第231話 「新たな試み①」

 4月1日、8時半過ぎ。宿で食後の茶を飲んでいると、ノックの音がした。一緒に茶を飲んでいたみなさんは、もう慣れた感じで俺の方を見ている。

 しかし、俺は気が気じゃなかった。というのも、今日は空けておくようにとの通達を、ギルドから事前に受けていたからだ。それに、要請があったのは会議への出席だけど、場所を知らされていてなお、こうしてお迎えがある。そんな仰々しい扱いに、かえって身が縮こまる思いだった。

 リリノーラさんが来客の応対に向かうと、外にはお役所の方が立っていた。恭しい態度の役人さんは、ここに俺がいるかどうかを尋ねているようだ。会話が済んで、リリノーラさんが俺に視線を送る。振り向いた彼女が何か言い出すより早く、俺は立ち上がって玄関の方へ向かっていた。そして、玄関にいる2人に近づくと、役人さんが穏やかな微笑を浮かべて挨拶をしてきた。


「おはようございます」

「おはようございます。会議の件ですよね?」

「はい。少し早くなりますが、先に話しておきたいこともあるとのことで、お呼び出しが。いかがなさいますか?」


 この宿への客としては、かつてない腰の低さに、俺もリリノーラさんも少し困惑した。悪い扱いではないんだけども。お呼び出しってことだけど、こうして役人の方を使うくらいだから、相手は相当な地位なのだろう。それには従った方が無難に思われる。それに、呼びに来た彼女を手ぶらで返すのも悪い気がして、俺は少し早めに発つことにした。

 役人さんの案内で会議の場へ向かう。使うのは北区にある公会堂で、一般市民が借りて会議をすることもあるそうだ。それだけだと、会議はそこまでの内容でもない気がしてくる……まあ、希望的観測でしかないんだろうけど。

 そうして着いた公会堂は木造で、大きなホールがいくつもある。周りは木々に囲まれているし、北区でも南寄りに位置していて、行政施設にありがちな威圧感はあまりない。役人の方に礼を言って別れ、中に入ると、廊下は大きめの窓から日の光が差し込んでいて、開放感があった。

 そして、廊下の向こうで見慣れた顔の女の子が小さく手を振っている。ラックスだ。しかし、服装は正装というか、軍の制服みたいなのを着ている。急に、自分の服が気になってきた。別に見すぼらしいわけではないし、この公会堂だってものものしい感じではない。でも、集まってくる方々の恰好を想像すると、俺の方が場違いな気がしてくる。

 そんなことを考えていると、駆け寄ってきたラックスに「大丈夫?」と聞かれた。


「いや、この服で大丈夫かなって……」

「今日は大丈夫じゃない? でも、いずれは、ちょっとご立派な服も必要になるかもね」

「そっか……」

「エスターさん、仲いいんでしよ? 言えば貸してくれるよ」


 借りる場面を想像すると、それはそれで恥ずかしい気がしてくる。まあ、服の調達には困らないだろうから、いいことだとは思うけど。

 服装の話が終わったところで、ラックスが話を切り出してきた。


「呼び出してごめんね。ちょっと、事前に伝えておきたいことが」

「どうかした?」

「会議が終わっても、まだちょっと連絡事項があるから、残っていて欲しいの。それだけ」

「わかった」

「ん、ありがと」


 服装こそ堅苦しくて若干の圧があるけど、ラックス自身はすごくリラックスした感じで、いかにも場馴れしている感じだ。そばにいてくれると助かるんだけど、それとなく席の位置を尋ねると、俺とは結構離れているようだ。

 伝達事項はそこまでだったようで、彼女は「中で待つ?」と聞いてきた。このまま廊下で話し合っていても変に思われそうだし、会場で待つことにする。

 会場となるホールの前には、衛兵らしき方が2人いた。らしき、というのは、衛兵の方みたいに防具はないんだけど、帯剣だけはしているからだ。服装はラックスみたいな感じの軍服で、顔は……まぁイケメンだった。たぶん、こういう場で受付とか見張り、警備に携わる方なんだろう。俺よりも見た目は立派なんだけど、ホールの入り口での身分照会で、ものすごく丁寧な対応を受け、大変に恐縮した。


 そんな俺にラックスが含み笑いを漏らし、気恥ずかしさに若干憤然としてホールへ入った。中の天井はかなり高く、床の段は緩やかな傾斜で、すり鉢状になっている。席の配置はU字というよりCに近い。円の切れ目近くが一番低く、議長席っぽい感じだ。

 俺の席は、Cの真ん中後ろあたり。周辺にはすでに座っている方もいて、俺と似たような服装だった。思わず安心してため息をつく。気づけば先方も似たような反応をしていて、苦笑いしてしまった。聞けば、商工会職員の方だそうだ。彼が先に話しかけてくる。


「こういう時に、ウチの職場に制服がないのが悔やまれるというか」

「ああ、わかります。悩まなくて済みますしね」

「そうそう」


 そうやって意気投合すると、徐々に席が埋まっていった。俺の近くにはギルドの制服を着た管理側の方々が多く、普段見ないような幹部というか役員らしき方がいらっしゃる。少し離れたところにはウェイン先輩とギルドマスターもいらして、何やら書類を見て話し合っているようだ。

 もっと離れたところ、つまりCの端っこには、魔法庁の方や軍の方、工廠の方の姿も見える。俺と付き合いのある方々の姿も散見されるけど、そういう知り合いよりも明らかに地位が高そうな方の割合が大きい。なんだかダベるのも気が引けて、黙って会議の開始を待った。


 席が埋まり、最後に議長席らしきところへ歩いて行ったのは、一際ひときわものものしい装いをした方と、殿下だった。その立派な御仁は今回の司会進行役で、トレイリー宮中伯と名乗られた。語調には少し威圧的なところを感じる。これまでお会いしたどの貴族の方よりも、それっぽい感じだ。

「では、会議を始める」と伯の宣言とともに、会議は始まった。しかし、会議といっても、実際には事前に論を尽くしたものの報告を、関係各所に通達するという感じだ。


 最初の案件は、空飛ぶほうきについて。工廠の所長さんが立ち上がり、現時点での決定事項を話し始めた。

 まずは、訓練方法に関して。飛ぶためのと落ちた時のための訓練の方法がある程度定まったとのことだ。そのため、これからは1歩進んで、実際に訓練を始めることになる。

 では、誰に訓練を施すかだけど、まずは冒険者で希望者を募り、適性がありそうな者に……ということになった。最初は軍で導入するものと思っていただけに意外だったけど、もちろん理由はある。というのも、諸般の事情から最近は軍への負担が増していて、その上で訓練法や運用法が完全には定まっていない物を導入するのに、抵抗感を示す方々が無視できないくらいにはいたからだそうだ。

 もちろん、飛べる兵の有用性は認識されている。しかし、普及の実験台に貴重な精兵を割きたくはない。そういった声を鑑み、またギルドが意欲的なこともあって、まずは冒険者からということになったようだ。

 加えて、ほうきを最初に運用する事業の都合もある。初期は何よりも、運用データを安定して多く確保したい。そこで、定常的に行われる事業において、ほうきの導入をということになった。白羽の矢が立ったのが、郵便配達業だ。配達などはギルドに仕事を依頼されることも日常的にあって、実地検証の機会を多く設けるという点では都合がいい。

 それに、都市や集落間の安全地帯を行き来するだけなら、そこまで細かな法規制は必要ない。段階的に普及させるという点で、これも好都合だ。

 冒険者から訓練を試験的に開始することに異論は出ず、次は今後の大まかなスケジュールに話が移った。


「協議の結果、1か月集中的に訓練を行えば、実地運用は可能かと」

「つまり、5月からでも?」

「そのように考えております」


 商工会の役員らしき方の問いに、所長さんが落ち着いた口調で答えると、あたりで静かだけども歓声が沸いた。商工会にしてみればいいニュースだろう。新しい流通形態ができるかもしれないんだから。

 でも、俺にとってもいい知らせだった。というか、シエラにとってだけど。あの所長さんのことだから、きっとシエラの意向を汲んで動いたのだろうとは思うけど、こうして形になって本当に良かったと思う。

 ただ、訓練法がある程度でき上がっているといっても、実施するにはまだハードルがある。乗りたい奴の中に、ふさわしい奴がいるかどうかとか。

 そこで話が、所長さんからギルドマスターに引き継がれた。


「適性を感じられる者については、すでに目星をつけております。1週間を目処に人員を募り、訓練を開始する見込みです」


 その、適性のある人員というものに、俺も含まれているんだろうと思った。適性というか、経験だけど。より優れた乗り手への、アドバイザーとかそういう役回りはあると思う。

 実際の運用については、訓練の結果が出ないと詰め切れないということで、今日の話はそこまでだった。

 質疑応答に入ると、やはりというべきか、商工会の方から質問が飛んだ。最初の質問は、「依頼費の値上げは?」というもので、なるほどと思わされる。

 依頼費の高騰の原因として考えられるのが、危険手当だ。飛行のやり方が確立しようと、空の方が危ないのは変わりない。あと、早く着くことへのボーナスも、慣れてきた頃にはあるかもしれない。

 しかし、マスターは「依頼費据え置き」と明言した。実際には、飛行輸送で冒険者への報酬は増やすものの、増加分は国の予算から下りるとのことだ。それだけ、国も注目しているというわけで、ホール内は少しどよめいた。

 他にも、冒険者以外に専門の輸送業者を育成する予定はあるか。飛行による輸送時、もしもの物品破損で誰が責任を取るか。現時点で見込まれる積載量の目安。平均して1日何便まで出せそうか……などの質問が飛んだ。

 多くの質問が商工会から出て、実は待ち望まれていた試みだったんだと確信した。遠くにはシエラの姿が見えて、顔はうつむいているけど、心に感じ入るものはあると思う。


 やがて質問も止んで、会議の第1部は閉会となった。

「当案件にのみ出席の者は、速やかに退席せよ」と議長が仰ると、周囲の商工会の方々が一斉に立ち上がった。今座っているのは、言ってみれば公機関の方ばかりで、次の議題の重要性を思わせる。なんというか、かなり緊張してきた。

 振り返って、ここに来た時服装についてダベっていた彼に視線を向ける。すると、色々察した彼は、色々と大変ですねと言わんばかりの、すごく微妙な苦笑いを寄こしてくれた。

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