第345話 「迫るその日に向かって②」

 12月26日、昼すぎ。王都からは少し遠いところにある浜辺で、俺と殿下とラックスは、静かに海を眺めていた。

 周囲には誰もいない。沖の方にも、船はまったくない。実験のためにと、人払いしていただいたからだ。


 20日に思い付いた魔法は、それからずっとかかりきりで取り組んで、どうにか形になった。それを、二人のの前で実践して見せたわけだけど……。

 やってみせてからというもの、二人は一言も話していない。見た直後は絶句していて、今では神妙な顔つきで黙考している。

 引き金を引いた俺にとっても、発揮した威力は想像以上だった。魔法が発動してからしばらくの間、体の震えが止まらなかったくらいだ。


 でも、そんな魔法も大海には、さほどのものではなかったようだ。叩きつけられた威力をしっかり受け止め、寄せては返す波のリズムに、放った魔法の痕跡が飲まれていく。

 自然というものの大きさを、改めて思い知らされた。


 浜辺に立ってから数分、無言で立ち尽くしていると、殿下が不意に口を開かれた。


「今の、ラックスはどう思う?」

「私が先ですか……」


 ほんの少し不満をにじませるような口調で彼女が答えると、殿下は苦笑いしてうなずかれた。すると、ラックスは観念したように弱気な笑みを浮かべ、静かに言った。


「私は、使えると思います。ですが……」

「問題は多いだろうね」

「……はい」


 ラックスは、俺の方を見つめてから、殿下のお言葉に応じた。


「リッツ、大丈夫?」


 普段はクールというか、さっぱりした感じの彼女も、今は心底気づかわしげな顔で俺の顔を覗き込んでくる。

 俺は目を閉じ、自分のことを確かめてから、彼女に答えた。


「大丈夫、やれる」

「そう……わかった」


 ラックスは、どこか切なそうな感じのある微笑を浮かべて答えた。続いて殿下が、ご心中の苦悩がありありと伝わるような難しいお顔で仰る。


「すまない。君に負担がかかる形になってしまうけど……この魔法を知っている者が増えるのは……」

「お考えになっていることは、理解しています」


 正直に言って、こんな魔法は公表できるようなものじゃないし、使い手を増やすことすらはばかられる。だからこそ、やってみせて相談する相手を絞ったし……実行するとなると、それは俺の役目だ。

 ただ、そんな魔法でも、魔法庁には話をつけるべきだと思った。魔法庁は全体として俺たちの取り組みを支持してくれている。その信頼に、背きたくはなかった。

 それに……隠し事ばかり増えていくことへの、漠然とした恐怖もある。

 そういった考えを表明すると、殿下は難しい表情で考え込まれた。


「……実際、彼らには伝えざるを得ないだろうね。止められたら、その時は私が説得しよう」

「お手を煩わせて申し訳ございません」

「いや、気にしなくていいんだ。そういうのも私の仕事だから」


 そう仰ってから、殿下は少しの間、何かに気づかれたのか呆けた感じの表情になられた。それから、少し意地の悪いような笑みを浮かべて仰る。


「リッツ。君に任せると、問題がいくつか片付いて、別の問題ができるね」

「……まぁ、うまく使っていただければ」

「そうだね」



 実験の後、殿下とは王城敷地前の門でお別れした。さすがに、今の俺たちは中に入るような服じゃないし、着替えで待たせるわけにもいかない。

 しかし、殿下に「少し待っててほしい」と言われた。そこで、俺とラックスは門衛の方のご厚意で、詰所で待たせていただく形になった。殿下直属の臣下みたいに見えたのかもしれない。


 そうして待つこと十数分、王城から召使いらしき方が歩いてきた。彼女は門衛の方に挨拶してから、俺たちに向き直って手紙を差し出してくる。

「殿下から、リッツ・アンダーソン様にお渡しするようにと」そう言って手渡されたのは、実際には俺宛の手紙ではなかった。

 封蝋がしてあって、見た目より少し重みのあるその手紙には、殿下の署名と宛先――フラウゼ王国魔法庁長官――の記載がある。魔法庁への釈明で困ったら、開けずにこれを渡せってことだろう。それでもダメなら、その時はご足労願う形になるか。


 手紙から視線を上にあげると、召使いらしき彼女は、緊張しつつも目を輝かせていた。

 なんというか、俺が偉い人みたいに思われている気がする。まぁ、こんな手紙を託されるくらいだから、仕方のないことかもしれないけど。

 そうやって、どこか落ち着かない気持ちを味わっている俺とは違い、ラックスは憎らしいほどに平然としていた。召使いさんから投げられる羨望のこもった熱い視線も、にこやかに受け止めているような、あるいはサラっと受け流しているような……。これが、生まれ育ちの差って奴か。


 そうして用も済んだので、門衛さんに礼を言って俺たちは詰所を退出した。すると、ラックスが話しかけてくる。


「すぐ魔法庁に向かう?」

「そのつもりだけど。あまり長く、この手紙を手元に置きたくないし……」

「そうだね」


 苦笑しながらも、彼女は同意した。しかし……。


「よければ、今からお茶でもどう?」

「今から?」

「うん」


 魔法庁へ行くのは、早い方がいいとは思っている。しかし、ちょっとお茶するぐらいなら別にいいだろう。誘ってきたのを断るのは悪い気がするし。

 俺が応諾すると、彼女は少し微笑んだ後、すたすたと歩いていった。もう店が決まっているようだ。置いていかれないよう、早足な彼女についていく。


 そうして着いたのは、密談の際にいつも使っているケーキ屋だった。「込み入った話もあるしね」とラックスは言う。

 しかし、例の密談用の席は、屋上にある。「寒くない?」と尋ねると、彼女は笑った。


「大丈夫だけど、リッツは?」

「俺も大丈夫だけど……」

「じゃ、決まりね」


 そう言って彼女は、店の中に入っていく。

 まぁ、彼女も冒険者だし、外で飲食するなんて慣れっこだ。寒空の下でケーキを食べるぐらい、どうってことなはいだろうけど……。

 店に入ると、ラックスはさっそく店員さんに屋上席を使いたい旨を申し出た。すると、店員さんはかなり困惑した顔になる。そりゃそうだ。


 冬の寒空の下、客を出すことには抵抗があったようだけど、最終的に店員さんは上に通してくれた。オーダーを取った後、彼女が去り際にいつもの流れで「ごゆっくり」と言うと、思わず3人で笑ってしまった。

 それで、オーダーしてからすぐにケーキとお茶がやってきた。客が少ないってのもあるだろうけど、気を利かせてくれたのだとも思う。お茶は熱々で、柔らかな甘みのある香りが漂ってくる。

「お茶のおかわりでしたら、すぐにお持ちします」と言って、店員さんは階下に姿を消した。まぁ、おかわりが必要になるほど話し込むことはないと思う。

 互いのカップにお茶を注ぎ、俺がチーズケーキをフォークで少し切り取ったところ、ラックスが話しかけてきた。


「今日の、アレだけど」

「ああ、アレね」

「たぶん、うまくいくと思う」


 まるで名前を言ってはいけない魔法みたいな扱いになっているけど、はれものを触るようにしながらも、彼女は有用性を認めてくれた。気休めってことはないだろう。

 そこで、そういう判断に至った理由を尋ねてみると、彼女はお茶を一服した。それから「話すと長いんだけどね」と前置きして、静かに語りだす。


 彼女によれば、鍵になるのは兵の構成だ。向こう側が通るであろうルートは3つ。北の橋と南の峡谷は、こちらが妨害すると相手も予想しているだろう。ホウキという機動戦力での工作も考えられる。

 だから、北と南に関しては、中央ルートに比べて少なめの兵数で、内容は正規兵の割合が多くなるだろうとのことだ。訓練が不十分な新兵や農兵では、おそらく要害に連れて行っても対応できない可能性が高い。

 一方、中央ルートは、山間部を縫うように長く移動するものの、標高はそこまでではなく負担は軽い。そのため、行軍の便を考えると他のルートには対応できない、非正規の兵が多くなると考えられる。


「……それで、その非正規の兵についてなんだけど、諜報部からの話では、士気は高いんだって」

「それは、あんまり良くないんじゃ?」

「いや、実戦を知らない人の士気だから。実際の兵の士気とは、意味合いがぜんぜん違うよ」


 そう言って、彼女はもう少し詳しく状況を教えてくれた。

 あちらでは、「民草が新たな王を戴き、玉座に押し上げる」という構図を鮮明にしようという動きが強い。そんな中で立ち上がった新たな兵は、場の熱狂に呑まれるか流されるかしていることがほとんどだそうだ。

 つまり、良くも悪くも、非正規の兵は周囲の状況に影響を受けやすい。彼らそれ自体が、その周囲の状況でもある。


「だから、今日あなたがしてみせたあの魔法が、きっと大きな働きをすると思う。アレを見て、それでも戦意を喪失せずに立っていられる兵がどれだけいるかわからないけど……士気が崩壊していく流れを作ることができれば……」

「そうすれば、多少は穏当にケリがつく?」

「たぶんね」


 希望的観測に基づく考察と戦術ではある。それでも、ないよりはずっといい。

 たとえそれで、向こうの大勢が心の傷を負う可能性があろうとも……人間同士の本格的な殺し合いするよりは、そのことを世の歴史に刻むよりは、ずっとマシなはずだ。


 希望はつなげたはずだけど、随分と暗い希望だ。我ながら、自分で作った魔法に、こうまで悩まされるとは思わなかった。話題が途切れ、俺は熱い茶をスプーンでクルクルかき混ぜる。

 しかし、こうも露骨に話が切れるのも、居心地が悪い。そこで、俺はラックスに尋ねた。


「あのさ、ラックスはどうして、この取り組みに?」

「私? うーん、少し長いんだけど」

「いいよ。お茶のおかわりもあるし」


 俺がそう言うと、彼女はわざとらしく手をすり合わせて寒そうにしつつ、思いの丈を語りだした。

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