第323話 「幕の裏①」

 ロキシア公と、捕らえていた空輸事業者の一人を奪われてから二日後。クリーガの大講堂メインホールには、同都市の首脳陣や貴族、高級官僚が召集を受けて一堂に会していた。

 今回の"襲撃"については、かねてから懸念の声を上げる者も、少数ながら存在した。ホウキという、当代では最先端の技術がもたらす機動力では、王都側に一日の長がある。だからこそ、その優位を保持するために、必ずやホウキとその乗り手の奪還に乗り出すであろうと。

 しかし、そういった懸案の声が大きく取り上げられることはなかった。新政府は、この状況を引き起こした側ということで、心理的な強いイニシアチブを有している。そのことは、仕掛けた彼らも、仕掛けられた旧政府側も広く認めるところだ。よって、彼ら新政府側にいくらかの慢心した雰囲気があるのも、無理からぬことであった。


 そんな中、ロキシア公を奪われたことは、クリーガ上層部に大きな衝撃を与えた。公爵はすでにこの状況からは蚊帳かやの外にあり、重大な秘密が漏れる可能性は低い。

 だが、長きに渡ってこの大都市を統治していた顔というべき人物が、旧政府の手に渡ってしまった。そのことが、今後どのような事態を引き起こすのか……会議が始まる前から、議場にはどよめきが満ちる。


 しかし、そんなどよめきも、新政府が担ぐ"陛下"の登場で水を打ったように静まり返る。姿を現しただけで場を鎮めてしまう、自信と威厳に満ちたそのたたずまいは、まさに若き王のそれであった。

 その彼の傍らに控えるのは、ベーゼルフ侯だ。彼に向けられる視線は様々だ。もはや押しも押されもせぬNo.2となっている彼に対し、期待や感心を向ける者もいれば、かすかに嫉妬や不興の色を示す者もいる。

 だが、そのように向けられる様々な感情を一顧だにしないかのように、侯爵の表情は凪いでいる。そのような落ち着きは、戦闘や政争で錬磨されたものであろう。彼を取り巻く思惑は複雑であったが、陛下の傍に相応しい人材という点は、大勢が認めるところだ。

 そんな彼は、静まり返った一同に対し、落ち着いた口調で告げた。


「貴君らもすでに知っていようが、先日、旧政府側と思われる手先の侵入を許した。その際、ロキシア公並びに、虜囚であった空輸事業者、我が方の魔法使いと例のホウキを奪われている」


 そこまでは既知の事実であった。今更聞かされて、何か反応しようというものではない。話はここからだ。


「今後の対応について、諸兄に意見を伺いたい」


 すると、せきを切ったように、続々と立ち上がるものが現れた。さすがに陛下の御前とあって、勝手気ままに話し出すことはないが、我先にと表情で訴えかける者は多い。そうして立ち上がった者たちから、侯爵が一人選んで発言を促す。


「申し上げます! 此度の襲撃につきましては、すでに民衆にも広く知れ渡っております! まずは人心を慰撫するためにも、民衆向けの説明を用意するべきかと!」

「その内容を考えるための会ではないのか? 貴兄に何か妙案などは?」


 発言者に対し、出番待ちの者が冷ややかに返した。身分差があるのであろう、先の発言者はわずかに悔しさをにじませながらも、無言で席に着いた。

 次いで侯爵が発言の続きを許すと、出番待ちだった彼は少し高らかに考えを述べた。


「まずは、奪われた事実を公表いたしましょう。それに並行する形で連中の手口を探り、明らかになればそれも広く触れ回るのです。さすれば、連中の卑劣を許すまじと、今にも増して強い結束を得られましょう」

「何が妙案か、楽観的に過ぎるぞ」

「聞き捨てなりませんな」


 一度誰かが大口を叩けば、それが少しずつ伝播する。しかし、沸き立ちかけた議論を、侯爵は冷静に「各々方、陛下の御前ぞ」と言って鎮める。

 その後も意見が飛び交ったものの、それがまとまる兆しはまるでない。


 国、王室、王都、旧政府……それらへの不平不満で一つまとまっているように見える新政府であるが、少なくとも上層部は一枚岩ではなかった。

 軍功においては現人神のように称えられるクレストラが君臨し、動員できる兵数は旧政府側よりも多い。軍事的には優位と思われるものの、魔人との戦いや周辺諸国との関係から、開戦に及び腰な者は少数ながらいる。

 一方で、大勢を占める主戦派も、様々な思惑が渦巻いている。”義心”から立ち上がった者もいれば、旧政府を打倒した後の立身のために手を回す者、この"革命"の熱に酔わされ息を荒げる者もいる。

 とはいえ、共通点もある。人間同士の戦闘になろうとも、それにためらいを見せない者が大半であった。彼らを戦に向かわせる熱は、民衆から発せられたものであり、彼ら上層部が発したものでもある。互いに煽り立て合いながら、ますます引き下がれないものになっていく。


 しかし、そのように高まる戦意の熱量も、最初の火種が一つ、確かにあった。


 議論百出の最中に、戦の主であるクレストラがゆっくりと立ち上がった。

 すると、思い思いに弁舌を振るっていた者たちが、一人また一人と口をつぐみ、陛下のために場を整える。そうして自然と場を掌握した彼は、あまり気負いのない口調で言った。


「ロキシア公については、脱走したとでも伝えればいいだろう」

「陛下、しかしそれは……」

「事実ではないのか? 彼の居室に抵抗の形跡はないのであろう? それに、事前の取り決め無くして成せるものでもあるまい。彼は向こうの協力者だったのではないか」


 陛下の発言中であったが、議場は潮騒のようにざわめいた。

 もし彼が言う通りであれば、公爵は裏切り者ということになる。しかし、今までこの町に尽くした統治者を裏切り者とそしることには、多くの者が難渋を示した。あるいは、この場に集まった者たちこそが、裏切り者というべきかもしれないが。

 陛下を前にしてなお抑えきれない動揺は、かつての統治者に対する最後の忠誠の表れであった。

 これは一つの分水嶺でもある。どちらかに傾けば、流れは決定的なものになるであろう。

 そして、分は現在の君主の方にあった。


「彼は、諸君らに何か一言でも告げて、この街を去ったのか? そうではないだろう。身勝手に逃げ出した者に対し、いかなる義理立てをしようというのだ」

「しかしながら、陛下。民衆に対してはどのように」

「簡単なことだ。彼はかねてより"王都側“の人間だったのであろう? ならば、旧弊にしがみつく愚者として糾弾すればよいではないか」


 若きカリスマの、落ち着き払ったその弁舌に、耳にする者たちの中で何かが少しずつ崩れ落ちていく。かつての統治者への忠義か、あるいは良心か。心労で体調を崩したという公爵を気遣う思いも、もはや過去のものだ。

 そして最後に、彼は言った。


「民衆は、今まで誤った君主に仕えていた。その恥をすすぐ機会を与えてやろうではないか。新たな政権を志向するということは、そういう事だ。諸君らの、民草の心に、それを刻み付けよ」



 大講堂での会議を終え、クレストラは謁見の間の玉座につき、高い天井を見上げてため息をついた。

 本来であれば、王城以外で玉座を持つことは大罪に当たる。ゆえに、この部屋の存在それ自体が、クリーガ上層部の意思表示であった。

 しかし、これは一つの旗のもとにという意味合いが強い。玉座の土台は盤石ではなく、自身に向けられる感情の中に、好ましくないものが入り混じっていることを、クレストラは知っていた。あまり小細工を好まない、堂々とした直言が目立つ彼を、その年齢のせいもあってかくみやすい相手と見る者は存在する。甘言で以って取り入ろうという佞臣ねいしんがいる――そのような注進を受けたこともある。


 とはいえ、そのようなことは、彼にとって些末なことだった。傍らに立つ侯爵に比べれば。

 今夏、クリーガ領の境界で発生した戦闘に彼が赴いていた際に、クリーガに対して各種工作が行われていた。そして彼が帰還したころには、すでに首脳陣の間で旧政府に反旗を翻す方針が定まっていた。

 つまり、侯爵がいない間にすべてが決まっていたわけだが、辣腕らつわんな能臣として知られる彼は、その力を遺憾いかんなく発揮した。方針こそ定まったとはいえ、様子見とにらみ合いで首脳陣が動けない間隙を縫って実権を掌握し、誰もが認める陛下の側近となって今に至る。

 傍らで立つ彼を、クレストラは一暼した。相変わらずの、感情を読ませない顔だ。


 彼については、野心家であると評する向きもいた。しかし、ロキシア公統治下において、彼は忠実な補佐官であり、野心家という評は嫉妬にかられた妄言であるとの見方が大勢であった。

 だが、今は状況が違う。あっという間に権力の座を取り戻したのは、まさにその秘めたる野心の表れではないか。そのように忠言する者は、少なくなかった。魔人側の協力者であるグレイとカナリアも、侯爵に対して警戒するように忠告したほどだ。


 では……果たして、側近の彼は何を考えているのだろうか。クレストラは思案した。しかし、あくまで興味がそそられただけであり、侯爵を不審に思う気持ちはない。

 そうして黙したまま考えを巡らせていると、侯爵が口を開いた。


「陛下、いかがなされましたか?」

「いや……卿は何を考えている?」


 我ながら漠然とした問いだ。言葉を放ってから、クレストラは苦笑いした。一方の侯爵は、やはり表情を一切変えずにいる。それから、やや間を開けて彼は答えた。


「この先について、考えておりました」

「この先か」


 クレストラは自嘲的な冷笑を浮かべ、側近に言い放つ。


「魔人と手を組んだ新政府が勝てば、それこそ先がないのではないか?」

「いえ……あるいは、それが新しい国の姿になるやもしれませぬ」


 クレストラは耳を疑った。人と魔人とが手を取り合う、新たな世を構想しているとでも言うのだろうか。あまりに夢想的な発言だ。しかし、本気なのか皮肉なのか、相変わらず判然としない。

 やがて、クレストラは側近の顔をうかがうのをやめた。その本心までは読めないものの、自分に代わって実務をこなしてくれているのは疑いない。


 それに、少しくらい考えが読めない方が、この先面白いだろう。

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