第357話 「意味を求めて」

 2月6日夜明け前。俺は軍本隊の陣地へと呼ばれた。敵軍に動きがあったからだ。


 今日の未明、橋ルートを通る敵軍が進発し、このままでは昼前にも橋を渡り切るだろうという報が入った。それを阻止するため、ウィン率いる橋側の部隊は迎撃に向かっている。

 一方、峡谷側も橋側に合わせるように進行を開始したとの報があった。こちらに対しては、ハリー率いる部隊が向かっている。


 そして、こちらの本軍からも兵が動く。目的は、殿下の降伏勧告に合わせた、敵陣包囲だ。兵数差があるため、交戦に持ち込もうという考えはなく、あくまで敵軍をその場にとどめさせるための威圧にすぎない。

 もっとも、兵力差は相手も認識していることだ。釣り出された敵部隊と、包囲している部隊が戦闘になる可能性は否定できない。殿下が動かれれば、相手は様子見で抑えるだろうという見込みだけど、結局は出たとこ勝負だ。

 予測がつかない部分が大きいのは、仕方がない。人間同士の戦という、この世界の"広く知られた"歴史の上では初めての状況にあって、しかも相手は正規兵よりも非正規の兵が多い。つまり、両軍ともに、未曽有の事態に両足を突っ込んでいるわけだから。


 今振っている雪は、どうやら昨夜の早い段階から続いているようだ。平原に生える背丈の低い草がどうにか顔を出す程度に、雪が地にうっすらと敷かれている。

 寒さで固くなった草と雪を踏む、少し小気味よい音を立てながら、俺は軍の陣地を歩いた。

 陣地では、すれ違うのに不自由しない程度の間隔で、整然とテントが並んでいる。その中央には、とりわけ広いスペースがあって、今は兵の方々が整列している。

 ささやかに雪が降る中、直立不動で訓示を待つ彼らの間には、静かな緊張感が満ちている。もう、いつ本格的な戦闘が始まってもおかしくはない。この場の誰もが、そう認識し、その覚悟を胸に秘めているのだろう。


 そんな列を、俺は前へ歩いていった。ときおり、居並ぶ兵の方と視線が合い、勇ましくも親しみのある顔で敬礼される。

 俺たちの作戦の詳細は、兵の方々に知られていない。しかし、近衛部隊というものの存在は知られている。特に俺なんかは実質的な実働部隊長扱いということで、広くツラが割れている。

 そこへ来て、今日は殿下が降伏勧告に向かわれる。その護衛に俺がつくのも当然の話で……兵のみなさんから敬意と憧憬に満ちた視線を向けられるのも、無理のないことだった。それにふさわしい、軍の制服みたいなのも着ているし。


 殿下は、あと数時間もすれば、相手に向かって降伏勧告を下される――しかし、その中身は、ここに集う方々が想像するようなものじゃない。

 その勧告における、前段の準備や実際の動きは、この中でもごく一部しか知らない情報だ。その作戦の一番重要な部分で、俺が引き金を引く。

 身に負ったものの大きさを思うと、どうかなりそうだった。負けじと体の内側から燃える力が、全身を駆け巡る。こんな寒い真冬の夜明け前だというのに、体は火照ってうっすらと汗をかくようだ。

 歩いていって最前列に着くと、背に視線を感じた。良い感情を向けられているのはわかる。それに、志を同じくする仲間もいる。それでも……身に帯びた任務が、俺に孤独を感じさせた。


 そうして俺も列に加わって少しすると、中央の演台に将軍閣下と殿下が登壇された。

 口を開かれたのは閣下だ。腹の底から響くような立派な大音声おんじょうで、俺たちに向けて話された。


「諸君も知っての通り、殿下は本日、敵方へと降伏勧告に向かわれる。しかし、その御慈悲が、者どもの心に届くことは、おそらくないだろう」


 将軍閣下は、堂々たる態度で、悪いケースについて触れられた。相手に聞き入れられないということは、つまり、戦わなければならないということだ。

 この場の誰も彼も、その覚悟はある。相手に殺される覚悟も、かつて同じ国に属していた人間を斬る覚悟も。

 閣下が言葉を切られてから、場はしんと静まり返った。冷たい悲壮感のようなものが、場を支配するようだった。しかし、そんな空気を跳ね飛ばすかのように、閣下は火を吐くような弁舌を奮われる。


「連中の方が数は多い! それはそうだ! なにしろ、それまで剣を握ったこともないような連中まで、変革などという言葉で酔わせて駆り立てているのだからな! しかし、戦を知らぬ者どもの、見せかけばかりの勇気など、物の数ではない! 真の忠勇は諸君らにこそあるぞ!」


 閣下の演説がひと段落すると、それまでいわおのようだった兵の塊から、熱気を伴う怒号がほとばしる。それを背中に受けて、俺はびっくりしてしまった。

 すると、そんな俺に気づかれたのか、閣下はニカッと笑われた。それから、いい笑顔そのままに言葉を続けられた。


「諸君! 大変に面倒ではあるが、彼らは可能な限り殺さぬようにな! なにせ、春が来れば、また殿下の臣民の座に収まるのだからな! ならば、新たな臣民に対し、官軍たる我らは教育してやろうではないか! その無知の代償は、死ではない、恥だとな!」



「将軍がいてよかったよ」と、殿下はつぶやくように言われた。「演説を任しておけるからね」


 今俺は、殿下とともに向こうの陣地へ近づいているところだ。それも、徒歩で。なるべくマナを温存したいという意図もあるけど、他にも思うところがあったようで、殿下に「歩いて行こう」と提案された。

「殿下からは宜しかったのですか?」と尋ねると、殿下はどこか寂しそうな表情で首を横に振られた。


「終わってからねぎらうよ。でも、戦う前に士気を高揚させるのは……情けない話だけど、ちょっと難しいんだ」


 場数や経験の問題……ってだけでもないだろう。将軍と殿下の違いと言えば、大きいのが血筋であり、そこから来るお立場であり……民に対する引け目、負い目のようなものだろう。

 殿下お一人で抱え込むようなことじゃないと思う。しかし、前にもそんな事を言った記憶はある。それに、自分のことを思うと、とてもじゃないけど、人に偉そうに言えたもんじゃない。結局、殿下に対して何も言えなくなってしまった。


 二人で静かに、一面真っ白な平原を進んでいく。空は塗り込めたような、重く鈍い色をしている。

 実を言うと、天気は晴れていた方が良かった。相手の上をとって、殿下御自ら降伏勧告をなされる。その時に日を背負う格好になれば、威圧効果があるだろうからだ。

 というのも、王侯のマナである赤色は炎の色で、そこから王族と太陽が結び付けられることは多い。それに、向こうは農耕民が、すきを剣に替えて戦列に加わっている。その心理には、向こう側に赤いマナの持ち主が君臨したことが、きっと強く影響しているだろう。

 俺たちの場合、天気は味方しなかった。敵ってわけでもないだろうけど、吹きすさぶ、つれない感じの風に冷たくされて、少し嫌になってくる。


 そのまま、俺たちはしばらく歩き続けた。距離はまだまだ全然ある。軍による包囲も進んでいない。別に、陣地で待機してから出撃したって、大きな問題はない。それでも、俺たちは無言で歩いている。

 その静寂がどうにも気になって、結局俺の方から口を挟む。


「何か、お話でもあるのですか?」

「……まあね。言い出しづらい話なんだけど」


 答えられた殿下のお声は、どこか暗い感じがある。決戦前にこれだから、決していい話ではないだろう。それ以上話しかけるのもはばかられ、俺は固唾を呑んで続きを待った。

 すると、不意に殿下が話しかけてこられた。


「私の来歴について、どこまで知ってる?」

「……世間一般で知られる程度には」

「そっか」


 殿下の生い立ちは……一言で言えば悲惨だ。ご出生の折に王妃が亡くなられ、そのことで陛下はこもりがちになられた。また、年の離れた兄上であらせられた、前王太子クレストラ殿下からの覚えは、決して良いものではなかったという。

 そうして宮中で不穏な空気が流れると、近臣の中でも派閥闘争が始まりかけた。そこで、殿下が政争に巻き込まれないようにと、友好国であるアル・シャーディーン王国に預けられることに。

 しかし、前王太子殿下の戦死で、また状況が変わった。友好国から呼び戻され、最前線へ送られて錦の御旗代わりに。

 ただ、そこで頭角を表され、名目ばかりでない最前線の主となられ……そこで数年務められてから王都に呼び戻され、色々あって……今こちらにおられる。


 世間で知られた来歴は、そこまでだ。しかし、俺はそれとは別の、知られざる歴史も知っている。アーチェさんからもたらされた、この世に貴族階級ができあがるまでの話だ。

 殿下ご自身の生い立ち、それに加え、かつての王侯がこの世に為した所業、その両方を鑑みると……とても常人の精神で耐えられるものではないと思う。

 何も言えなくなった俺に、殿下は寂しそうな笑みを浮かべられた。


「私が生まれたとき、呪われた子と思われていたようだ。宮中で、そんな声が飛び交ったとか。今でも、自分が生きていていい人間なのかどうか、真剣に悩むことがある。今も、そうなんだ。私たちに流れる血のせいで、国がこんな事になってしまっている」

「私は……それでも、殿下はこの国に欠くべからざるお方だと思いますが」

「君はそう言うだろうね。でも、それを言うなら、向こうにとっての兄もそうなのではないかな」


 こういうときにも、冷徹な視線で客観視なされる。その思慮深さを、俺は逆に呪わしく思った。

 しかし、思わず暗い顔になった俺に対し、殿下は顔の力を抜いて仰った。


「別に、死にたいわけじゃないんだ。むしろ、逆なのかもしれない」

「逆?」

「少し表現が難しいんだけどね……」


 そこで目を閉じ、歩きながら考え込まれた殿下は、普段のようなお顔に戻られた。強い意志の光を湛えた目で、俺に視線を向けられる。


「私は、自分がこの世にあることの意味を確かめたいんだ。そして、その解は、意を尽くし、命を賭さなければたどり着けないとも思う。だから、ここにいるんだ」


 少なくとも、“罪滅ぼし”みたいな理由で、軍に先立ち降伏勧告に向かっているわけじゃない。そう感じて、内心すごく安心した。自分一人死んで事が収まれば……そうお考えになられても、責めようがないと思っていたからだ。


 殿下のお言葉はそこまでだった。また話が途切れ、草と雪を踏む音だけになる。

 しかし、何か言うべきだとは思った。きっと、今の話は俺だけにしかしてないだろうから。そうじゃなくても、相談相手に選ばれた信頼に応えたい。


「殿下」

「何かな」

「生きる意味ってのは、長く生きれば、また変わるものではないですか?」

「そうかもしれないね……ああ、私に長く生きろって?」

「ええまぁ……こういうとアレですが、俺は殿下にそこそこ貸しを作ってますし、返していただく前に先立たれては……」


 俺がそんな不躾なことを言うと、殿下は真顔で固まってから、軽く吹き出し笑いをなされた。


「君も中々言うね。私としては、借りを返す前に、君がどうにかなるんじゃないかと心配なんだけど」

「……まぁ、そうですね。そこは気をつけます」


 それからまた、俺たちは進んでいった。前方の雪景色の上には、石造りの小さなブロックが積み上げられている。


 距離はまだある。それでも、確実に近づいている。

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