第318話 「潜入」

 俺の手から放たれた心徹の矢ハートブレイカーは、狙い通りに進んでほんのかすかな軌跡を残し、彼に的中した。

 それから……異刻ゼノクロックを使っているのか、自身でも定かでない時間感覚を味わってすぐに、照準の向こうの彼が崩れ落ちた。

 どっと汗が吹くような感覚に襲われる。しかし、ここでまごまごしているわけにはいかない。今、自分の手で火蓋をきったというのに、乗り遅れるわけにはいかない。

 幸いにして、俺の体はきちんと動かせた。撃ったことが、一つのスイッチになったようだ。溢れ出すアドレナリンが酔わせてくれる。これなら、事が終わるまでどうにか動けるだろう。後のことは、終わってからでいい。


 俺は部屋を出て鍵をかけ、速歩きで階段を下りた。地上階について、受付の方に軽く会釈をしてから、何食わぬ顔で通り抜けて外へ。何事もなく隠し通せたことに、驚きと安堵と……心の奥底に微妙な感じを覚えた。使命感のために、何かを失ったような、そんな感覚を。

 外に出ると、冷たい秋風が吹き付けてきた。それがとめどなく発生する体熱をいくらか冷ましてくれて、かえってありがたい。

 それから俺は、向かいの屋敷の囲いの壁を回り込むように進んでいった。手はずどおりであれば、諜報員さんがジェームスを壁越えさせてくれるはずだ。


 事前に指定されたポイントで少し待つと、壁の上にひょっこり見覚えのある顔が現れた――いや、少しやつれている。相応の扱いを受けているようだという話だったけど、やはり心労があったのだろう。

 それで、無事に顔を見れたことは心底嬉しかった。まだ、公爵閣下の救助も、ホウキでの脱出も成っていないというのに、少しだけ報われたような気がしてしまう。壁の上に飛び出した顔の方はというと、俺に対して申し訳ないような表情になって、少し涙ぐんでいた。

 しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。とっとと動かなければ。壁をよじ登り、半身をこちらに出した彼を、今度は俺の方から支えてやって、どうにか合流することができた。

 さすがに、こんなところで話し込んで喜び合うことはできない。しかし、できるかぎり目に力を込めて視線を送り、手を差し出すと、彼は顔を伏せて握手に応じた。その手に触れて、今までどこか浮遊感があった使命感に、現実味が戻ってくる。

 そうして無言で再会を喜びあった束の間、彼の後ろに諜報員さんが、壁の上からヒラリと身を翻して着地した。礼を言わなければ……と思っても、さすがに声は出せない。せめて視線で気持ちを表明すると、彼はほんの少し困惑したような様子になってから微笑んだ。


 どうにか合流した後は、次の仕事に移る。さすがに、ジェームスはどこか戸惑っているようだったけど、この状況で四の五の言うような気力まではないようだった。諜報員さんの案内に従って街路をともに進む。

 まずは、事を起こした屋敷から距離を取りたい。そして……クリーガ城内へ忍び込む。

 潜入のためのルート選定も、こちらの諜報員の方に任せてある。何人か潜入しているようで、ルートはそれぞれの担当によるパッチワークのようになっている。それで、実行役に一番動けて場馴れしている、今日の彼がついているというわけだ。


 それで、城内への侵入ルートというのは……クリーガ北区にある図書館からだ。大きな公園の中に存在するようで、公園の中を歩いているだけであれば、さほど怪しまれることはない。

 実際、公園の中でいくらかすれ違うことがあった。月見酒をやっている人たちがいたり、すでにどこかで飲んできて酔い醒ましをしていたり、そういう人たちが多数だ。俺たちに気を止める感じはない。

 そうして図書館を囲う壁のところにたどり着くと、まずは諜報員さんが軽い身のこなしで壁を乗り越えた。それから、壁にある戸をあっという間に解錠してみせる。さほど凝った作りでもないようだけど、それでもこの手際には感服する思いだ。

 敷地内に入ってからは、事前の仕込みが光る。さすがに正面からは侵入できないようだったけど、図書館を回り込んで後ろ側に進むと、諜報員さんは壁に手を這わせはじめた。それから、月明かりで光る、かなり細い糸のようなものを引く。

 すると、窓ガラスの向こうからカチャリという音がした。次いで諜報員さんが手袋をした手で窓を外から開け始めた。これで、中には入れるということだろう。


 窓から中に入ると、窓際に机があった。これを踏むことに若干の罪悪感を覚えつつも、ためらわずに踏んで中へ進む。

 そうやって入り込んだ夜の図書館は、外と変わらないくらいに肌寒く、月明かりがない分だけ薄暗い。任務のことを抜きにしても、あまり長居したい場所ではない。

 再び諜報員さんを先頭にして、俺たちは進んだ。ランタンをつけて進む彼は、明らかに俺たち以外の誰かがここにいるリスクよりも、俺たちの動きが遅いことでのリスクを考慮しているようだ。手にした明かりを頼りに、迷いなく進む彼の速歩きについていく。

 そしてたどりついたのは、壁際の本棚だった。彼がしゃがんで、本棚の一番下の段の本を取り始め、俺もそれに倣う。ジェームスも何かしようとしていたけど、疲労があるだろうと思って気持ちだけ受け取っておいた。

 本棚の最下段隅の一角の本を取り終えると、諜報員さんは最下段の背板を取り外した。すると、室内よりもより冷たく、湿った空気が流れ込んでくる。

 そうしてできた道を通るため、彼は一瞬のためらいもみせずに這いつくばって進み、通りきると向こう側から手を出して軽く手招きするジェスチャーをした。ちょっとしたユーモアなのかもしれない。その手に従って、俺も腹ばいになって進んだ。


 匍匐前進して本棚の背を抜けた先には、石造りの狭い通路が伸びていた。俺が通り抜けた後はジェームスだ。手を貸してやりつつ、こちらに引いて出す。

 そうして三人が通路側に揃うと、諜報員さんが図書館側に這って身を乗り出し、隠し通路を隠し始めた。俺とジェームスは空で帰ればいいけど……まぁ、彼も何かしらの帰還方法があるんだろう。

 隠蔽が済んだところで、またも諜報員さんを先頭に通路を進む。通路はちょっと行ったところで階段があって、そこを下ると地下の水路に続いていた。カビとかはなくて、真ん中を流れている水は清浄な感じがする。王都での最初の仕事、スライム退治のことを思い出した。

 そんな事を思い出していると、諜報員さんが話し掛けてきた。


「ここまで来れば、ひとまずは安全でしょう。次に合図するまで話していただいて大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」


 俺がそう返すと、さっそくジェームスが面目なさそうに気落ちした感じで話しかけてきた。


「済まない、俺のせいでここまでさせちまったみたいで……」

「気にするなって。誰が捕まっても、結局はこうしただろうし……お前が悪かったってわけじゃないさ。時間通りに仕事してたら捕まったんだろ?」

「それはそうなんだが……」


 彼自身に非はない。俺は本当にそう思っているけど、それでも彼の中から罪悪感は拭えないでいるようだった。このまま黙っていても良くないと思って、俺は話題を切り替える。


「だいぶ痩せたんじゃないか?」

「ああ……あんまり食べれてない」

「やっぱり、メシが喉を通らないのか?」

「あ~、それはあるんだが、お前が考えているのとはちょっと違うかも……」


 普通に心労で食が細くなったと思っていたけど、そうでもないようだ。ちょっと興味はあるし、黙って話を聞いていた諜報員さんも、どこか関心を持ったような視線を投げかけている。それで、ジェームスは苦笑いしながら話し始めた。


「はっきり言えば軟禁だけどさ……ひどい事はされなかったんだ。むしろ、妙に親切にされたと言うか」

「具体的には?」

「いい感じの定食屋レベルで三食きちんと出てきて、尋問も特になかったし……取り調べというよりは、説得だったな」

「説得?」

「『こっち側に付きませんか』みたいな、さ。それで、なんかメシで懐柔されてるみたいで情けなくなって……妙にニコニコされるのも気にかかるし、気持ち悪くなってメシをあまり食えなくなったんだ」


 ひどい仕打ちを受けたわけではないというのは良かった。しかし、軟禁で心を弱らせたところに説得っていうのは……折れなかっただけでも立派なんじゃないかと思う。

 その時、彼がすでに向こう側に付いてしまっている可能性が、脳裏によぎった。しかし……確認なんてできるだろうか? 信じる以上の手立てがない。そんなことを考えていると、彼が言葉を続けた。


「救出に来てくれるなんて思わなかった。本当に、申し訳ないし……嬉しいぞ。でも、無理だと思ったら遠慮せずに置いていってくれ」

「バカだな、連れて帰るために無理してんだろ」

「それもそうか」


 それから急に言葉が続かなくなって、俺たちは無言で水路を歩いていった。水の音もなく、ただ俺たちが、ちょっとだけ水分を含む石床を踏む音しかしない。

 そうして静かに歩いていって少ししてから、諜報員さんが話しかけてきた。


「見張りの彼ですが、口を塞いで拘束した上で、部屋に放り込んであります」

「そう……ですか」


 つまり、彼が見た時点では、死んではいなかったということだ。昏倒したか、声も出せないくらいになっていたのだろう。これで、交替か巡回で気づかれるまでは、事が露見しない。

 しかし……俺を安心させるための嘘なんじゃないか、そんな事を思ってしまった。さすがに聞き返せない。

 俺の中では、俺が撃った彼は、未だに生死不明だ。任務中だというのに、その一点に関しては疑心暗鬼になって、拘ってしまう。


 また静かに歩いていって、諜報員さんが合図をくれた。静かにするようにということだ。特に話すこともなく、それに従う。

 それから彼の後についていくと、水路の横に上り階段が見えた。そこを慎重に上がっていく。

 階段を登りきり、先に続く通路を歩くと、そこにはシックな装いの給仕らしき女の子が立っていた。その姿を認め、諜報員さんは懐から何かを取り出した。それに合わせて女の子も何かを取り出し、互いに手にした物を合わせる。割符のようなものなのだろう。確認が取れたところで、諜報員さんは俺たちにうなずいた。


 事前の説明では、ここから先が城内になる。それで、目の前の女の子が、いわゆる情報提供者だ。公爵閣下の給仕係の一人で、軟禁されているという報も彼女が元だ。

 その彼女は、かなり緊張で固くなっている。しかし、目の光は強く、意志の力を感じられる。ここからは諜報員さんと彼女の手引で進んでいくことになるけど、おそらくは大丈夫だろう。

 彼女らに続いて隠し通路を出ると、城内の地下と思われる倉庫に出た。壁に据え付けた酒樽がカモフラージュになっている。

 その倉庫で俺たちは、城内に詰める兵士の服に着替えた。多少歩く程度であれば問題はないだろう。それに、案内係の給仕さんは、こちらできちんとした身分を持っている。

 着替えが終わると、倉庫から厨房、さらにそこから城内の廊下に入った。ただ、城内と言っても、高貴な方々が使う表側の区画と、城を機能させるための裏側の区画があるようで、今いるのは裏側だ。可能な限り人とすれ違うことがないよう、吟味されたルートを歩いていく。

 しかし、完全に安全というわけにはいかないようだ。道の向こう側から歩いてくる、巡回らしき兵の方が、俺たちを見つけて話しかけてくる。


「こんな夜中にどうしたんだ? 見張りって感じでもないようだが」

「それは……」


 給仕さんが割って入り、一度息を落ち着けてから答える。


「公爵様が、もしかしたら誰かと一緒であれば食が進むかもとのことで……」

「その、誰かっていうのが、そっちの?」

「はい。平民相手の方が、案外気楽にお食事できそうだと」


 そういう言い訳のようだけど、相手の方は納得したようなそうでもないような。窓から差し込む月明かりに照らされる表情は、わずかに訝しげだ。

 しかし、結局は給仕さんの「公爵様にご確認していただいても結構です」という言葉が決め手になった。嘘ではないのだろう。今の話し相手の方は、それで疑うのをやめたようだけど、実際に確認されても口裏を合わせてあるのだろうとは思う。

 とはいえ、事前に準備があるのだとしても、今のやり取りには肝を冷やした。兵の方とすれ違うと、自分の全身にうっすら汗が滲んでいることに気がついた。

 そんな一幕もあったものの、どうにか公爵様がおられるというお部屋の前についた。ただ、さすがに見張りがいる。それも二人も。こんな夜中に、直立不動で立っていて――あの”彼“を思い出さずにはいられなかった。

 ここからどう切り抜けるのだろう? 疑問に思っていると、給仕さんは懐から紙を一枚取り出し、彼らに見せた。すると、見張りの方々は互いに顔を見合わせた後、俺たち四人を通した。


 重厚で立派なドアを開け、部屋の中に入り込む。さすがに貴人が住まわれる部屋というだけあって、部屋は広くきらびやかだった。

 しかし、その部屋の主である公爵閣下は、かなりやつれたご様子で痛ましい。50台半ばと聞いているけど、それよりも老いて見える。

 とりあえず、この後の説明は諜報員さんと給仕さんに任せ、俺とジェームスは閣下の御前にひざまずいた。すると、閣下は少し弱々しくも優しげに仰った。


「楽にしなさい。あなた方に、そこまで礼を尽くされる謂れなどないだから」


 俺たちの対する気遣いのようであって、どこかご自身への皮肉にも聞こえるお言葉の後、閣下は給仕さんに尋ねられた。


「彼らが、以前話してもらっていた?」

「はい。囚われていた方と、救出に来られた方です」


 その後、閣下に視線を向けられて、諜報員さんが話し始めた。


「事前に、彼女から話していただきましたように、今夜空から脱出いたします。ここまでの潜入につきましては、領民への危害を最小限に抑えております」


 その言葉に、閣下は少ししわのあるお顔を若干しかめられた。

 実際、危害を加えたのは一人だけで、しかも閣下ご救出には関係のない方だ。それでも……俺にはやはり大きな出来事だし、閣下も何かしら思うところがあるように見える。


 そうして会話が途切れ静かになった。しかし、静寂はいつまでも続かない。急に部屋の外が慌ただしくなる。

 特に、城の外が騒がしい。何か起こったのだろうか。緊張と不安を強く覚えながら、俺たちは城のバルコニーへ駆け出した。

 すると、ここまで歩いた街路では見かけなかった、明かりを手にして駆け回る人の姿が見えた。何かを探しているようだ――そして、その何かがここにいるのは、明白なように思われる。

 でも、俺たちを探しているだけなら問題はない。もっと問題なのは……


 夜空を見上げると、星明りを背景に、光の線がいくつも走っては消えた。事情を知っている俺には、上で交戦中なのがはっきりと分かる。

 思わず、バルコニーの手すりを握る手に力が入る。考えられる限り、最高のエースを揃えている。それでも、相手が魔法使いとして高い力量を持っていれば、命をかなぐり捨てる勢いで向かってくれば……どうなるかはわからない。

 ふと背後から視線を感じ向き直ると、心配そうに皆様方が見つめていた。閣下が神妙な顔つきで、俺に問われる。


「あの上にいるのは、貴兄の友人か?」

「はい、仕事仲間です」


 その仲間と戦っているのは……閣下から見れば領民なのだろう。

 どう返せばいいのか、わからなくなった。この街のことも、閣下のことも、実際にはわからないことだらけだ。それでも、ここまでで得られた情報を元に、やり遂げなければいけないことがあるのははっきりしている。

 だから、俺は閣下に力強く言った。


「ご安心ください! きっと勝って、この場を切り抜けてご覧にいれますから!」

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