第236話 「禁呪の話」
向かった先は書店だった。石造りの外見は他の店と大差ないけど、中に入ると板張りで少し薄暗く、かなり古ぼけた感じの雰囲気だ。
お客さんは他にいない。床を踏むときの、かすかに板がきしむ音以外には何の音もなく、本当に静かだ。そんな静けさを破るように、ウィルさんは声を出した。
「すみません、ちょっといいですか~」と彼が呼びかけると、白髪の男性が店の奥から姿を表した。顔にしわがあっても、腰はピシッと伸びて姿勢がいい。その彼は、ほんの少ししわがれた声を出した。
「なんだ、ウィルか」
「なんだってことはないだろ?」
「一冊でも買ってから言うんだな」
そう言って店主らしき方は、カウンターに立てかけてあった杖を手に取った。そして、それを上向きにくるりと回して天井を突く。すると一瞬、天井の木板の一部がわずかに沈み込んでから、バカっと口を開いた。同時に、縄梯子もカラカラ音を立てて落ちてくる。
店の外見から察するに、2階というよりは、隠れた屋根裏部屋程度のものがある感じだろう。隠れ家的な雰囲気に気分が高揚するのを覚える。そんな俺にウィルさんは、笑顔で「上へ」と促し、慣れた様子で縄梯子を登って行った。
後について登っていくと、部屋と言うには天井が近すぎる空間に入った。立てば頭をぶつけるけど、多少の余裕を持って座れる感じではある。
唯一の窓には木板がはめこんである。その埋め切れない隙間から明かりが漏れ出て、一種の間接照明みたいになっていた。おかげで、真っ暗にはなっていない。
2人で胡坐をかいて座り、向き合う。重要な話があるんだろうけど、それにしては似つかわしくないくらいに砕けた雰囲気だ。
ウイルさんはにこやかに笑いながら、まずは今回の件について祝ってくれた。
「まさか、君が提唱したアイデアで、魔法庁がここまで動くとはね。いや、おめでとう」
「ありがとうございます」
「……まあ、色々大変だと思うけど、がんばってくれ」
そういって彼は苦笑いした。それからいくらか間を開け、小さく咳払いをしてから話を切り出してくる。
「天文院って、名前は知ってると思うけど、どうかな?」
「名前は知ってます」
実際には、この世界に来た最初の日に、アイリスさんと天文院の方に立ち会ってもらっていた。しかし、その件に触れていいものかどうかはわからず、言及しないでおいた。
しかし、ウィルさんの口から天文院という言葉が出てきて、なにやらただ事ではないという感じがする。思わず身構える俺に、ウィルさんはまず天文院について軽い解説を始めてくれた。
天文院について広く知られているのは、黒い月の夜が正確には何日になるのか、予報をする機関だってことだ。
で、知られてないのは魔法庁の上位組織であるということ。天文院からの通達を基本に、魔法庁が各国の情勢に合わせた活動を行うという構図になっている。
しかし、天文院と魔法庁の関係は、魔法庁職員ですら知らない。かろうじて長官クラスが知らされる程度らしい。一般向けの説明としては、魔法庁統括総省とかいうダミー組織が、各国の魔法庁の上に存在することになっているそうだ。
では、どうしてそんな話を俺にしているんだろう?少しずつ、心臓の鼓動が早くなる。
「もともとリッツ君は、向こうから来た時から天文院に存在を認識されてたんだけど……色々あったからね」
「飛ばされてまた、こっちへ戻ってきた件ですか」
「そのとおり」
「……天文院は、この世界を出入りする存在を把握できるんですか?」
「察しがいいね。まあ、僕も詳しくは知らないんだけど」
そういって彼は穏やかに笑った。嫌なところは感じない笑みだけど、今ではそれが少し底知れないものに感じる。俺の味方なのだろうとは思うけど。
「どうして、俺にそんな話を?」と尋ねると、彼は急に真剣な顔つきになり、俺を正面から見据えた。
「
「注目だけはされている感じですか」
「ああ。それで、そのことだけでも伝えておくのが礼儀だと思ってね。この話は天文院も承認しているから、その点は安心してほしい」
俺の思い付きから始まった一件が、さらに大事になったように感じられる。もともと殿下が関わられるだけに失敗できないとは思っていたけど、今日の話でますますプレッシャーを感じる。そんな思いに表情を硬くした俺に、ウイルさんが顔の力を抜いて話しかけてくる。
「そう身構えることはないよ。反魔法の探求を、すべて君1人で済ませるわけでもないしね」
「それはそうなんですけど、やっぱり発案者なので……」
「まぁ、わかる。でも、周りを気にしすぎたって仕方ないからね。自分にとって、悔いのないようにやればいいさ」
穏やかに微笑み、感情のこもった声音で励ましてくれるウィルさんは、もしかしたら似たような経験があるのかもしれない。そう思わせるくらい、暖かな激励だった。
ウィルさんからの話は以上で、天文院についてと、向こうから注視されているということだった。
続いては俺の番だ。少し深めに息を吸って落ち着かせてから、要件を切り出す。
「こっちに戻ってきた直後の戦闘前に、おまじないしてもらった件ですけど」
「あ“~」
話の途中でかなり食い気味に、彼はのどから苦悩を絞り出すような声を発した。話が遮られる格好になったけど、何を聞こうとしているのかは推察されたようだ。「あれって何ですか?」と尋ねてみても、彼は瞑目して考え込むばかりだ。
あの時のことを思い出すと、使われた側としても相当な魔法だというのは察しがつく。
それに……俺が今まで目にした魔法は、どれも体の外で効果を発揮するものだった。あれは明らかに、自分の内側の、思考速度か何かに作用していたと思う。その点が、すごく異質に感じる。仮に思考が早くなったのでなければ、自分以外の世界が遅くなったのだろうけど、それはそれで途方もない魔法だ。
そうやってあれこれ思考をめぐらしてる俺に、ウィルさんはため息をついて苦笑いしながら言った。
「やっぱり、知りたい……よなぁ」
「自分が食らった魔法ですから、気になります」
「だよなぁ」
知りたがる気持ちってのは、理解してもらえているみたいだ。というか、あんなおまじないを受けたら、俺でなくったって興味を惹かれるだろう。
でも、安易に教えられるものってわけじゃないようだ。かなり苦悩しながら、ウィルさんは言った。
「禁呪に関するルールって、どこまで知ってる?」
「えーっと、Cランク試験の問題ぐらいの知識までは」
「へぇ、それは勉強熱心だね!」
「人ごとではないので」
「それもそうか」
禁呪周りのルールについては、他の冒険者よりもずっと身近な問題になっている。だから、責任感と自己防衛の意識から、しっかり覚えておくようにしている。
俺に感心する様子を見せたウィルさんは、まるで試験前に問題を出すノリで、禁呪の3区分について尋ねてきた。それを受けて、俺は問題に口頭で回答する。
禁呪は危険度や重要度に応じて、第3種から第1種に分類されている。
まず第3種禁呪。これは、ものすごく危険というわけではないけど、濫用は避けなければならない魔法が分類される。
禁呪の使用者として許諾を得るには、事前に申請する必要がある。その申請ってのも、あらかじめ使用用途を明らかにしておかなければならない。で、適正利用がなされているか、魔法庁の方で監査が行われることも。
第3種禁呪に分類されるのは、複製術とか、Cランク以降の攻撃魔法、特に
攻撃用の魔法について言えば、Dランクまでであればそこまでの危険性はない。当たりどころが悪ければ即死するだろうけど、それは岩をぶつけられたって同じだ。
しかし、Cランクからの攻撃魔法は、加害範囲や威力が低位の魔法とは一線を画す。集団戦における危険性を考慮すると、誰にでもってわけにはいかない。そのため、魔法庁に適正を認められなければ使用できないというわけだ。
次に第2種禁呪。これは使用の都度、事前の申請を行った上で、魔法庁職員の立ち会いが求められる魔法だ。第3種禁呪は、一度許可を得れば失効しない限りは、許可の範囲内で自由に使えるため、それに比べるとだいぶ厳しい制約となっている。
俺が知る限りだと、転移門の使用は第2種禁呪――というか、第2種禁呪相当の行為――に該当する。使用前の申請は、国だけじゃなくって魔法庁にも関わりがあり、転移門の管理者は、法的には立会人ってことになっている。
最後に第1種禁呪。これは、審議を経た上で国が主体となって使用申請を行い、それに対して魔法庁が承認しなければ行使できないという魔法だ。つまり、間違っても一般人の手に渡っていい魔法じゃない。
そのため、第1種禁呪の具体例はほとんど知られていない。その例外が、転移門の開通だ。新しい転移門を設置し”転移網”に加えるべきか、国が協議を重ねた上で申請し、魔法庁が承諾すれば新しい転移門を作ることができる。
俺が知っているのはそんなところだ。法律問題なので、実際の言い回しはもっと持って回った堅いものなんだけど、聞いているウィルさんは特に突っ込まなかった。間違っていた部分もないと思う。
俺の回答が終わってから少し間を開け、ウィルさんはあたりをはばかるような小声で言った。
「その3区分に入らない禁呪って、あると思うかな?」
「……ちょっと、考えてみます」
こうして聞いてくるってことは、多分あるんだろう。で、物事を網羅すべき法律にも、盛り込めない魔法ってことだ。目を閉じて、そういう魔法がどんなものであるか、考えを巡らせる。
「……他人に、使っているところを見られない魔法であれば、区分外の禁呪ってことになると思います。制限したいけど、取り締まれないわけですし」
「なるほど」
「あとは……存在を明るみにしたくない魔法とか?」
「いやぁ、話が早いね」
腕を組み、うなずくウィルさんは、俺に感心した風だ。しかし、すぐに表情が申し訳無さで曇っていく。
「君に使ったアレは、そういう明るみにできない系統の禁呪なんだ。本当にすまない」
「そうですか……」
「……しかし」
そこで言葉を切った彼は、真剣な眼差しを俺に向けてきた。
「君のことだから、ああいう魔法が必要になる機会も、きっとあるんじゃないかと思う。だから、教える許諾を得られないか、上に掛け合ってみるよ」
「ありがとうございます……あの、ウィルさんって天文院の方なんですか? その禁呪ってのは、天文院で管理してたりとか?」
「ノーコメント!」
その通りと言わんばかりの笑顔で彼は答えた。
今日の話はそこまでだった。縄梯子を降りていって、階下の塞がれた天井をウィルさんが軽く踏むと、店の床が見えた。店主のお爺さんは、俺達に何も尋ねはしない。ただ、彼はニヤリと笑って「がんばりな」と言った。
店の外に出ると、日光が眩しかった。そろそろお昼時だ。昼食でもと思ったけど、ウィルさんは忙しいらしく、先客があると言って丁重に断った。
「そうですか……今日はお忙しいところ」
「いや、君の方こそ」
指摘を受けて、俺は苦笑いした。今月からは新しい仕事がいくつも始まる。本格的な立ち上げ前の今だって、朝から呼ばれて会議だったわけだ。これからはもっと大変だろう。
これからのことに、少し思いを馳せていると、ウィルさんが話しかけてきた。
「さっきの話の件だけど……反魔法の進捗次第では、いい説得材料になるかも知れないね」
「つまり、焚き付けてます?」
「言わなくても頑張るだろうけど、一応ね」
今回のプロジェクトを頑張る理由が、また一つできた。しかも、今回の理由はわかりやすい報酬だ。なんとしてでもって気分になる。
「ウソだったら恨みますよ」と冗談交じりに言うと、ウィルさんは困ったように笑って去っていった。
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