第221話 「ご挨拶行脚③」
昼食後、今度はエスターさんの店に向かった。その道中で色々考える。
1つ引っかかったのは、エスターさんが今回の件について、話を聞かされているかどうかだ。おそらく、ギルド等の諸機関から話が行っているってことはないだろう。あるとすれば、親友たちから話が行ってるか、あるいは……エスターさんが聞きに行くか。
少なくとも、何も知らないってことは、無いのではないかと思う。あの戦いに向かう前、俺はエスターさんのところに出向いて挨拶していた。それで、戦闘が終結しても俺からの帰還の挨拶がないというのでは、たぶん心配するだろう。だから、俺がどうなったのかをエスターさんの方から誰かに聞きに行くというのは、可能性としては有り得る話のように思う。
気が重い。「出撃前の挨拶なんて、余計なことをした」とすら思った。でも、それはそれで不義理にあたるだろう。良くしていただいているのであれば、なんであれ説明は果たさなければ。
そしていよいよ、店の前についた。幸か不幸か、よく知っている店員さんが外で掃き掃除をしていた。こそこそするのもみっともないと思い、思い切って声をかける。すると、彼女はほうきを取り落して口を両手で覆った。驚きに目を見開き、しばらくの間そのままだった。
ちょっと経ってから平静を取り戻した彼女は、店の中ではあまり見せない真剣な表情で「オーナーへのご挨拶ですね」と聞いてくる。それに俺はうなずいた。表情がすごく固くなっているのが自分でもわかる。そんな俺に、彼女はフッと表情を和らげ、「お待ちしておりましたよ」とにこやかに言った。
彼女の案内で店内に入ると、他にもお客さんは何組かいた。幸い、知り合いはいない。いたら少しややこしくなっていたかもしれない。それから、店員さんの案内で奥の応接室へ向かった。背には他のお客さんの視線が突き刺さる感じがする。
応接室に通されてからすぐ、エスターさんとフレッドがやってきた。こういう、来客を待たせないところは相変わらずで、自然と笑みがこぼれる。それから、一瞬ためらったけど、その笑顔を2人に向けた。2人とも、感極まって震えていたけど、それでも笑顔で返してくれた。
3人でテーブルを囲んで、しばらくの間は何も話せないでいた。そうして静かにしていると、店員さんがやってきてお茶の用意をしてくれた。茶器が立てる音だけが寂しげに響く。
店員さんが去ってまた3人になり、茶を一口飲んだ俺は、意を決して2人に話しかけた。
「今回の戦いでは色々ありまして……ご心配おかけいたしまして、申し訳ありませんでした」
「いえ、そんな……頭を上げてください。もっと、お顔をよく見せて」
言われて顔を上げると、エスターさんに見つめられた。胸が熱くなって頬が朱に染まる。涙をためた瞳は、それでもまっすぐに俺を見つめていて、胸が締め付けられるようだった。
それから、彼女は指で涙をスッと拭い、静かな口調で言った。
「戦場では、とても立派なことをされていたと、ネリーさんから聞きました」
「立派というか……重要な役目を担っていたとは思います」
立派だなんて言われると、ちょっと仰々しい感じがするし、落ち着かない気分になる。それに……立派な行いから色々あって親しい方々に心労をかけたのなら、それのどこが立派なんだろうか。そう疑問に思う声が心に響いた。
また静かになって、エスターさんはカップに手を伸ばした。つられて俺も茶を口に含む。それから、カップを置いたエスターさんは、瞑目していくらか考え事をした後、言った。
「これからも、頑張ってください」
「えっ? いえ、それはもちろんですけど……」
意外な言葉に虚をつかれた。少しキョトンとした顔になっていると、彼女は微笑んだ。
「もちろん、もっと安全な仕事をしてほしいという思いはあります。でも、そういうわけにはいかないのでしょう?」
「それは……そうですね。みんなと一緒に戦って助けになりたいですし、救える命は救いたいです。もちろん、恐れを感じないわけではないですが、逃げたくはありません」
俺の言葉を、エスターさんは微笑みを浮かべたまま聞いていた。満足げなようでいて、少し寂しげにも切なそうにも見える。その様子が、心に沁みた。
「……そうやって頑張るリッツさんのこと、私は応援します。でも、1つ約束していただけませんか?」
「何でしょうか」
「大きな仕事の前には、どうか声をかけてください。心配かけまいという気持ちもあるでしょうけど、知らされてなければ祈ることもできませんから」
「……わかりました」
返答すると、彼女はにっこり笑った。本当に、芯が強い方だと思う。そんな彼女を決して悲しませないように、大仕事の前にも後にも、報告は欠かすまいと固く心に決めた。
☆
エスターさんの店の後は、孤児院だ。正直に言うと、ここが一番ヤバいと思う。今の所はなんとかなっている挨拶回りだけど、さすがに孤児院はそうもいかないだろう、そんな予感がある。
自覚できるぐらいに重い足取りで街路を進み、孤児院の前にたどり着いた。外で遊んでいる子はいない。たぶん、他の先生がすでにいて、中で一緒に遊んでいるパターンだろう。1人ぐらい外にいてくれたほうが、中に入りやすかったかも。そんなことを思った。
何回か深呼吸をした後、孤児院の敷地に入る。入り口から横の方には、正月に種植えをした一角が見えた。建物の中に入る前にそちらに寄ると、色とりどりの花が咲いていた。等間隔に行儀よく植えていた種は、どれもきちんと花開いているようだ。
しばらくの間、花壇の前でしゃがんでぼんやり眺めていると、後ろから「先生?」という声がした。年長者の男の子だ。向き直ると、彼は瞳を潤ませ、顔を歪ませている。
「……戻るの遅くなってごめん」
「ホントだよ……皆にも会うよね?」
「もちろん」
そう答えると、彼は手にしていたジョウロで手早く水やりを済ませた。水やり当番だったんだろう。俺みたいなのがやって来ようと、真面目に仕事をこなす彼の頭を軽くポンポン叩いてやると、彼は左腕で顔を擦った。
それから、水やりが済んで俺たちは建物の中に入った。随分久しぶりに感じられる。ぬくもりのある木材の壁に、郷愁の念を覚えた。
そして、みんながいる部屋についた。今日の先生は院長先生とシャーロットのようで、彼女達は俺の姿を見るなり涙ぐんだ。
でも、もっと強い反応を示したのは、こどもたちの方だった。俺が部屋に入るなり、一瞬だけ凪のように静かになり、それから反動がついた大潮みたいに強い感情が押し寄せた。抱きつかれたり、力なく叩かれたり。みんなみんな、泣いている。幼少の子も年長の子も、男の子も女の子も、真面目な子もちょっとませた子も。
みんなの泣く声に囲まれながら、俺はこの子たちの境遇を思った。それまで一緒にいた、身近な大人がいきなりいなくなって、それでみんなここにいる。この子達の親代わりをしていただなんて自惚れるつもりはないけど、でも親しい仲だとは思う――いなくなって、悲しませるぐらいには。
気がつけば、俺も頬が濡れていた。腰を落として、ひとりひとり抱きしめてやると、ますます涙が溢れ出た。
「ごめん、本当にごめんな……!」
声を震わせながら、みんなに謝った。みんなの返事は、声にならなかった。それからしばらくの間、俺達はみんな一緒になって泣いた。
立ち直りが早かったのは、年長の子たちだ。その中でも、少しませていて生意気盛りの子が、俺を詰問する。
「遅かったじゃん! どこ行ってたの!?」
「……どこってのは、その……」
言えるわけがなかった。信じる信じないは別として、この子たちに、故郷に戻ってからまたこっちへ戻ったなんて言えやしない。そうやって答えられずに困っていると、院長先生が助けてくれた。
「言えない話というのもあるのよ? それに、ちゃんと帰ってきてくれた先生に、挨拶がまだでしょう?」
「そ、それは……」
確かに、お互い泣くのが先で、ちゃんとした挨拶はまだだった。そんな指摘を受けて、彼女はかなり恥じらった。年長者としての意地というか、プライドから来るものだろう。幼い子たちに混ざって、わんわん泣いていたことを思い出したのか、彼女は顔を赤くした。そんな彼女の言葉を待って、先に言わせるのも意地悪かと思い、俺は話しかけた。
「久しぶり。元気……でもないか」
「……もう、先生のバカァ! みんな心配してたんだからね!」
そう言って彼女は両手を拳にして、俺をポカポカ叩き始めた。別に本気の殴りって感じではなく、院長先生は微笑んで容認している。
叩き始め、彼女は少し真剣で怒ったような顔をしていた。しかし、殴っている間に楽しくなってきたのか、ちょっと意地悪な微笑みになっていく。でも、その表情も少しずつ歪んでいって、しまいには俺を叩くのをやめた。そんな彼女の頭に手を置くと、彼女は視線を上に向けた。
「……帰るの、遅くなってごめん」
「……先生、将来奥さんにそういう事言わないようにね?」
茶化すように笑う彼女に、俺は苦笑いしかできなかった。
みんなが落ち着いた頃に、今日はまだ挨拶回りがあるからと辞去しようとした所、案の定引き止められた。しかし、他の先生が説得してくれて、明日また遊びに来るからと約束することで、どうにか解放された。ただ、口約束で終わらせないようにと、俺はその場で念書を書くことになったけど。遊びの約束にここまでするってのは、信用されてないけど慕われているようで、少し複雑だった。
孤児院を出て、俺は最後の挨拶に向かった。お屋敷だ。さすがに、アイリスさんの口から事情は知らされているだろうし、そうでなくても話をしに行かなければならないと思う。
お屋敷へ向かう道中、南門で門衛さんに「久しぶりですね」と言われて驚いた。よく俺のことなんて覚えているもんだと驚いたけど、門衛さんに言わせればそれが仕事だそうだ。それに、南門は比較的通行が少なく、通るのは伯爵家関係者が多いから、自然と頭に入ってしまうんだとか。
彼は、俺が不在にしていた理由については知らないようだった。変に広めるのもまずかろうと思い、仕事の都合で王都を離れていたと答えると、それ以上の追及はなく通してくれた。
王都からお屋敷へ向かう道も、本当に久しぶりだ。風にそよぐ草の音が、耳に心地よい。そうやって、しばらく道を普通に歩いていて、ふと閃いた。魔法をいつもどおり使えるか試してみないと。あの戦い以降、体調は戻ったようだけど、マナがどうなのかはわかってない。
俺は試しに、
そうやってマナを無駄遣いしながら進んでいったけど、結局お屋敷にたどり着いても疲労感を覚えることはなかった。帰還のために、空歩を使いまくったからだろう。自分の体の一部と言えるぐらいにまで、馴染んでいるような気がする。
そんな上達に少し満足して、俺はお屋敷の門を通った。表の庭には誰もいない。みなさん中にいるんだろう。1人で中へ進んでいくのに、ちょっとドキドキしながら歩いていく。
そしてお屋敷の中に入ると、マリーさんが掃除をしていた。視線が合って、一瞬時が止まる。しかし、すぐに彼女は微笑んで、「お久しぶりです」と声をかけてくれた。
「お久しぶりです。この度は心配をおかけいたしまして……」
「奥様がおられますから、まずはご案内します」
俺の言葉を手でやんわり遮ってから、彼女は俺を案内し始めた。彼女はものすごく落ち着いて見えて、それはとても助かったけど、奥様はどうなのだろうか。顔を合わせる前から緊張する。
慣れたはずの廊下だけど、歩を進めるごとに緊張は高まっていった。そして、いつもの食堂の入り口が見えたところで、俺は立ち止まってしまった。深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着かせようとする。
そしたら、マリーさんが俺の腕を両手でそっと掴んで、ニコニコ笑いながら食堂へ歩き出した。止めさせることもできず、一緒に歩いていって食堂に入る。すると、中には笑顔の奥様がいらっしゃった――それとアイリスさんも。そのことに驚き呆けていると、「久しぶりね」と奥様が仰っしゃった。「お久しぶりです」となんとか返答だけはできたけど、気持ちは落ち着かない。
マリーさんに促されるまま卓につくと、彼女は「パイを焼きましょうか?」と尋ねてきた。
「パイですか?」
「はい……もしかして、忘れていらっしゃいますか?」
確か……あの戦いに向かう前、ここに挨拶に訪れた際、戦いが終わったらパイを焼いてもらうという話をしていた。そのことだろうと思い、確認のために聞いてみると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「時間的にはちょうど良いかと思われますし、いかがでしょうか」
「そうですね、お願いします」
俺が頼むと、マリーさんはアイリスさんに視線を向け、アイリスさんは立ち上がって厨房へ向かった。食堂には俺と奥様だけになった。掛ける言葉に悩む間もなく、奥様が話しかけてこられる。
「お疲れ様、大変だったでしょう」
「そうですね。色々と……」
何を差して大変と仰っているのかはわからないけど、色々と大変なのは間違いない。素直にそれを認めると、奥様は優しげな視線を俺に向けて微笑まれた。
しばらくの間、特に言葉を交わすことはなかった。食堂と厨房を隔てる戸からは、物音と話し声が漏れ出てくる。不鮮明で何を話しているのかはわからないけど、楽しそうではあった。
「今日は、あなたが来るって思ってたのよ」と奥様が出し抜けに仰った。
「ただ、こっちには来るだろうけど、あの子の元へは行かないだろうと思ってね。違う?」
「それは……」
アイリスさんへ個人的に挨拶に行くかというと、帰還した初日に顔を合わせているから大丈夫かと思っていたし、なんか気恥ずかしさがあってためらわれる気持ちがあるし、なんとなくだけど他の挨拶回りと一緒にって気分ではなかった。
どこまでそういうところを見抜かれているかは定かではないけど、少なくとも俺の行動については察していたようだ。俺がこちらに挨拶に来るまで、アイリスさんは奥様とマリーさんの提案で、お屋敷にいたらしい。
「顔は見たいけど、2人っきりは気まずい……そう思ってそうだったから。お邪魔だったかしら?」
「……ご想像におまかせします」
「じゃ、色々好き勝手考えておくわ」
「やっぱダメです」
「ふふ」
軽口に翻弄されながら、話が重くならないことを少し意外に思った。ただ、それを指摘するのもどうかと思って、俺は別の話を切り出した。
「閣下は、今回の件については?」
「まだ知らせてないわ」
奥様はこともなげに仰ったけど、俺はびっくりした。しかし、知らせてないのには理由があって、あのときは閣下がおられる最前線が黒い月の夜に向けた準備を整えているところだった。それに、殿下が王都に来られて指揮系統が変わった、最初の年ということもあり、閣下に心労をかけたくはなかったのだということだ。
「それに……あなたがいなくなってから早い段階で、こちらへ戻るつもりだって話を聞けたから」
「……もしかして、それを信じていただけたのですか?」
「もちろんよ。だから、あの人には事後報告でいいかと思ったの」
きっと、まったく心配しなかったってことはないだろう。でも、心配よりも信用のほうが勝った。その事が嬉しくて、とても誇らしかった。
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