第325話 「隠し事と絆」
11月1日10時頃。俺は呼び出しを受けてギルドへ向かった。受付で用件を告げ、中の応接室へ入る。
すると、そこで待っていたのはラナレナさんだった。さすがに、呼び出しただけあって眠そうな顔はしていない。
向かい合うようにソファーに座ると、彼女は最初に「お疲れ様」と言った。
ギルドは、今回の件に関して積極的に関与しているわけじゃない。ただ、殿下からの密命で動いているということだけは知っていて、可能な限り俺たちがフリーになれるよう取り計らってくれた。
情報面で言うと、作戦を秘匿しておきたいという事情もあって、ギルドには詳細な話が伝わっていない。俺たちが戻ってきてやっと、ジェームス救助のために動いていたのだと知ったぐらいだ。
「後輩が何やってるかわからないまま、王都から二週間ぐらい離れるっていうのはねぇ~」と、ラナレナさんは苦笑いしながら言った。出発の挨拶はしていないけど、やはりまとまった人数がいきなり姿を消すとわかってしまうのだろう。
「すみません、できるだけ秘密にしておきたい作戦でしたので……」
「いえ、責めてる訳じゃないのよ。言えない辛さってのもあるでしょうしね。ほんと、よく頑張ったわ」
そう言って彼女は、目を細めてニッコリ笑った。
こうして褒めてもらえるのは、もちろん嬉しい。しかし、ただ褒めるためだけに呼び出したってことはないだろう。少し気恥ずかしさを覚えつつも、俺は本題について尋ねた。
すると、ラナレナさんは一枚の紙を取り出した。そこに書かれていたのは、今回の成果報酬についてと――第2口座についてだ。
「第2の口座ですか?」
「ええ、いつもの口座に多額のストックがあると、一般職員の目に留まって良くないでしょ?」
ギルドとしては、俺たちがジェームスを奪還したと知っているものの、それはラナレナさんやウェイン先輩みたいな若手の幹部クラスまでだそうだ。そうやって情報をせき止めているというのに、口座への入金で露見しては意味がないだろう。
「だから、お金が欲しくなったら私に言ってね」
「そう言うとなんか、無心するみたいですね……」
「ふふふ」
冗談はさておいて、俺は成果報酬に視線をやった。そこに書かれていた額は、とんでもなかった。真面目にギルドの依頼をこなしたとして、半年分ほどの月収に相当するだろうか。普段の月収ですら割と余る俺にしてみれば、ひと財産と呼んでいい額だ。
「あなたの場合、今回の作戦で主導的立場にあったということで多めになってるわ。ま、他の子にちょっと色つけたって感じね」
「これだけ一気に自分の金になったと思うと、実感がわきませんね」
「だから、散財しないようにと、私が見張ってあげるのよ」
そう言って彼女は笑った。
実際、これだけの資金があれば、当分は仕事をせずに遊んで暮らせる――というか、俺の場合は遊びというか、魔法の実験やら訓練になるんだろうけど。あとは体力の方のトレーニングとかか。
しかし、だからと言ってギルドの依頼から遠ざかることには、ちょっとした不安がある。今春入ってきたという後輩たちとは、一緒に仕事をする機会があまりなかった。組織人としてはちょっと宜しくない気がする。
それに、ギルドの依頼とは直接関係がない仕事にばかり手を付けているせいか、普通の仕事の感覚が損なわれているんじゃないかという懸念もある。まさか、イベントや特殊任務だけで食いつなぐわけにもいかないだろうし。
そうやって俺が一人将来の不安を漠然と感じていると、ラナレナさんが話を切り出してきた。
「今回の件に関しては、こうやってコッソリ報酬を通知するぐらいしかできないわ」
「いえ、それはいいんです。大々的に言いふらすわけにも……」
「この後も色々と画策してるって話だものね」
そうは言っても、具体的にどうやって両軍の正面衝突を防ぐか、話は進んでいない。公爵閣下を救助したことで、向こう側の情報を得られる可能性はあるけど、閣下の容態を考えるとすぐにってわけにはいかないだろう。なにしろ、慢性的な心労が祟って、それがこういう事態につながったわけだから。
ジェームスと公爵閣下の救助という、大きな任務を成し遂げた達成感は、確かにある。しかし、この先の不透明さを思うと、やはり気持ちは落ち着かない。
そんな悩みが、不意に顔に出てしまったのかもしれない。向かい合う彼女は優しく微笑んで、俺に茶を勧めた。カップに手をつけ、暖かくて心安らぐ香気を目一杯吸い込んでから、俺は茶を口に含む。すると、彼女は真面目な表情で言った。
「あまり、一人で抱え込まないようにね。色んな人に言われてるでしょうけど」
「う“っ……」
「ま、秘密にしないとっていうのはわかるけど……それとなく悩みを伝えたり、相手に甘えたりするのも、重要なスキルよ。そういう点では、まだまだね~」
優しくたしなめるように言われて、俺は少しだけ視線を伏せた。
あんまり一人で頑張りすぎるなってのは、確かに結構言われていることだし、自覚はある。俺が異界の人間だから、禁呪を色々知ってるから、こういう特殊任務についているから――隠し事はいくらでもあって、それが人に頼れない一因になっている。それは確かだけど、そういう背景を理由にして意固地になっている部分も、やはりあるのかもしれない。
とはいえ、いい塩梅で相手に甘えるのも難しい話だ。茶を飲みながら考え込んでしまう。すると、ラナレナさんは話を切り替えた。
「昇格したい?」
「昇格っていうと、Cランクですか?」
「ええ。どうかしら?」
「うーん」
昇格に値する人間と認められるのは嬉しい。しかし、普通の仕事から遠ざかっている身分で昇格することには、抵抗感とちょっとした恐れがあるのも事実だ。昇格したとして、次のランクの仕事でうまくやっていけるだろうか? そういうのは、俺だけの問題じゃない。一緒に仕事をする仲間にも関わる話だ。
結局、色々と懸念があった俺は、そのつもりがないとラナレナさんに告げた。その言葉を受けて、彼女はどこかホッとしたような顔でため息を付いた。
「今回の任務成功を、あなたたちの昇格要件として認めるかどうか、上で議論が割れたのよ」
「昇格させない方の考えは、俺が今言ったみたいな感じですか?」
「そういうのもあるわね。実力も重要だけど、ギルドの組織員としての実績や経験が一番重要だって」
「俺もそう思いますよ」
「実は、私もね。仕事への慣れと経験、それに自信が、一番の財産だと思うから」
彼女が俺と同じようなことを考えているっていうことには、どこか安心できた。ただ、そこで話が終わらず、彼女は少し申し訳無さそうな表情になる。
「あなたたちの功績に対し、報酬でしか報いることができないというのも、ちょっとね……その報酬だって、ジェームスを救ってもらったことを理由にギルドから出してるけど、国庫からの拠出分もあるし」
「気持ちだけでも十分嬉しいですけど……組織としては、そういうわけにもいかないって事ですよね」
「ええ。優れた人間には、相応の格付けと箔付けがないと」
とはいえ、俺たちが王都から離れ、帰還したタイミングでの昇格は、何かあったのだと周囲に勘ぐらせるには十分だ。そういった諜報面からの事情もあって、当人からの強い希望がない限り、昇格は見送るという形で決定したようだ。
「そういうわけだから……もう隠し事しないで済む日がくれば、その時はまた昇格の話をさせてもらうことになるんじゃないかしら」
「そう……ですね」
隠し事しないで済む日っていうのはつまり……今の内戦状態が解決された日のことだ。
果たしてそんな日が来るんだろうか? 訝しむ気持ちと、反骨心にも似た熱意が心のなかでせめぎ合う。でも、冷静な部分が冷水を浴びせかけても、芯が冷えることはなかった。
「きっと、そういう日が来ますよ。そのために頑張りますから」
「頼もしい後輩ね、まったく……」
目を細めて優しく微笑んだラナレナさんだったけど、その表情にはどこか寂しげな影もあった。送り出す側の苦労が、顔を曇らせているのだろうか。
ただ、ちょっと湿った感じになったのは、ほんの短い間だけだった。彼女は明るい感じの笑みを浮かべて言った。
「人に頼れって話の続きだけど、妹のことはうまく使ってやってね」
「うまく使うって、つまり色々依頼したりしろってことですか?」
「ええ。あの子、引っ込み思案な上に、故郷じゃ自分の専門が、そこまで重宝されなかったの。だから、売り込みがヘタクソで……ちょっと、もったいないって思うのよね~」
実を言うと、リムさんがこちらに来てから、姉妹二人で揃っているところを見たことはあんまりない。意図的に距離を取っているようにも感じていたけど、こうして気にかけているあたり、仲はいいんだと思う。
そういう姉妹仲の片鱗に触れて、暖かな気持ちになるとともに、心の奥底に押し込めた部分がかすかに痛んだ。もう表に出ない程度には割り切れているけど、それでもやっぱり、忘れることはできない。
今日の話はそこまでだった。「根を詰めすぎないようにね~」と、少し気が抜ける感じの間延びした口調で言われ、思わず苦笑いしてしまう。きっと、アレはわざとやってるんだろう。
先輩の忠告を心に留め、廊下を歩いて受付の前を通りかかったところ、今度はネリーが話しかけてきた。
「ちょっと、この後空いてる?」
「いいけど」
「ありがと」
そう言って微笑む彼女は、少し気弱そうな笑みを浮かべている。何か悩み事でもあるようだ。
その後、同僚に頼んで早めの昼休憩を頂いたという彼女とともに、俺は昼食に向かった。
宣戦を受けた後、王都は落ち着きを失い商業的には冷え込んだようになった。にも関わらず、こんな状況でもやってる店は、だいたいが元気いっぱいだ。壁がなく、開放的な作りの大衆食堂には、時折冷たい風が吹き込んでくるものの、それがどうしたと言わんばかりに熱い活気に満ちている。
俺たちが席につくと、やはり快活な店員さんが駆けつけオーダーを取る。そこで、日替わりのランチを頼んでから、俺はネリーに要件を尋ねた。
「実は、彼のことなんだけど……」
「何かあった?」
「何かあったというか、何もないというか……」
今日の彼女は、ずいぶんと歯切れが悪い。言葉を選んでいるようでもあり、考えをまとめられていないようでもある。静かに言葉の続きを待つと、ややあって彼女は口を開いた。
「あの宣戦があってから少しして、彼の口数が妙に減って……何か、隠し事してるんじゃないかって」
もともとハリーは口数が多い方じゃない。だから、あえて”隠し事”しなければならないタイプの人間ではないはずだけど……相手が奥さん――というか、友人視点ではまだ恋人同士に見える――となると、話は別だろう。他の相手よりは色々話すだろうし……ネリーのことだから、何か勘づいているのかもしれない。
で、そういう相談を俺に持ちかけるってことは……俺も容疑者というか、共犯と思われてるんじゃないかってことだろう。一瞬、心臓が跳ね上がるような感覚を覚え、気持ちを落ち着けるように長く息を吐いてから、俺は彼女に言った。
「本人に何か聞いた?」
「うん。『なんでもない』としか言われなかったけど……」
「……もうちょっと言い方ってあるよなぁ」
「まぁ、ね……それで、その時の顔を見て、聞き出すのは諦めたの」
どういう表情なのかは、聞くまでもなくわかった。今目の前にいる彼女と似たような、少し苦しく切なそうな顔をしていたのだろう。
「悪いけど、俺の方からも言えることはないよ」
「うん、だと思った。相談したいのは、実は隠し事の中身じゃないんだ」
予想外の言葉に、少し驚きながらも興味を惹かれた。そういう俺の反応にちょっと気を良くしたのか、彼女は柔らかに微笑んで話を続ける。
「仕事の都合で、二人一緒に動くことが少なくなって……それは仕方ないと思うんだけど、やっぱり待つだけってのは、辛いんだ」
「……うん」
「だから、離れていても彼の力になれたらって思って……祈りとか、そんな気休めじゃない、本物の力に」
そこで言葉を切った彼女は、若干呆れた感じというか、珍しく自嘲気味の笑みを浮かべて言った。
「何か、そういうものに心当たりがあればって思ってさ。工廠や魔法庁ともつながりがあるし……」
「俺自身にそういう心当たりは……
「ごめん、頼んでいい?」
「了解、俺も興味がないわけじゃないし」
「面倒言ってゴメンね。リッツもすごく忙しいと思うけど……」
「いいって」
ちょうどそこで料理が運ばれてきた。野菜と魚介を煮込んだスープが主菜で、アツアツの湯気の香りはスパイシーだ。腹の中が刺激されて、口には唾液が溢れそうになる。
やってきた料理を二人で楽しみながら、俺は彼女の頼み事について考えた。
待つ側の苦悩っていうのは、他人事じゃない。きっと、俺が考えている以上に辛い思いをしているんだろう。そういう苦しみを少しでも軽減できるなら……互いに思い合うだけじゃない、もっと確かな形で繋がりあえるなら……。
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