第282話 「最深」

 昼休憩を長めにとって14時ごろ。俺たちは再度、最下層に向かった。

 その道中で話題に上がったのは、リムさんの色選器カラーセレクタだ。紫色に変える際、魔法庁職員に許可を願っていたのが気になったようで、仲間の1人が尋ねる。


「やっぱり、赤とか紫に変えるのって、その都度許可が必要なものなの?」

「普段はそういうわけでもないけど……」


 問われた魔法庁職員は、同僚と顔を見合わせた。何か迷っているように見える。そんな彼らがリムさんに視線を向けると、彼女はちょっと困ったように笑いながらうなずいた。それを受けて、職員の代表が話し始める。

 彼によると、リムさんは国内で確かな所属がないから、現時点では他国の協力者という扱いになるそうだ。

 そういう他国の方にも、禁呪の使用許可を与える制度はあるけど、だいぶ審議に時間がかかる。特に色選器なんかは、社会的な事情もあって、かなり慎重な対応が求められる。

 そこで、リムさん一個人に使用許可を与えるのではなく、魔法庁職員の責任と監視の元で魔法を行使させるという制度を適用したとのことだ。この場合、色選器で赤とか紫のマナを出す許可は、その場で逐一、職員の判断で出す形になっている……というわけだ。


 説明を一通り終えた彼は、「戻れば正式に許可が出ると思いますが」とリムさんに向いて笑顔で言った。

 ここまでの貢献を思えば、工廠の採用は間違いないだろう。リムさんがいなければ、どの遺物も地上には持っていけなかったはずだ。

 周囲のほめそやす声に、恥じらう様子を見せたリムさんだったけど、嬉しそうではあった。


 そうして話し込んでいると、最深部に到達した。四つん這いになった白くて巨大なゴーレムを迂回して、解錠済みの扉の前へ。

 他に仕掛けがないことを確認してから扉を開けると、先に続いていたのは広めの通路だった。奥行きは短く、すぐに扉が見える。


 その扉に施された施錠ロックは2つ。色は――赤と紫だ。つまり、王族と貴族の色で封が施されている。今までになかったタイプの、恐れ多い封印にどよめきが起きた。

 さすがのティナさんも、こういうのを見るのは初めてらしく、表情を硬くしている。それでも冷静さを保つ彼女は、アイリスさんと殿下に「お願いいたしますわ」と静かに声をかけた。

 おニ方は無言でうなずき、俺たちの前に歩み出て解錠アンロックの魔法を使われた。2つの施錠が施されている以外には、面倒な仕掛けがなかったようで、扉はまっさらになった。念のためにと、工廠職員や冒険者が仕掛けを探ってみるけど、特に発見はない。

 この先に何があるのか。誰もが固唾を飲んで構える中、仲間内でも用心深い冒険者が慎重に扉を開けていく。


 すると、先には広い空間が広がっていた。中は暗く、その中心には、ほのかに白く光る何かがある。罠や障害に気を付け、安全を確認しながら、俺たちは少しずつ中へ入っていった。

 部屋の天井は不安になるほど高く、壁と床には、ところどころ白い光が走っている。何かの回路みたいに。

 そして……部屋の中央にある何かに近づいていった仲間が、「うわっ」と小さな声を上げて尻餅をついた。危険ではないようだけど、信じられないような何かがあるようだ。意を決して近寄ってみる。


 すると、そこにあったのは白く大きな笹船のような器で――その中に女性が横たわっていた。思わぬ事態に頭を打たれたような衝撃を感じた。

 目を閉じ、念入りに深呼吸をして気分を落ち着けてから、改めてその彼女に視線をやる。髪も肌も、身にまとうワンピースみたいな服も、何もかもが真っ白だ。年のほどは10代後半ぐらいに見える。

 生死は定かではない。生きていても死んでいても、どちらでもおかしくない。なんなら作り物と言われても信じられるくらいに、生気を感じられない。静かに眠るその顔立ちは、どこか悲しそうに見えて、不思議と胸を締め付けた。

 その彼女が眠る笹船みたいな棺には、蓋の代わりなのか、白い半透明の膜がドーム状にかかっている。その膜の天頂あたりには、少し強い光を放つ文様が刻まれていた。

 花と葉を組み合わせた、優美なその紋様に対し、殿下は「王家の紋だ」と仰った。その言葉に続くものはなく、殿下の良く通る声も背の高い天井に飲まれて消え、寒気がするような静けさが俺たちを襲った。


 どうしよう。こういう時、ティナさんなら的確な指示を出すはず。そう思って彼女を見ると、若干ではあるものの、確かに困惑する様子が見て取れた。それが、この状況の異常さを物語るように感じられて、急に足場がぐらつくような感覚に襲われる。

 しかし、静まり切って困惑するばかりの俺たちを、いつまでも放っておくティナさんではない。彼女は何度か手を叩き、場の注意を引き寄せてから言った。


「具合が悪くなった方、外で待機してくださいまし。まだ元気な方は、部屋の中を調査いたしましょう。そちらにおられる方に構うのは、他を調べてからですわ」


 彼女の指示で、3割ぐらいが脱落し、部屋の外で待機することに。一方、俺たち残留組は、部屋の中に何かないか探し始める。

 しかし、目新しいものは見当たらない。気になるものと言えば、床や壁を走る白い光ぐらいだ。その光を目で追ってみると、中央の棺に向かっているように見える。それが、ケーブルやチューブが張り巡らされた、集中治療室を思わせた。あの人の何かを維持するための仕組みであるような。

 とはいえ、これは推測どころか、ただの連想でしかない。あの白い棺について示す確かなものが何もないまま、俺たちは棺の前に集まった。

 そこで真っ先に発言なされたのは殿下だ。


「どうすればいいかな? あの紋様を手で触れば、何かが起きると思うけど」

「……では、私が先に手を触れますわ」

「その意図は?」

「御身に何かあっては大変ですわ。それに、私で反応せず、殿下には反応するようでしたら、あちらの方は王家ゆかりの方だと思われますわ」

「なるほどね、わかった。お願いするよ」


 この状況下で、少しでも推測のための材料を集めようという精神には、毎度のことながら感服してしまった。

 そして、ティナさんの言葉の後、身動きするのもはばかられるくらいに部屋の中が静かになった。そんな重苦しい沈黙の中、ティナさんは棺の傍らに立ち、そっと紋様に手を触れる。

 しかし、これといった反応はない。手を離した彼女は、真剣な表情で言った。


泡膜バブルコートとは少し違うようですが……手で触れる障壁のように感じられますわね」

「わかった、次は私の番だね」


 いやが上にも高まる緊張感の中、殿下は棺に近づかれた。そして、棺の傍らから手を伸ばされる。

 すると、殿下が触れられた紋様が強く発光し、それを中心として棺を覆う膜に、白く光る亀裂が入っていく――まるで部屋中に走る光の線みたいに。

 そして、光の膜は淡い粒子になった後、ふわっと上昇しながら宙に溶けて消えた。


 殿下はご無事のようだ。お側にティナさんが歩いていき、「何かお変わりは?」と尋ねるけど、「問題ないよ」とのご返答。

 やがて、ティナさんにつられるようにみんな歩いていって、棺の中を輪になって遠巻きに見守る感じになった。


 すると、棺の中の女性が目を開けた。なんとなく赤い目をしていそうだと思っていたけど、意外にも透き通るような紫の目だった。雪のように全身が白い彼女の中で、その目の鮮やかな色合いが、鮮烈な印象を与える。

 その後、彼女は何度か瞬きをした後、ゆっくりと上半身を起こした。

 彼女は、最初は無表情だったけど、ほんの短い間だけだった。すぐに視線を落として苦しそうな表情になる。静かな部屋の中、彼女の息遣いだけが聞こえてくる。その音は小さいけれども、浅く短く、苦しそうだった。

 そんな彼女に、ティナさんがひざまずいて視線を合わせ、「大丈夫ですか?」と尋ねた。問いに対し、棺の中の子は小さくうなずいた。言葉は通じるようだ。

 それから、彼女は消え入りそうな声で言った。


「私を起こされたのは、どなた様でしょうか?」

「私だよ」


 殿下が間を置かずに回答された。すると彼女は少し間を開けた後、殿下をじっと見つめてから口を開いた。


「私は、あなた様にお仕えするために……」


 そこからの言葉が続かない。彼女は服の胸元あたりを弱々しく握り、顔をうつむかせた。辛そうな息遣いが聞こえる。

 すると殿下は、「皆、いいかな」と切り出された。


「こうして大勢で囲んで待っていては、話すのも大変だと思う。外で待っていてもらえないかな?」

「かしこまりました……これでも女性相手には優しいつもりではありますが」

「まぁ、モテんけどね」


 殿下のご提案に気のいいアホどもが軽口を飛ばすと、ささやかな含み笑いが漏れた。輪の中の彼女も、若干安心したような笑みを浮かべている。

 笑いがひとしきりやんだ後、殿下は「他言をはばかる話があるかもしれないしね」と、人払いの理由を付け足された。その言葉の意味するところに思いを巡らしても、まるで現実味を感じない空想が、脳裏をよぎるばかりだ。

 退出しようとする俺たちにはティナさんも続いた。渦中にあるあの女性に対して、ティナさんが向けた表情と視線に、申し訳なさと慈愛が入り混じったような何かを感じる。

 そうして俺たち一同は部屋を後にし、扉を閉めた。さすがに聞き耳を立てる不忠者はいなかったけど、そわそわする感じは隠しきれない。

 大丈夫だろうとは思うけど、殿下の御身に何かあっては……俺たちは、この部屋に入る前とはまるで違う不安と緊迫感の中、再び扉が開くのをただ待った。



 広く殺風景な部屋の中、2人が残される形となった。

 白い少女は、周囲の人間が少なくなったことに、いくらか落ち着きを取り戻した。彼女は王太子アルトリードに向かって口を開く。


「ご配慮いただき、ありがとうございます」

「落ち着いたみたいで良かったよ」


 アルトが優しく言葉を返すと、少女は柔らかに微笑んだ。

 これは良い傾向である。しかし、アルトには気になることが1つあった。彼は少女に尋ねた。


「立てるかな?」

「えっ?」

「いつまでも、寝床にいるわけにもいかないと思って」


 人によっては棺と見るであろうが、彼は寝床と称した。少女の方はというと、どうやら棺か何かと考えていたのであろう。寝床という発言に対し、少女は呆けた顔で何回か瞬きをした。そして、自らの装いと寝床に視線を落とし、雪のような頬を桃色に染めた。

 少女の顔にわかりやすい生気が差したことを喜ばしく思いながら、アルトは「おはよう」と声をかけ、手を差し出す。皮肉にも似たその言葉の響きに少女は恥じらい、かすかな声で「おはようございます」と返し、手を取って立ち上がろうとした。

 しかし、立ち上がってすぐにバランスを崩し、アルトに倒れこむ格好になった。寄りかかった少女は、軽いと言えば軽い。しかし、実感できる体重を有していることに、アルトは不思議な安堵を覚えた。

 図らずも身を預ける形になった少女は、すぐに「申し訳ございません!」と言って、その体を引き離した。が、1人で自立するにはまだ早かったのか、その場にへたり込んでしまった。彼女に合わせて、アルトも腰を落とす。

 少女は、それまで桃に染まっていた頬を青ざめさせ、陳謝しようとした。しかし、彼女が口を開ききる前に、アルトがその先を手で制す。すると、少女は出かけた言葉を引っ込め、代わりに深く頭を垂れた。

 それから少し後、アルトは少女に尋ねた。


「あなたが私に仕えるって話だったけど、間違いないかな?」

「はい」

「それはどうして?」

「……そうすることが、私に課せられた使命だからです」


 その返答に、アルトの顔は少し険しく神妙なものになった。急な変化に少女は驚き、そして怖じた。

 そんな少女に、アルトは「ああっ、ごめん!」と慌てて声をかける。しかし、互いに声をかけづらい空間になり、しばらくの間2人は静かになった。


 自分の方から聞き出すべきかどうか、アルトは真剣に熟慮した。外に待たせている皆のこともある。

 しかしながら、目の前の少女がいかなる存在であるか、その境遇がいかなるものであるか……それに思いを馳せると、不用意な発言はできなかった。たとえ自分が、彼女の中では主君であるとしても。

 そのため、彼女が少しでも話しかけやすいようにと、努めて表情をにこやかに保ち続けた。

 人前で笑顔を作ることなど、彼にとっては朝飯前である。しかし、いつもの公務スマイルとは勝手が違う。心中にさざめく不思議な感情に、彼は戸惑いを覚えた。

 そして、彼の努力が奏功したのか、少女は再び口を開いた。


「今は……何年でしょうか?」

「……統一暦803年だよ」


 彼がそのように口にすると、少女は真顔になって、時が止まったように動かなくなった。その反応と自身の持つ歴史の知識から、アルトは目の前の少女の素性の一部を察した。すなわち、今の世に伝わる歴史の外で生まれたのだと。

 重苦しい沈黙が続いた。自身の心臓の鼓動すら聞こえそうな静寂を、小さくすすり泣く声が破る。少女の目からあふれた涙はとめどなく流れ、頬をつたって濡らす。

 そんな彼女を、アルトはそっと抱きしめた。そして、そんな行動をとった自分自身に困惑した。


 彼にとって、人肌のぬくもりとは常に他人事であった。

 彼は生まれた時に母を失っている。その後、政争から逃れるためという名目で友好国に預けられた。

 しかし、赤子とは言えども一国の王子である。他国の人間がおいそれと触れられるものではなく、人並みに抱きしめられることなど、ついぞなかった。

 彼にとって、抱擁はするのもされるのも初めてだった。それを自然とできたことには戸惑ったが、心の中を次第に暖かな感情が占めていく。肉親の情を知らず、自身の血を呪いのようにも感じていた彼だったが、自分には温かな血が流れていると素直に信じられた。


 次第に落ち着いてきた少女は、やがてアルトから身を離し、消え入りそうな声で「申し訳ございません」と言った。


「いや、それは構わないけど……私の名前は、アルトリード・フラウゼ。あなたは?」

「私の名前は……アーチェ・オルガーナです」

「アーチェか、いい名前だね」


 そう言って、アルトはにこやかに手を差し出した。その手に逡巡する少女。すると、彼は冗談まじりに「全体的に、順番がおかしいね」と表情を崩して言った。

 彼の言葉からややあって、少女の雪のような頬に控えめな朱が差す。そして、ためらいがちではあるが、彼女は差し出された手を握った。

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