第332話 「生と死の狭間で②」

 場違いなほどに楽しげな声を上げ、奴は赤紫の魔力の火砲マナカノンを構えた。奴は結構な高度を取っていて、俺たちに火砲を撃とうものなら余裕で回避できる。

 しかし、本当は誰を狙っているのか明白だ。仲間の子の「やめて!」という叫び声に、奴はバカ笑いし……無慈悲にも火砲を放った。


 その時、みんなに「俺に任せろ!」と叫んだ自分に気づいた。そして、気づいた頃には、異刻ゼノクロックで緩やかな時の流れの中にいた。雨粒の流れさえ、しっかりと視認できそうだ。そんな中、俺は右手を構えつつ思考を巡らせる。

 自分たちで手を下せないなら、奴に処理させればいい――そんな、冷静な声が聞こえた。いや、冷静なんじゃない。無気力で、無責任なだけだ。奴が自身の手駒を減らすからといって、それを容認するのなら、俺たちは何のためにここまで来たんだ? 雨に打たれながら、ホウキでかっ飛ばしてきたのは、魔人が遺体損壊するのを見届けるため? ふざけんな。


 もう、腹は決まった。俺は人の尊厳を守る。”あの人たち”をどうするか、奴には決めさせない。力及ばず、自分たちの手を汚すことになろうとも、その時までは足掻いてやる。

 物言わぬ死者の群れに、ものすごくゆっくりとしたスピードで、赤紫の砲弾が落ちてくる。あの砲弾の核を直接射抜けば、そこで爆発させられる。とはいえ、仕損じる可能性はあった。進行ルート上に光盾シールドを貼ろうにも、距離がありすぎて難しい。

 しかし、光盾を貼るのが難しいっていうのは、普通にやった場合だ。今の俺なら、普通じゃないやり方で対処できる。瞬時に必要な部品を頭の中で組み立て、俺は複雑怪奇な魔力の矢マナボルトを放った。

 砲弾には直接当たらないルートを、青緑のボルトが走っていく。その矢は、記送術によって光盾を内包した矢だ。タイミングを外すわけにはいかない。跳ね上がるような心臓の苦しさをこらえつつ、俺はその時を待った。

 そして、砲弾と矢が進む交点、地上から見ると結構高い位置で、俺は矢を解いた。すると、矢は青緑の霞へと変じ、それが新たな魔法陣へと変化していって、ついには砲弾を阻む光盾ができあがった。


 ひとまずは、これで大丈夫だ。まだ気は抜けないものの、着弾まで少しの猶予がある。俺は異刻を解いた。時の流れが戻り、強力な負荷感が押し寄せる。

 それからほんの少し後、上空で激しい炸裂音が轟いた。赤紫のマナが飛び散り、瘴気の霧が立ち込める。


 そして、そこへ向かう人影を、俺はハッキリと見た。紫電のようなマナをまとわせ、全力で階段を駆け上がるように、アイリスさんが奴の元へ走る。

 彼女の動きは、まさしく電光石火だった。俺が奴の魔法を空中で相殺し、炸裂させたその一瞬の間隙を縫って、彼女は奴に肉薄する。

 瘴気が雨に流される頃には、上空で白兵戦が展開されていた。剣と紫電の矢ライトニングボルトで攻め立てる彼女に対し、奴は剣と光盾で防戦一方になっている。

 しかし……腹立たしいことに、奴は術士としては一流のようだ。見えない足場の上で彼女と立ち会いながら、奴は手勢を動かしてみせる。兵の遺骸に、剣を振り上げさせ、一般人の遺骸へ……。

 それを見て、やはりみんな動き出した。繰り返しになると分かっていても――いや、俺が繰り返させない。みんなに聞こえるように、俺は大声で言った。


「あの人たちは、俺がどうにか食い止めてみせる! ウィン、後は頼む!」

「了解!」


 短く返した彼は、俺の分も受けもとうと前に歩み出た。そして、振り下ろされる剣を受け止めつつ、別の死者にはボルトを放って体制を崩させる。それから彼は、先往く者の手アンセストラップ――地中から這い出る泥の手で妨害する、Dランクの黄色い魔法――なども交え、確かに一人で二人分以上の働きをしてみせた。

 一方、上空では剣戟音に混じって雷音が轟く。俺たちの気持ちを代弁するかのように、嵐のような猛攻が繰り広げられている。


 ウィンのおかげで地上を、アイリスさんのおかげで空中を抑えられている今、俺はどうにかフリーで動けるようになった。

 ここからだ。俺は腰の道具入れから水たまリングポンドリングを取り出した。ここまでの道中、こっそり赤紫のマナを蓄えておいたやつだ。

 指輪を右人差し指にはめ、じっと目を凝らして操られている方々に視線をやる。すると、雨滴の流れに混ざって見えづらいものの、かすかに赤紫の線が見えた。まるで、操り人形みたいに。

 死霊術ネクロマンシーがどういう魔法なのかは、正確にはわからない。でも、奴はあの人たちを、完全なリモートでは操っていない。有線だ。後は、このマナの流れに介入して、魔法を解いてやるだけだ。

 頭の中で、「そんなことできるのか」と、冷たい声が囁いてきた。それを、今から試すところなんじゃないか。弱気と懐疑の念を無視して、俺は右手を構え、奴から伸びる操り糸に巻きつけるようにマナを伸ばした。


 しかし、干渉できた感じはない。依然として魔法の対象になっている亡骸は、ウィンを断ち切ろうと剣に力を込めている。適当に突っ込んだ赤紫のマナじゃ、相手の魔法陣に干渉して入り込めない。

 でも、まだ打つ手はある。俺は異刻と色選器カラーセレクタを展開した。相手と同じマナを今から作るのでは、俺への負荷が強すぎて功を成さないだろう。だったら、予め指輪に用意した赤紫のマナと、色選器で別のマナを混ぜ合わせていけば?

 すでに作った赤紫の絵の具に、少しずつ別の色の絵の具を溶かし込むイメージで、俺は奴が放つ軌跡にマナを伸ばしていった。試行錯誤の時間を稼ぐための異刻と色選器が合わさり、全身が絞り上げられるような感覚に襲われる。それでも、心は折れる気がしない。体の奥底から湧き上がる力が、その闘志に応えてくれる。


 やがて、その時がやってきた。遅らせた時間の流れの中、どれだけ過ぎたかわからないけど、ついに俺と奴のマナの色が完全に重なり合って――。

 その瞬間、世界からほとんどの色彩が消え失せた。白と黒と……赤紫だけが、視界を構成している。音も匂いも熱も感じられない中、モノクロの世界で煌々と輝く赤紫の光だけが、唯一絶対の力であるかのように感じられる。上天で輝く、赤紫のマナをまとうあの男が、この世の絶対者のように見える。

 これが、死者の世界なんだろうか。すべての熱が消え失せたはずなのに、何もかもが凍りつくような、痛みにも似た感覚が体の芯を刺している。

 いや、怖気づいていられない。これは、本当にうまくいっただけだ。奴の魔法に入り込めた。

 今度は、介入した赤紫のマナの流れに意識を集中させる。すると、亡骸の心臓辺りに、それらしい魔法陣を感じることができた。それを、凍りついたこの世界ごと、ぶち壊すようにイメージする――。


 次の瞬間、世界が戻ってきた。小雨がやけに強く感じられる。体の芯まで冷え込むようだ。

 そして、前方で誰かが倒れ込む音が聞こえた。そちらに顔を向ける前に、ウィンの「次も頼む」という声がする。

 その声に答える前に、俺は上を一瞥した。ちょっと前まで笑っていやがった奴は、今ではアイリスさんの攻撃をさばくので手一杯になっていて、こちらに話しかけてこない。その奴から、さしてリアクションが見られないあたり、感づかれていないようだ。

 ウィンのそっけない言葉は、気付かれないように少しずつ、流れを引き寄せようという意図があってのものだろう。俺は彼に「任せろ」とだけ返し、次の対象を定めた。


 それからも、一人ずつ、奴の魔法から解いていく。そうやって死者の世界に入り込む瞬間には、自分が死んだような感覚を、戻った際には生き返ったような感覚を味わった。

 奴は俺のことを死人呼ばわりした。それは……ある意味では、きっと正しいのだろう。死んだことがない人に、あの魔法に入り込むのは耐え難いかもしれない。やるたびに、冷たい手で心臓を握りしめられるような苦痛が襲いかかる。

 次第に、右手から右腕にかけて、何かが這い寄ってくるような感覚を覚えた。寒さでかじかんでるんじゃないけど、体の自由が効かなくなるような、そんな感じが。

 しかし、それでも、俺の内奥にある火は消えなかった。義憤や使命感が、俺の奥底にある炉を燃やし続ける。


 一人、また一人と、奴の世界から救い出すたびに、膝から崩れそうになる。それでも、俺は立ち続けた。

 奴が言うとおりだ。俺は普通の存在じゃない。でも、そんな俺だからこそ、みんなとは違う生き方をしてきて、今がある。だから、これは俺にしか成し得ないことだった。その意識が、俺を奮い立たせてくれた。

 それに……奴から見て俺が死人でしかないのだとしたら、その死人にいいように邪魔されてる死霊術師ネクロマンサーって何だ? そう思うと、内心では笑いが止まらなかった。少しだけ、胸がすくような気分だ。


 死者を解放するたびに、当然ながらこちらの人手が自由になっていった。奴も、異変に気づいていることだろう。アイリスさんと奴の動きに注視しつつ、地上戦力は一部が矢と光盾で応戦する。残りの手が空いた仲間が光盾で守ってくれる中、俺は自分の仕事を進めていった。

 そして、ついに最後の一人を、俺は解放した。


 奴は、この戦場には拘泥しなかった。遊び半分で来たのかも知れない。手勢の死者があるべき姿に戻ると、奴はアイリスさんから大きく距離をとった。

 もちろん、離脱を許すような彼女じゃない。何発もの稲妻が轟音とともに大気を揺らす。

 しかし、それでも奴は仕留めきれない。稲妻の矢の直撃を受けても、奴はこらえきって――。

 奴の後ろに、赤紫で縁取られた黒い穴が出現した。直感的に、それが奴らの拠点に通じる門だとわかった。

 最初から、そういう用意があったのだろう。あるいは、外部の仲間の手助けが。奴はためらいなく後ろに短く飛んで、闇の中に姿を消した。その中にアイリスさんが渾身の一撃を叩き込んでも、返ってきたのは不愉快な笑い声だけだった。


 奴の引き際の良さは、こちらにとっては一長一短だった。

 この場で仕留めきれなかったのは、正直に言うと悔しい。しかし、奴は最初から逃げを意識していた。死者を盾にしたり、こちらの心を削ぐような戦い方をしたり、正面からやり合う気なんてさらさらなかったんだろう。この場で殺しきれなかったからと、アイリスさんを責めることは誰にもできない。

 一方、早めに撤退してくれたおかげで、とりあえずは犠牲が出ずに済んだ。それは事実だ。今後も、同様の手口で来られる可能性が残されるものの……ひとまずの役目は果たせた。

 それに、俺はもう限界だ。


 今にも倒れそうなくらい、ふらつく感じを覚えながらも、俺は上空を見上げた。

 さっきまで人が通れそうだった門は、今ではほんの小さな穴に見える。それでも、あちらには通じているはずだ。

 いつになったら閉じる気なんだろうか。そんな事を考えていると、俺の考えに返答するかのように、上の穴から奴の声が響いた。


「おい死人! 俺の魔法の味はどうだ?」


 相変わらず神経を逆なでするような声だ。こちらは息が上がって声を出すのもやっとだ。それでも、言い返さずにはいられなくて、俺は声を上げた。


「死んでなきゃ、誰もお前に従おうとしないんだろ? さもしいクズ野郎だな! そっちにお友達は、ちゃんといるのか?」

「ハッ! 一人ぼっちはお前だろうが。生きてる人間に混ざって、”その気”になっちまったってか?」


 俺は、今生きている。それは紛れもない事実だ。でも、みんなとは違う。摂理に背く、自分だけの命のあり方があって……それは、どこまでも孤独に思う。

 今まで秘密にしてきたことについて、みんながどう思うかはわからない。でも、俺の気持ちは一つだ。


「例え俺が一人だったとしても……俺はお前らと戦い続ける。お前らは、俺の敵だ」


 全身の力を奮い立たせ、絞り出すように声を上げると、特に返す声なく黒い穴は閉じた。

 すると、急に意識が遠のき、地面が近づいてきて……。

 全てが真っ黒になった。

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