるだけではラチが開かないと判断したのだろう。それは正しい。
ハリーらがこの場所を交戦地点に選んだのは、小石の他に岩もかなり存在しているからだ。その岩が火砲で砕かれても、結局はゴーレムを構成する格好の材料になる。最初から小石ばかりでは、砕かれ続けると持たないが、岩が交じることで持久戦に耐えられるようになる。
そういった意図に気づいたかどうか定かではないが、相手指揮官は斉射の後に接近戦を行う道を選んだ。ゴーレムだけで押し止められればいいが、そうでない場合は……ほんの少しの間瞑目し、ハリーは剣を抜いた。
やがて、第2波の火砲と
第2波で上肢が半壊したゴーレムに対し、兵の一人が剣を振り下ろす。しかし、小石同士の結束を一時的に解くだけで、彼の斬撃にも関わらずゴーレムは徐々に姿を取り戻していく。
「クソッ、こんなの……クソが!」今や完全にぶつかりあった前列のそこかしこで、剣戟の音とともに叫び声が上がった。そこには、悲痛とも言える響きがある。
動作の方を切り捨てただけはあり、再生に特化したゴーレムの性能は十分なものだった。今の所、抜けられる心配はない。感情のゆらぎをにじませる叫びとともに、徒労となる攻撃を幾度も繰り出す相手に兵に対し、ハリーは安堵と同情の両方を感じた。
そんな一方的な白兵戦が始まって数分、兵の一人が剣を取り落とした。彼は慌てて拾い直し、それまで切りつけていたゴーレムに対して構え直す。
しかし、揺れ続けて定まらない切っ先を見て、少しずつ彼の表情が悲哀に歪み始める。息は荒くなる一方だ。そんな、「斬れない」状態がいくらか続き、それは徐々に伝播していった。小石に打ち付ける剣の音の間隔が、少しずつ開いていく。
すると、後方から「何をしている!」という叱責が飛んだ。その声の少し後に、弓矢での援護が続く。
矢は、ゴーレムを狙ったものではなく、それよりも先の地上部隊と空戦部隊を狙ったものだった。しかし、防御と回避に専念している相手には有効打にならない。
それでも、矢は後ろから飛び続けた。見上げた空を飛び続ける矢の流れを見て、前列の兵は再び剣を構え直し、多くは血の滲むような大声で叫んだ。
飛来する矢の嵐をいなしながら、ハリーは前線の兵に視線を向けた。どういう思いで立っているのかはわからない。しかし、戦意を削ぐことはできているように思われた。
だが、問題は敵の指揮官だ。彼は何も諦めていない。この無益とも思える射撃も、前列の兵の尻を叩くような行為に感じられる。
防戦一方で、ただ相手の徒労感だけを高めていく近衛部隊。それに対し、徒労に終わる斬撃と射撃を繰り返し続ける反政府軍。そんな膠着状態がいくらか続いて、空戦部隊のラウルがハリーに叫んだ。
「何か動きがあるぞ、指揮官から伝令が走ってる」
「伝令? 援軍か?」
「いや、隊列の中ほどだ。魔法使いの部隊だと思うんだが」
すると、相手指揮官は号令を飛ばした。
「火砲用意!」
その声に、近衛部隊の隊員の多くは耳を疑った。自軍の兵が戦っている只中に、火砲を放つというのだろうか? そうではなくて、空に撃つのだとしても、ホウキの機動力ならば回避はわけがない。
号令の後、隊列中ほどの魔法使い部隊に動きがあった。魔法陣の構えは上方を向いている。少なくとも、自軍の兵を狙ったものではない。
しかし、ラウルの目には、狙いが左右に散っているように映った。つまり、峡谷の両側を狙うように――。
その意図を察して、彼は叫んだ。
「おいやめろバカ! あいつら峡谷そのものを撃つつもりだぜ!」
「ッ! 地上部隊は空歩で地上から距離を! 空戦部隊はフォローに!」
ラウルに続き、ハリーが指示を飛ばしたその時、火砲の群れが放たれた。
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