第324話 「幕の裏②」
軍師殿から、クリーガにおける襲撃の報を受けた。
私は自分の情報網から、その報告を受けていたし、他の五星も同じだろう。とりたてて驚きはなかった。
しかし、それに続く、クリーガ上層部の決定に関しては初耳だった。どうやら、あの王子殿の一声で、かつての統治者を切り捨てる判断が下ったらしい。
その報について触れる軍師殿から、かすかに悲哀のようなものが感じられた。逃げ出したと言われている、公爵殿への憐憫から来るものであろう。同様の感情は、豪商殿からも見て取れた。軍師殿は、こういった政争を好ましくは思っていないし、豪商殿は比較的感じ入りやすい性質だ。敵国の人物ながら、忠臣の去就について思うところがあるのも理解できる。
一方、大師殿と聖女殿は相変わらずであった。もっとも、彼らが同情の念を示すようであれば、私が卒倒してしまうだろうが。
軍師殿が一通りの報告について終え、続いて今後の動きについて話し合う段に移った。
だが、会議を進行する軍師殿は、どうも気が進まないように見える。私が、彼女に対してそういう先入観を抱いているからかもしれないが。
そうして視線をやっていると、彼女が口を開いた。
「皇子からは、何かありませんか?」
「ん? 余からか?」
「話したそうにしていらっしゃいましたから」
変に視線を向けていたのが、よくなかったようだ。しかし、当てられて発言しないというのも決まりが悪い。私は腕を組んで話す内容を考えることにした。
しかし……実際に軍師殿の本心は定かではないが、少なくとも私は、この件に関して気が進まない。やはり、謀略で以って相手を陥れるというやり方は、どうも好きになれないようだ。それに、何か有効な策を献じても、状況を作った大師殿の功績の添え物にしかならないだろう。
どうしたものか考えた末に、私は口を開いた。
「こちらからは、何もせぬのが良かろう」
「随分と消極的ですね。何かしら積極案があったと思ったのですが」
皮肉か当てこすりか知らないが、やや冷ややかな目で私を見つめながら、軍師殿が言った。
実際、このような発言は、単なる無関心と取られかねない。それは好ましくないため、私は理由を付け加えた。
「かの都市の者どもは、過去を切り捨てて一線を越えたのであろう? ならば、戦の結果がどうなろうと、もはや元には戻れまいよ。勝敗に関わらず成果は出ておる」
「無論、勝つ方が望ましいのでしょうが」
私の発言の後、軍師殿はそう返して大師殿に視線を向けた。すると彼は、勿体つけることなく「無論です」と返す。そこで私は話を続けた。
「我々が関与したという確たる証拠を与えれば、此度の謀反の言い訳になりかねぬ。そうなれば、人と人とが争い合う構図が損なわれるであろう。それこそ損失というものではないか?」
「なるほど」
軍師殿は私の”消極案”が腑に落ちたようで、表情から納得したのがわかった。
一方、豪商殿は軽く胸を撫で下ろしている。それを見て私は、内心笑ってしまった。私と軍師殿の不仲について、彼は案じてくれているのだろうか。
私がそうして消極案を主張したところ、他の歴々は右に倣えであった。これは少し釈然としない。しかし、仮に大師殿の腹に何か秘めたものがあるとしても、彼はそれを表にしないだろう。たとえ、こういう会議の場であっても。
我々の方からは、特に行動を起こさない。そう決定してから、私はあちらの国のことを考えた。
魔人が関与してやった方が、心情的には楽だろう。人間同士で、互いの敵意に直面する方が、より苦しい戦いとなるはずだ。
そんな中で、彼らがどういう決断を下し、何を行うのか――彼らの行く末には、純粋に興味がある。
だから私は、横槍を入れたくない。
☆
五星会議の結果を大師から聞いたカナリアは、さっそくグレイを呼んで伝えた。その報を受けて、グレイの顔は心底つまらなさそうになっていく。「見てるだけでも面白そうじゃん」と言うカナリアに対し、彼は短く鼻を鳴らして言った。
「せっかくの事態だってのに、お偉さん方は甘っちょろくないか?」
他の連中には聞かせられない放言である。さすがに彼も、カナリア以外の相手に、自分の居室の外で話はしないだろう。
そのような危険な発言であったが、カナリアはそれをたしなめることなく、逆に興味で軽く目を輝かせ、身を乗り出した。
「何か、考えでもあるの?」
「俺らと連中の結びつきが、下にまで伝わるとまずいってんだろ?」
クリーガ首脳陣は、すでに魔人の関与について関知している。種々の事情から、彼らを招き入れた者もいるし、裏で密約を結んでいる者もいる。
しかし、城に入れない平民は、このことを知らない。知れば、旧政府に対する一致団結の炎に、水を差すことになるだろう。最悪、”最初の裏切り者”探しが始まって、クリーガ内で反乱が発生するかもしれない。
それはそれで見ものではある。とはいえ、国を代表する大都市とその近傍同士の戦いという一大スペクタクルに比べれば、些末な尻すぼみ感は否めない。そうならないように配慮しなければならないというのは、グレイも認めるところだ。だが、彼は言う。
「王都の連中に知れるのは、別に構わないんじゃないか?」
「うーん、どうかな? 相手を許す言い訳になると面白くないよね」
「そんなお優しい連中ばっかりでもないだろ。クリーガと魔人が手を組んだと知って、むしろ憤る連中の方が多いんじゃないか」
実際にどう捉えるかは、蓋を開けてみるまでわからない。「私が読みに行ってあげよっか?」と冗談交じりに話す力ナリアの言を、手で軽くあしらいながら、グレイは言った。
「許す奴らが大多数になると困るが、そうじゃなきゃむしろ好都合だと思うんだよな」
「へえ、どうして?」
「集団としての考えが揺らいだ方が、戦争では不利になるだろ。だから、揺さぶりに行った方がいいと思うんだよな~」
「なるほど~?」
屈託のない笑みを浮かべるカナリアに、グレイはわずかに表情をしかめた。
人心を操り弄ぶという一点において、カナリアの右に出る者はいない。強いて言えば大師ぐらいであろうか。
それほど悪意と害意に満ちた彼女が、この程度のことに考えが巡らないわけがない。自身の発言を、その道の第一人者に認められる安堵よりも、どこか腑に落ちないものをグレイは感じた。
しかし、彼が抱いていた疑問はすぐさま氷解した。しっくりこない思いを抱いたすぐその後、カナリアは見計らったように言った。
「私は、大師様から余計なことをするなって言われてるの。だから、何もしないし、何も聞かなかったことにするよ」
「俺を止めないのか?」
「だって、聖女様の部下でしょ? 私から何か指示するような筋合いはないよ」
そうは言っても、カナリアはどこか楽しげな目で、グレイの背を後押しした。上からの言いつけを守りつつ、自身は安全なところから見物しようというのだろう。
彼女のそういうところは、今に始まったことではなかった。止められなかっただけありがたい。そうグレイは考えることにした。
☆
公爵をクリーガから脱出させ、王都に着いてから二日後。王都北区の王城敷地内にある”離れ”へ、王太子アルトリードとラックスは足を運んだ。
離れと言っても、母屋がどこかは誰にもわからない。ただ、昔からの慣習でそう呼ばれている建造物は、緑に囲まれた中にポツンとあった。公的には一種の貴賓館ということになっているが、実質的には訳ありの貴人が寝泊まりするための建物だ。内外を兵が見張り、使用中は王城の高楼からも監視の目が絶えず向けられている。
そのような建物に、今は一人だけ入っている。入り口で見張りに声をかけ、二人は中に進んでその者と面会する。ロキシア公の給仕係である、シャロンだ。
彼女にあてがわれた部屋は、多くの調度品が白く、気品に満ちていた。そのような部屋にあって、彼女はどこか落ち着かない様子で訪問者を迎える。彼女に先に話しかけたのはラックスだ。
「やはり、落ち着きませんか? こういうお部屋自体には慣れていると思いましたが」
「いえ……こういうお部屋ですと、どうしても仕事をしている気分になってしまいまして……」
少し恥ずかしそうに返すシャロンに、二人は表情をほころばせた。
それから、三人で同じテーブルを囲み、ラックスが用件を切り出す。
「公爵閣下を救助してほしいと、最初にあなたから話があったと聞いています」
「……はい。閣下には先にお話しいたしましたが、接触された諜報員の方に持ち掛けたのは私です」
「それは、なぜですか? 閣下の身に危険が及ぶ懸念が?」
ラックスの問いに、シャロンは少し視線を伏せ、言葉を選ぶように話し出す。
「初夏から閣下が急に体調を崩され……暑気あたりかとも思いましたが、ご典医に見ていただいても一向に回復せず……閣下は、次第に食が細くなっていくようでした。そんなある日、お食事を下げに向かうと、まったく手を付けておられず……」
そこで言葉を切ったシャロンは、話し始めよりも一層深刻な表情になっている。そんな彼女にラックスは力強い視線を向けてうなずき、続きを促した。
「……何か胸騒ぎがして、次の当番の日、私は懐に小鳥を隠して閣下のお部屋に向かいました。そして、手を付けられなかった料理を、小鳥に」
シャロンはそこで言葉を詰まらせた。顔をうつむかせ、体は震えている。
王都に着いてすぐ、公爵の体調を診た典医は、その可能性について言及していた。さすがに、着いたばかりの公爵本人に聞けば心労の種になるかということで、確認などはしなかったのだが。
公爵の世話をする者から証言を得たことで、何か盛られていたという可能性は極めて高くなった。そして、彼を排斥しようという動きが、水面下で以前から進行していたようであるとも。
深刻な話に、ラックスは顔を曇らせる。しかし一方、アルトは優しげな面持ちをしていた。彼は蒼白い顔でかすかに震えるシャロンに声をかける。
「ロキシア公には食べさせられないとわかって、それで君はどうしたのかな? さすがに、今までずっと絶食というわけにもいかないだろうけど……」
「それは……差し出がましいとは思いましたが、私が隠れて別のお食事を持参いたしました。もちろん、毒味として私が先に食しましたが……」
「なるほど……きっと、あなたと一緒に取る食事が、彼を支えてきたんじゃないかな」
王太子からの言葉は、思いがけないものであったのだろう。シャロンは真顔で固まり、少し間をおいてから両手で顔を覆った。小さくすすり泣く彼女に、同席する二人は慈しむような視線を向ける。
それからまた少し間があって、落ち着いたように見えるシャロンに、今度はラックスが問いかけた。
「差し支えなければ、公爵閣下にお仕えするに至った経緯でも、お話していただけませんか?」
「はい。実は、私の母も公爵様の給仕係をしておりまして……私が小さい頃から、その話をよくしてもらいました。それで、名誉ある仕事に憧れて、私もと」
懐かしむように話すシャロンであったが、話を聞くラックスは、表情こそ穏やかであるものの目は若干悲しげであった。それに気づいたのか、シャロンは訝しむような視線を向ける。すると、ラックスは静かに切り出した。
「ご両親は、今もお元気でいらっしゃいますか?」
「……はい」
「この件に関しては?」
「相談はしましたし……後押ししてくれました」
そう語るシャロンの目には強い光があり、すでに覚悟が決まっている事が見て取れる。
クリーガ側で、この公爵救助をどう捉えるか、現時点では様々な可能性が考えられた。しかし、シャロンの扱いについては、おそらく糾弾の対象になるであろう。共に姿をくらましたものの、護衛に姿は見られており、彼女が手引したと疑うのは自然である。
となれば、彼女の親族に累が及ぶであろうというのは、妥当な見立てである。それを承知の上で、彼女は動き、家族は承認した。その忠義に触れ、ラックスが神妙な面持ちで押し黙ると、不意にアルトが言った。
「あなたのご家族に関しては、どうにか身の安全を確保できないか、諜報員に
「いえ、そのようなことは……! 私の家族などよりも、ずっと重要な仕事に就かれているのではありませんか?」
国の大事にあって、それぞれの諜報員が担う役割というのは、計り知れないほど大きい。情報や工作が巡り巡って、やがては多くの人命を左右する。そんな中、一つの家族を救うために諜報員を用いるということに、シャロンは我が事ながら疑義を呈した――それも、王太子の申し出に対してである。
しかし、申し出をはねつけられるような形になっても、アルトは一切の不快感を示すことなく言葉を続けた。
「もちろん、潜り込んでいる彼らの仕事に影響がない範囲で、検討してもらうつもりだよ。だから、ご家族の安全を保証することはできない」
「……殿下から案じていただけるだけでも、望外の喜びでございます」
「あなたはそうは言うだろうけど……気持ちだけで終わらせたくないんだ。上の者が下からの忠誠に報いられないのなら、上に立つ意味なんてないじゃないか」
そこまで言ってから言葉を切り、アルトは若干の
「実際に頑張るのは、現場の彼らだけどね」
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