第300話 「宴の終わり」
イベントの進行は順調だった。前方の浜辺を埋めるように大勢の観客がいても、明かりが薄いせいか、ぼんやりとしか感じられない。それでも、1つの絵を完成させるたびに贈られる拍手喝采は、確かな達成感を与えてくれた。
本番に向けて増やしていった、曲線が多い意匠も、観客の反応からうまくいっているのだと判断できた。俺含めて、みんな本番に強いんだろう。というか、冒険者の仕事なんていつもぶっつけ本番だから、リハできる分だけこの仕事の方が恵まれているか。
赤と緑の曲線が入り乱れる果樹の絵も、キレイに成功したのだと盛大な歓声が教えてくれた。満足感を覚えながら、浜辺に視線をやった。
あの浜辺の中に、殿下とアーチェさんがおられるんだろうか。さすがに、おられないってことはないだろうけど……。演舞自体に自信はある。しかし、お眼鏡にかなうものかどうかは、やはり少し気になるところだ。
少なくとも、臣民がこれだけ楽しめているのだから、その点ではご要望に沿えるものではあるとは思う。
ともに空を舞う仲間にも、今回のイベントをやるに至った経緯は伝えてある。あまり広くに言いふらすのはどうかと思うけど、殿下のご依頼による名誉な仕事だという認識は、共有したいと思ったからだ。
そういう話をした直後には、ラウルとサニーの動きが硬くなったものの、今では普段通りの力を発揮できている。それ以外の仲間に関しては、かなりモチベーションが上がったようだった。伝えて良かったと思う。
それからも絵をいくつか描き上げていって、いよいよ大物に取り掛かる時が来た。
ここは一番の乗り手であるサニーのソロパートだ。彼が乗ったホウキが、夜空に赤い線を残していく。絵のためとはいえ、赤という高貴なマナを使うのは少し恐れ多いことかもしれない――しかし、描いてる絵はもっと恐れ多い。
サニーが操る絵筆がいくつもの曲線を夜空に残していって、それが少しずつ人の顔になっていく。デフォルメしてあって少しかわいらしさすらある、赤いマナで描かれるその少年の顔の正体は? 観客の方々は気づいたようで、どよめきがこちらにまで聞こえてくる。
そんな浜辺を煽り立てるように、シルヴィアさんが「さあ、誰のお顔でしょうか?」と楽しそうに声を上げた。
何ともノリがいいというか、頼もしい限りだ。
そうして絵が完成した。ホウキでも描きやすい程度にデフォルメしつつ、モチーフとなったお方の凛々しさを表現することに腐心したその絵は……
「王太子アルトリード殿下です!」
シルヴィアさんの高らかな宣言に、浜辺はますますざわめく。そんな中、彼女は言葉を続けた。
「この度の企画は、王太子殿下から我々へのお声がけがあって実現したものです。ですので、せっかくですから記念にお顔を描かせていただきました。ですが、我々最高の乗り手でもこれが限界で……もっとハンサムであらせられることは存じ上げてますよ!?」
シルヴィアさんがまくしたてるように言うと、ざわめきが次第に笑い声に変わっていく。すると、少し不安そうに絵を見上げていた視線にも、親しみが勝るようになったと感じられた。
殿下のご尊顔を描こうというのは、練習後の食事で出てきたアイデアだ。たしか、ちょっと酒が入っていた時に、「せっかくだし殿下に媚びてみようぜ~」みたいな冗談を誰かが言って、それが発端になったのだと思う。
こういう演出について、殿下がどう思われるかは定かじゃない。でも、殿下のご意向で形になったイベントだと、大勢に知っていただくことには意味があると思う。長く最前線の旗印であり、また総司令官でもあり続けられた殿下だけど、こういう催しを臨まれるお方なんだと。
まぁ、コレで殿下はちょっとばかし驚かれたかもしれないけど、それはそれだ。名誉で価値ある仕事をいただけたとは思うけど、やっぱりアレは無茶ぶりでしか無いと思うし。少しぐらい驚いていただくのが手間賃って感じすらある。
だから、楽しんで、驚いていただければ、俺は満足だ。
☆
イベントの最後、七色のパステルカラーで幾何模様を描く俺のソロパートが終わると、シルヴィアさんが言った。
「ご来場のみなさま! これにて今夜の演舞は終了となります! 観覧中のご声援の数々、本当にありがとうございました! お帰りの際には足元にお気を付けください!」
俺たちとは別種の疲れがあるだろうに、開会時と変わりない明朗で張りのある声で、こっちの疲れも吹き飛ぶようだった。
後は、観客の方々が無事に家に帰れればいい。そして、そこは抜かりがない。浜辺に点在する魔道具の灯りが強くなり、衛兵隊の方々とギルド職員が協力して、客の誘導を始めた。もう、あちらに任せてしまって大丈夫だろう。
満足感に浸りながら浜辺の動きを眺めていると、「戻るか?」とラウルに声を掛けられた。
問題は、俺たちが戻ってからだ。浜辺に降り立つや否や、知り合いや知らない人やらに絡まれてもみくちゃにされる可能性はある。
しかし、そういうのも経費かと思って、俺たちは浜辺へ向かった。
久しぶりに地面に降り立つと、素足に柔らかで不確かな感触が伝わった。しかし、そんな地面に頼りなさを覚える暇もなく、見知った大勢が駆け寄ってくる。
先頭にいるのはシルヴィアさんとラックスだ。笑顔の2人は俺の目前で立ち止まり、口々に感想を告げて、手を差し出してくる。
2人が俺に続いて飛行部隊に声をかけていくと、俺の方には今回の協力者が声をかけてきた。工廠メンバーや商工会の方々だ。出店の店主さんには、「おかげで稼げたぜ、大将!」とか言われた。見たところ、どの店主さんも結構稼げたようでホクホク顔だ。
さすがに、ああいうパフォーマンスをやった後にすぐ金の話というのも味気にないので、そういう話は後日持越しだ。
それから俺たちは、屋台の料理で打ち上げを行うことに。料理は店主さんたちのご厚意で差し入れ、しかも可能な限り作り立てを提供してもらえた。酒が進みそうなつまみやら主菜に、子供が好きそうな菓子類等、色々盛り合わせの料理を楽しみながら歓談する。
気が付けば観客の波が完全に引いて、あたりには俺たちと関係者の方々だけになっていた。
いや、それだけじゃない。暗闇から歩いてくる人影が3人あって、それが殿下とアーチェさん、ハルトルージュ伯だとわかるのに、そうはかからなかった。お忍びであっても、やはりそれとわかる――というか、伯爵閣下はお忍びですらない。
みんなも気づいたようだ。急に居住まいを正し始めるけど、案の定、殿下はそれを手で制された。そして、柔らかな声音で仰った。
「今日は楽しかったよ、ありがとう」
そのお言葉に対する反応は様々だった。発掘調査とか、前の盆地で同行したことがある仲間は、過去の経験から多少の慣れはある。でも、そうではない仲間もいて、殿下が親しげにされてもちょっと固い感じだ。
それで……俺は対応を誤ると良くないなぁと思いつつ、殿下に話を持ち掛けた。
「よろしければ、打ち上げを一緒にいかがですか?」
「私も?」
「お名前を使ってしまいましたので」
俺がそう言うと、ラックスが含み笑いを漏らし、「確かに関係者ですね」と言った。すでに酒が入っている仲間の後押しもあり、殿下と一緒にアーチェさんと伯爵閣下も打ち上げに混ざることに。
アーチェさんに関しては、あまり注目を集めると殿下以上に危ないかと思っていたけど、そこは遺跡調査に関わったメンバー同士で、うまく話を逸らすなどしてフォローできた。彼女は、少しおどおどしているようではあったけど、でも俺たちに混ざること自体は、快く感じてもらえているようだ。
伯爵閣下は……どういうわけか若干憔悴した感じの微笑みを浮かべておられた。護衛という役回りから、殿下の似顔絵でご紹介をやったのが気が気じゃなかったのかもしれない。
しかし……事情をお伺いしてみると、単に人目を集めすぎてしまって困られていただけのようだ。闘技場での勇名に比べると、こういうところは……他人の気がしないというか、ちょっとしたシンパシーを覚えた。
さすがに殿下御一行を、夜の浜辺に留め続けるのはまずかろうというということで、料理がなくなり次第打ち上げも終了となった。少し短く感じられたけど、それだけ打ち解けた雰囲気だったということだろう。
最後に殿下は「来年も頼むよ」と仰って、その場を締められた。
☆
イベントの2日後の昼、俺はシルヴィアさんの呼び出しでギルドに向かった。
今日の件は、会計報告だ。付き合ってくれる仲間にタダ働きを強いたくはないという考えで、収益化を目指した今回の一件だけど……話を待つ俺に、いつになく真剣な面持ちのシルヴィアさんが言った。
「こちらが会計報告です。指揮役及び飛行部隊に関しては、練習時間を加味すると、少し割安な報酬ですね」
書類に書かれた金額は、駆け出しの冒険者の仕事2~3回分ってところだった。あのイベント1回の報酬と見ると、それなりの金額ではある。しかし、シルヴィアさんの指摘通り、練習時間での拘束を鑑みると、物足りなさはあるかもしれない。そういうことで誰も文句を言わないだろうとしても。
工廠には組織全体として謝礼を出す形になった。ウォーレンもヴァネッサさんも、結局は練習に張り付くような形で付き合ってくれた。そのことに、組織としての謝礼で報いることができるかというと……やはり、微妙なところはある。あの2人が気にしないとしても。
そういう思いに俺が難しい顔をしていると、シルヴィアさんが表情を和らげて言った。
「お店が少ないと、お客さんが集まりませんよね?」
「えっ、ええまぁ、そうですね」
「今回は、場の盛り上がりを優先して、商店からの徴収を抑えめにしたんです。初めての試みに乗っかってくれる店主さんへの礼もありますけど」
つまり、やろうと思えばもう少し儲けられた、とのことだ。
「今後も、同じようなことを続けて調整していけば、きちんとしたビジネスになっていきますよ。親しい相手にも、やっぱり支払いはしっかりしたいですからね」
「ギルドの受付が言うと、重いですね」
「受付も大変なんですよっ!」
そう言って彼女は朗らかに笑った。
金銭面では、少し反省する部分があるものの、全体としては成功裏に終わったと言っていいだろう。スケジュール的に少し心配していたところもあったけど、それもどうにか延期せずに済んだ。
今回のイベントは、なんとか8月中に実施したい、そう考えていた。9月になると、去年の王都襲撃のことが、大勢の脳裏にちらつくだろうと思っていたからだ。
それに、追悼の式典が計画されているという話も漏れ聞いた。王都全体で大々的にやる感じではないけど、時期的に被らせるような愚は避けたかったわけだ。
……あれから一年が経つ。後から見れば、魔人による数年越しの策略だったわけだけど、あの秋から冬にかけての騒動以降、王都と近辺は嘘みたいに安定している。
しかし……今ではあまり話題にも上がらなくなったあの王都襲撃は、目的だったんだろうか? あれを足がかりに、さらなる謀略が巡らされているとしたら?
言いしれない不安が胸中で疼くのを、俺は感じていた。
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