第229話 「あの人の故郷④」
のどかな道を歩いていくと、目的の森が見えてきた。緑の凹凸が地平線を埋めている。
森の中に足を踏み入れると、梢の方は屋根のようになって、頭上を覆いつくしていた。だから、日光は下まで届かないはずなんだけど、森の中はそこまで暗くはない。光は地面から漏れ出ているようだ。コケや石の多くが、ほのかな青い光を放っていて、それらが森の光源になっている。
話に聞いていたところによると、この森では戦没者の慰霊を行ったとかで、つまりそういう霊が出るところなんだろう。
でも、いわゆる心霊スポットみたいな、負の雰囲気は感じない。地面からの光でぼんやり浮き上がる森の光景は、幻想的で神秘的で、いわゆるパワースポットみたいに感じられる。そういうわけで、この森に別段嫌な感じはなかった。
森の中を川に向かって歩いていくと、何組かとすれ違った。どの組も、互いに顔つきの似ている方々が多かったから、おそらくは家族なのだと思う。さすがにデリカシーに欠けるので、ここに来た目的は尋ねないでおいたけど、墓参りって感じではなかった。というのも、墓参りにしては、あまり暗い雰囲気を感じなかったからだ。親御さんや祖父母らしき方々は少し神妙な感じだったけど、こどもは結構はしゃいでいて楽しそうだった。墓参りというよりは神社というか、
そういうわけで、カフェで店員さんに聞いた時に想像していたのよりは、ずっと雰囲気がいい森だ。あまりおどろおどろしいところでフィオさんと会っても、ちょっと……と思っていたから、正直助かった。
道を進んでいくと、多少広い空間に、家族連れらしきグル-プが何組か見えた。完全に立ち止まっているので、たぶん川があるんだろう。
さらに近づくと、予想通り川があった。幅は数メートルあって、一息に飛び越えられる感じではないけど、川底は浅い。水の透明度もすごく高く、川底にある小石が放つ光が揺らいでいるおかげで、やっと水の流れを実感できるぐらいだ。
川に橋はかかっていなくて、かわりに飛び石がいくつかある。川の流れは緩やかで、特に危険なく渡り切れるだろう。
それなりの幅の川だけど、梢の切れ目はない。頭上の木々は向こう岸の枝と手を合わせるように伸びている。枝葉でトンネルができている感じだけど、見上げると頭上に走る枝が橋のトラスみたいで、トンネルというよりはアーチ橋を下から眺めているようだ。
思わず目を奪われる光景で、ここで大勢が立ち止まるのもうなずける。あたりには、手を合わせて祈りをささげる方もいれば、口が半開きで見とれている方もいるし、こどもはキャーキャー楽しそうにはしゃいでいる。
こっちの岸はそんな感じで少し賑やかだったけど、向こう岸は誰もいなくて静かだ。フィオさんを呼ぶなら、あちら側の方がいいだろう。
しかし、こういう川を向こうに渡っていいものかどうかは気になった。冥府の川って感じではないけど、祖霊にまつわる川なら、またぐのは不作法かもしれない。そこで、あたりにいる方々でも年配の方を中心に尋ねてみた。すると、別に渡っていっても問題はないようだ。
とはいえ、ここを渡っていく人ってのは珍しいようだ。多くの視線を背に感じながら、俺達は向こう岸へと飛び石を渡っていった。
こちらの岸は、人がいない分だけ静かで、少し寒気を強く感じた。実際に寒いわけじゃなくて、場の雰囲気だろうと思う。
川から十分離れたところで、俺達は道を外れて横に入っていった。人はいないけど、念のためだ。
そうやって木々の間を進んでいって、ほんの少し周囲よりも木の密度が低いところで、俺達は立ち止った。呼ぶならここだろう。
俺は道具入れから鈴を取り出した。そして、アイリスさんに視線を向ける。彼女は、緊張した表情だけど、目は期待感に満ちている。そんな彼女がこくりとうなずき、俺は鈴を鳴らした。
すると、周囲のぼんやりとした光が一か所に集まっていき、やがて光は人型を取った。目の前に、穏やかな微笑を浮かべたフィオさんが立っている。
「久しぶり……かしら?」と尋ねる彼女に、「むしろ、最近はよく会ってるような」と返すと、彼女は苦笑いした。
「体、大丈夫ですか? 現れるのにも苦労するって話でしたけど」
「ここなら、割と大丈夫。マナが馴染んでいるから」
「でしたら、よかったです」
「ええ。いいところで呼んでくれて、ありがとう……あなたも」
フィオさんが柔らかな微笑みを向けると、アイリスさんはちょっとだけ視線を伏せ、はにかんだような笑顔になった。緊張というか、恐縮みたいなものが見て取れる。
そして、俺達は早くも会話に行き詰った。沈黙が気まずい。アイリスさんはなんだかモジモジしているし、フィオさんもなにやらまごまごしていて言い出しづらそうだ。ここからの話の中身を想像すると、もしかしたらアイリスさんには外れてもらった方がいいかもしれない。
そう思って彼女に話しかけると、彼女は少し寂しげな笑顔になってから「わかりました」と言って、距離を置こうとした。その背中に何か感じるものがあって、「話せることは後で話しますから!」と声をかける。その声で立ち止った彼女は、わずかに間をおいてから笑顔で振り向き、「約束ですよ」と少し嬉しそうな声で言った。
それで、この場に俺とフィオさんだけになると、相変わらす気まずい感じはあるけど、さっきよりはずいぶんマシになった。先に口を開いたのはフィオさんだ。「立ち話もなんだから」と、彼女は一緒に地べたに座るよう提案しつつ、先に腰を下ろして他よりも太めの木に背を預けた。
どうしよう。1つの木の幹に、男女で一緒にもたれかかるってのは、なんというかアレだ。でも、だからって別の木に寄るのも、なんだかなぁって感じだ。フィオさんが結構寂しがり屋っぽいのは、前からわかってる。人恋しくなる理由も、まぁわかる。だから、かなり恥ずかしいのを抑え込んで、一緒に座ることにした。
そばに座ると、静かな声で「ありがとね」と言われた。つい、照れ隠しに「別に」とか、つっけんどんな返事をしそうになったのをこらえ、ただ視線をそむけた。ちょっとして気持ちが落ち着いてから、彼女に尋ねる。
「体の具合、本当に大丈夫ですか? こっちに戻るまでに、かなり無理させてしまったみたいですけど」
「そうね……」
フィオさんは静かに考え込んだ。表情は真剣だけど、暗い感じはない。
「正直に言うと、少し無理はしてたの」
「やっぱり……年3回までなら大丈夫みたいな話でしたけど、それは?」
「ちょっと、厳しいかも……」
そういう彼女は、かなり弱気な笑顔を見せた。すごく切なそうで寂しげだ。
「年1回ならどうです?」
「それなら、きっと大丈夫。年1回か、2回ぐらいなら」
「だったら、年1回に決まった日に呼んで、その1年のことを話しますよ。困ってもフィオさんのことは呼ばずに、自分で解決します……どうです?」
いつもの安請け合いみたいなノリの思いつきで言ってしまった。しかし、俺の提案を聞いた彼女は、一瞬固まった後、心底嬉しそうに表情を崩した。「ありがとう」の言葉が耳より先に心に響いた気がして、顔が熱くなる。
とりあえず、フィオさんの呼び出しの件については片付いたけど、他にもいくつか話さなければならないことはある。しかし、かなりドキドキしてしまって、思うように思い出せない。傍に座ったのは失策だったかもしれない。
そうして次の言葉に困っていると、フィオさんが話しかけてきた。
「私のことは、きちんと調べられたみたいね」
「あっ、そうです。フィオさんのことが載ってる本があるんですけど、見ます?」
「ええ」
若干弾んだ声で答え、少し身を寄せて来る彼女を、なんだか可愛らしく思った。俺よりも年上というか……まぁ、年上なんだけど。俺は借りた本を取り出して広げ、彼女は本を覗き込んだ。「やっぱり、こう書かれるのね」と言って、苦笑している。
「なんか、集団の名前みたいな感じで書いてあるんですけど、そうなんですか?」
「途中でそうなったの」
フィオさん本人の話によれば、もとは特に集団で動いたりはしなかったようだ。しかし、敵方に彼女の存在が知られそうになり、撹乱のために似たような魔導師が何人もいるという風説を、当時の実力者がでっちあげたそうだ。
それに、敵方だけじゃなくて、フィオさんの得意とする魔法――
「私が言えた義理ではないけど、死霊術に興味を持たないようにね。それだけで罪になりかねないから」
「大丈夫です、それぐらいわきまえてますから」
「本当かしら……?」
彼女は若干、呆れたような笑みをこちらに向けてくる。俺自身は、死霊術に手を付けるつもりなんてさらさら無いけど、そのように思われてなさそうだってのは理解できる。これからはもっと気をつけたほうがいいな。
話が死霊術のことになって、ふと思い出したことがあった。前から気になっていたことだ。しかし、聞くべきかどうか、この期に及んでも決めきれない。「何かあるのかしら?」と俺の顔を覗き込むように見つめてくるフィオさんに、恥ずかしさよりもためらいを強く覚える。
そんな俺の逡巡を感じ取ったのか、彼女は微笑みはそのままに、真剣な眼差しを俺に向けて言った。
「どうか、遠慮はしないで。聞きたいことがあれば、答えるから」
「……俺が死んでから、こっちの世界向けに”作り直す”までに、何かいじったりしました?」
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