第301話 「変事の予兆」

 フラウゼ王国王都フラウ・ファリアと、第3都市クリーガを結ぶ空路は、国にとって一大事業であった。通常の徒歩の旅程であれば、山河に阻まれて二月はかかる。それが空路であれば、最大限安全に気を遣ったとしても、10日程度にまで短縮されるのだ。

 無論、転移門を使えばさらに迅速な行き来が可能ではある。しかし、国家防衛上の懸念から、通常の輸送業に流用できるようなものではない。使用にあたっての簡便さとスピード感を踏まえれば、この空路は革命的と言っても差し支えないものであった。


 しかし、国の重臣が揃って注視するこの事業に、突如として暗雲が立ち込めた。



 9月2日夕刻。クリーガ近郊にある小都市レンドミール、その役所の郵政部門責任者ロスター・ノックスは、執務机につきながら渋面を両手で覆った。

 王都とクリーガを結ぶ空路は、道中9箇所に中継地点がある。ここレンドミールは、往路最後の中継地点であり、復路の最初の中継地点でもある。

 ロスターは執務室の窓から外を眺めた。夕焼けで茜色に染まる空は雲ひとつ無いが、彼の心中はまったく晴れやかではなかった。

 壁にかけられたマナの時計は、すでに18時を過ぎている。しかし、今朝クリーガを発ったホウキ乗りが、まだ到着していない。本来であれば、日が沈みかけるよりも早くに到着しているはずなのだが……。


 こうなってくると、今朝クリーガを発った者もそうだが、こちらを発ったホウキ乗りのことも心配だ。ロスターは、気もそぞろになって席を立ち、役所の外へ向かった。すると、暗い板張りの廊下でいくつもの不安そうな顔が彼を見つめる。せめて部下だけでも少しは安心させてやろう、そう考えて彼は、平静を装うことに腐心した。

 やがて外にたどり着くと、多くの職員が空を心配そうな顔で眺めていた。勤務時間はとうの昔に終了しているが、そのようなことは思考の外にあるようだ。

 彼も部下に混ざって空を見つめ始めてすぐ、一人の青年が声をかけた。


「明日の出発ですが、どうしましょうか?」

「ああ、そうだな……」


 その青年は、明日ここを発つホウキ乗りだ。彼の処遇を決めなければならない。


 王都と第3都市を結ぶ遠大な空路の開通にあたり、細々としたルールは実施とともに洗練させていく事になっている。

 一方、開通当初から厳命されている約束事もあった。「ホウキ乗りとホウキの保全を第一に」というのが、その絶対的なルールだ。

 もしかして、レンドミールとクリーガ間に――あるいは、クリーガで――何かがあったのだろうか。その何かに思い当たるものは、ここの職員にはあった。



 フラウゼ王国第3都市クリーガは、肥沃な土地が延々と続く、一大穀倉地帯の中央に位置している。1つの都市圏として比較すれば、クリーガとその近隣は国内でも最大の人口を抱えており、歴史的には何回か遷都が計画されたこともあるほどだ。

 そして、その人口ゆえに、クリーガから最前線に送られる兵の数も、他の都市とは比較にならない。そのため、国防における貢献の自負心は極めて強い。

 その一方、王都から山河によって隔てられ、徒歩で二月ほどかかるという距離感が、「国から軽んじられている」という認識を根強くしている。

 こういった住民の感情は、昨年の王都襲撃の際にますます強いものになった。王都の防備を固めるためとして、最前線へ送る兵のうちクリーガの割り当て分が、些少ではあるが多くなったためだ。機能していない王室、保身に走る朝臣、顧みられない自領と最前線……昨秋から冬にかけての一連の騒動は、クリーガの民の気持ちを重く沈ませた。


 無論、王都も国も、クリーガの重要性は深く理解している。そのため、王都から遠く離れたこの要地で、王族の血を引くロキシア公爵家が古くから統治にあたっている。

 現当主も歴代の領主に劣らぬ善政を敷いており、王都との関係も良好であった。しかし、民衆が抱く王都への反発心は根強く、王都襲撃の一件とその対応もあり、春先から体調を崩して療養が必要になる事態となっている。

 彼に代わって統治を任されたベーゼルフ侯爵は、切れ味のいい能臣だ。代役というのが失礼という声もあるほどだが、その彼は都市圏を窺わんとする魔人の一群が現れたという報を受け、つい最近までクリーガから離れていた。



 ロスターの脳裏に、政変という言葉が一瞬浮かび上がった。しかし、優れた統治者が一時的に不在になった程度のことだ。留守を任されている他の貴族も、凡庸とは聞くが、それゆえに余計なことはしないだろう。

 彼は、クリーガの郵政で、何かしらのトラブルが起きたのではないかと考えた。統治者の留守中に、”急進的”な思想を持つ者が役所に詰めかけ、その業務を阻害した。あるいは、王都への荷物に過激な嘆願書を差し出し、それがちょっとした騒動になった――そのような、一時的なトラブルが。

 とはいえ、本当にあちらで何かが起こっているのなら……その懸念は消せなかった。彼は、心配そうに言葉を待つホウキ乗りの青年に、明日の出発は一時様子を見るように伝えた。すると、青年は少しだけ安堵したような表情になったが、すぐに同僚への気がかりで顔が暗くなる。


 他にも手立てが必要だろう。そう考えたロスターは、衛兵隊の詰め所に足を向け、責任者に事情を説明した。王都から預かった大切な人材が、何かしらのトラブルに巻き込まれたと。そして、少しでも情報を集めるため、衛兵隊からは早馬を出すこととなった。

 後は、帰還が単に遅れているだけという可能性だ。ロスターの中で、その可能性は悲しいほどに低いものと考えられたが、一縷の望みに託すように、彼は部下の中から志願者を募った。いつホウキ乗りが帰還しても対応できるように。

 そうして最低限の人員を確保した彼は、一般職員が出入りする事務室のソファーで夜を明かした。



 翌朝、5時頃。役所の玄関のドアを勢いよく叩く音に、事務室で寝泊まりしていた一同は跳ね起きた。それから、身だしなみを整えるのももどかしく、職員総出で一直線に玄関へ向かう。

 すると、外に立っていたのは街の衛兵と、ホウキ乗りと――見慣れない役場職員だった。

 そのホウキ乗りは、昨日の朝出発した者だ。一人戻ってきたことに、一同はいくらかの安堵を覚えた。しかし、昨朝クリーガを発ったはずの青年は、依然として戻ってきていない。その代わりに、見慣れない役人が立っている。そのことには、ロスターの寝起きの頭も、たちまち冷水をかぶせられたようになった。


 玄関口で顔を合わせ、先に疲れ切った顔のホウキ乗りが口を開く。「水、いいすか」その一声に、職員の一人が急いで用意に走った。

 それから、後のことを衛兵から引き継ぎ、一同は会議室に入った。職員が水といくらか軽食を青年の前に用意し、彼が一息ついたところで、ロスターは尋ねた。


「何かあったのか?」

「あったというか……巻き込まれる前に逃げたというか」


 青年は傍らに座る役人を見ながら答え、少し考えてから言葉を続けた。


「クリーガに近づいて、門が見えてきたところで彼女が立ってて、危ないから引き返せと。なんか、俺よりも前にあっちに入ったジェームスが、捕縛されたとかで」

「捕縛?」


 ロスターは、急にもたげてきた暗澹とした考えを脳裏で振り払い、冷静さを保ちながら女性の役人に尋ねた。すると、彼女は少し戸惑いながらも口を開く。


「私はクリーガの郵政担当の役人なのですが、昨日の朝ジェームズさんが発とうとしたときに、衛兵の方々が職場に押し寄せてきました」

「何か、彼に罪状が?」

「『上意である』としか……しかし、現場に詳細な命が下っている様子ではありませんでした。指揮官の方も、わずかに困惑されている感じでしたから……」


 ロスターは考えた。クリーガにおける上意のもとに、王都とつながる空路が遮断されたのなら……もはや政変に類する事態が進行しているのではないか。

 降って湧いた重大な事態に圧倒されそうになりながら、彼はどうにか気力を振り絞り、その場の一同の前で落ち着きを保ってみせた。そして、帰還した青年に労いの言葉をかける。


「昨日の夕方前に引き返して……夜通しでここまで来たんだな。お疲れ様だった」

「いや……話すと長いんですけど、ちょっと違うというか」


 青年の歯切れの悪い返事に、ロスターは興味をそそられた。それに、その話を聞けば、何か情報が得られるかもしれない。そう考えて彼は詳細な報告を求めた。

 すると、青年は少し眉を寄せるようにして考え込みつつ、それまでの経緯を語った。


「まず、あっちに着いたのは昼ちょっと過ぎですね。昼前に往路と復路ですれ違うはずなんですけど、それがなくて心配になって、ちょっとスピードを上げたんです」

「なるほど……そこから、一直線に帰ったのか?」

「いや……クリーガがヤバくなってるなら、こっちや街道も危ないかと思って、ちょっと迂回したんです。追手も心配でしたし。街道から離れたところにちょうど森があったんで、そこで一旦下りてちょっと休んで、夜陰に乗じて帰還したって感じです。まぁ、こっちが無事でなによりでした」


 さすがに、冒険者から転身しただけはあり、機転のきかせ方は見事だと皆がうなった。それはロスターにとっても例外ではない。青年が聞かせたその機転は、重大事に臨むロスターの背を強く押した。

 それから、彼は非凡なリーダーシップを発揮し、短い間に部下からの考えを吸い上げて以後の対応を定めた。往路にあってクリーガを目指すホウキ乗りは、一度大半を王都へ送り返す。また、一際ひときわ優秀なホウキ乗りを2名ほど残しておいて、有事の連絡役にすると。

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