第284話 「真実」

 7月10日昼過ぎ。遺跡発掘調査から帰還した王太子アルトリードは、付き人のアーチェと何人かの護衛を伴って、アスファレート伯爵の元を訪れた。

 一行を邸宅の門前で迎えた使用人は、漠然とした感覚ではあるものの、異様な雰囲気に身を固くした。


 主たる伯爵は軍事と政治から距離を置いており、王太子が王都から離れていた期間の長さもあって、彼と直に会った経験は少ない。しかし、王太子からは、その文化的な気質や目利きを評価され、数少ない接見の折には親しく談笑する仲ではある。

――そのように使用人は認識しているが、今訪問している王太子には、何か言いしれないものを感じた。表情こそ柔和であるが、張り詰めた緊張感が肌を刺す。

 それに、王太子の傍らにいる少女も、使用人にとっては気がかりであった。侍従にしては明らかに場慣れしておらず、自身を場違いに感じているのか、不安げに視線を走らせるばかりだ。

 無論、王太子の命であれば、ここで追い返すことなどできはしない。しかしながら、どことなく危ういものを覚えた使用人は、平静を保って王太子に尋ねた。


「ご尊顔麗しく何よりでございます。この度はどのようなご用件でございましょうか?」

「伯爵に会わせてほしい。構わないかな?」

「はっ、ご案内いたします」


 使用人は、その伯爵に会わんとする理由を問いただすことをしなかった。聞かせられるものであれば、おそらくは王太子が口にしたであろうからだ。

 一行を案内して中に入れる前に、王太子は振り返って護衛たちに待機するように言い渡した。つまり、傍らの少女は同行させる。使用人は、彼女こそが今回の来訪の目的なのではないか、そう察した。

 それから、使用人を先頭に2人が続いた。特に会話はない。無言で進む邸内の広い庭は、彼の手入れが行き届いている、まさに彼の庭である。しかし、この時ばかりは知らない場所に足を踏み入れたかのように、言いしれない不安が掻き立てられるのを彼は感じていた。


 白亜の邸宅内に足を踏み入れると、別の使用人が呼びに行っていたおかげで、玄関ホールでは伯爵が客を迎える準備をすでに整えていた。口さがない貴族には迎賓担当などと揶揄されるだけあって、こういった手際は心得たものだった。

「お久しゅうございます」と、伯爵はひざまずいて頭を垂れる。彼に王太子は「楽にしてほしいな」と気さくに話しかけ、伯爵はすぐに立ち上がった。

 ここまでのやり取りには、特に不穏な気配はない。しかし、使用人の胸中を占める何かを裏付けるかのように、王太子は言った。


「すまない、あなたは外してもらえるかな? 内密の話がある」


 使用人は一瞬だけ主に視線を送ってから、「かしこまりました」と言ってその場を離れた。そして、他の従者たちに声をかけ、玄関の3人から距離を取るように動いていく。

 周囲の人に気配がなくなったところで、王太子は静かに来意を告げた。


「こちらで世話しているという客に会わせてほしい」

「……理由をお聞かせ願えますか?」

「歩きながらでもいいかな?」


 伯爵は逡巡した。が、結局は折れて、例の客間に向かいながら話を聞くことに。

 広く静かな廊下を進みながら、王太子はアーチェについて話した。厳重な仕掛けに守られた遺跡の最奥部で見つかり、王族でしか開けられない棺の中で眠っていたと。そして、今日こうして訪問したのは、彼女から話を聞くためであるとも。


「卿が世話をしているという客人は、他人の嘘に反応してその者を焼くと聞いたからね……火加減ぐらいはできるものと考えて、こうして当てにしたわけなんだ」

「……左様でございますか」


 自分の知らない歴史を知るであろう少女に対し、その言をただ鵜呑みにするのではなく、虚言への対策を用意するというのは、彼女にとって酷ではあるが必要な備えではある。王家の血筋や、国家の根幹に関わる話を聞けるかもしれないのだから。誤った判断を下さないために、少なくとも本当のことを聞けているという保証がなければならない。

 それに、王太子には別の考えもあった。


「客人も、歴史上の人物と言っていい存在だろう? 彼の見識とも照らし合わせたいと思う」

「……しかしながら、殿下。彼はいささか出不精でしたようで、あまり話の方は期待できないかもしれません」

「それでも、私たちよりは物を知っていると思うよ」


 そうこう話している間に、一行は客人の部屋の前に着いた。部屋の前で彼を見張る者が、思わぬ来訪者にギョッとして、すぐに深々と礼をする。

 そんな彼に、伯爵は楽にするように告げた。それから、真剣な表情で格子状の壁から中の客人――というか友人――に呼びかける。

「ユリウス、少しいいかな」と声をかけられ、彼はかけていたイスから立ち上がって壁へと向かった。「そちらは?」と尋ねる彼に、伯爵は「王太子と侍従のお方だ」と返した。

 予想外の返答だったのだろう。ユリウスは少しだけ目を見開き、固まった。そんな彼に伯爵が言葉を続ける。


「例の、虚言を焼く魔法は、威力を調整できるか?」

「一番弱くすれば、火の粉がまとわりつく程度にできる」


 その言葉に伯爵が振り向くと、顔を向けられた王太子は傍らのアーチェに視線を向け、彼女は表情を強張こわばらせながらもうなずいた。再びユリウスに顔を向けた伯爵は、「それで頼むよ」と言った。


「わかった。念のために水の用意を」

「ん? 君の手では消せないのか?」

「私の任意で付けたり消したりできる炎じゃないんだ。そうじゃないと意味がないから」


 伯爵は表情を引きつらせた。再度、後方の2名に視線を向けるが、いずれも腹は決まっているようだ。両者がうなずくと、伯爵は少し考えた後に王太子に告げた。


「私も同席してよろしいでしょうか?」

「もちろん。客にだけ聞かせて、主が知らぬままというわけにもいかないだろうからね」

「では……人払いをした上で、外で卓を囲むことにいたしましょう。誰か、水を被る事態になるかもしれません」


 それからの準備は迅速だった。伯爵は使用人に指示を出し、それぞれが手際よく動いて、あっという間に会談の準備が整った。広い裏庭の一角にポツンと白いテーブルが用意され、かなり距離をおいて散らばった使用人たちが見張りに立つ。

 4人は用意されたテーブルに着いた。一応の茶器類の用意の他には、頭から水を被るためのタライが1人1つ置いてあり、ご丁寧にも青いマナを帯びた水が張ってある。

 そして、会合の準備は残すところ1つ。伯爵は友人の魔法の展開を依頼した。


「……しかし、私が君の主君を、この機に乗じて……そう考えたりはしないのか?」

「私は自分の審美眼を信じるよ」


 力強い伯爵の返答に、ユリウスは顔の力を抜いた。王太子も、緊張感を漂わせつつ、少しだけ表情を緩めた。

 そして、家主の承諾の元、ユリウスはテーブルよりも少し大きい程度の魔法陣を足元に展開した。草地に刻まれたマナが赤い光を放つ。

 こうして最後の準備が整うと、王太子は隣に座るアーチェにうなずいた。すると、彼女はコップに手をつけ、軽く一口飲み干した後、静かに話し始めた。



 今日、この場でお話する前に考えをまとめたつもりではありますが、どう話したものか迷う部分はあります。話が入り組んだものになるかもしれません、その点はご容赦ください。

 それと、私が生まれた御代には、今のような書というものがほとんどありませんでした。知識が公有化されるのを、権力者が恐れたためです。それでも、多少は存在していましたが……私の知識に不足がある部分もあるかと思います。申し訳ありません。


 まず、私の生年は啓明歴523年、眠りについたのは540年です……つまり、今の世に伝わっていない紀年法があった時代の人間です。

 私が生まれるよりも前、おそらく数十年前には、紫色のマナを持つ人間――貴族は、存在していませんでした。そして、魔人も。赤から藍までの6つのマナが、世のすべてでした。

 当時……いえ、それよりもずっと前から、世界の王族は互いに覇を唱え、いつ終わるともしれない戦乱に明け暮れていました。

 その頃の魔法は、王族とその近臣にのみ許された特権でした。平民に魔法を教えるということは、国内の力の均衡を欠く恐れから慎まれていたようです。


 しかし、高貴な身分の人間を前線に送らなければ、戦争で勝つことは難しい……そこで生み出されたのが貴族です。赤いマナに匹敵する力を持つ、空位であった7つ目にあたる紫のマナを発見し、そのマナと王家への忠誠心を植え付ける形で、貴族階級というものが作り出されました。

 王族に匹敵する力を持ち、それでいて絶対の忠誠を刻まれた貴族は、王族に代わって軍を率い、瞬く間に戦乱の主役の座に躍り出ました。そんな貴族は、最初は一国だけに存在していましたが、謀略や調略、尋問等で”作り方”が広まっていき……世界中で使われるようになるまで、そう長くはかからなかったようです。


 そうして、信を置ける代行者に戦争を任せられるようになった王族は、さらなる力を求めて魔法の研究と人を作り変える行為に手を染めていきました。

 しかし、世の中が少しずつほころび始めていきます。より強いマナを植え付けられるようになると、貴族の中には精神の均衡を欠く者が現れ始めました。最初のうちは処分することで対応していたようですが……。

 ある時、戦場で非業の死を遂げた1人の貴族が、その場で蘇りました――半狂乱になり、体中から白い砂のようなものをかすかに撒き散らしながら。おそらく、彼が最初の魔人なのだろうと言われています。

――赤や紫のような強力なマナを持つ者は、死に際に極稀ではあるものの、自身のマナで存在をつなぎとめる。そういった話が知れ渡るようになると、実例が相次ぎました。いずれも悲惨な最後を遂げており、まさに死んでも死にきれないといった境遇にあったようです。そういう方々にとって、蘇りうるという情報それ自体が、最期に必要な物だったのかもしれません。


 激情を伴いながら蘇った彼らに、もはや国への愛着はありませんでした。植え付けられた忠誠心もねじ曲がり、自身を使い捨てた国への憎悪に代わったのでしょう。

 いつしか、そういった者たちが集まり始めました。最初は貴族の成れの果てだけだったのが、次第に政変などで果てた王族も加わり始め……。

 使われるだけだった貴族だけではなく、世の知識層たる王族が参画したことが発端になり、次の扉が開けてしまいました。貴族を作り出したときよりも先の一線を越え、彼らは赤と紫を混ぜ合わせた新しいマナを作り出し、それを人に植え付け、人ならざるものを作り始めました。

 その頃になって、彼らのように普通の人間のような生命を持たず、マナと精神の力で永らえる存在のことを、人は魔人と呼ぶようになりました。

 魔人が徒党を組み、1つの国を成すようになると、他の人間の国は考えを改め共闘するようになりました。しかし、魔人の力の前には苦戦を強いられるばかりでした。

 人間同士の戦いのときですら、王族は貴族という人種を作るほどの傲慢さを発揮しました。その邪悪を煮詰めたような魔人が戦いの相手となり、戦火は星を焼くほどに広がっていきました。


 そして……もし王家が後の世に存続したときのために、私は生まれました。私の御代にあった全ての書と歴史が戦火に呑まれても、後世に真実を伝えるために。



 アーチェはそこまで話し切った。魔法は発動しなかった。

 彼女が話し終えても、残る3人は反応を返さない。しばらくの間沈黙が続き、アーチェは視線を伏せた。

 すると、アルトが彼女に話しかけた。一言一言、言葉を自分で確かめるように。


「あなたも、そういう”貴族”なのか? 私に仕えるために、忠誠を?」

「……そう思っています」

「……ハハッ、素晴らしい贈り物だね!」


 次の瞬間、アルトの体を覆うように赤いマナの粒子がまとわりついた。それが次第に熱を放ち始める。

 伯爵は「殿下!」と鋭く叫んだ。そして彼は自分の前に置かれたタライを掴む。が、アルトはその動きを手で制した。

 それからほんの少しだけ間を開け、彼は自身のタライに手を伸ばして水を被った。まとわりついた火の粉は消えてなくなり、ずぶ濡れになった彼は伯爵に笑顔を向ける。


「心配かけてすまないね」

「いえ……申し訳ございません。どのようにお声をかければ良いものか……」

「辛いのは卿も同じだろう……卿も水を被ったらどうかな。案外気持ちいいよ」

「それは……」

「嘘じゃないよ」


 そう言ってアルトが頬を緩めると、伯爵はほんの少し哀しそうな笑顔を返した。それからアルトは、伯爵とアーチェに向かって離席を頼んだ。


「少し、彼と話したいことがある。構わないかな?」

「……私には聞かせられない話でしょうか」

「ちょっとした雑談だよ……」


 アルトの弱々しい口調に、伯爵は逆に怯んだ。彼自身、人生観を破壊されかねない話を聞かされたばかりではあるが、アルトが受けたダメージはそれ以上だった。

 伯爵はアーチェを伴って立ち上がり、「後ほどお召し替えを」と言って立ち去った。


 こうしてテーブルには2人が残った。いずれも、ただただ暗い顔でふさぎ込み、テーブルに視線を落としている。

 先に沈黙を破ったのはユリウスだ。彼は重い口調でアルトに話しかける。


「話というのは?」

「ああ、いや……今の話を、あなたは信じるのか?」

「私の魔法が判じたことだ。私は信じる」

「……その魔法は、何を以って虚言とするんだ?」

「話し手が真実と思っているかどうかだ。だから……今の話が事実でなければ、彼女は狂人だろう」

「……どっちが幸せなのかな」


 頭から水を滴らせながら、アルトはポツリと呟いた。その後、卓が再び静まり返る。それから、憎らしいほど青々とした裏庭に視線をやりながら、アルトは思いをめぐらした。

 自身の血をずっとさかのぼっていくと、今の世を作り出した元凶たちに突き当たる。その連中と同じ血を引いているという事実が、連中が作ったこの世が自身を苦しめている事実が、彼の心を激しく揺らした。

 そして彼は、相対するユリウスのことを思った。魔人の国と人間の国を結ぶ政略婚に利用され、結果として妻を失ったというその過去を。

 今の話を聞いても、世の魔人に対して共存しようという気持ちは、アルトには起きなかった。前線を知る彼は、あまりにも多くを失いすぎているし、魔人は手を取り合う相手としては邪悪すぎる。

 しかし、今こうして話しているユリウスに対して、アルトは多少なりともシンパシーを感じた。彼は話しかけた。


「あなたは、魔人にも人間にも与しないと聞いたけど……今の話を聞くと、すごく賢明だと思うよ」

「本当に、そう思っているのか?」

「火がついてないじゃないか」


 ユリウスは、ずぶ濡れの少年に視線をやってから、それまで暗かった表情を和らげた。あるいは、彼も共感を覚えたのかもしれない。

 その後、彼は真剣な表情になって、少し考え込んでから言った。


「私は、人間にも魔人にも味方しないつもりだ。しかし……」

「しかし……?」

「正しい者の味方でありたいとは思う」

「……そうか。では、私はあなたが私の味方であることを祈るよ」

「頼られても、こうして話しかできないだろうけどね」


 それから、ユリウスは手を差し出した。それにアルトは目を見開き、内心、先を越されたと思いつつ応じる。そうして握手を終えると、ユリウスは濡れた手をそのままにして尋ねた。


「今の話は、他に伝えるのか?」

「……言わないわけには、いかないと思う。貴族の全てにというわけにはいかないだろうけど……国によく仕えてくれている重臣には、伝えるべきだと思う」

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