第232話 「新たな試み②」
商工会の方々が立ち去ると、急にホールの中の空気が厳粛になった。というか、そのように感じられる。中にいるのはギルドを除けば公機関の方々で、その顔ぶれは普段顔を合わせるみなさんより、上席らしき方が多い。
そして始まった第2の議題は、例の対瘴気装備についてだ。といっても、成果が出る前から吹聴するようなことはしなかったので、出席者の中でもご存じでない方はいる。そこでまず、事の経緯について殿下が語られた。盆地での人体実験から工廠での衣類型魔道具の開発、瘴気への干渉試験を経て実戦投入に至ったというところまで。
「……2月の戦闘において、試作を実戦投入したところ、一定の効果は確認できた」と殿下が仰ると、議場はどよめき、少し熱気が満ちた。軍の方には、特に衝撃が大きかったようだ。
ただ、ここまではいいんだけど、問題はこれからどうするかだ。先に本件について知らされていた、軍の高官らしき方が話を引き継ぎ、落ち着いた口調で話した。
「先の戦闘での敵兵の練度を鑑みるに、瘴気の強度が低く、我が方に有利に働いた可能性はあります」
実戦で使った者としては、かなりのプレッシャーをあの時感じていた。でも、上には上がいる――いや、前のが下々なんだろう。ここまでの開発で、軍全体として求める水準の性能を提示できたかというと、微妙なようだ。
また、実験室での試験だって、諸般の事情から疑似的に瘴気を再現するものに過ぎない。これ以上の性能向上を目指す上では、それがネックになる。かといって、量産に踏み切れるほど仕様が固まっているかというと、それも少し微妙なところだ。
そうやって軍の方と工廠の方から、現状の問題点を列挙されていくと、先ほどは朗報に沸き返った場も静かになった。消沈というよりは、熱狂から冷静さを取り戻したといった風だけど。
今後の展望としては、研究開発は続行。実地での検証に関しては、野良の魔人を討伐する依頼において、ギルドから冒険者へ内密に貸与という形をとる。魔人相手の戦いに駆り出されるレベルの冒険者であれば、コンプライアンスへの意識も高く、不用意に情報が洩れるリスクは抑えられるとのことだ。
当面は、そうやってギルドと工廠の手で改良を進めていく形になる。軍の手に渡るのは、正式採用できるくらい形になってからだ。
魔道具の話も一通り済み、議題は次に移った。議長が「新しい魔法分野について」と仰って、心臓が跳ね上がるのを覚えた。
ここからの話は魔法庁の領分になる。長官が話を引き継がれた。
「昨秋より当庁を中心に議論を重ねておりました、魔法を無効化するという新技法について申し上げます」
魔法を無効化するというくだりで、場内が急にざわついた。秋の合同練習回で見せたっきりだったから、やはりご存知でない方は多いのだろう。ざわめきを制するように、長官が「技法としては途上のため、過度な期待はなされぬように」と仰ると、ホールはまた静かになった。
それから長官が話されたのは、まずその技法の新規性についてだ。一般に魔法というのは、器に文を合わせ、魔法陣となってから初めて効果を発揮する。
しかし、俺がやって見せたアレは、器の段階で他の魔法に対して作用する。従来の魔法に干渉できることから、他の魔法と同じ諸法則に従うと考えられるものの、他の魔法と同列に扱うべきかどうか。魔法庁での議論は、そういうところから始まったようだ。ウイルスって生き物なのかどうか、生物学者が議論するようなものだと思う。実用面の議論よりも、そういう定義づけから話が始まったのは、役所と学術機関が混ざったようなところだからだろう。
「……当庁の結論として、当技法を
俺はフィオさんのおかげで、超記述について名前は知っていたけど、一般には名前も知られていないのだろう。議場が少しざわめき、誰かが手を挙げて説明を求め、長官がそれに答えられた。
超記述っていうのは、文を持たずに他の魔法と干渉する、魔術技法の総称だそうだ。あまり魔法庁的に広めたくはない概念らしく、長官は具体例の提示を避けられた。
「なお、当技法につきまして、現時点では
略してアンスペってところだ。文を持たない器でありながら、文を持つ魔法に作用して消す様から名前が付いたらしい。とりあえずの名称とのことだけど、命名権についてはあまりこだわりがなかったし、略称の耳馴染みも良く、俺としては満足だった。
名前や定義づけはさておき、肝心なのはこれからどのように扱うかだ。
強く興味を示したのは、軍の方らしい。軍は冒険者よりもずっと集団戦が基本になっていて、それゆえに
それでも、被害は完全に抑えきれない。しかし、敵の魔法を完全に消すことができるのなら、話は別だ。最前列に盾を構えさせつつ、隊の中列から魔法を消したり、あるいは威力を和らげたりできるかもしれない。
可能性を感じているのは、魔法庁も同様だった。高等かつ危険な魔法を習得する際、立ち会う教官役が反魔法を修めていれば、危険はぐっと抑えられる。
では、実用化に向けてどのように動くか。この件に関しては、魔法庁とギルドが動くようだ。
魔法庁では反魔法の反復練習により、技術の習得と理解を目指す。どれぐらいの魔法まで消せるかを検証するのも、主に魔法庁の担当だ。
ギルドの方では、ほうきの件と同様に協力者を募り、こちらでも技術の習得を目指す。魔法庁と違うのは、いくらか実戦形式での訓練も織り交ぜることだ。消せる魔法とそのタイミング、見切り方や立ち回りなど、実戦的な知見を重ねて実用レベルまでもっていく。
とはいえ、反魔法のポテンシャル自体は全くの未知数だ。考案した俺自身、どこまでいけるかわからない。まぁ、
そのため、これも過度な期待を与えないように、極力内密に事を進めることとなった。それに、情報が漏洩すると危険だ。魔人以外にも、例えば人間の悪党などにこの反魔法を知られるのはまずい。
冒険者の手で実戦形式の訓練を行うという点に関しては、工廠の方から補足が入った。
「闘技場の修繕につきまして、決闘者の保護機能が回復する目処が立ちました。夏までにはと考えております」
議場は一瞬静まり返り、その後反動に騒然となった。今日の会議で一番のどよめきかもしれない。議長はかなり苦々しい顔をされ、横の殿下が苦笑いしながら場を収められた。
決闘者の保護機能というのは、ヤバい魔法をノーガードで受けて惨事になるのを防ぐための、一連の機能だそうだ。決闘者に追随する回数型の防御膜だとか、特定の魔法文に干渉して打ち消す防御機構だとか……そういったものの存在が、闘技場が使われていたころの資料から推測されている。そういう機能の復活で、もしかしたら闘技場を闘技場として使えるようになるかもしれないということだ。先ほどの盛り上がりはそういうことだろう。
今回の案件に関連していえば、もしもの際のセイフティーとして、反魔法の実践訓練に保護機能を用いることができるというわけだ。危ない魔法のいなし方などを探求する上では頼りになるだうう。
ただ、闘技場の普及は、あくまで予定であって確定事項じゃない。それをいうなら、今回の案件3つの実用化すべてが、まだまだ未確定なところが多いわけなんだけど。
「今回の案件は、どれもそんな感じですな!」と誰かが明るい大声で指摘すると、大勢がどっと笑った。
今日の会議は以上だ。締めくくりに議長が話される。
「当会議の案件に関しては、すべて王太子殿下が指揮監督をなされる。そのご信頼に背くことなきよう、諸君らの精勤を期待するものである……以上、閉会!」
殿下総指揮の下で、3つのプロジェクトが進んでいく。そのことにまたもざわめきつつ、皆さん立ち上がって議場を後にする。
しかし、俺はラックスから残るように言われている。なので、席に座ったまま人の波が引くのを眺めていると、背後から「リッツは出ないのか?」と尋ねる声がした。ウェイン先輩だ。「残るように言われてるんです」と答えると、彼は「大変だなあ」と笑って手を振り、去って行った。
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