第302話 「帰りし者の声」

 9月5日。フラウゼ王国王都が襲撃を受けてから1年が経過した。その慰霊のための式典は、ここクリーガでも、今まさに執り行われようとしているところだ。都市中央にそびえる城を臨む大広場に住民が集まり、多くは不安そうな面持ちでその時を待っている。


 式典そのものは、かなり以前から計画されていたものではあるが、その具体的な内容に関しては、都市を運営する者の中でも意見が分かれていた。

 住民が王都に対して複雑な感情を抱いていることは、上層部にとっても周知の事実である。そのため、式典はあくまで任意参加にしようというのが穏当派の考えだ。

 それに対し、遠く離れた王都のことであっても、荘重な式典で以って霊を祭るべしというとう意見もあった。

 しかし、そういった式典を望む一派も、決して一枚岩ではない。本当に主張通りの考えから進言する者がいれば、クリーガでの政務を王都への足掛かり程度に考える、佞臣とまでは言えないまでも打算的な者もいる。


 そのように、都市上層部で式典を巡って様々な思惑が渦巻く中、住民の考えもまた様々であった。王都で失われた人命を悼む声があれば、一方では冷ややかに応じる声が。中には、「王都の連中は戦を知らないから、良い薬になっただろう」などとうそぶく者も。

 そういった意見の違いこそあるが、式典がどういったものになるか、クリーガとしてどう対応するかという点には、住民の誰もが強い関心を注いでいた。


 そして、今大広場に集まった住民の多くは、強い困惑を覚えていた。可能な限り参加するようにとのお触れはあったものの、それらしい式典の用意は辺りに見当たらない。強いて言えば、集まった民衆の前方に、城を背にして演台が用意してある程度。

 人を集めて行うにしては、簡素な式になりそうである。そのチグハグな様子に、集まった民衆の間でも様々な憶測が飛び交った。


「やはり、上の方でも意見が割れて、半端な折衷案を取ったのだ」

「いや、費用を節約しつつ動員だけは盛大にして、最低限のお義理を果たそうというのだろう」


 しかし、そういった憶測のすべては、真実には程遠いものであった――さらに言えば、こうして民衆を集めたのは、故人を悼む式のためでもなかった。


 広場に満ちたざわめきが、急に静かになっていく。集められた民衆の前方に、この都市の統治者が姿を現したからだ。ベーゼルフ侯爵である。

 彼は、療養中であるロキシア公に代わり、暫定的な統治者の任にある。つい先日までは領内に出現した魔人の一群を討伐するため、クリーガを離れていたところだ。遠征より帰還した、30代半ばの精悍な美丈夫が息災であることに、多くの民衆は安堵のため息を漏らした。


 しかし、彼に続いて演台へ歩く人物が民衆の視界に入り、どよめきが波のように広まっていく。その困惑は、彼ら二人が演台に立ったことで最高潮になった。

 多くの民衆が、信じられないと言った眼差しを向けるその人物は……数年前に戦死したはずの前王太子、クレストラ・フラウゼだ。


 彼は戦死したとはされていたが、その真偽を巡っては当時から今に至るまで様々な臆測が飛び交っていた。最前線の総指揮官の任にあった彼は、最期の戦いで近衛ごと全滅したのだが、彼の遺骸が見つからなかったのだ。ゆえに、実はどこかで生きている、そのような妄想の如き言説は後を絶たなかった。

 彼の生存を望む声は、このクリーガにおいては特に根強いものであった。最前線の兵の多くを輩出する都市ということで、クレストラも生前はこの都市のことを大変に気にかけており、訪れたことは一度や二度ではない。

 加えて、彼の苛烈で勇壮な戦いぶりは、帰郷した兵の口から民衆に語られていた。そのため、存命中において、彼は半ば現人神の如き扱いを受けていたほどだ。


 今、その王子が民衆の眼前にある。その存命を信じた民衆にとっても、まさに白昼夢のような状況だ。目にしているものを信じることができず、ざわつきはいや増すばかりであった。

 すると、王子はゆっくりとした動きで、民衆に向けて手をかざした。その挙動に合わせ、火の粉のように赤いマナの煌めきが生じる。きらびやかなマナをまとうその様は、見る者の疑念を払拭するに十分であった。

 ざわめきの波が引いていき、やがて水を打ったように静まり返ると、王子は口を開いた。その口調は優しげで、声こそ大きくはないものの、聞き入る民衆すべての耳にスッと入っていく。


「皆、久しぶり……いや、失礼した。もしかしたら、私を知らない者がいるかもしれない。私は、フラウゼ王国王太子、クレストラ・フラウゼだ」


――無論、”今の”王太子が誰であるか、全ての聴衆が知っている。しかし、弟君おとうとぎみないがしろにするような発言に噛み付くものは、一人もいない。彼が放った“王太子”という自称は、それほどまでに自然に、民衆に受け入れられていた。

 民衆の反応を確かめるように、やや間を開けてから、彼は言葉を続けた。


「私は死んだものと思われていたようだが……実は身を潜めて、傷を癒やしていたんだ。しかし、回復してからというもの、歴史の表舞台に出るべきかどうか、私はずっと迷っていた。戦というものは常に勝ち続けられるわけではない。だが、あなた方から預かった兵の多くを失うほどの大敗を喫しておいて、指揮官の座に戻るべきなんだろうかと」


 少しずつ、声に沈鬱さが混じっていった。それに合わせ民衆の中にすすり泣く声が生じていったが、それでも彼の放つ声は、不思議なほど民の心に入り込んでいった。

 彼は瞑目して言葉を切った。そして、いくらか間をおいた後、面を上げて完全とした表情で怒気を放つ。


「昨秋から冬にかけての王都での騒ぎは、諸君も知っていよう。あちらの民の動きで、大きな被害を出すことなく始末できたようだが、その時陛下は何をしていたというのか?」


 民衆は互いに顔を見合わせた。かねてから心の奥底にしまい込んでいた思いを、舞い戻った王子が口にしている。民の間で言葉は口に出さずとも、場の熱気は膨れ上がってのぼせるようであった。

 それからも、王子は憤ろしさをあらわにして、言葉を続ける。


「そもそも、陛下という力なき主が、その威信のなさが、あのような事態を引き起こしたのではないか? 私に最前線を任せ、自らはただ玉座を飾るだけの、あの男の不徳が!」


 彼は民衆の前に手をかざし、それをゆっくりとした動きでひっくり返して握りこぶしを作った。煽り立てた民の熱気をその手で握りしめるように。

 すると、王子の傍らに控えていたベーゼルフ侯が前に歩み出て、張りのある声で言った。


「すでに我々クリーガ上層部は、クレストラ陛下を旗頭に挙兵する準備を整えてある! 近隣の都市集落についても、統治者とはすでに話がついており、全てが陛下の御旗の元にある! 君達に話が遅れたことについては申し訳なく思うが……体制が整うまで外に漏らさぬための措置であった」


 陛下というその言葉の響きに対し、民衆の多くは拒否感を示さなかった。今まさに、目の前にいる貴人が逆賊としての名乗りを上げたところだが、むしろ彼らが正統な君主であるように、多くの民は感じていた。不思議と腑に落ちる興奮と熱狂が、静かに民の心へ侵食していく。

 そうして熱が渦巻く広場の中、最後の締めくくりに”王”は火を吹くような弁舌を放った。


「私は現王室に対し、その正統を糺す! 王たるものの責務を果たせぬというのであれば、あの男から国を取り戻そうではないか! 正義を信じる臣民諸君、どうか私が掲げる旗の元に参集してほしい。この国をあるべき姿へと戻すために!」

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