第350話 「二度目の新年④」
エスターさんの店を出て、俺は深呼吸をした。次のが本番だ。今から心臓の高鳴りを感じつつ、俺は孤児院へ足を向けた。
道中、自然と家族連れに目が止まってしまう。視界に入って目で追って、本当の家族やあの子たちのこと、そしてこれから戦うことになる人々のことを思った。言葉にならない感情が渦巻いて、頭の中がまとまらない。
それでも、どうにか前に進んで、俺は孤児院の前についた。言わないわけには、いかないだろう。それが、あの子たちに対する誠意だと思う。何も言わずにいなくなるのは……。
覚悟を決めて敷地に入ると、すでに先生方がやってきていた。もしかすると、かつてないほど賑やかかもしれない。
ただ……よく見ると、先生じゃない冒険者連中もいる。去年、闘技場で砂の
先生以外で言うと、卒業生の子も勢揃いしていた。すでに何かしら仕事をしているからか、久しぶりに見ると大人びている。俺がやってきたのに気づくと、卒業生の子たちは、かなり礼儀正しく頭を下げてきた。
で……みんなすごく楽しそうにしている。重い話題をふっかけるのを
とりあえず、俺はラウルをとっ捕まえて、話をしたか聞いてみた。
「いや、まだ……そのつもりで来たんだけどさ、ちょっと言える空気じゃないって」
「まぁ、そうだよな」
そこで、まずは院長先生に相談しようということになった。俺にまとわりつく子たちに一言謝って、俺たちは院長先生に声をかけに言った。
「内密の話が」と話しかけると、院長先生は柔和な表情そのままで何秒か沈黙した後、「中へ」とだけ言った。
それから三人で部屋に入り、俺とラウルは院長先生に事情を説明した。近日中には軍に合わせて出動する旨を。
説明の後、院長先生は静かに瞑目した。その表情には、達観のような感じがある。
「事情はわかりました。それで……あの子たちには?」
「言うべきだとは思いますが、今はそういう空気じゃないなと」
「では、ずっとそのままにさせましょう。そうすれば、あなた方は王都から出られないのではないですか?」
「それは……」
「冗談ですよ」
冗談という院長先生の口調は、妙に落ち着いている。それから、院長先生は物悲しそうな目で俺たちを見つめ、言った。
「私には、あの子たちの気持ちがわかりません。ただ、寄り添い、思いやり、想像することしか、私にはできません。今の話を、あの子たちがどう受け止めるか……結局は、話してみないとわかりません」
「……わかりました、帰る前に話します。ラウルも、それでいいよな」
「ああ」
「万一のことがあれば、私が嘘をついてごまかしてもいいんですよ?」
「俺たちのことで、院長先生に嘘をつかせたくはないです」
俺がそう返すと、院長先生は顔を伏せ、小さな声で「ありがとう」と言った。
一応、腹は決まった。夕方、帰るときに打ち明ける。それであの子たちが離してくれなければ、その時はその時だ。意を尽くして説得するしかない。
話がまとまり部屋を出て、みんながいる外に向かうと、なんだか少し騒がしい。妙に嫌な予感がして、少し早足になる。
そうして外に出ると、門のところにラックスがいた。本当に、嫌な予感がする。どうにか、表面上は平静を取り繕って、俺たちは彼女に近づいた。そして、言葉を選びながら話しかける。
「何かあった?」
「……うん」
「いつになりそう?」
「私たちは、明日の午後」
それだけ言って、彼女は口を閉ざした。しかし、それから顔の力を抜いて、彼女はしゃがんで近くの子の頬に手を伸ばした。
「カワイイね。私ほどじゃないけど」
「はぁ?」
「冗談。私も混ざっていいかな?」
頬を撫でられている子は、彼女の提案に嬉しそうな笑みを返した。しかし、聞いておくべきことはある。
「この後は大丈夫?」
「うん。連絡はここが最後だったし、準備は色々済んでるからね」
「そっか」
それで、彼女も交えて、みんなで遊んだりお話したりすることになった。いつになく口数が少ない彼女も、きちんと楽しそうではあった。
しかし、楽しい時間は過ぎるのが早い。あっという間に日が沈んで暗くなり、お別れの時間がやってきた。
ここからが、今日の山場だ。一通りの、普通の挨拶が済んだ後、俺とラウルはみんなに向き合って告げた。
「近いうちに兵隊さんが戦場に行くけど、先生たちもそれに着いていくから……ってちょっと! ちゃんと帰るから、心配しないように!」
言い終わらないうちに、みんなまとわりついてきて大変なことになった。ラウルもかなり困惑している。他の先生方は、どこか悲しそうな視線を向けてきた。院長先生は……表情に悲哀の影が差しているけど、俺たちを見つめる視線に、力強さがあった。俺たちの手でどうにかしろってことだろう。あるいは、この子たち自身に折り合いをつけさせたいのかもしれない。
身動きするのにも苦労しつつ、俺はどうにか腰を落とし、子どもたちの目線に立つことができた。近くで目を合わせると、こっちも泣きそうになる。それでも、俺は言った。
「大丈夫。俺もラウル先生も、ヤバいくらいしぶといからさ」
「ああ、リッツは特にな~。
明るい口調でそう言ってやっても、やっぱり離してくれない。そんな中、今にも泣き出しそうな年長者の子が言った。
「どうして、行っちゃうんですか?」
「……このまま放っておくと、大勢死んじゃうからだよ」
そう答えると、俺の胸中に暗い考えが湧いてきた。
この戦いの顛末がどうなろうと、多かれ少なかれ、孤児は生まれてしまうだろう。そのことを、この子たちはどう思うだろう? “お友だち”が増えることを、この子たちは喜ぶだろうか?
わからなかった。聞けるはずもない。自身の慰めのために、他の誰かの不幸を肯定するような、そういう子でいてほしくはない。でも、それを強制できるわけがない。
結局のところ、俺たちにできるのは、正しくあろうとすることだけだ。今は納得されなくても、いつかわかってくれれば、それでいい。できる限り腕を伸ばし、近くの子たちを抱き寄せて、俺は言った。
「わがままな先生でごめん。絶対に帰るなんて約束もできない。それでも、頑張って帰ってみせるから」
☆
最終的に、年長者の中でもしっかりした子と、他の先生の助けもあって、俺は解放された。それでも、みんな納得いっていない様子だったし、泣き声は止むことがなかった。
泣く声を背に受けて、俺たちは街路を歩いた。他の先生方は、かなり沈鬱な表情をしている。同業者だけにこういう事態には理解があるものの、やっぱり色々と思うところはあるのだろう。
俺たちは無言で歩いた。それぞれが別の道を行くときに、ほんの少し言葉を交わし、バラバラになっていく。もの寂しい街路に長く伸びる影が、どうも陰鬱でならなかった。
やがて、俺とアイリスさんだけになった。二人で王都の南門へ歩く。特に言葉を交わさずとも、俺がお屋敷へ行くつもりなのは察してもらえているようだ。そのこと自体は助かるけど、今はこの沈黙が苦しい。
「明日発ちます」と短く告げると、彼女は俺に少し呆けたような顔を向け「知ってます」と返した。
また居心地の悪い沈黙に逆戻りし、それから少し歩いて、アイリスさんが小さくつぶやくように話しかけてくる。
「ごめんなさい」
「何かありました?」
「いえ……さっきの態度は、あまりに冷たかったと」
「そう気になりませんでしたけど……」
「そうですか……すみません、変なことを言って。私も、気持ちが落ち着かないんです」
そう言って彼女はうつむき加減になった。
彼女は、軍が王都を発ってもこちらに残る。一時的に王都の守りが手薄になるから、そのための守備戦力であり、人心の慰撫のためでもある。
彼女がそういう役割を担うのは、俺の目論見通りではある。しかし、彼女は納得しているように見える一方で、色々と思い悩んでいるようだ。
そんな様子を見るのがどうもツラくなって、俺はほんの少し軽い調子で話しかける。
「大丈夫ですよ、あの子たちにはああ言いましたけど……ちゃんと帰りますから。とんでもないところに飛ばされても、戻ってきたじゃないですか」
「あのときは……だいぶかかりましたけどね。本当に、大変だったんですよ?」
俺の発言に対し、どこか噛み付くような口調で、彼女は責めてきた。思わず「すみません」と口走ってしまうと、彼女もハッとして口に手を当て、「ごめんなさい」と返してくる。
どうにも噛み合わないというか……もう少しマシな話はできないだろうか。そう思って俺は、一つひらめいた。切り出すのは恥ずかしいけど、重苦しいのは吹っ飛ぶかもしれない。覚悟を決めて、彼女に話しかける。
「新年のお願いってわけじゃないんですけど、一ついいですか?」
「……どうぞ」
言葉を選ぶような慎重な態度で、彼女は短く返した。そして、俺の方をじっと見つめている。
「俺が帰還したら……嫌ならいいんですけどね、その……」
「何でしょうか?」
「手料理でも食べたいなって」
俺の発言に、彼女は真顔で何回か瞬きをした。それから、若干戸惑うような口調で返してくる。
「そ、そんなのでいいんですか? 戦勝祝いってことですよね?」
「そ、そういうのがいいんです。ダメですか?」
「いえ、そんな……何か希望は?」
「料理はお任せしますけど」
「……わかりました」
彼女がそう応諾すると、俺は思わずガッツポーズをした。それを見て、彼女が笑う。
「そんなに嬉しいですか?」
「そりゃもう!」
「私も……嬉しいですよ」
それから会話が途切れ、俺たちは静かにお屋敷へ歩いた。またも沈黙に逆戻りだけど、これで良かった。
☆
お屋敷に着くと、俺たちは手早く種植えを済ませた。
奥様には、いい時間だし一緒に夕食をとって、泊まっていけばと提案された。そのお言葉自体はとてもありがたかったけど、宿のみなさんに明日発つという話をしていない。だから、戻って話さなければ……そう言うと、奥様は「仕方ないわね」とだけ仰った。
奥様にもマリーさんにも、明日発つという話は打ち明けた。でも、特に引き止められる感じはない。「ままあることですから」というのはマリーさんの談だ。それでも、彼女は他に何か言いたそうではあったけど、グッとこらえていた。
一方で奥様は、とても落ち着いていらっしゃった。堂々とした態度で「貴族の妻ですもの」と仰っていて、この方には敵わないなぁ……と思わされた。
短い訪問でお
「アイリス、あなたからは何かある?」
「いえ、ここに来るまでに済ませましたし……」
「へぇ~?」
「そ、そういうのではないですよ? むしろ、言われた方ですし……」
「へぇ~~!」
奥様とマリーさんが、心底楽しそうに俺に視線を向けてくる。まるで修学旅行の夜のノリだ。今さっきの会話内容をぶちまけようものなら、今後なんと言われるか……。
顔を熱くしながら視線をそらす。すると、奥様は俺の頬をつっついて仰った。
「ま、帰ってくるなら何だっていいわ。棺に入って帰るとか、そういうのはダメよ?」
「わかってます」
「よろしい。じゃ、いってらっしゃいな」
「行ってきます」
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