第328話 「自主練」
11月2日。早朝に、ギルド受付で個人用の練習場を確保した俺は、さっそくそちらへ足を運んだ。
場所自体は、何度も来たことがある。そこそこ木の密度がある、ちょっとした林だ。木立や光の加減で、内側からは外の様子を多少はうかがい知ることができる。一方で、外から中は、ほとんど見えない。だから、こっそり自主練するには向いている場所だ。
ここに来ると、だいたいいつも、ちょっとした興奮を覚えていた。みんなに隠れて、禁呪に手を付けたり、その理解に努めたり……。
でも、今日はそういうウキウキする感じがない。それもそのはずだ、人と人とがぶつかり合う時のための、対人戦用の魔法を考えようというんだから。
俺たちの秘密の集まりが最終的に目標としているのは、反政府軍指導層を打倒するのを前提として、その過程で失われる人命を最小限にとどめることだ。一番いいのは、向こうの旗頭である前王太子クレストラ殿下を打倒するか、あるいは外交的に矛を収めさせることだけど、それはかなり困難だろう。
だから、今のところは進発した敵軍の動きを食い止めることを目標にしている。
そのために今、ラックスや諜報部門、軍上層部の方々が、向こうの進軍ルートを検討している。相手がどのように軍を進めるか予想を立て、敵勢力を無力化するための方策を練るわけだ。
そういった事情があって、砂や水のゴーレムみたいな、決して殺せない上に煩わしい兵士に大きな需要がある。
しかし、どれだけことがうまく運んだとしても、完全に対人戦が発生しない理想状況まで持ち込むことはできないのではないかと思う。もっと正確に言うと、そういう状況を望んで、対人戦の備えを怠るのは……あまりに夢想的すぎると思う。
人と戦うための魔法を考えるのは、やはり抵抗感がある。しかし、こういう努力で俺や仲間の命が助かることもあるかもしれない。
そう思うと、やらざるを得ない。
俺は深く息を吸い込み、吐き出した。落ち葉もすっかり抜け落ちた、大きな木に向き直り、右手を構える。
その木に向かって、俺は
しかし、矢は木の幹に触れると乾いた音を立てて、青緑のマナへと霧散した。矢の衝撃で、わずかに木の幹が揺れる。
記送術に関しては、まだわからないことが多い。着弾後の書き直しに適した素材とか、まだまだ研究の途上だ。ただ、目の前の木は書き直しの着弾面にはなりえないようだ。それが判明したところで、次に移る。
今俺が考えているのは、離れた場所で魔法陣を記述する方途があるかどうかだ。距離を取った上で魔法陣を記述できるのなら、自分の安全を確保した上で、意味がある嫌がらせができる。
しかし、記送術での書き直しに適した着弾面を、いつでも用意できるわけじゃない。だから、矢が何かにぶつかる前に、空中にあるいずれかのタイミングで、内側の魔法陣を発現させられないかと考えた。
そこで、空中で飛ぶ矢に干渉するとなると、継続型を合わせる必要がある。継続型によって矢と術者の間にマナのつながりを確立した上で、矢を消すイメージをするわけだ。そうすれば、内側に仕込んだ魔法が現れるのではないかと思う。
やりたいことが決まったところで、
そこで一つ気が付いた。別に何かにぶつけて着弾面に記述するわけじゃないのなら、記送術はいらないんじゃないか。
もし記送術がいらないのなら、そちらの方が好ましいだろう。俺は許可を得ているとはいえ、記送術は第3種禁呪相当だ。使わずに済むなら、そちらの方がいい。
そういうわけで、ひとまず完成したのは、内側に光球、それを運ぶ外側に封印型と継続型を合わせた魔力の矢だ。思っていたよりもシンプルに仕上がって、少し安心した。連環球儀法の中で円を動かし、重ね合わせ、実際にどう記述するかを確認してから、実践に入る。
そうして放った矢は、再び木に当たって爆ぜた。
ああ、ちょっと速すぎる。撃った後に矢を消そうと意識すれば、それが間に合わない感じだ。だからといって、撃つ瞬間に矢を消そうとすれば、雑念が混じって矢を撃つところまでいかないだろう。
ここは
気を取り直して俺は、異刻を使ったまま先程の矢の記述に入った。そして、書きあがった魔法陣が矢に変じ、空を駆けていく。それが木に到達する前に、俺は矢を消し去るイメージをした。
すると、矢は俺のイメージ通りに形を崩し、青緑の小さな霧になった――光球は出なかった。
何か、間違っていたんだろうか? 矢を消そうと意識するあまり、光球の方にまでその意識がいったとか?
念のため、何回か試してみたものの、結果は同じだった。矢を消すと、中の光球まで消えてマナに戻ってしまう。
そこで今度は、記送術を合わせてみることにした。こいつが成功すれば、それはそれで記送術に関して謎が深まるけども……。少し落ち着かない感じを覚えながらも、俺は書きたい魔法の書き方を確かめた。
そして、深呼吸をした後、木に向き直る。異刻も忘れないようにし、右手を構えて新バージョンの矢を放つ。
放たれた矢が空中にある間に、俺はその矢を消すイメージをした。すると、やはり矢は青緑の霧に姿を変え――霧を構成する粒子が整列を始め、光球の魔法陣になっていく。
できあがった光球の魔法陣は、きちんと機能した。俺の右手と木の間に、青緑の小さな玉が現れ、しばしの間宙に漂って消えた。
うまくいったものの、どこか釈然としない。それからも何回か同じことを繰り返してみた。結果は同じだった。記送術を合わせてやると、空中で消した矢を消しても内側の魔法が生じる。
使えることは使えるものの、どういう原理でそうなっているのかは、気になるところだ。そこで俺は、他の魔法と組み合わせるなどして、記送術についてもう少し検証してみることにした。
そうやって実験を繰り返してみてわかったのは、以下のことだ。
記送術は、魔力の矢と組み合わせることで効果を発揮する。矢の形状が損なわれた時に、記送術の内側に記述した魔法陣をその場で書きなおす。
しかし、どうやら他の色のマナと混ざり合うと、その書き直しが阻害されるようだ。試しに
記送術を用いた矢を
で、シールド以外にもぶつけた際に書き直しが発生しない対象はある。魔獣とか木がそうだ。おそらく、矢が当たった衝撃で対象の表面からマナが漏れ出し、混ざり合うことで書き直しが生じないのだろう。
もしかすると違う理由の可能性もあるけど、とりあえずはそういうことで納得することにした。
何はともあれ、自分から離れた空中に、何らかの魔法を展開できるようになったわけだ。試しに、記送術で光盾を運んでみようとしたところ、目論見通りに機能した。
これは仲間の救援に使えるかもしれない。まぁ、展開する場所とタイミングを間違えれば、何の意味もないけど……そもそも、異刻と組み合わせないと、矢の状態を解除するタイミングを計れない。だから、異刻との組合せ前提のテクニックになりそうだ。つまり、俺以外だとウィルさんぐらいにしか使えないだろう。
光盾以外にも、嫌がらせみたいな魔法を遠隔で記述できるのはいいことだ。損害を与えずに無力化したり、相手の行動を阻害したりできる可能性はある。
そして、何より……このテクニックは、他の魔法使いにまだ知られていない。だから、情報面での優位がある。それに、矢が手元を離れて、遠くで別の魔法が記述された時には、そうやって送り込むパーツが抜け落ちている。手口が露見するリスクもかなり低いはずだ。
まぁ、異刻前提の技術になるから、使い手はものすごく限定されるだろう。それでも、今日得た知見については、魔法庁に伝えようかと思う。実用化できるかどうかはともかくとして、学術的研究の成果ではあるんだし。俺のことを認めて、禁呪をある程度自由に触る許可をもらえたのだから、その信頼には応えたい。
今日の実験がひと段落したところで、俺は落ち葉の床の上に寝そべった。多くの葉が抜け落ち、樹冠は少し寂しいことになっている。今の季節、木々が伸ばす枝の迷路は、中央がくりぬかれたように穴になっていて、透き通った青々とした空が見える。
すがすがしい秋晴れだけど、そこまで心が晴れる感じはない。
ふと、ウィルさんのことを考えた。今頃、何をやっているんだろうか。こんな時世に、何もせず遊んでいるということはないだろうけど。
今日の発見のおかげで、俺は魔法使いとしての”間合い”をかなり広げることができた。異刻と組み合わせることで、取れる戦法は大きく広がる。そうやって、できることが増えるってことは――考えなければならないことが増えるってことだ。
ウィルさんに異刻を教えてもらったとき、「抱え込みすぎないように」というアドバイスをいただいた。その助言に反するような方向をひた走ってしまっている気がする。異刻みたいな強力な魔法を知っているからこそ、責任感のようなものを感じているのは確かだけど……。
次いでメルのことを考えた。今日見つけたこととか、彼に報告してやりたい気分だ。思えば、彼が
しかし、実験の話をする機会には、あまり恵まれなさそうだ。ギルド広報という立場と経験を活かし、彼は王都の近郊にある各ギルド支部との連絡係として、多忙な日々を送っている。だから、王都で姿を見かけることは、今までよりもさらに減っている。
そんな中、彼を呼び止めて、こういう魔法の話をするのは……いや、いい気晴らしになるか。今度見かけたら話してみよう。
梢を見上げながらあれこれ考えていると、冷たい秋風が枝を揺らし、残った枯れ葉を落としにかかった。
そうして風にあおられ、枝から切り離された枯れ葉が、右往左往しながら舞い降りてくる。風に遊ばれているようでもあり、風に身を任せているようでもあり、風に乗っているようでもあった。
結局は、考えよう次第なんだろう。すっかり寂しくなった樹冠から視線を外し、色鮮やかな落ち葉の絨毯の上で伸びをする。そして、俺は立ち上がった。
さて、もうひと頑張りするか。
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