第316話 「クリーガ上空」
王都から出発して4日目の昼、俺たちはクリーガの後背にある森林地帯にいる。かなり大回りして、回り込むように着いたここで、日が沈むのを待つ。比較的監視の目が薄いであろう反対側から、夜陰に乗じて上空に侵入するわけだ。幸い、夜が長くなってきた時節だから、作戦時間に余裕はある。
日没後、クリーガに向けて出撃し、任務に取り掛かってからまたホウキで離脱する。その一連の流れを考えると、日が沈んでから登るまでは、満足に休息をとれそうにない。そのため、今から仮眠をとることになる。
その際の見張り役を買って出たのはラウルだ。作戦実行時、彼は2人乗りホウキの複座側で、離脱時に起き続けている必要はない。だから、その時にホウキの上で寝ればいいだろうという話だ。彼は
今いる森は、そこそこ木の密度がある。おかげで、周囲の目はあまり気にならない。人里から離れていて、人間や動物が日頃立ち入っている様子もない。その点は、仮眠をとる側としては好都合だった。明るい暖色系に色づいた落ち葉をかき集め、即席の寝床を作り、六人で横になる。
しかし、さすがに寝付けない。目を覚ましたら、作戦本番だ。決行を数時間後に控えた今から、緊張で胸が高嗚って仕方がない。
他のみんなも同様で、互いに言葉は交わすことなく、静かな緊張感が張り詰めている。そんな中、仲間の一人がおどけるように言った。
「ラウル、何か子守唄でも頼む~」
「お前な~、男にやってもらって嬉しいか?」
「じゃ、お前は、女の子にやってもらいたいのか?」
逆に問われると、次第にラウルの顔が赤くなっていって、彼は照れ隠しに「早く寝ろっての」と笑いながら言った。しかし、まだまだ眠気はないし、今しがた話題が提供されたばかりでもある。ラウルにとっては不運なことに、また別の仲間が食いついた。
「なあ、シャーロットとはどうなんだ?」
「いや、何で知ってんだよ、まったく……まだ友達だからな!」
「まだ、ねぇ」
樹冠を見つめながら話を聞いていても、意地の悪そうな悪友の微笑みだけは、目の前にありありと思い浮かんだ。それからそいつは、優しげな声音で「ちゃんと帰ろうな!」と言った。それにラウルが返す。
「どっちかっていうと、俺が一番安全なポジションだろ? そりゃ、それなりに重労働だし、責任もあるけどさ」
「迎撃が来なけりゃ、俺らが一番暇だけどな」
「さすがに来ないわけないだろ~」
もちろん、戦闘にならない方がいいに決まっている。しかし、そういう脅威に対して話し合う口調は、割と軽めだった。
それで、ラウルの次は俺に話題が飛び火した。
「リッツ、お前好きな人とかいないの?」
「いるけど、言わないからな」
「へえ~、いるのか……」
心底意外そうに言われ、それはそれで妙な気持ちにさせられる。さすがに言えやしないけど、「アイリスさんのことが好き」とか言ったら、みんなどういう顔をするだろう?
それで、彼女のことをふと思い出した。今回の作戦は、準備から実施に至るまで極秘で、もちろん彼女にだって伝えていない。
しかし、その極秘ってのが
まぁ、言ったら言ったで、どういう反応をされるかわからない、ちょっとした恐怖があるけども……でも、言わずに済ませようとは思わない。
だから、こんなところでくたばるわけにはいかない。
そんなことを一人考えていると、仲間が先ほどの話を蒸し返してきた。
「なあ、リッツ。お前、その子に告った?」
「いや、まだだけどさ……」
「告るまで死ぬなよ」
「……まぁ、そうだな~」
「いつ死ねるやらって感じだけどな!」
「ははは、長生きしろよ!」
人の気も知らないで、悪友たちがそんなことを言うと、他の連中も笑いやがった。
しかし実際、死ぬまで思いの丈を打ち明けることは、ないんじゃないかと思う。あの子が好きってだけで、別にそれ以上を望んでいるわけじゃない。ただ、笑顔でいてほしいってだけだ。
……いや、違うな。言ったところで俺たちの関係がどうこうなるものでもないから、負け戦が目に見えているから、言えばきっと迷惑だろうから言えないだけだ。
でもまぁ、そんな片思いでも、気力を沸き立たせてくれるのは確かだ。だから、こんな話題を振られたことには感謝しよう。
少し肌寒い中でも、胸のあたりには確かな温かさを感じた。あの子のことを思い出しただけで、勝手に温まれる。そんな自分の、割と単純なところがありがたい。
そうして心地よい温もりに心身を預けていると、俺の意識はいつの間にか闇の中へ沈んだ。
☆
小声で話しかけられつつ、体を揺すられて目が覚めた。すっかり暗くなって、夜空には星の明かりが
いよいよ決行だ。部隊全体の荷物入れから、俺は真っ黒な服を取り出した。ダイビングスーツのように、顔以外を覆うそれは、マナ遮断スーツだ。これで降下時に、クリーガ城壁内蔵のマナ検出機構を素通りする。スーツには頭部を覆うフードや顔に巻くマフラーのようなものもあって、以前ハリーが着たのよりもニンジャのようになっている。
さすがに、この服単体だと目立ちすぎる。そのため、これをインナーにして、普通の服を上に重ねる。そうして降下後は、あちらの住人に成りすまして行動するわけだ。
スーツの上半身と下半身をそれぞれ着ると、ヒヤッとした生地が肌にまとわりつくようで、思わず身震いしてしまった。インナー向けにということで、工廠には少しタイトに作ってもらっているから、なおさらだった。
着替えが終わり、小さめのボディバックに必要な装備一式を詰め込む。そうして準備が整うと、俺たちは円陣を組んだ。
「リーダー、何か言う事は?」
「告白以外でなっ!」
俺を茶化してくる軽口も、今は結構ありがたい。緊張感が程よくほぐれてから、俺はみんなに向けて言った。
「ジェームスと引き換えに、このうちの誰かでも欠けたんじゃ意味がないからな。死ぬ気で生き延びろよ」
「ま、こんなとこじゃ死ねんしな」
「そうそう。なんてったって、本戦の足掛かりなんだもんな~」
そういうことだ。都市上空から忍び込んで、囚われの友人はおろか、幽閉されているという公爵様まで救い出す――そんな前代未聞の試みだって、両軍衝突をどうにかするという、途方もない試みの前哨戦でしかない。
俺はとんでもない身の程知らずかもしれない。しかし、志を同じくする俺みたいな奴がこれだけいる。そのことはとても心強く思った。
最後に一言、「出撃しよう」と言うと、みんな頼もしい笑みで答えた。
夜の闇に紛れて空を駆ける。身を潜めていた森から、目的地までは十数分程度の距離だ。あっという間に、城壁に囲まれた大きな都市が近づいてくる。
本当に、大きな都市だ。空から全景をうかがうと、王都に近いか、それ以上の大きさに見える。外郭になっている城壁には、明かりが点在していて、俺たちみたいなのを警戒しているのが伝わってくる。
城壁に囲まれた内側の街は、大通りを中心にかなり明るかった。今の王都とは大違いだ。王都の方はというと、早めに閉店する店が多く、往時のような活気はない。
二つの街を心の中で比べると、複雑な思いにとらわれた。ここの人たちは、どういう顔で生活しているんだろう――いや、きっと王都の住人と、こちらの住人に、大きな違いはないだろう。ただ、生まれた場所が違うだけだ。
あまり考え事をしたって重荷になるだけと思い、意識を入れ替えて降下地点へ向かう。
降下するのは都市南側の、明かりがない暗いエリアだ。その中でも少し広い屋上がある建物があって、そこにロープで降下する。城壁からは距離があって、見張りには気付かれにくいだろう。それに、その辺りは住宅街で、今なら見とがめられる危険性は低い。
目印になる明かりを確認した俺たちは、その降下ポイント上空に集まった。ここから降下準備に入る。
まず俺は
そこで一瞬、「仲間の顔が見納めになるかも」そんな考えが頭をもたげた。しかし、そんな考えは、吹き付ける秋の冷たい風に呑まれて消えた。
ここまで来る、たったそれだけのことでも、相当の取り組みがあったんだ。それに、支えてくれたみんなが、王都で待っている。そう思うと、緊張と恐怖にくじけてなんかいられない。
静かに覚悟を決め、俺はラウルにうなずいた。そして、足元の支えを消して……俺は敵地へ降下を始めた。
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