第220話 「ご挨拶行脚②」

 工廠での挨拶を済ませた後、俺は魔法庁へ向かった。しかし、敷地に入る前に門のところで立ち止まってしまった。気後れするようなことはないとヴァネッサさんに言われたものの、やはり実際に足を踏み入れようとすると、苦手意識があるのを自覚する。

 しかし、仕方がないとはいえ、立ち上げたばかりの事業を中断することになってしまっているのは心苦しい。だから、ここで引き返すわけには行かない。そう、決意を新たにして中へ入ろうとすると、知り合いの職員に声をかけられた。例の事業とか、闘技場での魔法の練習で知り合った仲だ。


「リッツさん!? ああ、戻ってたんですね、良かった!」

「……どうも」


 覚悟を決めた矢先、彼から話しかけられて、それをなんだか先手を取られたように感じてしまった。少しだけ、バツが悪い感じがする。でも、目の前の彼は俺の帰還を心底喜んでくれているようで、それはとても嬉しかった。彼は若干興奮した感じで尋ねてくる。


「今日の用件は、庶務課ですか?」

「はい。長い間不在にしてしまいましたので、まずはご挨拶にと」

「では、案内しますね」


 そう言って彼は、俺が頼むよりも先に敷地内へ振り向いて先導を始めた。1人じゃないのは心強いけど、仕事の邪魔になってないだろうか。そこのところを尋ねてみると、彼はちょうど巡回に出る所だったようだ。「こういう報告も業務のうちですし」と言って彼は笑う。


 魔法庁の敷地に入り込み、庁舎の中に立ち入る。居心地の悪さは感じないだろうって話だったけど、庶務課のオフィスへ向かうまでの道中で、その意味が何となくわかった。

 9月の王都襲撃以降、俺に対する魔法庁の方々の態度は徐々に軟化していった。でも、それは若年層と言うか、俺と同じぐらいの年の職員が中心だ。年配の方々や、職級が高い方々は、俺に対してあまりいい印象を持っていなかった気がする。そういった方々は、どちらかというと穏やかな拒絶感を示していたように思う。

 しかし、今日はちょっと違った。すでにいくらか打ち解けていた若手の職員からは、微妙に熱い視線を投げかけられた。案内してくれている彼も、よくよく注意すればそんな感じはある。

 そして……今まで少し冷ややかな感じのあった上の方の方々は、廊下で俺の姿を認めると立ち止まり、あろうことか真摯な表情で軽く会釈をしてきた。これには驚いた。慌てて頭を下げ返すと、わずかに表情を崩して笑われた。案内係の彼に、何かあったのか尋ねてみると、「まぁ、ウワサになってますし」との返答。どうやら、帰還した件で、何らかの評価をしていただけていたようだ。

 そんなこんなで、庶務課の部屋の前にたどりついた。案内してくれた彼に礼を言うと、彼は笑顔を返して立ち去った。その背が見えなくなってから、俺は部屋に入った。


 部屋に入ると、さっそく課長さんの声が。彼が「主任!」と明るい声で俺に呼びかけると、部屋の中の職員のみなさんが一斉にこちらを向いた。庶務課の方々は、仕事やら試験やらで顔なじみになっている方が多い。その中でも、俺より少し年上ぐらいの方々は、サバサバした感じで俺の帰還を喜んでくれた。一方、年が同じぐらいか、もしかしたら年下かもしれない職員は少しウェットな感じで、涙ぐんでいる子もいた。

 その後、立ち話も何だからと、ちょっとした打ち合わせ用のスペースに案内された。テーブルの上には書類が散乱していて、「あはは」と笑いながら年上の女性職員が片付けていく。


「……もしかして、試験関係とかですか?」

「おっ? やっぱりわかっちゃう?」


 Eランク試験は3の倍数の月、Dランク試験は3月と9月に行われる。今月は3月だ。

 ちなみに、黒い月の夜がある3月に試験をやるのは意図的なものらしい。試験でその時の実力がわかれば、ギルドとしては適切に戦力配分できるからだそうだ。

 しかし、今期の場合、試験を例の夜に先立って行うことはできなかった。王都近辺の騒動があって、その対応のためにギルドも魔法庁も人手を割いたからだ。なので、事が済んでちょっと落ち着いてから、急ピッチで試験の準備を進めているところらしい。


「なんだか、お邪魔してるみたいで……」

「気にしない気にしない」


 課長さんが俺に茶を出しながら言った。この部屋で一番地位があるだろうに、こうまでされると恐縮してしまう。しかし、部下のみなさんは、上司に茶を入れさせることに何かを感じている様子はない。どうも、課長さんが一番茶を淹れるのが上手だからだそうだ。それが理由になる辺りが、ちょっと変わってるとは思うけど。

 淹れていただいた茶に口をつけ、一口楽しんだところで部屋の外からノックの音が。それから入ってきたのは、庶務課の職員とエリーさんだ。どうやら、エリーさんを呼びに行ってくれていたらしい。「ウチら以外だと、エリーさんと仲良かったと思って」だそうだ。その気遣いはとてもありがたかったし、普段はクールな感じのエリーさんが柔らかな微笑みを向けてくれているのを見て、胸が熱くなった。

 すると、書類の片付けをしていた方が、俺にニヤニヤした感じの笑みを向けた。エリーさんの方をじっとみていたから、変に思われたのかもしれない。妙なことになる前にと、俺は茶を飲んでから話題を切り出した。


「今回の……私がいなくなったり戻ったりした件は、魔法庁ではどのように認識されてますか?」

「転移の件でしたら……話すと長いですね」


 課長さんは少し苦笑いしながらそう答え、話を続けた。

 俺が転移を食らったというのは、魔法庁にも認識されていたようだ。あの戦い自体は魔法庁とそこまで関係はなかったけど、ギルド側から情報提供があったらしい。ギルド所属の冒険者がどこかに飛ばされたから、何か魔法庁で対応策はないかと。

 ただ、転移に関しては魔法庁の管轄ではあるものの、魔法庁で扱いきれる問題かというと微妙だ。安定して行き来するための転移門を新設するのは国家事業クラスの仕事らしいし、できてる門を利用するのだって国の許可制だ。結局、転移に関する情報はほとんど出せなかったようだけど、俺をどこに呼び込むかの場所決めで頑張っていただけたようだ。

 あの時の草原は、魔人が出現する”目”ほどじゃないけど、そこそこ空間の膜が薄くてゆらぎがあり、王都からそれなりの距離がある箇所だった。そういう、絶妙な場所の割り出しがなければ、俺がたどり着けなかったかもしれないし、他の魔人の介入があったかもしれないし、王都が危険にさらされていたかもしれない。課長さんは申し訳無さそうに「場所設定ぐらいしかできませんでした」と言ったけど、十分助けになっていたと思う。


 当日に至るまでの顛末はそんなところだ。ただ、当日以降も魔法庁では少し変化があった。むしろ、他の諸機関よりも大きな変化と言えるかもしれない。

 というのも、色々条件付きとはいえ人間が生身の人力で転移を果たしたという事実は、魔法庁で大きな衝撃を以って受け止められたようだ。それで、俺に一目置くというか、プラスの見方をするようになった方が増えたわけだ。

 そういう話を聞いて、照れくさくなった俺は「自分の力だけでやったわけじゃないですけど……」と頬を掻きながら言った。すると、エリーさんが微笑みを浮かべる。


「手助けされても、普通はできるものではないですよ」

「いえ、ここの方ならそういう実力は……」

「技量はあっても、そこまでの気力はないでしょうから」


 彼女の言葉に、周囲の面々がうなずき出した。

 たぶん、魔法の力量で言えば、この部屋の中では俺が一番下だろう。それはわかる。でも、今までやってきたことを信じて立ち向かえる、火事場の精神力ってことなら……自分のことを評価してやってもいいんじゃないかと思った。

 そういう気力面に関してエリーさんに褒められ、ますます照れくさくなったところで、ふと思い出した事があった。しかし、そのまま口に出していいものかは少し悩む。


「エリーさん、盾を重ねる手法って、こちらのみなさんは知ってますか?」

双盾ダブルシールドですか?」

「はい」


 そのものずばりの名前を出さず、少しはぐらかしたことに怪訝な表情をした彼女だったけど、すぐに意図を察してくれて苦笑いした。双盾では、重ねた盾同士の色をズラすため、調色型を使っている。その調色型が、魔法庁的には非推奨の存在だと知っているので、こういう場で話に出すのはどうかと思ってちょっとごまかしたわけだ。

 しかし、俺の心配は杞憂に終わったようだ。「庶務課では使える者も多いですし……とやかく言うことはありませんよ」とのことで、ホッとした俺は本題に入った。


「戻ってきた時の戦闘で、双盾には本当に世話になりました。なので、教えていただいた礼をと」

「なるほど……」


 エリーさんは嬉しそうに微笑んだ。しかし、すぐに真剣な表情になり、ほんの少し眉間にシワを寄せて考え事を始めた。


「……こうして礼を言われるということは、相当使ったのですね?」

「ええ、まぁ……何回割られたか覚えてません」


 俺がそう言うと、卓を囲んだみなさんは色々な反応を示した。課長さんは少し身を乗り出し、課長さんに次ぐくらいのベテランっぽい方は口笛を吹き、年下の子は両手で口元を覆った。

 そんな中、エリーさんは依然として静かで、冷静な感じだ。ちょっと間を開けてから、彼女は俺に問いかけた。


「それで……私が教えた通りの双盾だけを使い続けましたか?」

「それは……」


 奴に撃たれまくっている間、少しでも省エネをと思って、だいぶ色々端折って貧相な盾を作っていた。そのことを見抜いたというのだろうか。ちょっと驚いて次の言葉に困っていると、エリーさんは笑顔で言った。


「もしかしたら、アレンジを加えるかと思いましたが、どうやらそのようですね」

「えっと、そうですね……」

「どのように手を加えたのか、今後の参考にできるかもしれませんので、よろしければ報告書などいただいても?」


 あの時のは、工夫というよりは横着に近い感じだった。報告として役に立つのかどうかは微妙だと思う。でも、何かの足しになればと考えて了承することにした。

 それから、仕事の件はまた後日伺うという事で、その場はお開きになった。お見送りの申し出はあったけど、そこまでしてもらうのも悪いし、1人で魔法庁を歩いてみるのもいいかと思い、丁重に断った。

 そして、居心地の良かった部屋から出て廊下へ。外に向けて歩く間、すれ違う方々の視線に心がざわつくことは無くなっていた。どの方とも、きちんと目を合わせてから会釈できる。そのことが嬉しい。

 ただ、廊下の向こうで現長官のお姿を認めたときには、気付かれないようにそそくさと小走りしてしまったけど。

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