第303話 「幕の向こう側」
クリーガ中央広場に隣接する形でそびえ立つクリーガ城。その白亜の城塞のバルコニーに、眼下の集会を眺める一組の男女がいた。
「さすが、王子様はこういうの得意だねぇ」と、片割れの青年が呆れたような笑みを浮かべて言い放つ。その声の主はグレイ。魔人の中でも極めて希少な
彼と卓を囲むのはカナリア。こちらは魔人の中でも飛びぬけて強力な、精神操作の術師だ。
カナリアは、表情こそ笑顔であったが、視線には眼下の民衆を
「台本とか、作ってやったのか?」
「それね、一応共同作業で作ったよ? さすがに、あの王子様だけで嘘八百は言えないって~」
「あ~、敗戦後のくだりな。よくもまぁ、恥ずかしげもなく言えるもんだ」
それからグレイは、注意を再びベランダの下に傾けた。下から響く声は、しきりに現国王の不能を訴え、聞き入る民衆はそれを受け入れているようだ。
再びカナリアに向き直った彼は、乾いた笑いを漏らした。そして「簡単だね~」と独り言のようにつぶやく。
「簡単? 何が?」
「全部」
わざわざ言及するのも面倒だと言いたげな、若干横柄な態度で彼は答えた。
実際、彼にとってこの状況はいささか拍子抜けであった。
演説がうまくいっていること自体は好ましくある。しかし、ちょっとした騒動の発生が起きるのではないか、その懸念――いや、ある意味では期待――があったのも事実だ。
ここまでことがうまく運んだのは、大師とその配下であるカナリアの働きが大きかったのだろう。その手練手管の妙には、グレイも舌を巻く思いであった。
まず彼女らは、侯爵の監視が及ばぬところで、都市圏内にある下級貴族の1人に”話"をもちかけた。一応は利を示したと言うが、事実上の脅迫であろう。
それから、抱き込んだ貴族によっていくらかの後ろ盾を得た後、今度は領内に忍び込む。そして、精神操作で民衆内に特定の考えを広めていく。現王政への不満や、クレストラへの敬慕の念の再燃などだ。
そうして状況を整えつつ、ロキシア公爵が療養で、ベーゼルフ侯が遠征で不在となった隙に、抱え込んだ貴族とともに一挙に動き出し、上層部を掌握する。
一連の流れは、あらかじめ何もかも想定したかのように淀みがないものであった。それにしても、民衆が平素から国と王都への不満を抱えていたとはいえ、ここまで容易に大都市が転ぶとは。
グレイは今のこの状況に、感嘆とあっけなさの両方を覚えた。「これでオシマイか?」、彼はわずかに残念そうに言った。その言葉に、カナリアが真顔で反応する。
「終わり? まさか~。もーちょっと繰り返さないと」
「繰り返す? 今やってる、ああいうバカ騒ぎを?」
「うん。ま~、ささやかなやつでもいいけど、王子サマにはことあるごとに、下々へ声をかけていただかないと」
グレイにとって、死体を操ることは呼吸をするようなものであったが、こうして人心を掌握する術はからっきしだ。生きた人間を意のままに操る、その術理に興味を惹かれ、彼は身を乗り出した。そんな彼に、カナリアは整った顔を綻ばせ、言葉を続ける。
「下の連中は、今は熱に浮かされて流されてるだけ。覚めればまた冷静になっちゃう。だから、何回か繰り返して、自分の意志で叛逆に加わらせないと。『仕方なく』なんて言葉が、心に浮かばないくらいにね」
「アイツラが戦うわけじゃないだろ?」
「うん。あいつらが、かわいそうな兵隊さん達を戦わせるの。本心からの忠誠心を発揮してね!」
無論、兵もあの王子に対する忠義に篤いだろう。だが、戦の原動力は、民意とそれを酌むように放たれる統治者の号令だ。民と統治者、双方の意志が両輪となって軍が動く。
そして、その両輪はほぼ彼らの手中にあるも同然だった……ただ1つ、大きな懸念材料を除いては。
「あの侯爵様はどう思う?」
「あのカッコイイ人?」
そう言ってカナリアは、うっとりしたような笑みを浮かべた。その芝居くささを軽くあしらうように、グレイは手をヒラヒラ振ってうなずく。
すると、表情を引き締めたカナリアが彼に言った。
「遠征から戻るなり、状況を掌握しちゃったからね。私もちょっと驚いちゃった」
「排除は?」
「大師様は、そのままにさせよって。私も同意見かな」
この状況を作り出した張本人たちは、完全に御しきれていない人間の能臣を放置する構えらしい。そのことをグレイは
「あの王子様、カリスマはあるけど、実務は全然でしょ~? だからって、私たちが表に出るわけにもいかないし」
「人間の参謀が必要って?」
「うん」
「あの侯爵が、王子様にとって代わろうっていうのは?」
「あくまで、今の王を否定して、悲運の王子を玉座へって戦いだからね。王子様を排して成り代わろうとした段階で、大義は失われるよ」
「勝てば良さそうなもんだけどな……」
カナリアの言葉にいくらかの納得はしつつも、グレイはいまだ腑に落ちない部分があった。
しかし、これは彼が普通の人間とはかけ離れた存在であるが故の無理解であろう。平民を理解するには限度がある。そのこと自体は彼も重々承知していた。
それゆえ、気にかかる部分はいまだあるものの、グレイはそれ以上の追究を控えた。
下の集会が終わってからも、二人でよもやま話を続けていると、バルコニーに続く部屋に渦中の二人が現れた。その姿を認め、グレイとカナリアの二人は立ち上がって、クレストラの御前にひざまづく。
すると、クレストラは二人を無視して、適当な椅子に座った。そんな彼に、カナリアが問いかける。
「ご機嫌いかが、へ・い・か?」
「知りたいのなら読めばいいだろう?」
挑発的な声の響きの問いかけに、クレストラは冷ややかな声で返した。次はグレンが声をかける。
「陛下が魔人とつながってると知れたら、果たしてどのような顔をするか……」
「面白くなる前に台無しにしたいのか?」
思わぬ返しに、グレンは面食らった。我らが陛下は、これ以上に面白くすると仰せになっている。崇め奉る民とは裏腹の、この君主の態度に、グレンは笑みを浮かべ「滅相もない」と答えた。
こうした陛下と魔人のやり取りを、侯爵は落ち着き払った様子で聞いていた。人としてまっとうな精神を持っていれば耐え難いであろう会話だが、それでも侯爵からは一切の感情が漏れ出てこない。果たして、さざ波1つない表情の奥底に、いかなる感情と思考を秘めているのか。グレイは、侯爵に底知れぬ何かを感じ取った。
彼が侯爵に警戒心を抱いた一方、カナリアは普段の調子でクレストラに話しかける。
「軍を動かすのは、あなたたちに任せるよ。ま、すぐにってわけにもいかないだろうけどね」
「どうしてそう思う?」
「民衆思いの陛下なんでしょ? だったら、少しぐらい配慮しないとね」
軍を指揮した経験こそないものの、魔人の頂点に座す一人、大師の傍で研鑽を積んだだけあり、カナリアにはある程度の理解があった。
民衆には挙兵する用意があるとは宣言したものの、それは民衆に意を決めさせるための方便のようなものだ。実際には、民意を固めた上で軍を動かす。そうしなければ、軍を進発させた途端に統制が乱れかねないからだ。
それに、今から軍を招集・編成し、訓練すれば、早くても進発は晩秋になるであろう。つまり、民衆視点では、新年を迎える前に兵を送り出さねばならない。
そこを敢えて急ぐかどうかはクレストラ次第だが、歴史を作る戦いと考えれば、年明けとともに出立するのが良い演出になる。付き従う民と兵たちに、尋常の戦いではないと信じ込ませ、酔わせるわけだ。
カナリアがそれらの点について軽く触れると、クレストラは「理解があるようで何よりだ」と冷笑的に言った。
「いずれにせよ、後はこちらで動く。お前たちはこの場に留まるわけにもいくまい」
「そうね。魔人とのつながりがあるなんて気づかれると、”面白くない”もんね」
「定期的に連絡はする」
「それはもちろん」
最後にそう言うと、カナリアは心底楽しそうな笑みを浮かべ、グレイとともに部屋を退去した。
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