第308話 「工廠職員との会議①」
9月20日、10時。工廠のエントランスで待ち合わせ、俺は工廠職員寮へ案内された。
寮は西区の真ん中、かなり閑静な区画にあるらしい。工廠の友人たちの案内に従い、静かな街を歩いていく。もともと落ち着いた雰囲気の街区だからか、王都全体が騒然となった今も、この辺りは騒々しい感じがない。それは単に、気落ちして静まり返っているだけなのかもしれないけど……。
工廠から結構歩いた割に、住民の方とすれ違うこともさほどなく、俺たちは目的地にたどり着いた。
寮の外見は、静養所に近い。王都の建造物にしては珍しく、白木の木造建築で、敷地の境はだいぶ低い石壁と木で囲まれている。
あの無機質な感じがある工廠とは裏腹の建物には、少し驚いた。こっちできちんと寢泊まりすれば……とも思ったけど、興が乗ってくるとそういうわけにもいかないんだろうか。
寮に入ろうとすると、入り口に受付の方がいた。だいぶ柔和な感じだったけど、さすがに素通しというわけにはいかないようだ。
「ウォーレン、こちらの方は?」
「仕事仲間のリッツ・アンダーソン氏です。部外顧問として工廠にお招きしたこともあります」
「ああ、なるほど。お話には聞いたことがあります。では、アンダーソンさん、身分証のご提示を」
今になっても慣れない方で呼ばれ、内心少しむず痒い思いをしながらも、俺は身分証を提示した。すると、受付の方は出入りの名簿らしきものに書き写していく。それが終わると、にっこり笑って身分証を返してくれた。
受付でのやり取りは、その程度だった。原則として仕事の持ち帰りは禁止されているから、寮にそこまで極秘の何かがあるわけじゃない。
とはいえ、取り組んでいる案件について設計図を空で書ける奴はゴロゴロいて、そういう意味では漏洩のリスクがあるんだけど……そういうのは寮内に限った話じゃない。結局は、職員個々人への信頼でセキュリティーが成り立っているようだ。
足を踏み入れた寮内は、外見同様にさっぱりしていて、片付いていた。工廠内と比べると、面食らうぐらいだ。もしかしたら、きれいなのは廊下だけで、部屋は汚いのかもしれない。そんな失礼なことを考えていると、広い談話スペースに案内された。
今日、どういう話をするのか知らないけど、こんな開けっ広げなところで話し合っても大丈夫なんだろうか。少し不安になっていると、馴染みの職員の子があっけらかんとした感じで言った。
「みんな身内だから、大丈夫だって。秘密は守るし」
「それならいいんだけど」
まぁ、部外者なのは俺の方だし、基本的には場の流れに任せることにしよう。
談話スペースの大きなソファーに腰を落とし、雑談していると、少ししてからラックスがやってきた。彼女はヴァネッサさんの紹介で入ってきたようだ。ヴァネッサさんも厳密には部外者なんだろうけど……そのへんは気にしないことにする。
そうして現れたラックスが持つ手提げカバンからは、長い紙の巻物が数本飛び出していた。その巻物の正体は、地図だった。彼女がテーブルに地図を広げていくと、それが通りがかりの職員の目に留まる。
すると、「よう、お前らもどうだ?」とウォーレンが彼らに話しかけた。俺にとっては初めて見る顔だから、別の部署の職員だろう。彼らは顔を見合わせた後、「混ざっても平気か?」と尋ねてきた。
俺は、どう返事すればいいのかわからない。ラックスも、彼女にしては珍しく、いくらか戸惑っている感じがある。しかし、同席している職員とヴァネッサさんが大丈夫そうにしているので、この場はみんなに任せることにした。
そうして俺たちの集まりに合流したのは、軍装部の職員だった。みんな今日は休みだから当然私服なんだけど、近くにいる工廠職員全員が私服っていうのは、なんだか新鮮だ。
それで、互いに軽い自己紹介をしてから、ラックスが本題を切り出した。
「今日話したいのは、どこまでの魔道具を揃えられるかなんだけど……」
そう言ってラックスは、地図の上にペーパーウェイトみたいな、きれいな小石を2つ置いた。片方は王都に、もう片方はクリーガにおいてある。
こうして王国の地図上で距離を示されると、すごい距離がある。数日かけて歩いた盆地とか遺跡群が、隣近所に感じられるぐらいだ。
それで、ラックスは問題の道を指でなぞりながら言った。
「本来は、徒歩でニ月程度の道だけど、これがホウキで十日になったっていう実績があるでしょ?」
「ああ、すごいだろ」
若干ふんぞり返るように言ったウォーレンに対し、ラックスが「もうちょっと縮められないかな」と返すと、彼は腕を組んで悩み始めた。
この場にシエラはいない。彼女がいれば、こういう話がやりやすいんだけど……俺は尋ねてみた。
「シエラは、今日は勤務中?」
「あー、あいつは一時的に軍装部へ転属になってさ……」
わずかに気落ちした感じの口調でウォーレンが答えると、ヴァネッサさんが彼に続けて言った。
「ホウキを軍でも使用する流れになりました。主に偵察と伝令用ですが」
「……そういうわけだ。この件では、ちょっと巻き込めないな」
確かに、軍の方に関わり合いが深くなったのなら、軍とは独立して動く俺たちから声をかけるのははばかられる。利益相反とまでは言わないけど、何かと板挟みになってしまうだろう。だから、シエラの手助けなしで、うまいことやってのけないと。
話が本題に戻り、ホウキでの旅程を短縮できないかについて。実は俺にはアテがあったし、それはウォーレンも知っている。彼は俺に視線を向けてきて、俺はラックスに答えた。
「基本的に、輸送業は安全運転でやってるし、飛行時間も制限されてる。だから、縮めようはいくらでもあると思う」
「実際に乗る側としての感触で、もっと頑張れるってことね」
実際のところ、速度を上げるのが手っ取り早い。しかし、それには乗り手の恐怖心が制約になっている。
そして、他のみんなと比べると、俺はその恐怖心がだいぶ薄いようだった。仕事仲間には「こうみえて肝が太い」とか言われたものだけど、俺だけが特別勇敢とは思えない。
そこで思い至ったのが、速度への慣れだった。この世界の人々は、馬以上に速い乗り物を知らない。一方で俺は、もっと速い乗り物に慣れっこだった。自分で運転したことはないけど、スピード感への免疫はある。
それに加え、速度それ自体ではなく、前例のない速度帯であることに一種の恐怖感があるのではないかと思う。未踏地への心細い冒険のような感じとでも言うか。
その点を踏まえて、俺はみんなに言った。
「今よりもずっと速いスピードでホウキを動かす力量はあるだろうけど、最初は心が付いていけないと思う。回数を重ねて、大したことがないなって思わせられたら、普通に飛べるだろうけど」
「わかった。じゃあ、早く飛ぶのに慣れる訓練を重ねないとね。ホウキ側で、何かできることは?」
話を振られた工廠の面々は、顔を見合わせた。その中の1人が声を上げる。
「速度上限は取っ払えるけど、結局乗り手次第になるね。ホウキは、使い手のマナを受け入れるだけだからさ」
「つまり、乗り手の恐怖心と魔道具を操る力、どちらかが速度の上限を決めるってことね」
「そんな感じ」
「しかし、長距離飛行ってことなら、ホウキにマナを蓄えさせる追加装備が必要になるかも?」
軍装部の1人が割り込むようにそう言った。そういうアシストがあれば、確かに心強い。とはいえ、さすがに、すぐに用意できるようなものではないだろう。そこで、俺たちの訓練と並行する形で、遠距離高速飛行向けのモデルを作ってもらうことになった。
それで、どこまで旅程を短縮できるか、結局は未知数だ。それでも、おおざっぱでいいから目安は欲しいらしく、ラックスは困ったような笑顔で頼み込んできた。
「たぶん、倍速ぐらいにはできると思う」
俺の答えに、ラックスや軍装部職員は驚いたけど、雑事部職員はさもありなんと言った感じだ。空輸事業に関わりが深いだけあって、その辺の理解はあるのだろう。
倍速で行けるという言葉には、軍装部が大いに刺激を受けたようで、乗り気で議論を始めた。専門的な話だったからさっぱりだったけど、なんか期待できるんじゃないかとは感じる。
そうして、今日知り合ったばかりの協力者たちを眺めていると、ウォーレンがほんの少し不思議そうな感じでラックスに尋ねた。
「速くしたいのって、何か理由とかあるのか? そりゃ、速い方が助かるんだろうけどさ」
「うーん、色々あるんだけど……まず、飛んでる最中に状況が変わったら困るでしょ? タイミングを逃さないためにも、速度は必須だよ」
実際、ホウキで飛んだのはいいけど、遅くて間に合わなかったんじゃ目も当てられない。情報のやり取りにも制約がある現状では、逃すわけにはいかないチャンスを確実にモノにするためにも、現場へのスピードは何にも増して重視されるべきだろう。
「それに、帰還にかかる時間も短縮したい。引き返させる命令をしたときならなおさらだけどね」
「あー、心配だもんな」
「うん……こんな作戦に乗ってくれる仲間なんて、すごく希少だから」
ラックスはそう言って、少し神妙な表情で微笑んだ。
彼女も現場には行きたいんだろうけど、立場とか役回り上、そうもいかないのだろう。一度送り出したら、それっきり。あるとしても
だから、道のりを短縮したいって気持ちはよくわかった。しかし、そのことについて、工廠の子がツッコミを入れる。
「早く帰ってきてほしいって言っても、頑張ってホウキ飛ばすしかないんだけどね」
「……帰り道、楽に飛べるようにならないかな?」
少しだけ、ねだるような上目遣いでラックスが尋ねる。すると、軍装部職員たちは、ほんの少しとろけたような顔になって「善処します」と答えた。
ほんと、頼もしい子だなぁ……。
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