第312話 「雑事部のお茶会」

 折りたたみ式ホウキの試乗の後のお茶会は、雑事部の事務室内で行われるようだ。すでに手が空いた者から席についている。それで、俺も当日参加することになったわけだけど、いきなり混ざることについては何も言われなかった。結構付き合いも長いし、そういうものなのかもしれない。

 ちょっとした雑談に興じていると、少し遠慮がちなノックが響いた。ヴァネッサさんが「どうぞ」と言うと、これまた遠慮がちな所作でドアを開け、シエラが入室してくる。どことなくためらいが感じられる表情だ。

 そんな彼女に、雑事部の子が駆け寄って手を握ると、シエラはフッと表情を柔らかくして一緒にソファーへ歩いてくる。

 すると、彼女と目があった。なんとなく、気まずい思いがある。今まさに色々と隠し事してるところだからだ。できる限り平静を装って「久しぶり」と言うと、彼女は少し考えこむような素振りを見せた後、少し皮肉っぽい微笑みを浮かべて言った。


「また何か企み事?」

「……まぁ、否定はしないかな」

「そう……」


 すると、表情が少し切なそうな笑みに変わって、なんだか胸が締め付けられるような感じがした。

 ああ、また彼女に隠し事して、色々進めてしまっている。空描きエアペインター企画の時は、「驚かせたいから」みたいな可愛げのある理由があったからいいけど、今は違う。俺がみんなと何か企んで動いているってのが、一時的とはいえ部署が変わった彼女には、辛く感じられるのかもしれない。


 少しいたたまれないような思いにとらわれていると、背後でドアが開く音がした。実験室から誰かが出るようだ。そちらの方に振り向くと、リムさんと雑事部職員が一人、実験室から出てくるところだった。

 少し妙なのは、彼女らの服がところどころ濡れていたり、砂が付着しているところだ。実験室でそういう魔道具を取り扱っているのだろう。ただ、工廠の壁材はSFを思わせる無機質な質感で、それに砂という取り合わせがすごくミスマッチに感じられた。

 実験室から出た彼女らは、ドアマットらしきものの上で砂を払った後、ドアのすぐ横にあるコート掛けに実験用の白い上着を掛けた。リムさんがやってる研究のためにあつらえたようだ。

 それから部屋の片隅にあるソファーの方へ歩き出したリムさんは、俺に気づくと微笑んで頭を下げてくれた。それに応じ、俺も返礼する。

 見たところ、リムさんからは陰を感じない。研究に対して熱心に打ち込めているのだろう。あるいは……シエラと比べてしまっているのかもしれない。


 メンバーが揃ってお茶とクッキーやナッツ類等の茶請けの準備が整うと、さっそくシエラに近況を尋ねる声が飛んだ。個人個人では彼女と普通に会話しているのだろうけど、こうして腰を落ち着けて話し合う機会はなかったようだ。

 話を振られた彼女は、黙ってティースプーンでカップのお茶をかき混ぜ出した。何から切り出したものか迷っているように見える。数秒ほどそうした後、彼女は「みなさん、良くしてくださってるよ」と静かに切り出した。

 彼女の言うみなさんってのは、軍装部の方々と、軍関係の方々だ。こういう状況であるものの、軍の方々は彼女に対して礼節を保って接していて、決して高圧的なところはないようだ。


「ま、ホウキの可能性に誰よりも目をつけてた第一人者だしな。偉そうにするなら、もっと前々からサポートしてくれよって話だ」

「確かにね」


 ウォーレンの言葉に、シエラは微笑んで返した。しかし、やはりどこか気弱で、儚げな感じはある。

 それからも彼女は、普段より少し静かな口調で、軍装部での仕事について話し始めた。言葉の端々、その話し方には言葉を選んでいる感じがかなりある。逆に言えば、話して良い線引を考慮した上で、こうして向こうのことを伝えてくれているのだろう。

 シエラが軍装部に異動して手掛けているのは、雑事部で確立された技術を元に、軍装部側でホウキを量産することが1つ。もう1つは、空輸事業で組まれた実践的な訓練法を、兵の方にも施し、必要があればより軍の訓練に近づけること――つまり、軍にホウキを導入するための、第一段階に着手していることになる。

 彼女の思いとして、ホウキは可能な限り平和利用したいというのがあった。それは、この場のみんなが知っていることだ――リムさんはどうかわからないけど、言えば共感できると思う。

 一方で、いずれ“そういう用途”に使われる日が来る、そのことは前々から覚悟していたようだった。しかし、そうしてホウキを求められたのが、よりにもよって人間相手の戦で、それも同じ国の人間が相手というのは……。

 軍でどのようにホウキを使うかについては、偵察と伝令が主のようだ。情報戦のために導入されるわけで、ホウキが直接戦闘行為に関わるわけじゃない。しかし、目立つ役回りだけに危険はあるだろう。

 それに……少なくとも、軍全体としては勝つために準備を進めている。そのことは当然だし、それを手助けするのも普通だろう。でも、ホウキの導入によって大きく戦況が傾くようなことがあれば、こちらは大いに助かる一方で、向こうの兵は……大勢死ぬことになるかもしれない。

 向こうの人達は、もう同じ国の兵じゃない。そういう声はあるだろう。それが現実的な反応でさえあるかもしれない。それでも……自分が手掛けた研究に大勢の人命がかかっていて、ものすごく巨大な天秤を握らされている。そのことへの自覚は、きっとあるんじゃないかと思う。

 軍装部での仕事について話す彼女は、言葉が途切れがちだった。言葉を選んでるからだろうけど、それだけではないとも思う。こんな状況で、軍装部に異動になるってことは、軍に、ひいては国に実力を認められたってことだ。そう言って同僚が褒めそやしても、彼女はどこか煮え切らない切なそうな微笑みを浮かべ「ありがとね」と返すだけだった。


 シエラが近況報告を終えると、今度はリムさんの方に話が移った。シエラとは入れ違いになる形で雑事部に入ったため、シエラがリムさんにリクエストしたからだ。俺としても、どういうことをやっているのか気になっているところだったので、渡りに船だ。

 しかし、話を振られたリムさんは、かなり戸惑いをあらわにした。「あまり進んでなくて……」というのが第一声だ。それに対し、シエラが自然な笑みで話しかける。


「私もホウキを最初に触った頃はそんな感じでした。なんだか、懐かしいです」

「いえ、私の場合は……操兵術師ゴーレマンサーとしてそこそこのキャリアがありますし、今の状況はちょっと情けないです……」


 スラッとした長身を縮こまらせるようにして、リムさんは答えた。見た目はラナレナさんに似てるけど、こういう奥ゆかしいところは、そうでもないというか……いや、お二方はどちらも魅力的だとは思うけども。

 その後、シエラがせっつくようにしてリムさんから話を引き出そうとすると、ちょっとためらいがちな口調で進捗が語られた。

 今やってるのは、拾い物の宝珠の中でも、1個で1体の砂人間を制御するものについての分析だ。1個の宝珠で大軍を作ってみせたアレは、手をつけるにはレベルが高すぎるため、まずは簡単な方からということらしい。とはいえ、技術が失伝している魔道具には変わりないわけで、分析作業は難航しているようだ。

 それに、リムさんがいたアル・シャーディーン王国では操兵術ゴーレマンシーが広く使われている一方、魔道具による操兵術は非主流らしい。なので、技術的に似通った部分はあっても、大部分は手探りというか、リムさんのセンスに依る部分が大きいとのことだ。

 そういうわけで、リムさん視点では思うように進んでいない研究のようだけど、雑事部のみんなからすれば知らない分野の第一人者みたいなものだ。リムさんを見る視線には、敬意や興味が感じられる。そうして向けられる感情に気づいているようで、リムさんはだいぶ恥ずかしそうにしているけど。

 ただ、シエラが向ける視線は、他のみんなとは少し違っていた。共感というか……暖かで、落ち着きさえ感じさせる。きっと、1つの魔道具分野におけるパイオニアとして、通じあえるものがあるんだろう。シエラが「がんばりましょうね」と言うと、リムさんは照れくさそうだった顔を嬉しそうな笑みに変え、「ええ」と返した。


 そうして雰囲気が良くなったところで、部屋のドアが勢いよく叩かれた。こういうのは珍しいのか、一部の職員がびっくりして背筋を急に伸ばす中、ヴァネッサさんが落ち着いて立ち上がり、ドアの方へ向かった。厳密には工廠へ出向している外部の人間なんだけど……ツッコミを入れるのが野暮なくらい、彼女は自然に、この部屋の代表として応対に向かった。

 彼女がドアを開けると、そこには受付の方が立っていた。その表情には焦りと困惑が見える。


「こちらに、ウォーレンとリッツさんは……いらっしゃるようですね」

「呼び出しでしょうか?」

「……とりあえず、こちらへ」


 ただならぬ様子にウォーレンと顔を見合わせ、俺たちは受付さんの方へ向かった。すると、受付さんが辺りをはばかるような声で告げた。


「下に、ルクシオラ嬢がいらっしゃいます」

「彼女から、何か言伝を?」

「『状況が動いた』と」


 つまり、こちら側からも動かなければならない事態が発生したようだ。とりあえず、受付さんには戻っていただき、俺たちはソファーの方へ戻った。そして「ごめん、ちょっと急用が入って……」と、みんなに切り出す。

 すると、シエラが話しかけてきた。


「言えない案件?」

「……まぁ、お察しの通り」

「そう……頑張ってね」


 そう言って彼女は微笑みかけてくれたけど、やはりどこか切なそうというか、寂しそうな感じがある。

 俺たちがやってることと、彼女が無関係かというと、そんな事は決してない。しかし、知れば彼女の負担になるだろう。彼女が内心どう感じているとしても、軍からの要請には答えざるを得ないはずだ。そんな中で、ジェームズの救出のために動いているとか言い出せば彼女は、責任感で押しつぶされてしまうかもしれない。


 でも、また仲間はずれにしてしまってる感じがあって、それは嫌だった。


「……空描きエアペインターの件では、シエラに少し申し訳なかったと思う」

「えっ、何が?」

「ああいうの、一緒にやりたかったかなって。来年は手伝ってほしいと思ってるけど」

「……うん」

「それで、今の案件も内緒になってしまうんだけど……終わったらきっと話すから」

「……うん……ありがと」


 彼女は、弱々しい笑みからいつもの感じに戻った。

 それから俺とウォーレン、ヴァネッサさんは部屋を出た。長い廊下を歩きながら、ヴァネッサさんが話しかけてくる。


「朗報を持ち帰らないと、ですね」

「そうですね、頑張りましょう」

「だな!」


 状況がどうなってるかはわからない。ただ全力で立ち向かうだけだ。

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