第230話 「あの人の故郷⑤」

 俺の問いに、彼女はハッとして沈鬱な表情になった。

 俺としては、俺の精神だか魂だかに手を加えるってのは、ありえないと思っている。下手にいじれば、どこかで齟齬そごが出そうだからだ。

 しかし、自分の墓を見て、自分という存在の連続性を確信できなくなって……どこかのタイミングで、何らかの干渉があったんじゃないか。今の俺が、作り物なんじゃないか……そんな益体もない被害妄想を、完全に振り切ることができなくなってしまっていた。

 一方で、フィオさんには聞きたくない気持ちは、強くあった。彼女は最初に会ったときから結構説明不足なところがあって、少し不注意というか不用意というか不始末な感じは、正直ある。でも、死霊術ネクロマンシーみたいな理外の術を使う割に、とても人間味があって、俺に誠意を見せようとしてくれているとも感じている。

 俺が尋ねてから、少しの間静かになった。視線を伏せたフィオさんは、やがて意を決したように真剣な表情で俺に告げた。


「最初に言葉を植え付けた以外は、何も手を付けていないわ」

「わかりました」

「……ずっと、悩ませてしまったのね。本当に、ごめんなさい」


 また、いたたまれない雰囲気になってしまった。俺としては、フィオさんの言葉を信じるしか無いし、十分に信じられる。だから、話を聞けてスッキリした感じはあるけど、彼女にしてみればそんな気分じゃないだろう。

 しかし、このままってのも互いに辛い気がして、俺は別の質問を投げかけた。


「どうして、俺みたいな異界人を、こちらに招こうと考えたんです?」

「……それは」


 フィオさんはそこで黙り込んだ。しかし、隠そうとかごまかそうとしてるんじゃなくて、言葉を選んでいるように見える。狼狽とか動揺はなくて、落ち着いて俺の方に正対している。そして彼女は、静かに口を開いた。


「魔人との戦いは数百年に及んでいたけど、それでも終わる気配はなくって……根本的な変革が、何か私達が変わるためのきっかけが、必要なんじゃないかって」

「それが、俺ですか?」

「……ええ。プレッシャーになるからと思って、言わないでおいたけど」


 だいぶ大きなことを託されているように思って、思わず居住まいを正してしまった。そんな俺に、彼女は少し表情を柔らかくして言った。


「あなたが全てを変える必要なんて無いの。ただ、異界人であるあなたの固定観念のなさが、まわりの大勢にいい影響を与えてくれれば……人や国が大きく変わっていく、最初の一歩を踏み出せるかもって思って」

「そんなもんですかね……」

「禁呪を結婚式に使ったって話でしょう? 最初に聞いたときは、耳を疑ったわ」


 にっこり笑いながら話すフィオさんは、明らかに俺のことを褒めてくれていて、それが嬉しいけど恥ずかしい。少し視線を外すと、彼女は続けた。


「こんな体だけど、情報のつてはそれなりにあってね……あなたがお世話になってるフォークリッジ伯は、気概というか志がある方で、あなたを安心して任せられると考えてたの」

「そうですね。閣下にも、お屋敷の皆様にも、とても良くしていただいてます」

「それは良かったわ。新しいことをしようとすると、きっと反発もあるでしょうから、後ろ盾は必要だと思って。でも、これからは大丈夫かもしれないわね」

「そうですか?」

「話を聞く限り、あなた自身があの国の人々に受け入れられてきていると思う。だから、多少突拍子もない事を言っても、まずは話を聞いてみようかってなるんじゃないかしら?」


 なるほどと思った。確かに、前よりもそういう雰囲気はある。特に魔法庁は、庶務課のみなさんや例の事業絡みで職員とのつながりができて、前よりもずっと俺の話を聞いてもらえそうな環境ができている。

 フィオさんが俺を呼んだ理由は、そんなところだった。今のところは彼女の願いどおりになっている感じだ。「強制なんてしないから、自然体でいて」って話だけど、もう少し頑張って、もっといい形へ願いを叶えてあげようと思う。


 他に聞いてみたいことは、歴史のことだ。今使われている統一歴が始まる前について、何か知っていることがあれば聞いてみたい。しかし……。


「私の時代よりも、今の時代の方が、もしかしたら詳しいかも知れないわ」

「そうなんですか?」

「統一歴ができてからやっと、人類が後の世のために情報を残すようになったって言われててね。統一歴よりも前のことは、発掘に頼っているの。だから、私の時代よりも今の方が、そういう情報は多くあるはずだわ。大差ないかもしれないけど」


 後の世の人間の方が、先史時代に詳しくなるってのは、考古学っぽい感じではある。禁呪に通じたフィオさんならではの情報もあるのではと、少し期待していたけど、そういうのはないようだ。


 俺が聞いておきたいのは、そんなところだった。というか、あまり長くてもフィオさんの負担になるかと思って、ちょっと遠慮する気持ちもある。それに、アイリスさんも彼女と話をした方がいいかもしれない。少なくとも、フィオさんはアイリスさんに興味があるようだ。

 そういうわけで、俺達の話が終わるのを待つアイリスさんのもとへ向かい、フィオさんとの会話について打診してみた。すると、彼女は「いいんですか?」とばかりに喜び勇んでフィオさんのところへ小走りで向かった。

 ぼんやりした灯りしかない森の中、1人で会話が終わるのを待つ。うす暗いけど、心細さは感じない。しかし、あの2人が何を話しているのかは気になる。まぁ、聞き耳を立てに行くのは不義理って感じだし、そもそも彼女らに察知されずに近づけるとも思わない。俺は4月以降の、忙しくなりそうな諸々の案件について思いを巡らせ、2人の会話が終わるのを待った。

 しかし、なかなか会話は終わらない。待つ側だからかも知れないけど、随分と長く感じられる。意気投合して話が弾んでいるのならいいけど、重い話で2人とも消沈していないか、それが心配だった。

 そうして1人、ちょっとヤキモキしながら待っていると、アイリスさんが近づいてくるのが見えた。穏やかな微笑みを浮かべていて、特に問題はなかったんだろうと感じ、ホッと胸をなでおろした。


 最後に、お別れの挨拶にと、2人でフィオさんのもとへ向かう。すると、今日最初に会ったときよりも、体が薄くなっているのがはっきりとわかった。やっぱり、無理してたんだ。そう思って湿った顔になると、「リッツ君!」と、フィオさんにしては珍しく、少し鋭い呼びかけをされた。


「お別れのときは、できれば明るくしてもらいたいわ」

「……あー、そうですね。俺まで湿っぽいと、ちょっとアレですしね」


 ちょっと皮肉を込めて言うと、フィオさんは苦笑いした。そんな彼女に、あらためて明るい笑顔を向けると、彼女もそれに応じてくれた。


「次は、いつ呼んでくれるかしら?」

「年1回って話でしたね……適当に考えておきます」

「そう。いつでもいいからね」


 そうこうしている間にも、フィオさんの体は少しずつ薄くなっていく。アイリスさんの方から、何か挨拶はあるだろうか。目で尋ねてみると、彼女は少し考えた後に「フィオさん、あの……お元気で!」と言った。その言葉に、フィオさんは一瞬固まり、そして笑った。


「今日のことを覚えていれば、いつまでも元気でいられるわ。ありがとう」


 最後の方は、ほとんど声が消えかかっていて聞こえなかったけど、それでも心には伝わってきた。そうしてフィオさんは笑顔のまま霧散して、俺達2人が残った。ほんの少しの間、しんみりした空気になる。それから、俺達は森の出口へ歩き出した。森の中の道に入り直したところで、俺はアイリスさんに尋ねる。


「俺に話せる話ってあります?」

「……特には」


 静かにそういう彼女は、不自然なくらいの無表情で首を横に振った。その様子を怪訝に思っていると、今度は少し慌て気味になって、「リッツさんの方は?」と聞いてくる。はぐらかすこともできるけど、話せることは話すって約束だ。

 しかしながら、全部話すのは厳しい。俺が作り物かどうか悩んだ件は、言えば彼女が気に病むかもしれない。そこで、俺がこの世界に呼ばれた理由というか、フィオさんが俺に期待していることについてと、この世界の歴史についての話をした。

 俺が話している間、アイリスさんはかなり神妙な面持ちをしていた。そこまで重い話ではないと思うんだけど、彼女にとっては違うようにも見える。話し終えて少ししてから、思わず「大丈夫ですか?」と聞いてしまった。すると、彼女はフッと顔の力を抜いて微笑んだ。

 彼女は、「大丈夫です。少し、考え事をしていただけですから」と答えた。どういう考え事かは気になったけど、話せる話ならその場でしてくれるだろう。そう思って、追及はしないでおいた。


 川に差し掛かると、やっぱり何組かの家族連れがいた。向こう岸から、ちょっとした好奇の視線が集中するのを感じつつ、飛び石を渡って川を超える。すると、元気のいいこどもが尋ねてきた。


「にーちゃん達、何してたの?」

「ちょっと冒険というか、向こう岸に何かあるかなって。誰も渡らないからさ」

「ふーん……何かあった?」

「美人の幽霊」


 俺の返答に、こども達は「うっそだぁ!」と騒ぎ出す。その様子に少し笑い、アイリスさんと顔を見合わせて、また笑ってから、俺達はその場を後にした。


 森の出口は、すごく明るく見えた。森の中の、薄明かりに慣れてしまったからだろう。少し覚悟して森を出ると、青々とした空に満ちる光は、目を開けていられないくらいに眩しかった。同時に、まだまだ日が高くて、不思議と得した気分になった。傍らではアイリスさんが、嬉しそうに口を開く。


「これなら、まだまだ遊べますね!」


 もはや、口実もへったくれも無くなってきている。気が抜けて出たのであろう、彼女の素の言葉に、少し目を見開いてまじまじと顔を覗き込む。すると、彼女は徐々に頬を赤らめ、しまいには両手で顔を覆った。手の間から「忘れてください」と言う声が聞こえる。


「……まぁ、土産見るだけでも楽しいですしね」

「……はい」

「折角の機会ですし、楽しんでもらえたなら、俺も嬉しいですよ」


 すると彼女は、頬はまだ朱色に色づいたままだったけど、表情を綻ばせた。



 その後の時間は、本当に目まぐるしく過ぎた。土産物リストの分量が結構あったのもそうだけど、1つ何かを買いに店に訪れると、結局2人とも他の品まで興味を惹かれて……そんなことを繰り返していたからだ。

 日が沈みかけても、市場の賑やかさは収まりそうもなかった。というか、時間帯によって入れ替わる出店もあるようで、余計に時間を取られるハメに。

 そんなこんなで土産物を網羅したときには、空は茜色に染まっていた。土産物は、酒類やツマミが多い。あとは反物など。最初は全部俺が持つつもりだったけど、さすがに厳しいのでアイリスさんにも助けてもらうことにした。


「まったく、みなさん飲んでばっかり!」

「瓶が重いのが、タチ悪いですしね」

「そうですよね!」


 重荷に対して笑顔で愚痴る彼女は、やっぱりどこか楽しそうだ。結局パシられたようなものだったけど、それでもこうして2人で楽しめた。本当に、充実した1日だったと思う。


 今日、フィオさんに再会して、改めて自分がここにいる意味を考えてみた。本当に色々あると思うけど……目の前の彼女のことも、きっと大切な理由の1つなんだろう。変装してるくせに、素が出てる。そんな可愛らしい彼女の笑顔を見て、そう感じた。


 さすがに恥ずかしすぎて、そうとは言えないけど。

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