第255話 「砂の国からこんにちは①」

 フラウゼ王国王都の北区は、他の地区に比べて草木や花が多い。しかし、整えられた華やかさを以ってしても、政務関係区画ゆえのいかめしさ、緊迫感は中和しきれていない。

 そんな北区の、いくらか奥まった片隅に、貴賓館がある。由緒あるその白亜の建造物は、他の行政施設から離れた場所にあるということもあり、北区においては数少ない安らげる場所という評判だ。


 5月21日、11時。その貴賓館の一室で、王国宰相と1人の女性がテーブルを囲んでいた。

 その女性の外見は20代後半。日に焼けた肌にまとうドレスは黒く、飾りが少ないシックなものだ。その装いにふさわしい、端正な顔立ちを備えてもいる。

 それだけであれば何ら違和のない容貌であるが、他に不釣り合いなほど髪が痛んでいる。ソバージュと言い張るのも難しいほど、見るからにパサパサに乾いた髪は、全体として鮮やかなクリーム色であるが、毛先の方がかすかに変色して見える。

 つまり、それだけ髪にとっては過酷な生活をしてきたということだ。そんな彼女に、宰相がねぎらいの言葉をかける。


「この度の長旅、お疲れさまでした」

「いえ、宰相様のお力添えのおかげで、得難い経験をさせていただけたと思っておりますわ」


 そう言って彼女は、かがんでテーブルに立てかけたカバンに手を差し込んだ。そして、紐で綴じた紙の束を、テープルの中心に置く。

 その書類の山を見て、宰相の目に小さな光が宿った。別に、彼がデスクワークのとりこと言うわけではない――そういった気がないわけではないが、今回は別物だ。

 差し出された書類1枚目には、のびやかで誇らしげな筆で「アル・シャーディーン王国における発掘調査報告草稿」と書いてある。


 書類を差し出した彼女、イスティナ・オーランドは、魔法使いであり、発掘家であり、考古学者である。弱冠28歳ながら、その才腕と知識は、他国の指導者層にも広く知れ渡っている。

 今回は砂漠にある友好国、アル・シャーディーン王国に、国命で以って発掘調査に派遣されていたというわけだ。

 そして、差し出された報告書に宰相が目の色を変えたのは……単に彼が歴史オタクだからだ。

 古文書を解き明かすことで逸失した魔法がよみがえるかもしれない――そういう期待から、遺跡の発掘はとかく魔法使いの興味を惹くものであるが、彼は魔法を使えない。そういった魔法に興味がないわけではないが、かつて存在した魔法が失われたという事実やその過程、歴史のダイナミズムに強い関心を持っている。

 そういう観点は、歴史家としての顔を持つイスティナにとっても、かなりなじみ深いものだ。

 彼女は代々優れた魔法使いを輩出している名家の生まれであるが、王国宰相とはさすがに身分や職責の差がある。しかしながら、こうした発掘事業においては志向に相通ずる物があって、同好の士といっても差し支えない間柄である。


 宰相は、書類に手を付けて1枚目をめくった。そして、目次を目にするなり「今夜は徹夜ですね」と真顔でつぶやくように言った。イスティナが笑って言葉を返す。


「嫌ですわ、宰相様ったら。健康を保つのも仕事のうちでしょうに。でないと、わたくしの髪のようになってしまいますわ」

「……以前に見た時は、まだつややかだったと思いますが、かなり傷みましたね」

「日差しと砂と、潮風にやられましたわ」

「最後のは甲板にいたからでしょう?」


 宰相の指摘に、イスティナは小さな笑いで応じる。帰りの長い船旅の間、多くの時間を潮風に当たりながら過ごしていたということだ。

 そのように活動的なところのある彼女だが、少し表情を曇らせ、「宰相様」と話を切り出した。


「昨秋から冬にかけ、大変な目にあったと聞き及んでおります」

「ええ……あちらの国でも、その情報を?」

「はい。重臣のお方のお気遣いで」

「なるほど」


 宰相がそう応じたきり、2人は静かに口を閉じた。開け放した窓からは、暖かな薫風が入り込んでカーテンを大きく揺らす。

 宰相は書類から手を放し、一度茶を口に含んでから言った。


「一連の動きは、現在終息したものと考えられています。諜報にも注力していますので、ご心配なく」

「かしこまりました」


 多少固い笑顔でイスティナは返答した。それから、彼女は茶を一口いただいて、視線を横にやった。風にカーテンがあおられている。

 少しの間、彼女は静かに思案した後、口を開く。


「宰相様は、最近お忙しいでしょうか?」

「新しい発掘をしたいと?」


 宰相の話の早さに、イスティナは柔らかく微笑んだ。

 彼女ほどの実績があろうとも、好き勝手に国土を掘り返せるわけではない――というよりは、むしろ逆で、彼女に相応しいレベルの遺跡・遺構の発掘ともなると、国の承認が必要となる。

 つまり、彼女が仕事をするためには、まず宰相から働きかけなければならない可能性があるということだ。しかし、宰相はその労を買って出た。


「場所次第ですが」

「ヴァンス地方の発掘ですわ」


 宰相は、その言葉を聞いて真顔になった。

 ヴァンス地方というのは、王都から西南西に4日ほど歩いたところに広がる草原地帯だ。遺跡の発見例が多いものの、発掘はあまり進んでいない。

 というのも、多くの遺跡にゴーレムによる防衛機構が生きていて、対応に手を焼いているからだ。加えて、そうした”生きている”ゴーレム自体が有用な発掘品という考えも、敷居を上げる要因となっている。許可を出す行政側は、安易な破壊を好ましく思わないし、発掘する側にとってもそれは同様だ。

 さらに言えば、功名心が高い発掘家達が失敗し、多くの人手を失ったという事例もある。そのため、当地域の発掘は現在手つかずとなっている。

 その危険な領域に、イスティナが挑もうというのだ。宰相は真剣な表情で尋ねた。


「勝算があるということですね?」

「はい。今回の仕事で、ゴーレムに造詣の深い魔道具の技師と知り合いまして」

「技師、ですか。それは珍しいですね」


 宰相が若干驚き気味に指摘すると、イスティナは少し頬を緩めた。

 アル・シャーディーンは、ゴーレム使いの質と量において、他国の追随を許さない。

 しかし、かの国で一般的なゴーレムというのは、その時その場で術者が作り出すものだ。魔道具として“有り物”のゴーレムを用い操るというのは、かの国では一段低く見られている。そのため使い手も少ないはずだと、宰相は指摘したわけだ。

 すると、イスティナは朗らかな笑顔で言った。


「仰る通り、魔道具としてのゴーレム使いは、ごく少数ですわ」

「そして、その少ない中に、優れた使い手がいたと」

「はい。卓抜した技量の持ち主ですわ。ですが、あちらの国では、そもそも魔道具に頼る習慣があまりないせいか、少し伸び悩んでいるようでしたので……」


 だんだんと話が読めてきた。何らかのオファーを持ち掛け、こちらに誘い込む準備をしてあるのだろう。宰相はそう考えた。その思考をなぞるように、イスティナは続ける。


「もし、こちらの工廠へ編入することができれば、工廠の皆様方にとっても、実りある話かと思われますわ」


 実際、彼女の提言は正当だ。工廠にゴーレム使いはいない。というのも、魔道具としても魔法としても、フラウゼではゴーレムを使う流派がないからだ。その中で優秀なゴーレム使いが来るとなれば、互いに新鮮な刺激となるだろう。それに、その技師の手助けで件の遺跡発掘が成功すれば、また新しい発見があるかもしれない。

 問題は、工廠への編入だ。北区の各行政施設に匹敵するか、ことによるとそれ以上に機密度の高い工廠に、おいそれと人材を放り込むわけにはいかない。職員としての実力を示す必要があるし、いかに友好国の民とはいえ、他国の人間をやすやすと受け入れるわけにもいかない。

 現場は、そういった諸問題をさほど気にしないものと宰相は考えたが、国の上の方はというと、慎重論が多数を占めるだろう。

 宰相が思考を巡らせている間。イスティナは口を閉ざしていた。表情は穏やかであるが、目には強い意志の光があり、緊張感に張り詰めてた雰囲気だ。

 宰相にしてみれば、処理すべき案件を増やされたのには間違いない。しかしながら、他国での仕事中にこうして次の仕事の布石を準備しておくという、イスティナの積極性やしたたかさは、好ましく思われた。

 それに、彼女が手掛けてるのは、国にとっても価値のある事業だ。加えて、それは自身の史学への好奇心を満たしてもくれる。宰相は決断した。


「一度、ご本人と工廠の所長で、面談されると良いでしよう。それで話がまとまるようでしたら、所長から国にはかる形で動いていただければ。発掘の件は、受け入れの結果を以って判断することになるかと」

「ありがとうございます」


 明るい笑顔を見せた後、イスティナは深々と頭を下げた。それから彼女が頭を上げると、宰相は尋ねた。


「その技師の方と言うのは、すでに来られてますか?」

「はい。今頃はギルドにいるはずですわ。なんでも、お姉様がお勤めになっているとかで、そのご挨拶に」


 一瞬、宰相は考え込んだ。ギルドの面々、特に幹部クラスとは、老若男女問わずにある程度の面識がある。その彼の記憶の中に、”お姉様”に思い至る人物がいた。



 5月21日、11時。ギルドの玄関まわりに、数人程度のひとだかりができていた。

 その輪の中心、壁沿いのイスにちょこんと座っているのは、スラっとしていて、褐色の肌で――もっと言えばラナレナさんっぽい女性だ。

 ただ、雰囲気はあまり似ていなくて、どことなくふんわりした雰囲気が漂っている。

 彼女、リーメイアさんは、ラナレナさんの妹だと名乗った。それで、ギルド受付が奥に呼び行って少ししてから、ラナレナさんが姿を現した。妹さんの突然の来訪に、ラナレナさんは珍しく、目を少し大きく見開く。


「え、リム?」

「久しぶり、ねーちゃん」


 それから、リーメイアさんは立ち上がってカバンから何か箱を取り出し、ラナレナさんに手渡した。


「これ、職場のみなさんで食べて。ねーちゃんはだめだからね」

「いや、それはわかってるけど」


 ふわふわして緩い感じの空気が漂う妹さんに、ラナレナさんが若干押し込まれている。なんだか不思議な光景だ。

 それから、箱を受け取ったラナレナさんは、少し真剣な表情で尋ねる。


「みんなは?」

「元気」

「で、あんたは観光?」

「こっちで働くことになるかも」


 やり取りしている言葉は端的で明快だけど、色々端折はしょりまくりだ。聞いているみんなが興味ありげに耳を傾ける。おしゃべりな連中も、この時ばかりは静かだ。

 そんなギャラリーに、ほんの少しだけ冷たげな視線をおくってから、渋い感じの残る表情でラナレナさんが尋ねた。


「こっちで働くって、具体的には?」

「それは、まだ言えないかな……決まってないし」


 リーメイアさんは、腰のあたりで両手を合わせ、ほんの少しモジモジしながら答えた。その返答を、ラナレナさんは深く追及しなかった。

 今から探すって意味での、決まってないってことではない気がする。当てがあるけど、確定していないみたいな、そういうニュアンスに感じる。あまり詮索するのも失礼と思って、考えるのはその辺にしておいたけど。

 それから、ラナレナさんはこっちでの生活をどうするか尋ねた。宿は、これから探すらしい。

 すると、宿探しの手伝いにと、お調子者の男連中が名乗りを上げ、それをラナレナさんが一蹴。単なる悪乗りで、本気ではないのだろう。男どもは笑って引き卞がった。


「じゃあ、仕事が決まるまでは、私のとこに泊まりなさい。色々聞きたいことがあるし」

「うん、わかった」


 それから、ラナレナさんは仕事が忙しいからということで、リーメイアさんと俺達観客に軽く謝罪した。


「ちょっと、仕事を抜けてきてるところだから……悪いわね。みんな、良かったらお昼でも案内してあげて」


 そう言って彼女が懐から取り出したのは、食事処のタダ券だった。「余ったのもらっていいスか?」と尋ねる声に、ラナレナさんは「仕方ない奴ね」と言わんばかりの笑顔で返してうなずく。

 そういうわけで、俺達はリーメイアさんと一緒に、昼食を取ることになった。

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