第237話 「始動①」

 4月8日、10時ぐらい。俺達は王都から西へ2時間ぐらい歩いていた。目的地は、ここら一帯でもかなり大きい湖だ。湖に行くのは、ほうきで飛ぶための各種訓練のためだ。

 今回の活動では、冒険者は当然として、工廠や魔法庁の職員、それにギルド職員や商工会の方まで帯同している。商工会の方は、一種の見学というか視察みたいな感じだろう。他の組織よりも役職が高そうな方がついてきていて、この活動へ強い興味を持たれていることが伺えた。

 そして、この集団には殿下も参加しておられる。それとアイリスさんも。殿下は現場主義者とのことだし、肝心の初回をすっぽかすわけにもいかないのだろう。まぁ、そういう事情抜きにしても同行しそうではあるけど。

 アイリスさんはというと、正式には今回の飛行訓練のメンバーじゃない。郵便配達やらなんやら、そんな雑事を任せるわけには……ってことで、彼女の希望に反し、上からの意向で訓練生にはなれなかったそうだ。ただ、シエラ以外でほうきを実際につかった数少ない人物ということで、ギルドからはアドバイザーをと打診があって今に至るというわけだ。まぁ、ギルドというか、受付や事務方の配慮もあったのだろうと思う。


 誰かが「飛んでいければ楽なんだけどな~」と、少し大きめの声でぼやいた。今からそのための訓練に行くわけなんだけど、往復で結構疲れるのは否めない。互いに顔を見合わせて苦笑いした。

 行きだけでも結構疲れるのは、すでに訓練が始まってるからだ。参加者の中でも空歩エアロステップをすでに覚えている者は、お互いに距離をとり、草原の上を空歩で草を踏まずに歩いている。

 先頭を行くのはシエラで、俺達の方を見ながら――つまり、後ろ歩きで――進んでいる。同じ時間空歩を使いっぱなしだけど、まったく消耗した様子を見せない。

 空歩に関しては彼女がこの集団では一番の使い手なんだけど、他にも優秀な使い手は結構いる。アイリスさんと殿下は言うまでもないけど、冒険者でも狩猟系の仕事を多くやる奴は、空歩に熟達していることが多い。足跡を残さずに獲物に近づけるし、緊急避難や潜伏にも役立つからってことで、よく使うんだそうだ。

 あと、魔法庁職員もエリートとしての意地を見せた。城壁の中で仕事をしているだけに、実際に魔法を使う機会は少ないだろうと思っていたけど、大半の冒険者よりはやっぱり高い力量があるようだ。

 そんな中で俺はというと、結構普通に空歩を使えていた。世界間を渡る際の訓練で、かなり鍛えられたんだと思う。

 まぁ、魔法使いとしてのスタミナはついたものの、魔法を使う上でのコントロールはまだまだってところだ。本当にうまい人達は、草を踏まないギリギリの高度を維持しつつも、頭がほとんど上下しない。それだけしっかりと、安定して空歩を使えているというわけだ。

 ちなみに、訓練に参加する全員が空歩を使えるわけじゃない。というか、空歩を使えないものの、別の所で適性を見いだされた冒険者は、全体の3割ぐらいで結構多い。どうも今回の試みは、空歩をうまく教えるための教練法を練る意図もあるようだ。

 まだ空歩を使えない仕事仲間たちは、さすがに少し引け目を感じているように見て取れた。でも、彼らが空歩を使えるようになったら、立場は逆転するんじゃないだろうか。というか、新しい事業で才能を開花してくれたのなら、それは良いことだと思う。


 そんなこんなで俺達は湖にたどり着いた。雲ひとつ無い晴天の光を受け、湖面はキラキラ輝いている。これから無遠慮に水面に飛び込みまくって、この湖面を乱すのに罪悪感を覚えるくらいだ。

 湖を前に、まずはそれぞれの所属ごとに整列して、最初の挨拶だ。殿下が前に立たれて仰る。


「まずは、当計画に意欲を示してくれた皆に感謝を。実際に飛ぶにはまだ早いものの、君達は1つの最前線に足をかけている。その自覚と自負心を以って挑んで欲しい」


 まだ少し涼しいぐらいの気候だけど、殿下のお言葉で周囲に少しずつ熱気が高まっていくのがわかった。

 それから、殿下はシエラに挨拶を引き継がれた。ただ、事前の打ち合わせはなかったようで、彼女はかなり戸惑っている。しかし、殿下に勧められ、アイリスさんに背を押され、周囲のみんなに囃し立てられ……結局逃げ場がなくなった彼女は、苦笑いしつつ俺達の前に立った。


「……えっと、こういう日を迎えられたことは、とてもうれしく思います。それで……先は長いかも知れないけど、一緒に頑張りましょう」


 殿下のお言葉に比べれば、ちょっとたどたどしいところもあるけど、飾りっ気のない彼女の言葉にはみんなが拍手で応えた。それに彼女はうつむいて、拍手が止んでもそのままだった。感無量、なんだと思う。

 それから少し経って、彼女は明るい声で「では、今日の訓練を始めます!」と宣言した。


 訓練開始って言っても、まずは説明からだ。これまで空歩を散々使わされてきたけど、なぜそこまで重視しているのか。そこで、シエラが実演しつつ解説する。

 彼女はほうきを片手に、湖の上を歩いていく。湖面には静かに波紋が広がり、水を踏んだギリギリのところで空歩を使っているのがわかった。

 次に彼女は、水面上でほうきをまたいだ。まるで地上でやるみたいに、一連の動作に違和感がない。

 そして、彼女は湖の上でほうきを飛ばした。最初は人間の小走り程度の速度で、それがどんどん速くなっていく。やがて、湖の上をバイク並みの速度で疾走し始めた。ほうきを飛ばしつつ、彼女は大声で言う。


「ほうきは、加速するほうが得意なの! それで、無理に止めようとすると」


 そこまで叫んでから、彼女は無理に止める実演をしてみせた。というより、失敗例だろう。彼女の体が、ほうきから前方上空に投げ出されたかと思うと、ほうきは水しぶきを上げて湖に飛び込んだ。かたや空に軽く舞い上がる形になった彼女は、猫みたいにクルっと回転すると、湖面に静かに着水した。ほうきが立てた水しぶきが止んで少しすると、沈んでいたほうきが水面に浮き上がる。

 目にもつかないくらい、あっという間の出来事だった。すべてが終わってから、事故映像でも見せられているような気分になり、腹の底に冷たく重いものが入り込んだような感じがした。周りのみんなも、どう反応していいのかわからないみたいだ。戸惑いざわめく声や、まばらで不揃いな拍手が聞こえる。

 それからシエラは、水上でかがんでほうきを持ち直し、俺達の前に歩いてきた。彼女は「ここでやる意味はわかった?」と尋ね、俺達はうなずいた。まぁ、海でもいいんじゃないかって声もあるだろうけど……他の船の邪魔になるだろう。


 静かに言葉を待つ俺達に、彼女はほうきの仕様も交えて、先程の現象の解説を始めた。

 ほうきにも、制動能力はある。しかし、急にブレーキを掛けると前方に放り出される。馬以上に速度を出せる上、ほうきと搭乗者をつなぐのが、細い柄を握る自分の手しか無いからだ。シートベルトなんて気が利いたものはない……今のところは、だけど。


「……それで、急に止まろうとすると、それまでの勢いをすべて手で抑える形になって、堪えられなくなって前に投げ出されるってわけ」

「じゃあどうするの、マスター」

「ま、マスターって」


 誰かが適当にそう呼んだけど、シエラがそう呼ばれることに反対の声は、一切上がらなかった。事故の安全な実演なんて、彼女じゃないとできないだろう。この場の誰もが――魔法庁職員でさえ――彼女の技量に感服している。

 寄せられる視線の熱量に、ちょっとたじろぎ顔を赤らめつつも、彼女は「よく見てて」と言って、再度湖へ歩いていった。そして、先程同様に少しずつ加速していく。それから、十分な速度に達したところで、彼女は大声で言った。


「最初のうちは、無理に止めようとしないで! 加速をやめるだけでも、ちょっとずつ遅くなるから!」


 実際、乗ったことがある俺としては、よく分かる話だった。高速で飛んでいると向かい風が働いて、速くなればなるほど抗力が増す。だから、ある程度までは自然と速度を落とせる。実演する彼女も、ちょっとずつではあるものの、速度が遅くなっていった。

 最初のうちは、こうやってブレーキを掛けず、空気抵抗で減速。ブレーキをかけるのは慣れてからで、感触を確かめながら各自調整する形でやっていくのが当面の方針だ。


 他にも彼女は、いくつか実演をしてみせた――全て事故の実演だ。空中で急に曲がろうとして空に投げ出されたり、急上昇しようとして手からほうきがすっぽ抜けたり。やらかしてすぐに、彼女は空歩でこともなげに体勢を整えたけど、それができてなかったら水しぶきが上がっていたところだ。

 そして……実際にほうきを使う場面では、水しぶきなんて上がらない。血を見るか、何も見えなくなるかだ。

 緊急用のパラシュートか、あるいは射出座席ばりの重要性を見せられた後では、もう空歩なしでほうきにまたがろうなんて誰も考えなくなっていただろう。そして、事故の再現を安全かつ自然にやってのけるシエラに、その場の誰もが感嘆した。その賞賛の渦の中で、彼女はかなり照れくさそうだった。


 やがて興奮も収まってくると、空歩の習熟度に応じたグループ分けがなされ、訓練を始めることになった。

 まず、一番よくできるグループ。ここには空歩を意のままに使える者が入る。訓練内容は、交替でほうきに実際に乗りつつ、他のメンバーは湖の上を空歩で歩いたりスキップしたり、水上で縄跳びしたりするというもの。

 ほうきの実乗訓練では、シエラが乗るほうきと紐でつないで並走する形になる。つまり、彼女とマンツーマン指導になるわけだ。

 次に、空歩は使えるけどマスターしているほどではないグループ。このグループは、前述のグループ同様に湖の上で空歩を使う訓練か、そこまでの力量がなければ周囲の草の上を空歩で歩く訓練を行う。そうやって空歩に慣れていくわけだ。

 最後に、空歩をまだ使えないグループ。ここは魔法庁とギルドの職員がサポートに入って、空歩の習得を目指す。


 それで俺はというと、当計画の運営寄りということで、訓練に参加しつつ意見を上げるというポジションだ。グループ的には、一番できる方に回された。実際にほうきに乗ったこともあるから妥当なんだろうけど、同じグループに殿下とアイリスさんもしれっと混じっていて、ものすごく緊張する。

 訓練を始めると、ほどなくして誰かが水にダイブする音が聞こえた。まだまだ時節柄水温は低めで、水に落ちると結構つらいだろう。沈んだ仲間に手を差し伸べ、陸に引き上げる姿が見えた。

 今日は濡れてもいい服で参加ということで、水着のやつもいたけど、大体は下に水着を着込んで上は薄手の布の服って感じだ。

 水に突っ込んだときのための準備もきちんとあって、陸には焚き火代わりの魔道具が用意してある。金属棒3本を足にした、畳める台座の上に、赤い透明な宝珠が乗っているのがそれだ。ハロゲンヒーターみたいなやつだけど、触っても熱くないようで、周囲の人間の内側からじんわり温かくなるようだ。優しい電子レンジみたいなもんなんだと思う。


 周囲の様子を見るのも仕事なんだけど、見ているとすぐに時間が過ぎていく。不意に肩を叩かれ振り向くと、訓練で同じグループの冒険者がいた。全身が少ししっとりしている彼に「ほうきに乗る番だぜ」と言われ、俺は湖の中程へ歩いていった。

 やがてシエラのもとにたどり着くと、彼女は無言で微笑み、ほうきの柄を差し出してきた。

 今からこの子と、ほうきで並走する。そう思うと、訓練だっていうのに、変に場違いな緊張と高揚感を覚えた。彼女の表情が、その昂りを加速させ、俺は湖面にしゃがみこんで顔を洗った。


「……大丈夫? どうしたの?」

「いや、緊張してさ……ちょっと冷やさないとって」


 周囲の視線ってやつも、やっぱりある。何かと注目を集める立ち位置になっていて、そのことも緊張感を生んだ。何回か深呼吸をして落ち着いてから、俺はほうきにまたがった。

「合わせるから、いつでもいいよ」という彼女の声を受け、ゆるゆるとした速度で発進する。それから少しずつスピードを上げたり、少しブレーキを掛けたり、カーブさせたり。並走するシエラは、ほうきの柄が常に平行になってるんじゃないかってくらい、俺の動きに完全に合わせてくる。

 そんな彼女が少し気になって視線を少しやると、彼女は完全に俺のほうきに焦点を合わせていた。細かな変化も逃すまいと、真剣な眼差しを俺の手元に注ぎ込んでいる。

 そんな彼女を見て、俺はさっきまでの浮ついた気持ちをちょっと恥じた。一方で、今まで抱いていた使命感が、一層強くなる感覚もあった。ほうきで飛ぶことに、ここまで真摯に向き合っている彼女にも、俺はそれなりに信頼されている。それに、自分なりの果たすべき役割や立場もある。


 それから湖面を無事に飛び回り、少し経ったところで別の仲間に変わることになった。

「どうだった?」と笑顔のシエラが聞いてくる。


「どうって……あー、晴れてて気持ちよかったかな。前のは夜だったから、結構怖くってさ」

「そういえば……」

「夜とか、あるいはちょっと強めの雨でも安心して飛べるような装備があると、配達も捗ると思う」

「なるほど」


 飛んでるときみたいに真面目な顔で、彼女は何度かうなずいた。それからまた微笑み、口を開く。


「これからも、頼りにしてるからね」

「応えられればいいけどね……ま、がんばるよ」


 俺の言葉に、彼女はあどけない笑顔で応じた。

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