第283話 「凱旋の路は曇り」

 俺たちは、扉が開くのを静かにじっと待っていた。

そして、殿下があの中に残られてから十分ぐらい経って、扉が開く気配がした。張り詰めた空気が、ふっと緩む。

 扉が完全に開くと、殿下が例の女の子を伴ってこちらに歩み出られた。

 特に大事はなかったようには思われるけど、その装いには変化があった。殿下が上に着られていた、カーキ色のジャケットを、今はあの子が羽織っている。地下が少し肌寒いからこそのご配慮だろう。

 しかし、真っ白なワンピースの上に、探索向けの上着という取り合わせは珍妙だ。彼女は少し妙な装いだし、部屋の外にずっといたメンバーにとっては初対面だ。視線が集中するのは当然で、彼女は白い頬をほんのり紅潮させた。そんな彼女を一暼されて、殿下は仰った。


「もう少し良い服ないかな?」


 すると、女性陣から快く、上着を提供する申し出が相次いた。手を挙げる彼女たちに視線を巡らせ、殿下はフード付きのパーカーみたいな服を選ばれた。


「お目に留まって光栄で……ぇっくしゅん!」

「大丈夫? 寒ければ私の上着を貸すから」

「ああっ、光栄の至りですっ」


 寒がりっぽいパーカーの主は、ぬくぬくした上着を差し出し、代わりに例の子から殿下の上着を受け取った。

 こうしてトレードで薄手の上着を得ることになったパーカーの子だけど、殿下のお召し物に袖を通すという栄光に浴したせいか、血の巡りが良くなって内から温まったようだ。ウィンウィンなのかも。

 一方の白い彼女は、温かな上着に表情を緩め、提供者に深々と頭を下げた。少し大仰にも感じる感謝に、パーカーの主は「いいですって~、安物ですし」とユルユルな口調で返す。

 服のやり取りに関しては、パーカーの子の性格もあって和やかに終わったけど、次第に場の空気が浮足立つような微妙なものになっていく。

 すると、ティナさんが「今日はここまでにいたしましょう」と朗らかな声で言った。それに反論はなく、彼女を先頭にして、俺たちは地上へ歩き出した。


 しかし、地上への道はいつもよりも少し険しい。

 あの白い子は何者なのか。どう接すればいいのか……みんな興味があるのは明らかだったけど、それをアクションに変えられない、気がそぞろになって互いに様子見に専念する状態が続いた。

 でも、こういう沈黙それ自体が、あの子にとっては好ましいものではないのかもしれない。顔をチラ見すると、彼女はうつむき加減にしていて、いたたまれなさが漂う。

 そんな沈黙を打ち破ったのは、例のパーカーの子だった。彼女は、あの白い子のそばに寄って言った。


「その服、ちゃんとぬくいですか?」

「はっ、はいっ、とっても!」

「良かった~。せっかくなので、良かったらあげますよ」

「えっ、でも、それは……」


 申し出に戸惑う彼女は、助けを求めるように殿下に視線を投げかける。すると殿下は微笑みうなずかれ、パーカーの主に声を掛けられた。


「では、代わりと言っては何だけど、その服をあげよう」

「ええっ! 良いのですか!? 家宝にしますっ!」

「……市販の品だけどね」


 殿下がそう言われると、クスっという笑い声が漏れ聞こえた。しかし、市販品であっても、いただいた子の嬉しそうな顔はそのままだ。そしてパーカーをもらったあの子は、プレゼントを愛おしむように視線をちょっとだけ伏せ、少し上気した表情を緩ませた。

 そんなやり取りが皮切りになって、女の子たちがよもやま話を始めた。白い子に無理に話させることはなく、他愛のない話を聞かせる程度のものだ。

 それでも、誰一人口を利かずに歩き続けるよりは、ずっといい。言葉少ななあの子も、悪い気はしていないようだった。


 やがて、出口の光が見え始めたところで、殿下は傍らの子に声を掛けられた。


「そろそろフードを。なるべく目深にかぶって。髪があまり出ないようにね」


 殿下のお言葉に、緊張が走った。遺跡の出入り口には、町から来ている方が見張りに立っている。そこを隠し通そうということなのたろう。

 雑談で緩んだ空気が、急に引き締まる。誰が言い出したわけでもないけど、自然と部隊全体が警戒態勢になっていく。

 しかし、変に身構えたのではかえって怪しまれるだろう。そこでティナさんが講釈を始めた。ただ、今回のは遺跡についてじゃなくて、行動食・糧食についてだったけど。

 彼女はご自慢のレシピについて長広舌をかまし、それに聞き入りながら歩いていって――出口に差し掛かる。

 先手を取ったのは見張りの方だった。彼はティナさんに声をかける。


「いかがでしたか?」

「特に有用な物品はありませんでしたわね。手前の部分で満足せよと言われてるのかもしれませんわ」


 嘘は言ってない。何か発見物があったわけじゃない――まぁ、代わりに人がいたし、部屋自体も謎の塊ではあるけど。

 見張りの方は若干残念そうにしたものの、「お疲れさまでした」と言ってにこやかに俺たちを通してくれた。

 最初の関門はこうして切り抜けられた。でも、遺跡入り口付近には発掘関係者の方がまだまだたくさんいる。あの子をできる限り隠し通そうとなると、早めに通過しなければ。俺たちは少し足早に進んでいった。


 そうして、俺たち以外の関係者の姿が見えなくなったあたりで振り返ってみると、あの子は力強く目を閉じていた。その両手は、それぞれ殿下とアイリスさんが握られている。いきなり外に出ても、目を開けられないだろうから……ということだろう。

 遺跡から十分離れたところで、殿下は彼女に「もう大丈夫。ゆっくり、目を開けてみて」と優しく声を掛けられた。

 彼女はうなずき、恐る恐る目を開け始めた。最初のうちは、外のまぶしさに目を開けていられないようだったけど、少しずつ慣れてきたようだ。彼女は空を見上げ、少し呆けたような表情になってから、草原を見渡した。

 そして……彼女は膝をついて泣き崩れた。それまで彼女が見ていた先には青々とした草原が広がっていて――白い柱や壁の断片が、日差しを受けてきらめいている。


 俺たちは、彼女が何者なのかわからない。名前も知らない。でも、彼女が今すごくつらい思いをしていることだけは直感できた。

 あの向こうに見える何かの破片は、彼女の記憶の中ではきっと別の姿だったのだろう。こうして立っている草原だって、まったく違う姿だったのかもしれない。

 彼女の顔を覆う両手の隙間から、すすり泣く声が漏れ聞こえてくる。でも、その声は、風と草が奏でる音に飲まれて消えそうなくらいに儚くて、それがすごく切なかった。

 彼女の傍らに寄り添うようにして膝をつき、その背を優しくなでられている殿下は、俺達に向いて仰った。


「名前がまだだったね。この子はアーチェ・オルカーナ。呼ぶときはアーチェでいいと思うよ……それと、優しくしてあげてほしいな」


 それは言われるまでもなかった。

 冒険者というのは結局のところ客商売で、依頼者を満足させることに本質がある。もちろん、それぞれの性格にドライかウェットかとか違いはあるけど、他人への配慮を軽んじる冒険者はほとんどいない。

 だから、殿下からの主命があろうがなかろうが、きっとみんな彼女には優しくするだろう。それは俺も同じだ。独りでいることのつらさは、それなりにわかっているつもりだから。


 彼女が落ち着いてから、俺たちは町へ歩き出した。

 道中でさっそく持ち上がった問題は、彼女をどこに泊めるかだ。

 彼女は自身のことを殿下の侍女か何かのように認識しているそうだけど、だからって殿下と同じ部屋ってのは、ちょっと問題あるだろう。あらぬ妄想に耳を染める子もいた――魔法庁の子だったけど。

 そこで、女の子たちの部屋に日替わりで止める形になった。宿泊客が一人増えることになるけど、そこはティナさんがホテルの従業員に頼めば何とでもなる。

 で、どうせ一緒に泊まるならということで、その日同じ部屋に泊まるグループが、アーチェさんと行動するということになった。

 男連中は彼女とはあまり縁がない流れになりそうだ。でも、その方がいいかもしれない。彼女は殿下以外の男とは距離を置こうとしているように感じられるし、俺たちの方からもどう接すればいいのか、正直言うと不安な部分はある。ここは女の子たちに先行してもらって、男は様子見というのが無難だろう。



 アーチェさんが目覚めてからは、俺たちは新しい遺跡に手を付けることなく、既存の攻略済み遺跡に関する作業に従事することになった。

 新しい遺跡に手を出さなくなったのには、もちろん理由がある。

 まず1つ目は人員的なもの。アーチェさんとともに動く子たちの分、遺跡に回せる人数が減っているし、もしものために殿下が町で待機される格好になっている。この状況で、無理に動くことはないという判断だ。

 2つ目には心情的なものがある。遺跡から生きた人間が見つかるなんて前代未聞で、みんな表面上は落ち着きを取り戻しているけど、奥底では心さざめくところもあるだろう。俺もそうだ。

 そういう心理的な変化は、万全のコンディションで着実に進めようとするティナさんの方針から見れば、好ましからざるものだ。だから、新しい遺跡に挑むよりは、勝手知ったる遺跡で作業した方が無難だということだ。

 3つ目の理由は、すでに十分な成果が出ているから。冒険者には基本給以上のボーナスが間違いなく支給されるだろうし、リムさんの就活へのアシストとしても申し分ない結果を出せている。だから、ここで欲をかくこともないだろう。

 それに、メインの遺跡が最深部まで到達したとは言っても、やるべき作業は多い。砂をさらってドームの底を暴いたり、座って待っていたゴーレムをどうにか解体して運び出したり、それぞれの部屋の構造を把握したり……脅威や仕掛けを排除した後も、まだまだ課題が目白押しだ。

 当初の予定では、遺跡の発掘調査は最低2週間、様子を見て延長という話だった。結果的に、帰還は日数という形になり、残りの日はこうして既存の遺跡に手を入れて過ごすことになった。



 7月5日8時。遺跡の町ディゼッタから発つ朝、町の外では俺たちを送る人々が大勢集まっていた――町中から人をかき集めたんじゃないかって感じの賑わいぶりだ。

 こうして人が集まっている状況に、アーチェさんは身を縮めていた。肌の露出が少なく、白い髪も外に出ないよう服装には工夫と注意があるけど、それでも見栄えするレベルの子だから、人目は惹くかもしれない。

 しかし、なんの問題もなかった。集まった人々の目的は、ティナさんだからだ。町の存在意義が遺跡と結びつくこの町の方々にとって、彼女はアイドルというか……むしろ現人神ぐらいに見られているようだ。そんな彼女を前に置くと、俺たちは単なるエキストラにしかならない。

 そんな彼女が耳目を集めたおかげで、アイリスさんと殿下も無事にお忍びを完遂することができた。変装していた上に、そもそもこの町ではほとんど面が割れてないってのもあるだろうけど。


 集まった観衆を前に、ティナさんは別れの言葉を告げた。今回手を入れた遺跡は、まだまだわからないことが多いから、後事を託して吉報を待つと。

 そして、多くの方々に見送られながら、俺たちは王都への帰路についた。

 見たところ、アーチェさんと周りの女の子たちは、結構打ち解けた感じになっている。歩きながら他愛のない雑談に興じていて、それは何よりだった。


 しかし、俺たちは、まだ彼女の素性を知らない。今回の件――遺跡の奥から生きた人間が見つかった件――については、口外しないようにと言われている。まぁ、そのことを明るみにした場合、どんな騒ぎになるかわかったもんじゃない。だから、頼まれたって言いふらさないつもりではある。

 とはいえ、彼女が何者なのか、気になるのは事実だ。俺だけじゃなくて、仲間の中にも興味を惹かれている奴は多い。こういう仕事に手を挙げるくらいだからだろう。

 統一歴以前のお方なんじゃないか、そういう推測はある。史書に詳しい仲間の言によれば、統一歴以降になって人間が”後世の目”を意識し始めたんじゃないかとのことだ。それ以前となると、何かに書かれた史書のたぐいというのは、まったく見つかってない――あるいは、秘匿されているだけなのかもしれない。アーチェさんみたいに。


 アーチェさんのことを考えると、心が落ち着かなくなった。今何か、とんでもない流れの中に身を置いているんじゃないか、そんな不安に胸の中がざわめく。

 帰りの道中、空は雲が多く風もそれなりに強かった。夏になって暑くなっていく中、雲と風の存在は助かる。でも、日が遮られて少し暗い街路と、風に巻かれて騒がしい草の音が、何かを暗示しているようで……。

 これなら、暑苦しい方がまだマシかもしれない。ところどころ、申し訳程度に青色をのぞかせる空を見上げて、俺はそんなことを思った。

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