第264話 「初大会⑥」

 砂の巨人が悠然と、静かに迫ってくる――まったく、近づいてくる音がしない。

 最初、その足音が歓声にかき消されているのかと思っていた。しかし、近づいてきても足音や地響きを一切感じない。その巨体の動きが、視覚にしか働きかけてこない。それが強い違和感を抱かせた。


『さて、ここでゴーレムが動き始めましたね。飛び道具は諦めたということでしょうか?』

『どう対応するか、様子見という側面もあるでしょう。あるいは、何をされるかわからないから、ゴーレムと自身の魔法で圧をかける意図もありそうです』

『なるほど。考える余裕を奪おうということですね。さて、挑戦者はこの攻撃をどう受ける!?』


 追光線チェイスレイに対しては、ここまで薄霧ペールミストがうまいこと機能した。突っ立っていても、ある程度外れてくれるという、確率の防御があった。

 しかし、ゴーレムの打撃では厳しい。俺は当たり判定を誇大表示するようなやり方で狙いを外させてきたけど、当たり判定全体を叩くような攻撃がくれば、もう外れも何もない。

 ここが正念場だ。俺は、王者とゴーレムを結ぶ直線上に来るように移動し、待ち構える。そして、俺の直前に立ちふさがったゴーレムは、両腕を左右に大きく振りかぶった。蚊でも叩くみたいに。やっぱり、マナの見かけの大きさ全てを叩くつもりだ。

 その構えを見て、俺は後ろに下がる。俺に追随しようとする薄霧の魔法陣は、可動型で前に動かした――俺だけが後ろに下がり、魔法陣を前にとどめ続けたわけだ。ゴーレムの構えはそのまま変わらない。

 そして、構えた両手が振り下ろされる。その時俺は、異刻ゼノクロックの時計版を少し動かした。負荷を感じるけど、まだいける。これまで幾度となく自主練を積んできたんだ。自分を信じよう。

 そうして緩やかになった時の流れの中、ゴーレムの両手の動きを目で追い、その動きの先を予想する。手の軌跡は、俺の前にある霧に重なった。大丈夫だ。霧を前に置いたおかげで、俺は狙われていない。まぁ、ブラフだったら負けだけど……読みに運命を託す。


 振り下ろされる両手が、思い描いた軌跡をたどる中、俺は自分の見立てと作戦を信じ、この試合で初めて攻撃に移った。異刻で時間の流れを少し遅らせつつ、ありったけの集中力とマナを絞り出して、水の矢アクアボルトをいくつも作って放つ。狙いは、ゴーレムの右肘の内側だ。

 その関節部に最初の水の矢が着弾すると、砂の体表でごくわずかに水滴が飛び散り、残る水のほとんどは砂に飲まれて消えた。こんな攻撃が効くかどうか、本当のところはわからない。しかし、砂に水を吸わせ、ゴーレムの組成を少しでも変性させることができたなら……それが、何か打開のきっかけになるかもしれない。

 俺は一心不乱に水の矢を撃ちこんだ。遅くなった時の中で、間延びした実況と解説が耳に届く。その声の意味を理解しようとする余裕なんてない。相手の動きに合わせ、狙いを定めるので精いっぱいだ。足元からも、空からも、客席からも、敵からも、そして自分自身からも、とめどなく伝わってくる熱気に意識を溶かされそうになりながら、ひたすらに攻撃を続ける。砂の巨人に、矢の雨をたたきつける。


 そして、巨人の両手が霧に打ち付けられ――なかった。当たるよりも少し前に、両手首の先が形を成さなくなり、慣性のある砂嵐になって、左右から霧に襲い掛かる。俺に直接当てれば、大惨事になる。その配慮から手を崩したのだろう。でも、この勢いと砂の密度であれば、バリアぐらいは容易に砕けそうだ。

 それまで手だった、濃密な砂の霧が左右から挟み込み、青緑の霧がかき消されていく。しかし、あたりを覆いつくす砂煙の中、薄霧の魔法陣は健在だった。

 こうして手がバラバラになったのは、俺にとっては一長一短だった。体の一部を損壊させたのは間違いない。でも、両手同士を打ち付けてもらった方が、右肘への衝撃があるはずだ。

 砂煙が少しずつ晴れていって、俺は目を凝らした。肝心の、あの右肘は――少し内側に曲がっている。両手首同士が打ち付けられたようだ。

 俺は即座に空歩エアロステップを展開し、時の流れを元に戻した。それと同時に、実況と解説の声も元に戻ったけど、その意味を理解している暇なんてない。もはや、聞こえる全ての声が、気持ちを煽り立てる環境音だ。

 俺は、前かがみ気味になっているゴーレムの腕の上を駆けていき、薄霧の魔法陣を可動型で動かして合流を果たした。そして、背負った剣を抜いて、矢を浴びせつけた個所に剣を打ち付ける。すると、柄に若干鈍い衝撃が伝わり、肘からは小石程度の塊がぼろぼろ崩れ落ちた。

――このまま、叩きまくって壊せるか? しかし、確かな地面に比べ、俺の空歩はまだまだ心もとない。それに、隙をさらし続けるわけにもいかない。足元から視線を上げると、挟み込むように光線が迫るのが見えた。それを盾でいなしつつ、薄霧に自分のマナを突っ込んで拡張させる。

 すると、足元で何か動く気配を感じた。そっちに視線を落とすと、右の背から肩にかけて力こぶみたいな波ができて、傷んだ右肘へ送られていくのが見えた。こうして修復するんだろう。俺の攻撃じゃ、追いつかないかもしれない。

 しかし、この調子なら、こいつをすぐには使えないんじゃないか? 覚悟を決めた俺は、さらに駆けあがってゴーレムを飛び越えた。


 そこで目にしたのは、ゴーレムからさほど離れていない位置にいる王者だった。ああ、待ち伏せされている。彼が両手を構えているのを見て、俺は次の攻撃を察した。逆さ傘インレインが2つ来る。

 すると、異様なほどに高まった集中力が、瞬間的に双盾ダブルシールドを作り出した。彼から放たれた2組の散弾を、盾がしっかり防ぎきる。熱狂の音が一層高まる。

 しかし、このまま続けても実力差でポイント負けすると、直感的に悟った。もう、剣での一か八かに賭けよう。俺は空歩を解いて地面に飛び降り剣を抜き、王者へ向かって駆け出した。そして、俺に追随する薄霧を右の方にズラす。霧から俺とバリアが出ない、ギリギリの位置へ。

 今回使っている薄霧には、追随型と可動型を併用している。前者は、術者の動きに追随して動くけど、ピッタリくっつくわけじゃない。正確には、術者との位置関係を維持し続ける。その位置関係を可動型でズラしてやれば、ズレたまま追随するわけだ。

 迫る俺に対し、待ち構える王者は逆さ傘をぶっ放してきたけど、その狙いは霧の中心だ。両手からの射角の違いもあって、盾1枚でさばくことができた。

 このままいけるか? しかし、俺が接近戦での逆転を狙っていることなんて、百も承知だろう。その予想を覆す、もう一手が欲しい。

 そこで俺は急停止し、薄霧だけを走っていた時同様の勢いで前に進ませ、同時に逆さ傘を放った。青緑の煙幕に乗じる形で散弾が飛び――王者のバリアをたたき割る。一点奪えた! 割れんばかりの、音と熱の波が大気を揺らす。

 この勢いで、俺は防御をかなぐり捨て、剣を構えて突進する。すると、彼は後ろに駆けだした。互いに同じような足の速さだ。だから位置関係は変わらず、霧も追随して彼を覆ったままだ。追いながらボルトを放ってみるけど、それは的確に防がれる。


 この後、どうやって攻め切るか。考えようとしたとき、ふと嫌な予感がして、俺はゴーレムの方に視線をやった。

 すると、こちらに円筒形の砂嵐が飛んで来るのが見えた。ゴーレムの右腕がなくなっていて、その体制からサイドスローの要領でロケットパンチしたんだとわかった。

 直撃すれば即負けだ。その場で急ブレーキしてどうにか止まると、前方1mもない至近距離に、かつての右腕が直撃した。濃い砂煙があたり一帯に立ち込め、俺はむせこんだ。この砂煙から出ないと、逆さ傘で撃たれ続けるだろう。でも、出たところを狙われそうでもある。

 なんとなく、出るなら上の方がマシな気がした。たぶん、もう意味がないであろう薄霧を解き、空歩を作って前方へ駆け上がっていく。すると、後ろの地面に何らかの攻撃が加わったような音がした。

――マジかよ。内心驚きながら砂煙の中を駆けて抜け出すと、右の上空に彼がいた。いつのまにか目隠しを取っている。太陽を背にした彼の、琥珀色の目が光る。

 その彼は心底楽しそうに笑いながら逆さ傘をぶっ放し、階段ではなく坂道を駆け降りるように直行してきた。散弾は防げる。剣も、どうにか初撃は受けられた。しかし、お互い空中でチャンバラする格好になり、不安定な足場で彼の剣術に翻弄されっぱなしだった。

 付け焼き刃の剣術じゃ、どうしようもない。本当に、不格好に受けるので精いっぱいなのに、変な笑いがこみ上げてくる。

 そしてついに……俺の頭に剣がクリーンヒットした。剣の表面を覆う黒い布から、赤いチョークの霞がかすかに染み出している。

 そうなってようやく、今まで耳に届いていた様々な声が、きちんと意味を成して聴こえるようになった。割れんばかりの大歓声と、先輩の実況が響く。


『両者、あの手この手で応酬した熱戦が、ついに決着! 王者、空中戦の冴えと剣腕を見せつけ、王座を守り切りました!』

『最後に地カの差が出た形ですね。とはいえ、あそこまで詰めていった選手はあまりいません。その点では、挑戦者も良くやったと思います』


 歓声と拍手が入り混じる中、俺は地面に降り立った。負けた恥ずかしさはないけど、別の照れ臭さが胸を占める。

 それからほどなくして、王者が地面に降り立った。目隠しなしで向き合ってみると、俺より年下に見えた。顔立ちはキリッとしていて気品があるけど、表情豊かで人懐っこい雰囲気も併せ持っている。なんというか、年上の女性にモテそうなタイプだ。

 彼に促され、闘技場の真ん中へ歩いていくと、「おいくつ?」と軽い調子で尋ねてきた。


「21です」

「あーっ、お兄さんですね。僕は17です」

「……17で、あんなに戦えるんですか?」

「あははっ、家庭の事情とかなんとかで」


 どんな家庭だよと思ったけど、あっけらかんと笑い飛ばす彼に、後ろ暗い感じは全くない。さっぱりして爽やかな活力に満ちた彼は、それからもにこやかに話しかけてくる。


「魔導士ランク、もしかしてDですか?」

「どうしてそれを?」

「いや、Bの魔法を使われなかったので。しかし、Cまでの魔法でもあそこまで戦えるなんて……僕も勉強になりました!」


 嫌味とか皮肉とか、そういう感じは全くない。本当に、そう思っているんだと、自然と信じられた。

 そして、中央に着いて向かい合い握手すると、大歓声と盛大な拍手が場内を満たした。


『2人とも、見ごたえたっぷりの戦いを魅せてくれました! では、総評をどうぞ!』

『薄霧による攪乱から始まって、主導権の奪い合いが印象的な戦いでした。力押しに走ろうとせず、互いに知恵と工夫で出し抜こうと競い合う、良い試合だったと思います。同業者諸氏には、参考になる部分も多々あったかと』

『そうですね! 解説ありがとうございました! そして、心躍る試合を見せてくれた2人に、今一度盛大な拍手を!』

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