第331話 「生と死の狭間で①」

 軽く昼食を済ませ、俺たちは食堂を出た。外はやはり雨が降っていて、冷たく沈んだ空気が俺たちを迎える。背後にある温かな空気との温度差が、今から戦いに赴くということを意識させる。

 間に合わせながら、ある程度の方針は定まった。そのせいで、特に話すこともない。雨音と、泥を踏む湿った音だけを立て、俺たちは静かに町を出る。

 町を出てから、俺たちはホウキにまたがり、空に飛び立った。雨足は今朝とほとんど変わらない。しかし、王都を出たときよりも、雨は冷たく感じられた。

 そうやって染み込む雨粒が体を冷やす一方で、体の奥底から熱く脈打つものを感じる。戦場に近づいていることを、体が意識しているんだろう。ホウキを握る手にも、思わず力が入る。


 そして、前方にそれらしい一団が見えた。ひと塊になった人の群れが、雨の中をゆっくりと練り歩いている。

 その様子は、みんなにも見えたようだ。俺は指示を出し、全員で着地する。それから、待機要員にホウキを渡して見ていてもらう。ここまで来ると、ホウキはあくまで離脱用だ。まずは地上で対応する。俺はみんなを集め、これからの流れについて最終確認を行った。


 それが終わった後、俺たちは静かに前進した。そうして、徐々に前方の集団との距離が縮まり、向こうの人影のディテールが鮮明になっていく。

――歩いているのは、兵の方だけじゃなかった。先日の戦いで亡くなったという兵の方々は、剣を腰辺りの高さで掲げ持っていて、その前を……非武装の一般人が歩いている。

 異様な光景だった。言葉もなく、ただゆっくりと歩いてくる前方の集団に、生気は全く感じられない。


 一般人の方々に関しては、報告がなかった。事が起きてから俺たちがここにたどり着くまで、それなりのタイムラグがある。その間に……手にかけ、死霊術ネクロマンシー傀儡くぐつにしたのだろう。

 あるいは、手にかけさせたのかもしれない。しかし、眼前の兵の方々が持つ剣は、雨に濡れて全てが洗い流されている。真実は知りようがないし、答える声もない。

 しかし、あの人たちが犠牲になったのだろうということは、ハッキリとわかった。前方集団とは、まだ距離がある。それでも、猛る気持ちを抑えきれないように、仲間の呻くような唸り声が聞こえた。手にかけた剣が鞘と触れ合う音も。


 やがて、俺たちと前方の集団が、3メートルほどの距離で向かい合う形になって、互いに歩を止めた。すでに抜いていた剣を構え、即応できるように様子をうかがう。

 この距離では、生気のない虚ろな顔が、雨の中でもよく見えた。一般人の中には、小さな子もいる。女の子だろう。長い前髪が顔に張り付き、目は見えない。


 完全に互いの動きが止まり、にらみ合う格好になってから数秒経った。すると、向こうの集団後列にいた兵の体が、その剣を上段に構える。

 そして、その動きを目で追う俺たちの虚をつくかのように、死人の中から二人が猛進してきた。それぞれの手には、刃渡りが長いナイフが握られている。

 いや、奴らは死人じゃない。ただ、紛れ込んでいただけだ。あの中に魔人が二人いることは、アイリスさんの透圏トランスフェアですでに判明している。

 だから、こういう奇襲に対し、もう心構えはあった。事前の取り決めに従い、隊列を変化させて対応する。一直線に並んでいた俺たちは、中心部を後退させ、横の方は斜め前方に進ませる。そうして弧の形になるようにしてから、二人の魔人に対して魔力の矢マナボルトを一斉に放つ。

 しかし、俺たちがこういう対応を取ると、相手も予測できていたようだ。各自の色で放たれる矢を、大きく身をかがめて奴らは回避し、一方はそれから跳ね跳ぶように後退。もう一方は後ろの上空へ跳躍して宙に留まった。揚術レビテックスでも使っているのだろう。


 そして、連中の手に、もはやナイフは握られていなかった。少し離れた横の方で金属音。おそらく、回避の際についでに投げたんだろう。怪我を負ったという声はないから、それだけは安心だ。

 初撃が終わり、後退した魔人は、またも死者の群れに入って姿をくらませた。兵の方の服を着ているから、紛れ込んでいると判別は難しい。

 だから、俺たちは前方の集団を少数で注視しつつ、残りの人員で宙にいる魔人を撃ち続けた。姿をくらまそうとは考えていないのだろう。奴は服こそ普通の平民のようにしているけど、髪は目立つ白色だった。

 しかし、地上から殺到する攻撃を、奴は光盾シールドを交えつつ、ヒラリヒラリと動いてかわしてみせた。距離をおいては仕留めきれないかもしれない。やがて、奴は徐々に高度を落とし、下に沈めばすぐに死者を盾にできるような場所で留まった。


 これ以上の攻撃は、特に意味を成さないだろう。そう思って俺は、小さく手を上げ、みんなに攻撃をやめさせた。偽装している奴への注意も必要だ。

 そうしてまた戦場が静かになると、白髪の魔人が俺を指差し、この場に似つかわしくないくらい明るい大声で言い放った。


「おい、そこのお前! どうして死人がそっちを歩いている?」


 耳を疑った。心臓が強く鼓動する。雨に紛れ、嫌な汗が流れる。仲間たちの視線を感じる。

 しかし、どうにか平静を保って、俺は奴に返した。


「目でも腐ってんのか、ドアホ」

「しらばっくれんなよ~? 死霊術師ネクロマンサーになるとな、そういうのわかるんだよ? お前らにはわからんだろうけどな。お前らも、そいつがどこか普通じゃないって思ってなかったか?」


 奴が言い終わると、急に静まり返った。冷や汗が止まらない。当てずっぽうで言っているようには聞こえなかった。今まで言えなかった秘密が露見する恐怖、あんな野郎の手でみんなに知られてしまうという怒り……そして、状況を呑まれつつあるという危機感が、胸中で激しく渦巻く。

 しかし……俺の個人的なことはどうでもいい。隠し事への罪は、あとで謝るだけだ。それで許してもらえるかなんてわからないけど、今は場の流れを譲り渡すわけにはいかない。意を決して、俺は叫んだ。


「お前のいうとおりだよ。俺は一回死んでる。それで、それがどうかしたか?」

「はッ! 死人が墓を出歩いて人間ごっこか?」

「お前みたいなのが出歩いているってのに、大人しく寝てられるかよ!」


 言い返すのと同時に、俺はボルトを放つ。無意識に放った一発だ。もちろん、相手はなんの苦労もなくそれをかわしてみせる。

 しかし、放たれた矢は一本だけじゃなかった。矢の青さ、放たれた軌跡が、矢の主がウィンだと教えてくれた。彼がどういう気持ちで、俺の一撃に呼応したのかはわからない。でも、嬉しかった。

 口でのやり取りが終わると、奴は完全に死者の列を盾にし、その姿は見えなくなった。ただ、腹立たしい声が戦場に響き渡る。


「死霊術師が、死人に暇させちゃいけないよな~? じゃ、やろうか」


 奴の掛け声で、兵の亡骸が剣をより高く構えた。あの場で振り下ろそうとでも言うのだろうか? 俺たちには、剣が決して届かない――その時、俺は奴の意図に気がついた。兵に構えさせた剣を、一般人の亡骸に振り下ろさせるつもりだ。

 はらわたが煮えくり返るような、強い憤怒を覚えた。そして、仲間の一人が駆け出していく。それが何を意図したものか、聞くまでもなかった。

 次々と他の仲間も駆け出し……俺とウィンも走り出した。雨の中、俺にも聞こえるぐらいの大きさで、彼は舌打ちした。


 そうして俺たちは、死者の列に割り込むようになだれ込んだ。そして、振り下ろされる剣を、こちらも剣で受ける。焦点が合わない蒼白い死人が振り下ろした剣は、信じられないほどの力でこちらを押し込んでくる。

 そうやって鍔迫り合いの格好になって、後ろから強く抱きしめられた。見返すまでもない。亡くなった一般人の亡骸が、俺たちしがみついているだけだ。

 そこかしこから、仲間の荒い息遣いが聞こえる。万力みたいな振り下ろしに、全力で耐えしのいでいるから――それだけじゃないだろう。

 俺と対峙する亡骸の顔を、俺は正面から見据えた。“そういう”匂いはない。それだけが救いだ。それから、顔のあちこちや首辺りに、治りきっていない擦過傷があることに、俺は気づいた。おそらく、弔う際に人の手で整えられたのだと思う。こうして正面に近寄らなければ気が付かない傷だった。

 名前も知らない、彼の人生を想った。彼を弔った遺族のことも。そして、俺たちの今後を……。


 俺は右手にマナを集中させ、彼の顔を、胸元を、右手を撃った。撃たれるたびに大きくのけぞり、やがて彼は泥の中に倒れ伏した。

 このまま、こっちがくたばるわけにはいかない。次いで俺は、しがみつく亡骸の、氷みたいな手を強く握りしめた。それを無理やりこじ開け、倒れた彼とは逆方向へ投げ飛ばす。


「できないなら俺がやってやる! みんなは生きろ!」


 檄を飛ばし、仲間の手助けに向かうと、そこかしこで矢の衝突音が聞こえた。それと、怒りに満ちた叫びも。

 にわかに騒然とする中、俺は仲間の女の子のもとへ向かった。なんとか鍔迫り合いでこらえているけど、一人では打開できなさそうだ。


「よくやった、もうちょっとだ、頑張れ!」

「う、うん!」


 少し声を震わせながら、彼女は答えた。そして、彼女と対峙する兵の遺骸に手を向けようとした時、その背後から動く影に、俺は気づいた。紛れ込んでいた、あのクズだ。

 そいつは、今度は長剣を構えてこちらに突っ込んでくる。しかし、その動きは徐々に遅くなっていって――俺は無意識のうちに異刻ゼノクロックを使っていた。

 奴の突撃に、今からならまだ間に合う。それに、亡骸に手をあげるより、こっちの方がずっと気楽だった。怒りとともに沸き立つマナが、宙を焼き付けるように魔法陣を刻む。

 そうして書き上がった逆さ傘インレインの魔法陣は、可能な限り集束させて撃った散弾になって、奴に襲いかかる。腕中心に直撃を受け、奴はくぐもったうめき声を上げて地面に倒れ込んだ。

 そして……奴が倒れた次の瞬間、一瞬だけ紫色のマナの軌跡が輝くのを見た。気がつけば、奴の胴体と首が寸断されていて、切断面からは白い砂が雨に打たれて流れ落ちている。


 呆気にとられている暇はないし、実際に俺は、すぐ状況を理解して動くことができた。奴を仕留めたアイリスさんと共に亡骸の対処にあたって、仲間の子を救い出す。

 しかし、それで全員離脱できたわけじゃなかった。仲間の一人が、ぬかるみに足を取られて転んだ。すると、先程投げ飛ばされた亡骸の一人が、彼の両足にしがみつく。


「クソ、離せ! 離してくれよ!」


 身をよじり、掴まれたのを振りほどこうとする彼に、別の仲間が助けに駆けつけて脱出する。

 そうやって、どうにかその場を切り抜け、再度にらみ合う形になった。今度は、先程よりも少し間が空いている。

 このやり取りで、魔人を一人討ち取ったのは成果だ。しかし、単に奇襲するためだけの駒だったのだろう。死霊術師を名乗る張本人は、「一人減ったが、まあいいか」と、俺たちに聞こえる大声で言った。


「しっかし、今のは肝が冷えただろ? 王都でヌクヌクしてるお前らには、またとない経験なんじゃないか? お楽しみいただけましたのならば恐悦至極!」

「黙れ! さっさと死ね!」


 仲間の一人が叫ぶように言い返すと、奴は死者の盾に隠れて高笑いを始めた。


 魔人は一人倒した。でも、それが状況の優位を作ったようには思えない。また、さっきと同じことをされたら……そう思うと、心臓を鷲掴みにされるような恐怖を覚えた。

 俺の仲間は、みんないいやつだ。戦うための技術を磨いたのは、人を守るためだ。何しろ、撃たれた魔法を無かったことにする反魔法アンチスペルなんかに、強い興味を持って習得まで頑張ったくらいだから。

 相手は死者だ。痛覚があるわけでも、声を上げるわけでもない。しかし、それでも……みんな、死者に対して魔法を撃つことに対しては強い抵抗を示していた。それこそ、生き残るために率先して俺が動くまで、手をこまねいていたくらいに。

 いや、そもそも、兵の遺骸が一般人の遺骸に剣を振り下ろそうとする、それを止めるために動いたのが全てじゃないか。あのまま勝手にやらせていれば、相手の手駒が減って戦術的には有利だ。

 でも、そういう凶行を見て、居ても立っても居られないのが俺たちなんだ。


 そして、俺たちのそういうところは、相手に見透かされている。俺たちは相手の手の上で転がされていて……でも、今の国の状況を考えれば、もっと大きな手の上で転がされているわけでもあって……。


 クソくらえだ。


 仲間は、まだ死人を切れない。それでいい。俺はまだ、あの人たちをいましめから解くための、何の試みもしていない。それなのに、最初から諦めるなんて、まっぴらごめんだ。

 まずは、やるだけやってみる。それでもダメなら……俺が最初の一人を斬る。


 そうして俺が覚悟を決めると、奴は空にフワフワと浮かび上がった。俺たちとは、かなり距離を開けるように。当然のように矢の雨を浴びせかけるけど、奴には当たらない。毒づく声が聞こえる中、上から奴は大声で叫んだ。


「お前ら、目はいいか? 腐ってないか~?」

「うるせえぞドクズ!」

「アッハッハ! よ~く目を凝らして見てみな!」


 そう言って奴は、赤紫のマナで魔法陣を書き始めた。奴には矢が当たらなかったように、この距離では奴からも俺たちには当たらない。

 そう、俺たちには。


「これな~んだ!」


 そう言って笑いながら、奴が書き上げたのは、火砲カノンだった。

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