第219話 「ご挨拶行脚①」

 久々の夕食は、いつもよりも少し時間が遅くなった。俺が戻ってきたお祝いに、ルディウスさんが腕を振るって、豪勢にしてくださったからだ。肝心の俺がきちんと食えるかどうかは問題だったけど、丸一日寝た後にも関わらず胃は元気で、料理のおいしさもあってペロリとたいらげてしまった。

 夕食の席では、俺のことに関してほとんど聞かれなかった。皆さん結構噂好きだから、聞かれるものと思っていたけど、かなり気を遣ってくださったようだ。

 ただ、例の一件に関してどこまで伝わっているのかは気になる。そこで、皆さんに尋ねてみた。すると、どうやら転移をくらったらしいというところまでは、ギルド経由で伝わっていたそうだ。ギルドと各種の宿では、宿泊費の助成金制度等で関わりがあるし、冒険者の確保のためにも協力体制は必須。だから、宿への情報提供もギルドとしては必要な措置のようだ。

 俺がどこかに飛ばされたということは知らされていても、この場で”どこへ”と問われたりはしなかった。そのことは、とても助かった。宰相様と考えた言い訳はあるけど、好んで使いたいわけでは決してない。

 俺の方からあまり突っ込んだ話ができない代わりに、最近何かあったかを教えてもらったけど、特に何もなかったようだ。「取引が減るかと思っていたんだが……」と切り出したのは商工会の職員さんだ。


「秋口に比べれば、商店の立ち直りは早かったな。そういう商店主の気力に負けないよう、衛兵隊やギルドが奮励してくれたのも良かったよ」


 さすがに年に2回も襲摯を受けて、そのたびに商売が冷え込んだんじゃ、やってられないだろう。2月の襲撃後の復帰の早さは、商店の方々のそういうガッツから来たもののようだ。

 そういうわけで、9月の襲撃に比べれば、王都の人心に対するダメージというのは思っていたよりも軽く済んだようだ。俺と縁のある方々は、例外なのだろうけど……。



 翌朝、鳥のさえずりで目が覚めた。窓の外にはあまり人通りがなく、結構早い時間に目が覚めたようだ。

 ベッドから起きて立ち上がる。昨日に比べればずいぶんと体の調子がいい。こうなってくると気になるのは、きちんとマナを使えるかどうかだ。あの戦いで頑張りすぎた反動から、寝込んだり疲れたりしていたのだと思う。それで体調の方は戻ったけど、マナがどうなのかはよくわからない。とりあえず、ペンでサインできる程度にはなっているけど、王都の外に出て試してみないことにはなんともいえない。

 でも、王都から出る前に、やらなきゃいけないことがあった。挨拶回りだ。とりあえず、年始で挨拶に行った方々には会わなきゃいけないかと思う。しかし、そういう方々のことを思うと、会わないうちから心が震えた。会って、きちんと話をできるだろうか。

 そんなことを考えながら階下に降りると、リリノーラさんの朗らかな声が迎えてくれた。聞きなれた挨拶にうれしくなって頬が緩むと、彼女もにっこり笑ってくれた。


「今日はお早いですけど、さすがにお仕事じゃないですよね?」

「……まぁ、たまってる仕事はあると思うんですけど……まずは挨拶回りにと」


 すると、合点がいったらしい彼女は、口を閉じて何か考え事を始めた。それから、真剣なまなざしをこちらに向けて言う。


「あの、色々大変かと思いますけど……お互いの顔を見るだけでもだいぶ違いますから、足を運べばそれで十分だと思います」

「そうですね、そう思います」


 もちろん、顔見せだけってわけにもいかないこともあるだろう。その場その場で言わなきゃいけないこともあるだろう。でも、あらかじめ言葉を用意したって、そのとおりに言えるわけはないんだ。そんなことは、戻ってきてすぐに理解した。

 だから、会ったその時に浮かび上がった、素直な言葉をかけていくしかないと思う。



 朝食を済ませてから、最初に向かったのはギルドだ。顔合わせの難易度が低そうだからという、ちょっと情けない理由で選んだ。

 実際、ギルドの入り口あたりでたむろしてる知人友人と再会した時には、そこまでしんみりした感じにはならなかった。というより、そういう空気を嫌ってか、かなり砕けた感じで声をかけられた印象だ。その最初の再会が打ち解けた明るいものだったせいか、ひとだかりが膨らんでも雰囲気はそのままで、かなり助かった。

それと、例の新しいアダ名はすっかり広まっているようで、何かの観光名所みたいに俺をベタベタ触ってくる奴が多い。笑いながら「金とるぞ!」と言うと、女の子から「うれしいくせに~」などと言われた。

 あまり湿っぽくならなかったのは確かにうれしいけど、そうとも言い切れないなんとも微妙な感じはある。贅沢な悩みだとは思うけど。


 そんな感じで、ギルドの入り口付近で囲まれていたのを脱し、中に入る。すると、シルヴィアさんが受付をしていた。彼女はいつもの笑顔なんだけど、普段よりも少し落ち着いた感じで話しかけてくる。


「おはようごさいます」

「おはようございます……お久しぶりです」

「本当にそうですね、また会えて嬉しいです! 今日は挨拶だけですか?」

「そのつもりですけど」

「……奥にみなさん居ますけど、どうします?」

「お仕事の邪魔にならなければ、是非」

「うーん、お仕事の邪魔にはなりそうですけど、こちらとしても是非ともって感じですね!」


 ニコニコしながらシルヴィアさんは言った。まぁ、顔だしたら少し仕事の手が止まりそうだけど、それは仕方ないだろう。俺はシルヴィアさんに頼んで、奥へ案内してもらった。

 事務室から廊下へは、仕事をしている皆さんの声が漏れ出ていた。しかし、俺がドアから半身を乗り出して中を伺うと、途端に水を打ったように静まり返る。それから受付や裏方の皆さんが、口々に声をかけてくれて胸が一杯になった。

 あの時の戦いで、俺は本営の救護班に所属していた。その本営や救護班には、ギルドの裏方組の方々が参加していた。きっと、ものすごく心配させてしまったんだろう。見覚えのある多くの顔が、今にも泣き出しそうな感じになっている。

「えっと、遅くなりましたが、なんとか帰還しました」とおずおず言うと、「おそい~」とかなり間延びした声が。そちらを向くと、ラナレナさんが穏やかな笑みを浮かべていた。


「あなたが居ない間に、結構色々あってね~。ま、それは今度でいっか」

「そうですね、また後日あらためて伺います」


 とりあえず、今日のところは一通りの顔出しを済ませたい。そういう俺の考えは、言うまでもなく了解されているようで、あまり長く引き止められることもなかった。希望者と握手したぐらいだ。その希望者ってのが、結構多かったけど。「アダ名の験担ぎですか?」と照れ隠し気味に尋ねると、手を握ったシルヴィアさんにはにっこり笑顔を返された。


 ギルドへの顔出しが済み、次に俺は工廠へ向かった。転移の件をどこまで知られているかは微妙なところだけど、あの戦いは新作魔道具の実地試験みたいな要素もあった。その報告もないままに姿を消してしまったんだから、たぶん気にかけてはいるだろう。

 工廠の入口に入ると、受付の方がちょっと仰天したようになった。その彼女に声をかけようとすると、逆に先手を打たれた。


「お久しぶりです、リッツさん!」

「お久しぶりです……あの、俺が不在にしてた理由って、ここでは知られてますか?」

「ある程度は、ですね。冒険者ギルドと同程度の情報を持っています」


 つまり、転移の事実は知っていても、異世界とかそういうのは把握されていないってことだ。


「本日のご用件は、帰還のご挨拶でしょうか?」

「そんなところですけど……とりあえず、例の作戦では雑事部が関わってましたので、そちらに挨拶をと」

「雑事部でしたら……皆さん揃ってますね」


 受付の方は、名簿を見ながら言った。全員にまとめて挨拶できるなら好都合だ。それから、いつもの流れで入館手続きを済ませ、俺は目的の研究室へ向かった。

 その研究室の前で立ち止まり、深呼吸をしてから、俺はドアを開けた。すると、入り口脇の床で、寝袋にくるまって寝ている研究員が。よっぽどいい夢を見ているのか、妙に顔がにやけている。そんな彼に思わず注意を奪われていると、部屋の奥の方から「リッツ君!」と呼ぶ声がした。

 呼ばれてそちらに顔を向けると、すっかりここの職員みたいになったヴァネッサさんが、心底嬉しそうな笑顔でこちらに向かってくるところだった。目の前に立った彼女は、俺の右手を両手で握ってブンブン振る。


「ああ、無事で良かったです。具合の方は大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「それは何よりです。他の皆は実験室に居ますから、少し待っていてくださいね」


 そう言って彼女は俺を談話用のスペースに案内しつつ、茶の準備に向かった。すると、背後から彼女と寝ている彼のやり取りが聞こえた。


「リッツ君が帰ってきましたよ!」

「ん~、あと五分……いまいいとこ……」

「まったく、もう」


 魔法庁からの出向で来ている彼女が、ここでは面倒見のいいお姉さんみたいになって馴染んでいる。それがちょっとおかしくて、微笑ましかった。工廠も魔法庁も、結構なエリートしか入れないはずなんだけど、ここにいるとそういう感じはしない。

 ヴァネッサさんが茶の準備を終えるのとほぼ同時ぐらいに、実験室のドアが開いてみんながこちらに小走りでやってきた。先頭はウォーレンだ。


「よぅ、久しぶり! お前が居なくなってマジ心配してたんだぜ、ホント!」

「心配かけてすまん……みんなも」


 ウォーレンの後ろにいる、雑事部の友達にも声をかけると、ちょっと涙ぐむ子も居たけど、みんな笑顔を向けてくれた。その中には、シエラもいる。彼女は、どことなく照れくさそうだった。

 そうして少し部屋の中がにぎやかになった頃に、寝てた彼が起きて顔をこちらに向けた。


「アレ、リッツが……夢か?」

「早く起きなって!」


 駆け寄った職員の子が彼の頬をムニッとつまむと、彼は目をパチクリさせ、だいぶ恥ずかしそうに「久しぶり」と言った。

 それから、みんなでソファーに座ってテーブルを囲み、ちょっとしたティータイムを楽しんだ。「この後も、挨拶回りを?」とヴァネッサさんが尋ねてくる。


「はい。まずギルドに顔を出して、次にここです」

「工廠が2番か……結構、大切にしてもらってる感じ?」

「……なんていうか、割と気軽に来れるかもって」

「ここは機密が多いんすけどねぇ」


 冗談めかしたツッコミが入ると、みんな笑った。確かに、気軽に来ちゃいけないくらい、国でも重要な施設のはずだ。でも、ここの仕事仲間は本当に気安い感じで、頼りになるけどそこそこ抜けてる所があるのも魅力的だった。

 ただ、他の場所がギルドや工廠みたいに、気楽に訪問できるわけじゃないってのはわかってる。そのことを思うと、今からすごく緊張する。そんな俺に、シエラが尋ねてきた。


「次はどこに行くの?」

「まだ迷ってるけど……魔法庁かな。仕事でお世話になってるし」


 仕事ってのは、ブライダル事業だ。実際には、魔法庁所轄の事業を俺に委託する形になってるわけで、俺が世話になってるかというと、ちょっと微妙なところだ。向こうは、俺に世話になってると言うかもしれない。

 ともあれ、年明けから始めた例の事業が、開始して1ヶ月そこそこで主任者がいなくなってしまったわけだ。不可抗力とは言え、申し訳ないと思う。だから挨拶に行かなければと思っているんだけど、なんやかんやであそこの敷居はまたぎづらい。そういう尻込みする気持ちは、やっぱりある。

 しかし、魔法庁の話に触れた途端、ヴァネッサさんを中心にみんなヒソヒソと声を潜めて密談を始めた。それからヴァネッサさんが、ちょっとニヤニヤした感じの笑顔で話しかけてくる。


「リッツ君、魔法庁には行きづらいですか?」

「あー、1人で大丈夫ですよ」

「あっ、そういうことじゃなくって」


 付き添いの申し出と思ったけど、どうやら違ったみたいだ。となると、何だろう。いぶかる俺に、彼女は言葉を続けた。


「たぶん、気にするほどのことはないと思いますよ。居心地の悪さを感じることは、きっとないはずです」

「そうですか?」

「ええ、大丈夫」


 笑顔で請け負った彼女は、少なくともこういうことで冗談を言う人じゃない。だから、この発言は信じてもいいだろう。

 でも、彼女がそう言うだけの根拠の方は、ここでは聞けなかった。「現地でどうぞ」と、いい笑顔の一点張りで、まわりのみんなも、なんだかわかったような感じの笑みを浮かべている。

 そういうみんなの態度に、さっきまで感じていた魔法庁への気後れを押しのけ、好奇心が表にやってきた。こうまで言われると、ちょっと楽しみだ。あの、魔法庁へ行くのが。

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